Days

日常と読書日記。 受験生日記は閉幕です。

 政治の話でテレビ新聞あれこれ賑やかな日々です。ダムの次は空港の話で旧体制の膿が出てきているような感じがします。あまり詳しく経緯を知るわけではないので具体的にはつっこめないが、JAL不振のこともからめて静岡空港と茨城空港の立場はこれからどうなるんでしょうね。茨城は韓国だけでまだ国内線がないんだったかな。どこかで痛みが伴うのも仕方ない気はします。そんなに国には金がないでしょうから。
 選挙前には政権交代しても変わらないと言ってた人がそれなりの数いたようだけど、今の状況が続けば変わるところははっきりと変わるでしょうし、予算が執行されれば実感も変わってくるでしょう。前政権までが中途半端な小さな政府だとしたら今の政権はどちらかというと大きな政府であるし、削減しても予算がふくらむってのは政権の方向性をまあそうなるんだろうなあと思います。
 個人としては、理想型だろうけど大きな政府と小さな政府のいいとこ取りでいいだろうと思ってる。いいとこ取り、っていうか役割分担かな。補完性原理って言葉を最近知ったんだけど、それを考えるまでもなく国がやること、都道府県がやること、区や市町村がやること、それぞれ区別して権限も金もちゃんと担えればいいでしょう。

 簡単なことではないし本質はもっと複雑だと思います。国の方向性と地方の方向性が違ったらどうなるのか。地方では政権交代はままあることなので、その場合国とねじれることになるかもしれない。
 そうなったときにも国は方向性を曲げないのか、地方に任せるのかは分からない。最近のダムや空港の話もそうだし、学力テストに参加するかしないか、公表するか否かも国の方針と違う自治体がいくつかでてきている。義務教育なので国が大枠は担うが、各自治体の教育委員会の立場、各学校の立場もあるのだろう。学校という政治のトップは校長で、校長とて教育委員会に絶対服従かといえばそうではない。都教委と日の丸国歌斉唱の話はさらに教委に対する教員の反抗という図式にもなる。
 概念的には役割分担の問題なんだけど、そこに理念が入るとややこしくなるし、利益誘導の問題もある。前原に対してモリケンが怒るのもまあしょうがない。あの図式がいかにワイドショー的でテレビポリティックス的かと言われてもしょうがない。
 結局はコミュニケーションの上での妥協しかないのかなー。それをどれだけ地道にやれるか。どこかでもういいや、やっちまおう、になるのが石原のオリンピックだった気もする。敗軍の将があれこれ語ったらだめだろう。言い訳しない努力をしたんならいいが、言い訳をするということは努力が足りてなかったことの証明。結果云々でなくてね。

 最近寒いですね。体調がちょっと変な感じ。とりたくてとった授業に行けなかったりうわー。
 本屋寄ったら大崎善生の『タペストリーホワイト』が文庫化されてたんですね、と気づく。来月ももう一冊。 
 なんとなく、『別れの後の静かな午後』って秋ごろに読んだよなあ、と思い返したらほぼ2年前だと思い、日記を見返したらそうでした。一昨年の10/21の記事に書いてるし、実際覚えてたんだけど早稲田への書類を書いてたんですね。もうあれから2年なのか、と。バイトの後輩が指定校ゲットして今頃同じことをやってるようなんですが、もう2年か。
 それこそ中間テスト後の静かな午後に、教室の外に机とイスを置いて大崎を読みながら書類書いてたなあ。清書だから手が震えてたけど、とか別に震えるほどのことでもないのに、と今なら思う。まあそういうもの。
 前にも書いたかもしれないけど、印象的な本の場合、それを読んでいるときの風景がいくつか思い出せるんですね。昔の本を手に取るということは、昔のあんなことやこんなことや恥ずかしいことまで思い出してしまうことに他ならない。ただそれだけのお話。今日はちょっと、なつかしくなった。
 本屋によったのはヒトカラのあとです。ジミー歌ってきたぞー。

 それにしても今日見た夢は意味不明だった。俺を含めて何人かがひとりずつ芸っぽいことをやるんだけど、俺がしたことで相手が何をおもしろがったかが全く分からなかった。

読了
『ひとがた流し』北村薫
今年54冊目。流れるような綺麗な文章、それでいて繊細でもある。これが北村文学ですねわかります。今月5冊目なのでいいペース。
 
 
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