ひっさしぶりにいつものところで飲んできた。日付変わったんだが昨日が開店記念日だそうで。9.11をねらったわけじゃないけどなぜかそうなったらしい。9.11からはもう8年なんだなあ、と帰ってきてニュースでオバマを見て思う。オバマももう少しであの選挙から1年なんだな、とも。
久々に店に行ったら久々に会う常連さんもいて、わいわいと。バイト後なので短かったけど。酔っぱらってる女の子に「雰囲気変わったねー」とか言われたけどどこが変わったんでしょう。髪型変えただけだぜ!みたいな。メガネは外してたけどそっちのほうが年上ウケはいいらしい。今更年上ウケ狙ってもしょうがないんですが。
なぜかマスターとガンダムの話になり、お台場結局行けなかったーと話すとマスターは行ってきたらしく写真を見せてくれた。夕焼けに立つガンダム、かっけえ。世代的にはZのころらしい。丁度今映画で途中まで見てるんだけど。
まあそんなこんなで。週末も両日ともバイトです。とりあえずヤクルト6連敗orzなんですが。めげずにがんばりましょう。中継ぎと打線が問題だと思う。ランナーもっと走らせればいいと思うんだが、前半戦ほど采配がおとなしいのはなぜだろう。今週は森岡ががんばってますね。昨日は川島慶三でしたが。ユウキもピッチングが悪かったわけじゃないからなあ。
ようやく、今更に福永武彦の「風土」を読み終えました。長いような短いような、そんな感じでした。過去の話が挿入されつつも結局はひと夏の出来事、って感じなので。ただの夏じゃなくて戦争の足音が近づいてくる、ある意味では最後の平穏な夏だったんだろう。
ちゃんと頭の中で整理してからレビュー書けたらと思ってる。基本的には、登場人物たちの恋愛と人生だろう。若い2人は恋を知っていくことを楽しみ、自分たちの好きなこと、打ち込めるものを楽しむ。将来のことに思いをはせる。経験のある大人は人を愛する苦悩に苦しみ、見通しの悪い将来、おかしい方向へ進む戦争、日本の文化の凋落にも苦しむ。大人と子どもというパートはよくあるが、
あまりにも対照的すぎる。まあ大人と子どもが同じベクトルを持っているはずはないから、そういう意味では非常に現実的。桂という男は病んでるところもある気がするが、考えてみたら大人はどこかで病んでいてもおかしくはない。子どもが病んでないわけじゃないが、大人のそれとは質が異なる。病んでいない子どもであっても、大人になっては何かしらの悩みは抱えていかなければならない。大人になろうと背伸びする道子のパートにその悩みが少しだけ表れている気がするが、つかみきれてはいない。そういうところが”大人になろうと背伸びする”道子をよく表しているとも言えるけどね。
若い2人が生の喜びを語れば、大人は(主に桂は)死を問う。桂は死から割り出して生を問うというスタンスだが、割り出すなんていう考えはそもそも若い2人はないもので、桂独特のものだ。近いところに死があってもおかしくないということを彼は考える。
『忘却の河』ではタイトルどおり河が通底したが、今回は海が、そして海のイメージが通底している。個人としても思うけど、海ほど生と死の両方を具象するものにふさわしいものはないかもしれないな。
今は川上未映子の『ヘヴン』読んでます。本田孝好みたい、って言ったら失礼ですね。ところどころに独特な言葉が挟まれているのは川上らしい。
久々に店に行ったら久々に会う常連さんもいて、わいわいと。バイト後なので短かったけど。酔っぱらってる女の子に「雰囲気変わったねー」とか言われたけどどこが変わったんでしょう。髪型変えただけだぜ!みたいな。メガネは外してたけどそっちのほうが年上ウケはいいらしい。今更年上ウケ狙ってもしょうがないんですが。
なぜかマスターとガンダムの話になり、お台場結局行けなかったーと話すとマスターは行ってきたらしく写真を見せてくれた。夕焼けに立つガンダム、かっけえ。世代的にはZのころらしい。丁度今映画で途中まで見てるんだけど。
まあそんなこんなで。週末も両日ともバイトです。とりあえずヤクルト6連敗orzなんですが。めげずにがんばりましょう。中継ぎと打線が問題だと思う。ランナーもっと走らせればいいと思うんだが、前半戦ほど采配がおとなしいのはなぜだろう。今週は森岡ががんばってますね。昨日は川島慶三でしたが。ユウキもピッチングが悪かったわけじゃないからなあ。
ようやく、今更に福永武彦の「風土」を読み終えました。長いような短いような、そんな感じでした。過去の話が挿入されつつも結局はひと夏の出来事、って感じなので。ただの夏じゃなくて戦争の足音が近づいてくる、ある意味では最後の平穏な夏だったんだろう。
ちゃんと頭の中で整理してからレビュー書けたらと思ってる。基本的には、登場人物たちの恋愛と人生だろう。若い2人は恋を知っていくことを楽しみ、自分たちの好きなこと、打ち込めるものを楽しむ。将来のことに思いをはせる。経験のある大人は人を愛する苦悩に苦しみ、見通しの悪い将来、おかしい方向へ進む戦争、日本の文化の凋落にも苦しむ。大人と子どもというパートはよくあるが、
あまりにも対照的すぎる。まあ大人と子どもが同じベクトルを持っているはずはないから、そういう意味では非常に現実的。桂という男は病んでるところもある気がするが、考えてみたら大人はどこかで病んでいてもおかしくはない。子どもが病んでないわけじゃないが、大人のそれとは質が異なる。病んでいない子どもであっても、大人になっては何かしらの悩みは抱えていかなければならない。大人になろうと背伸びする道子のパートにその悩みが少しだけ表れている気がするが、つかみきれてはいない。そういうところが”大人になろうと背伸びする”道子をよく表しているとも言えるけどね。
若い2人が生の喜びを語れば、大人は(主に桂は)死を問う。桂は死から割り出して生を問うというスタンスだが、割り出すなんていう考えはそもそも若い2人はないもので、桂独特のものだ。近いところに死があってもおかしくないということを彼は考える。
『忘却の河』ではタイトルどおり河が通底したが、今回は海が、そして海のイメージが通底している。個人としても思うけど、海ほど生と死の両方を具象するものにふさわしいものはないかもしれないな。
今は川上未映子の『ヘヴン』読んでます。本田孝好みたい、って言ったら失礼ですね。ところどころに独特な言葉が挟まれているのは川上らしい。
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