Days

日常と読書日記。 受験生日記は閉幕です。

5

監督:今石洋之
脚本:中島かずき
劇場:池袋シネマサンシャイン

 テレビシリーズ12話あたりで終了した紅蓮編のあとを描く。前作よりも格段に新作カットが増え、もはやテレビシリーズとは別物になっているのは映画館に足を運んだ人たちへのリップサービスの意味もあろうが、やり直したい気持ちもいくらかあったんだろう。圧巻のラストバトルはもうめちゃくちゃだが、元々ドリルだけで世界を買えるという大ホラのアニメなんで許すよ。許すしかないじゃん。公開二日目ということもあり立ち見だったがあれは立ってみているほうが断然面白い。座ってなんかいられない。上映後のしょこたんのエンディングが素晴らしければ拍手喝采が起きるのも当然だろう。

 2時間に凝縮したことがマイナスにならずむしろ明確なテーマを示していることで最初か最後までのラインが非常に分かりやすいし、訴えるものがある。グレンラガンとは結局のところはシモンとニアのお話なのだ、と。そのためテレビで省かれていたニアの人間性にまつわるシーンが非常に多くて、カミナに対するあるシーンなどが非常に効果的に使われていたと思う。何よりニアという存在は世界に対して無知だった存在だ。彼女が何かを知りたい、もっと色んなものを見たいという気持ちは他の人の比べものにならない。清廉で天然キャラのイメージもあるけれど、テレビシリーズは最後まで内に秘めていたと思われる彼女の想いが映画ではガンガン前面に出てくるのでニアという存在を再認識することとなった。そして何より、いい意味で非常に艶っぽい。そういう役割は今までヨーコだけが演じてきたことで少しニアのイメージを裏切る意味もあるが、いい意味での裏切りだと受け止めた。今回は彼女のための物語なのだから。

 この映画を見ていて何かと似ているなあ、と思ったのだがひとつは明治維新に通じそうだ、ということ。カミナは新しい国家の出発を前にして天に召されるあたりはさながら坂本龍馬だ。龍馬の脱藩はカミナたちの地上進出、ともとれる。維新後に軌道に乗るが様々な困難があり再び戦争に突入していく下りもそうだし、維新後の薩長藩閥政府はシモンやロシュー中心の紅蓮団政府に置き換えられる。ロシューに反発して下野せざるをえなかったシモンはさながら西郷さんである。

 それに、ある意味この映画は現代版坂の上の雲』なのかもしれない。細かいところの差異を気にしても仕方ないが、コンセプトとして坂の上の雲(シモンたちにとっては宇宙)を目指して突き進み、アンチスパイラルという最大の敵(ロシア)がやってくるが打ちのめす。司馬遼の言うこのときの楽観主義も、ロシューたち以外の紅蓮団のみなみなに通じるところがある気がする。キタンの言うように、死ぬのが恐いのはいつの時代もどこの人も変わらないものだろう。それでも使命がある。そのために戦い抜く。現代においてはなんか古くさいテーマではあるけれど、グレンラガンというアニメは新しさと古さをまぜこぜにしたアニメだと思っているので(合体もどちらかというと古い概念だし)テーマが古かろうが誰も気にしない。楽観主義がそのままユーモアにつながったのがロージェノムのあるシーンで、絶体絶命のこのシーンも皆爆笑だったのが印象深い。

 これだけのものを見せられたあとにエンディングが本当に素晴らしい。絵も、歌も。シンプルな絵は前作から続くものだが、丁度サビに入るときの憎い演出や、しょこたんの歌声と相当シナリオを読み込んだろうと思われるmeg rockの歌詞の相乗効果が半端ない。「続く世界」では歌詞のよさがあれど若干しょこたんの低音がかみ合わなかった感じが否めないが、今回は文句をつけようがない。つけようがあってもつけたくない。あと、あるサイトを見て思ったのだがニアの歌と思われる歌詞がカミナの歌ともとれるのだ。意図は明らかにニアだろうが解釈は人それぞれだろうし、ニアとカミナ、それぞれのことを思いながら改めて曲を聴き直すと違った深みが出てくると思う。

 なんとかしてこの感動を伝えたいけれど、難しい。とにかく見てもらうしかなくて、近くの劇場で公開されているならば迷わず見に行って欲しい。GWだから人が多いかも知れないが立ち見でも見ることの出来る劇場なら立ち見は結構お薦めである。2時間立ちっぱなしの疲労もなんのその。座って見る映画ではないです、本当に。
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