知らないことが多いというのは往々にして不安であるが、それと同じくらい知っていく楽しみもあるということだ。そう望み、努力する限りにおいては。他人という断絶を本当の意味で越えることはできなくても、今より近くすることはできるだろうし、興味を持った相手ならばそうしたいという気持ちが自然に沸いてくる。近づくほど切なくなるときもあるが、遠くにいても切なさややるせなさはあるわけでちょっとした勇気があればもしかしたら今思う以上に近づけるかもしれない。
だけどまあタイミングというのも大事な要素で、ないわけではなくてもとりこぼしてしまうことが多い要素でもあると思う。掴んだときは距離が一気に縮まるかもしれないが、とりこぼしたときの後悔は大きい。未知数への期待、ないものねだりと言ってしまえば身も蓋もないかもしれないが、往々にしてそうなんじゃないかと思う。
上手く言語化できない気持ちを守りながら、出会えたことに感謝しながら、前を向いている限りは可能性のとりうる値は広がるだろう。閉ざしてしまうということは一見楽でもどう考えても逃げだとしか思わない。そういう時期があることはしょうがないとしても、閉ざしたままの人生なんてウンザリだ。
今はただようやく過去から抜け出そうとしていることに手応えを感じるし、開放感も感じる。良くも悪くも自分を縛っていたのだと、そこに逃げていたのだと思う。何をイマサラと言われてもしょうがないじゃないか。それくらいはまあ勘弁してほしい。
朝のつぶやき。昨日の夜に思ったことだけど。
だけどまあタイミングというのも大事な要素で、ないわけではなくてもとりこぼしてしまうことが多い要素でもあると思う。掴んだときは距離が一気に縮まるかもしれないが、とりこぼしたときの後悔は大きい。未知数への期待、ないものねだりと言ってしまえば身も蓋もないかもしれないが、往々にしてそうなんじゃないかと思う。
上手く言語化できない気持ちを守りながら、出会えたことに感謝しながら、前を向いている限りは可能性のとりうる値は広がるだろう。閉ざしてしまうということは一見楽でもどう考えても逃げだとしか思わない。そういう時期があることはしょうがないとしても、閉ざしたままの人生なんてウンザリだ。
今はただようやく過去から抜け出そうとしていることに手応えを感じるし、開放感も感じる。良くも悪くも自分を縛っていたのだと、そこに逃げていたのだと思う。何をイマサラと言われてもしょうがないじゃないか。それくらいはまあ勘弁してほしい。
朝のつぶやき。昨日の夜に思ったことだけど。
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