Days

日常と読書日記。 受験生日記は閉幕です。

監督:クリント・イーストウッド
脚本:ニック・シェンク
主演:クリント・イーストウッド

劇場:新宿ピカデリー

 ハリウッドを見るのは久しぶりな気がする。少なくとも今年は初めてで、久しぶりにMind yourown Businessとかson of a bitchなんていう言葉を聞いた。もう多くの人が絶賛している映画なので俺が書くことはないのかもしれないが、素直に感じたことを書こうと思う。ただ素直に書けばすぐネタバレになってしまう気がするのでまだ見てない人は注意してください。まっさらで見たい人は予告編とかパンフレットも見ないほうがいいと思います。

 グラン・トリノという1972年のフォード社の車を持つイーストウッド演じるウォルト翁。老妻を冒頭で亡くしてからは馴染めない家族や異人種ばかりの隣近所の中、飼い犬デイジーとともに余生を送っていた。葬儀では死の重みを知らない牧師を軽蔑したり、世代間のギャップや人種間のギャップに反発を隠せないアメリカの頑固老人そのままを演じる。その彼がある一家と出会ったとき、人生のカウントダウンが始まる。書きすぎるとつまらないので概要はこういうところだ。

 この映画のテーマは多すぎるというくらい多くのものを詰め込んだ映画だ。アメリカの直面する人種問題、衰退した車産業(息子の車はトヨタだし、ギャングの車はホンダ。ともに左ハンドルではあるが)、老いの実感や生と死。ウォルトの喋る台詞ひとつひとつにしろ皮肉や軽蔑がにじむ映画であるからこそ、負の側面をつめこんでも違和感はない。それに本当のテーマはその先にあって、それらを改めて伝えるというよりは、それらを滲ませた上で何を昇華できるのか、そこにあるはずだ。映画を見て1時間くらい経てばなんとなく結末も見えてくる。それくらい思わせぶりな伏線や見慣れた気もする展開を経て、カウントダウンはクライマックスを迎えていく。

 映画の途中で思ったことはこうだ。ハッピーエンドは失われた、と。その上で何をイーストウッドはウォルトに語らせたいのか、何をこの映画で問おうとしているのか、それだけを残りの時間は見ていた。

 映画を見終えたあとに観客の人とたまたま少し話をする機会があったのだけど、その人も俺も「ミリオン・ダラー・ベイビー」にテーマの共通点を見ていたように思う。それに比べれば、今回ははっきりした強いメッセージで、だからこそ最後かもしれない演技にイーストウッドは望んだのではないか、そう思った。この映画のストーリーラインのシンプルさや、勧善懲悪、年の離れた男の友情、という側面を見ても思うけど、伝えたいことは伝えてしまいたいという気持ちが伝わってくる。そう感じさせたとき、かつての頑固親父のウォルトはいない。そして多くの場合そうあれないことを、示唆している気もする。日本の政治を見ていてつくづくそう思う。いくら懐古趣味や愚痴を展開しても何も変わらないのだ。

 ラストシーンに関しては、圧巻。予想された結末であるのに、ああも格好良く終わられてはたまらない。後に続くものの責任は大変なものだよ。それとは別に、完全にネタバレになるけど挑戦戦争でひとりだけ死ねなかったことに対しての贖罪とだろう。最後のほうで戦争についてタオに語ったシーンがあったし、それに「硫黄島からの手紙」で日本の戦争を描いているだけに武士道的なケジメを見た、というのもあらぬ推測でもないはず。

 最後に蛇足かも知れないけどもう少し。ウォルトと少年タオの関係は途中からグレンラガンのカミナとシモンにダブって仕方なかった。タオが最初のほうは仲間内でくすぶっているところや、ウォルトに向ける視線は「アニキ!」とは言わなかったけどシモンだよシモン。ハリウッドでも相当の興行収入だったというこの映画にジャパニメーションをダブらせるのはどうなんだろうと思うけど、アニメでこそやれそうなテーマをハリウッドでやれたことには価値があるのかも知れない。グレンラガンを知らない人にはぜひ見て欲しい映画ですね。

 個人的には「ミリオン・ダラー・ベイビー」のほうが好きかな。ただ両方ともテーマといい役者といい完成度の高い映画で好みの問題であるので、ぜひ両方見てほしいと思う。社会派、という意味においてはグラン・トリノだろう。その点は「ミリオン・ダラー・ベイビーにはないもので、今のアメリカを考えても秀逸だったと思う。なるべく早いうちに映画館でどうぞ。ピカデリーも平日夜とかならがらがらです。勿体ないぞ!
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