Days

日常と読書日記。 受験生日記は閉幕です。

 「最近何してる?」とか「なんで進路を変えたのか」という質問については「話すと長くなる」という言い訳をしていつも逃げているバーニングさんです。どうもこんばんは。先週月曜日は3週間ぶりの飲み会でした。
 最近は夏バテなのかなんなのか分かりませんが七夕関西遠征から帰還以降体調がどーも優れずとりあえず研究計画をある程度まで作らないとさすがにヤバイので(出願まではまだ時間あるけどまだまだやることいっぱいだから)重い体を引きずり図書館で本を乱読したり思考を書き殴ったりしていた。ゼミで後期に行うグループワークの研究計画も作らねばならなかったので、2週間少しで2本の研究の間をぐるぐるしていてまだ少し余韻は続いている、という感じ。
 飲んだ、というように多少は上向いているわが肉体ではありますがテスト期間で再び酷使という顛末。毎回体調崩して治ったあと、ってなぜか酷使せねばならないのだけれど、これは自分自身の管理の問題とは言えるからセーブセーブしつつ、こなしていかなあかんな、という感じです。8月はもっと大変なので好調を維持しないとだし。

 で、最初の質問に戻ると大した準備もないままに今に至っているので基本的に時間との戦いだなーと思っていて、目の前の不透明さは変わりません。ひとつハードルをクリアしたとして、じゃあ来年以降どうするんだろうね、という話になってくるともっと不透明かもしれません。自分にとってどういう決断が「良い」のかが今でもよく分からないまま動かないと期限があるので動いている、という感じではあると思う。まあ、こう書くほど消極的ではないし、消極的なら既に力尽きているけれど。
 他人の見る自分と、自分の思う自分のギャップがあるのかもしれません。あるいはステレオタイプと自分の思考回路とのギャップがあるのかもしれません。もうすぐ夏休みだけれど、まだもやもやのようなものが綺麗になくなっているわけではない。進路変更したときに予想はしていたけれど、難しいね。
 悩みつつ進み、進みつつ悩むというぐるぐるを続けていけばいいのかな、と思いつつ、スッキリしたいな、とも思うので、たぶん何も考えない一日とかを設けるべきなのでしょう。これも自己管理の問題か、ある種。

 とりあえずいんしが終わったら何しようかとか、今はあんまり考えてる場合じゃないんだろうけれど、こういうときに限って良くも悪くも思考だけがぐるぐる回ることに対して、なんとかしないといけないんだろうなーと思う。
 たとえば自分の一貫性のなさが好きでもあり嫌いでもあるので、なるべく好きでいられるよう頑張ろうと思った8月最初の日、だった。んだろうなあ、と思う。こじつけかもしれないが、こじつけないと無駄に引きずってしまったり自分を責めて終わりそうなので、必要以上の絶望はしない。反省はすべき、だがね。
 アンバランスでアンビバレントな日常にまだ体や脳みそが馴染みきっていなくて、無理矢理前に前に押し進めようとしている気持ちと、進むことを恐れてしまう感覚がある。両方は本来かみ合わないはずなのだが、ここ数ヶ月ずっと同居してきた。吹っ切った、と思ったことが1ヶ月経ってまたよみがえってきたりね。なんなのさもう、と言いたいが、前に進むためには痛みを伴うんだろうな(すこしおおげさ)ということにするしかないのだろうね。

 そんな不安定な精神を落ち着かせるため、というわけではないが最近SFばかりを読んでいて、読んでいる間はどこか遠い非現実な空間で、でも超現実的な世界へ脳内トリップしている。身体的にはトリップできるはずもないしそんな時間も金もないから、SFっていうジャンルがこういうときに生きてくるんだなーということを実感している。
 これは発展させすぎかもしれないが、文学の力はこういうところにあるんじゃないかな、って。つまり言葉や文章や思想がすぐさまカネになったり仕事になったり誰かを助けたりなんてことはできるはずもない。ただ、表現されているにすぎない。だけれども、これは割と常套句のように昔から使っている表現ではあるんだが、自分たちは何も資本主義の世界に”のみ”生きているわけじゃない。もっと言えば、資本主義”のみに依拠”しているわけではないはずだ。資本主義の世界だからって、誰もが完璧に金銭的に合理的に生きているわけはないだろうし、そんなことは無理だろう。
 だから「それってなんの意味があるの?」という問いは、基本的にはナンセンスだ。全てのものに意味がある、と言いたいわけではないが、どういう意味があってどういう風に意味がないのか、を考える思考を放棄するのはもったいない。本棚の奥にある本をふと手にとったときに、なつかしい感情がよみがえることもあるのだよ、と。なつかしいだとか嬉しいだとか、価値に還元しづらい主観的な感情を、「意味がない」と投げ捨てることはできるかもしれないが、そんな世界には生きていたくないね。

 まあそんなことをgdgdと考えてはいても、まずはやるべきことをこなしてから、なのでしょう。という、当たり前でこれこそどうしようもない事実命題と格闘する日々はまだ続く。8月はマジで勝負の月、だし。まあ、楽しみながらやれたら、それに越したこたーないわ。
 皮肉なんだろうけれど、前に進んでいくためにはある程度意味づけをしていかないといけない。暫定的でいいと思うし、21歳の意味づけが自分の全てだなんて思っちゃいない。とはいえ、自由でありたいとも言ってられる年頃じゃないだろうな、と。
 就職を決めている友人知人に話を聞くと、決して一様ではないけれど何らかの意味づけは行っているし、それを早く決められたらあっさり前に進めて、gdgdしてたらいつまでたっても堂々めぐり(2月の俺か)になる。まあ、大事なのは今この瞬間の身の振り方が人生にどれだけの意味を成すのか、かもしれないけどね。こだわりすぎる必要があるかどうか。意味づけをして就職した人も、3年以内に3割は辞めてしまうような時代でもある。

 だからといって意味づけに意味がない、というトートロジーをかますのも現状から逃避しているような気がするので嫌だ、ってところかな。賢い逃げ方ができるならいいけど、そんな力量もどうやらなさそうだし。
 だからたぶん今の自分はもっと遠くに行きたくて、色んなものを見たくて、ただあがいているだけなのかもね、とも言える。暫定的な意味づけがどれだけの価値を持つのかは未来にならんと分からん。そのときに、後悔しない選択であったら良いなーと思う。中学のときも高校のときも、最後はそういう風に投げてたからね。未来に。良くも悪くも。

 未来へ、っていう意味で考えることを止めるわけではないが、思考だけがぐるぐるしてもまた同じところに帰ってくるので、とりあえず色んな事が終わってから考えましょう、ということにしている。
 肩の力を入れすぎず、でも本気で頑張りましょう。夏はまだ始まったばかりです。
 暑すぎです、トーキョー。

今日の一曲


 8月になるとなんとなく聴きたくなる1曲。たぶん、パラサイトとサテライトは表裏一体なんだろうなーと思いつつ、どっちも孤独な感じ。
 夏休みという、ただただ暑さと闘うだけの長い長い怠惰な日々は、日常感覚を殺しかねない。いや、休みじゃなくても夏という熱に飲まれそうになる、特に都会では。
 あえて孤独になるのも悪くないし、孤独を捨てるのも悪くはないんだろうな、と。聴く度に感じてる。きみに近づけなくても、届かなくても。
 ていうか明日で2周年ですね。一足早いけど、おめでとう。びにゅP愛してる!
 
7月の読書メーター
読んだ本の数:12冊(今年通算72〜83)
読んだページ数:3540ページ
ナイス数:10ナイス
今月は中盤の落ち込みがかなり影響した。なんとか〆切りまではこぎつけそうだが、もっと余裕を持たせるべきだったし、色々と反省している。まあ、冊数に含まれないような乱読で巻き返したようなものかね。それでもまだ足りないけど。
この間に吹っ切れた部分はだいぶ吹っ切れたし、”意味づけ”のようなものもしっくり来るようにはなってきたので、というくらいにはポジティブにとらえられるかな。



ナショナリズム (思考のフロンティア)ナショナリズム (思考のフロンティア)
読了日:07月30日 著者:姜 尚中
適切な世界の適切ならざる私適切な世界の適切ならざる私
生々しさや無機質さという組み合わせ、どっちも日常的だけれどあまり強くは意識されないところから何かを産み落とそうとする。10代とは思えない、あるいは10代だからこそ書ける力強さやたくましさを持った文体は、強く儚く紙の上で踊っている。
読了日:07月30日 著者:文月 悠光
希望 (ハヤカワ文庫JA)希望 (ハヤカワ文庫JA)
円城塔ほど難解ではないが、やさしくもない。けれどもいつもロマンがあふれているのはさすが瀬名秀明。最後に希望が残されるからこそ、未来を夢見るのは楽しいし、人の営みは壊れないで続いていく。そうした日々を、楽しめるように。
読了日:07月30日 著者:瀬名 秀明
マイナー音楽のために―大里俊晴著作集マイナー音楽のために―大里俊晴著作集
ひとつひとつの音楽を知っていることはほとんどないのだが、つづられる言葉で音楽を味わっているように錯覚させられる感覚が面白かった。耳ではなく、文字を追う目と頭で音楽を聴いているような。ある音楽から始まり、ジャンルについて、音楽一般について、あるいは批評とは何なのか、という地平にまで広がりつつ、もう少し文章を読みたい、というところで終わってしまったのは筆者の早すぎる死のせいなのか。
読了日:07月28日 著者:大里 俊晴
涼宮ハルヒの動揺 (角川スニーカー文庫)涼宮ハルヒの動揺 (角川スニーカー文庫)
みくると長門回だったかな、という印象。ハルヒの存在が薄くなっているときのほうがむしろ、価値を再認識させられる(消失がそうだったように
読了日:07月28日 著者:谷川 流
ファスト風土化する日本―郊外化とその病理 (新書y)ファスト風土化する日本―郊外化とその病理 (新書y)
なんとなく読み始めてなんとなく読み終わった。構成が主観入りまくりで一方向的でこれで雑誌の元編集長の文章なのかと思ってしまう。最後の章はまだ読めるが、ジェイコブズが似たような話題を『アメリカ大都市の死と生』で、50年近く前に詳細に書いていることを考えると新しさは感じなかった。
読了日:07月25日 著者:三浦 展
あなたのための物語 (ハヤカワ文庫JA)あなたのための物語 (ハヤカワ文庫JA)
あなたのための物語、というタイトルが非常にしっくりくるのは世界について描写することよりも二者関係にかなり重きを置いているからだろう。定性的で濃密な描写、特に後半部分は文学性すら感じるほどだった。「伝統的に」死ぬしかない人間と、死を知らないwanna beの間のコミュニケーションの可能性と不可能性に、言いようのない救いを見たような気がした。
読了日:07月21日 著者:長谷 敏司
身体/生命 (思考のフロンティア)身体/生命 (思考のフロンティア)
読了日:07月15日 著者:市野川 容孝
秒速5センチメートル one more side秒速5センチメートル one more side
読了日:07月05日 著者:加納新太
行政過程の制度分析―戦後日本における福祉政策の展開行政過程の制度分析―戦後日本における福祉政策の展開
読了日:07月04日 著者:武智 秀之
シャドー81 (新潮文庫)シャドー81 (新潮文庫)
他の人が書いているようにハイジャックそのものではなく経緯や背景、そして政治的な動向を皮肉りつつも真剣にとらえている様子が秀逸。ハイジャックシーンは勢いを感じさせる筆致なのもよかった。
読了日:07月03日 著者:ルシアン・ネイハム
自由 (思考のフロンティア)自由 (思考のフロンティア)
読了日:07月02日 著者:齋藤 純一

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