「これからやりたいこと、やるべきことを考えて、今やるべきことを確実に」
基本的に就活はこのサイクルを回し続けるんだろうなあと思っていました。ただよく考えるとこれってPDSサイクルのことで、別に就活に限らんやんと言うところではある。
単純に、Planの幅を大きく取っているか否かの違いであるな、と。
でまあ、PDしつつSも加えていってたらあらぬ方向に辿り着くかもしれない、というのが現状。まだよく分からん。
ただ、今選ぼうとする選択肢をマジになって考えたことはなかった。頭の片隅にはあったが、まあ俺が選ぶことはないだろうと思いながらのうのうと過ごしてきたし、まわりからは1/3周くらい遅れる形で就職活動とやらをごりごり推し進める日々であった(日々、というほどまだ
何をするにも遅すぎることはない、と言い聞かせつつ、残り限られた時間を必死こいて生きていこうと思います。
「納得のいく形で終わらせて、来年以降に繋げていきたいと思っている」と前の記事でしめくくった通りになっているのは、ある意味では皮肉かもしれないし、ある意味では予測された展開なのかもしれない。
まあ結局自分にとってはこういう人生がふさわしいのかもしれない、後付けのようだけれど今までの分岐点でも同じような選択をしてきたのだから、必要以上にひるむことはないはずだ(そのうち記事にしてもいいかもね)
あともう一つ変わってきているのはリアルとネットの関係性、まあこれはツールの影響と自分の関心の影響との両方があるとは思うが。
つまりどちらがより主で、どちらがより補完的か、である。
高校時代は前者が強かった、なぜならば受験勉強という大命題を抱えていたし、ちょっとしたロマンス(のようなもの)もあったのでネットに時間を割く誘因があまりなかった。ネットにかまけてられない時代。
大学1年のころは比較的同じような傾向で、2年になるとリアルのほうが補完的になるのはニコ生にはまっていたからかもしれない。発信がいつのまにか多様化していたことを、リアルに浸っていると気づかなかった。
大学3年になると簡単に表せなくて、場合によってはリアルが主だったし、場合によってはネットが主だった。リアルでは勉強に打ち込む時間が長くなったこと、ネットではネットオンリーの活動(書評とか)以外に積極的にリアルを延伸することも多くなった。
オフ会にも参加することが増えたが、ネットの住人であるバーニングとしての自分を見せる場合と、リアルを生きる本名の自分を見せる場合、もしくはその両方を見せる場合などなどややこしいことが非常に多かった。たとえばミクノポップ関係は前者だし、大学関係だとたいてい後者である。
ただそれはあくまで外形的な定義であって、コミュニケーションの中身を見るとネットとリアルを行き来する「俺自身」が素直に出ていたと思う。興味拡散型なのでもちろん全てをさらけ出すわけではなくて、あくまでどの程度の文脈が共有されているのかを認識しつつコミュニケーションの形を模索するか、という行動様式だった。
さあそして今から、これからどうするか、である。
この1,2年ほどでチャンネルは様々なところに繋がった。最初の1年は何をしていたのかというと、大学と東京に翻弄されただけ、かもしれないね。
このもやもやしていたタイミングでLilacさんが「人生には選択と集中が大事な瞬間がある」(*1)というタイトルの記事を書いていたのでむさぼるように読んだ。
この1年間はネットがリアルに対して必ずしも補完にはならないことを教えてくれた、ただ、あくまで自分自身がなすことはリアルの側にある(*2)
だからこそ
この言葉が突き刺さるし、逆に意欲にもつながる。
興味拡散型と前述したように、やりたいことや好きなことはいっぱいあるのだが「心底やりたいこと」(もしくは好きなもの)になかなか出会わなかった。
そしてやっと1つ見つかったかもしれない。「こと」というよりは分野であり、これからその中でどうしたいか、を模索する。遅いかもしれないし、それは分かった上で、でも価値があると思っているから殴り込むよ俺は。
とか言いつつ、別のほうに浮気するかもしれないけどね。ただ仮に別の選択をとったとしても、自分自身がいつのまにか気づいていた価値を知ることができただけでも大きな収穫である。
まあ、つまりはあれだ。本気で悩むのも悪くない。あ、まだこの程度じゃ本気じゃないか・・・反省。
gdgdと過ごすのも悪くないが、はっきりしたものが見えてくると一日の過ごし方も変わるはず、てか変えるべき、つまり変えよう、うん。以上。
*1 Lilac女史はMIT卒の才女である。ついったにも生息している。今回の記事と「自分を変えたいときにまずやること」というエントリーは年度が変わるこの時期に読んでおいていい記事である。この1年はことあるごとにこの記事の内容を意識してきたつもりだが、まだまだもっと、である。
*2 それこそソーシャルネットワークの時代なので「リアルにしかない」とは思わないが、ネットの側から何か大きな価値を生み出せるわけでもなければ現実的にメシを食っていけるわけではないので、大多数の人がそうであるようにリアルを選択する。ただ、リアルの中では大多数が選択しない道を選んでいる、とは思っている。そのほうが俺らしい(キリッ
*今日の一曲
箸休/hashiyasume「新世界へのプロローグ」
期待と不安に胸がざわめいている
寂しく怯えた震える僕だけど 新しい世界に行けるかな
投稿は少し前だけど、新しく何かが始まる少し前という3月という季節にふさわしい。
基本的に就活はこのサイクルを回し続けるんだろうなあと思っていました。ただよく考えるとこれってPDSサイクルのことで、別に就活に限らんやんと言うところではある。
単純に、Planの幅を大きく取っているか否かの違いであるな、と。
でまあ、PDしつつSも加えていってたらあらぬ方向に辿り着くかもしれない、というのが現状。まだよく分からん。
ただ、今選ぼうとする選択肢をマジになって考えたことはなかった。頭の片隅にはあったが、まあ俺が選ぶことはないだろうと思いながらのうのうと過ごしてきたし、まわりからは1/3周くらい遅れる形で就職活動とやらをごりごり推し進める日々であった(日々、というほどまだ
何をするにも遅すぎることはない、と言い聞かせつつ、残り限られた時間を必死こいて生きていこうと思います。
「納得のいく形で終わらせて、来年以降に繋げていきたいと思っている」と前の記事でしめくくった通りになっているのは、ある意味では皮肉かもしれないし、ある意味では予測された展開なのかもしれない。
まあ結局自分にとってはこういう人生がふさわしいのかもしれない、後付けのようだけれど今までの分岐点でも同じような選択をしてきたのだから、必要以上にひるむことはないはずだ(そのうち記事にしてもいいかもね)
あともう一つ変わってきているのはリアルとネットの関係性、まあこれはツールの影響と自分の関心の影響との両方があるとは思うが。
つまりどちらがより主で、どちらがより補完的か、である。
高校時代は前者が強かった、なぜならば受験勉強という大命題を抱えていたし、ちょっとしたロマンス(のようなもの)もあったのでネットに時間を割く誘因があまりなかった。ネットにかまけてられない時代。
大学1年のころは比較的同じような傾向で、2年になるとリアルのほうが補完的になるのはニコ生にはまっていたからかもしれない。発信がいつのまにか多様化していたことを、リアルに浸っていると気づかなかった。
大学3年になると簡単に表せなくて、場合によってはリアルが主だったし、場合によってはネットが主だった。リアルでは勉強に打ち込む時間が長くなったこと、ネットではネットオンリーの活動(書評とか)以外に積極的にリアルを延伸することも多くなった。
オフ会にも参加することが増えたが、ネットの住人であるバーニングとしての自分を見せる場合と、リアルを生きる本名の自分を見せる場合、もしくはその両方を見せる場合などなどややこしいことが非常に多かった。たとえばミクノポップ関係は前者だし、大学関係だとたいてい後者である。
ただそれはあくまで外形的な定義であって、コミュニケーションの中身を見るとネットとリアルを行き来する「俺自身」が素直に出ていたと思う。興味拡散型なのでもちろん全てをさらけ出すわけではなくて、あくまでどの程度の文脈が共有されているのかを認識しつつコミュニケーションの形を模索するか、という行動様式だった。
さあそして今から、これからどうするか、である。
この1,2年ほどでチャンネルは様々なところに繋がった。最初の1年は何をしていたのかというと、大学と東京に翻弄されただけ、かもしれないね。
このもやもやしていたタイミングでLilacさんが「人生には選択と集中が大事な瞬間がある」(*1)というタイトルの記事を書いていたのでむさぼるように読んだ。
この1年間はネットがリアルに対して必ずしも補完にはならないことを教えてくれた、ただ、あくまで自分自身がなすことはリアルの側にある(*2)
だからこそ
その期間は集中して、本当に意識して自分の時間とエネルギーを使わなければ、チャンスを失ってしまう、そういう瞬間。
この言葉が突き刺さるし、逆に意欲にもつながる。
興味拡散型と前述したように、やりたいことや好きなことはいっぱいあるのだが「心底やりたいこと」(もしくは好きなもの)になかなか出会わなかった。
そしてやっと1つ見つかったかもしれない。「こと」というよりは分野であり、これからその中でどうしたいか、を模索する。遅いかもしれないし、それは分かった上で、でも価値があると思っているから殴り込むよ俺は。
とか言いつつ、別のほうに浮気するかもしれないけどね。ただ仮に別の選択をとったとしても、自分自身がいつのまにか気づいていた価値を知ることができただけでも大きな収穫である。
まあ、つまりはあれだ。本気で悩むのも悪くない。あ、まだこの程度じゃ本気じゃないか・・・反省。
gdgdと過ごすのも悪くないが、はっきりしたものが見えてくると一日の過ごし方も変わるはず、てか変えるべき、つまり変えよう、うん。以上。
*1 Lilac女史はMIT卒の才女である。ついったにも生息している。今回の記事と「自分を変えたいときにまずやること」というエントリーは年度が変わるこの時期に読んでおいていい記事である。この1年はことあるごとにこの記事の内容を意識してきたつもりだが、まだまだもっと、である。
*2 それこそソーシャルネットワークの時代なので「リアルにしかない」とは思わないが、ネットの側から何か大きな価値を生み出せるわけでもなければ現実的にメシを食っていけるわけではないので、大多数の人がそうであるようにリアルを選択する。ただ、リアルの中では大多数が選択しない道を選んでいる、とは思っている。そのほうが俺らしい(キリッ
*今日の一曲
箸休/hashiyasume「新世界へのプロローグ」
期待と不安に胸がざわめいている
寂しく怯えた震える僕だけど 新しい世界に行けるかな
投稿は少し前だけど、新しく何かが始まる少し前という3月という季節にふさわしい。
コメント