見:Netflix
グリーングラス作品を見るのは実は初めてなのだけど、まるでドキュメンタリーのようにリアルで生生しい映像に仕立て上げられている。これは2011年の7月22日に起きたノルウェー政府庁舎の爆破事件及びオスロ近郊のウトヤ島で起きた青少年たちのサマーキャンプ襲撃事件を題材にしている。77人もの人命が亡くなり(大半はウトヤ島で射殺された若者たちである)、数百人の負傷者を出したこの事件は、単独犯としては史上最悪の事件として大々的に世界でも報道された。
その当時のことはよく覚えているし、昔起きた津山三十人殺しですら胸糞悪いほどなのだが、数百人を射撃したブレイビクという差別主義者は、確かに怪物のように見えてならない。本人はそのことをよく理解しており、自分の主義主張を勾留中の面会や裁判でも容赦なく浴びせる。あなたたちは私のことを怪物だと思っているだろうだとか、あなたたちは間違っていて私は正しいだとか、あるいはこれはすでに始まっている戦争であり私がやめても他の誰かが始めるだろうであるとか。その一つ一つのフレーズもまた生々しく、ブレイビクを演じたノルウェー人俳優のすさまじさにただただ脱帽していた。
改めてこの映画を構成すると、事件を追ったドキュメンタリー形式として淡々と事は運んでいくわけだけど、主に3つのパートである。1つはブレイビク視点で彼の犯罪の経過や勾留後の経過を見つめたパート。もう1つは首相始め政府側がブレイビクと対峙していくパート。そしてもう1つは、息子2人が襲撃され、兄が重傷を負い、弟は無傷で生き延びたある家族の顛末を描くパートだ。この3つのパートが絡み合い、クライマックスとなる法廷ではこのパートがいずれも交差していく。
ブレイビクと被害者家族を描いただけでも一つの映画としては十分なものになっただろう。むしろ、それぞれのパートの密度を考えるとそうしたほうがよかったかもしれない。ノルウェー政府側のパートをあえて描いたのは、国としてブレイビクにどのように対峙していくのか、という姿勢を描くためだろう。その意味では、後半登場する司法サイド(裁判官や弁護士集団など)のパートもこの政府パートに含めてよい。
ずいぶん前に死刑を廃止した国であり、受刑者に対しても包摂的な処遇を見せるノルウェーにおいて、ブレイビクという存在を「適切に裁く」のは容易ではない。他方で、彼だけを特別扱いしないという姿勢もまた、それは実際の世論としてあったようだし、この映画にも描かれる。国選弁護人は仕事を全うするし、精神鑑定を司法の取引材料にもする。ある意味、日本でもありふれた殺人犯に対する司法の動きと似ている。だからこのパートで常に提示されるのは、現行の制度において、いかにしてブレイビクと戦うか、という問いへの格闘である。
そのうえで、被害者であるビリヤルとその家族を描いたのは、ブレイビクと対峙する社会の側を見せるためだ。「この男の前で泣きたくなかった。強くいたかった。仲間のために」とビリヤルは法廷の場でブレイビクに向かって語る。彼は頭蓋骨に銃弾を複数浴び、生死の境を生き延びてきた。片手はマヒしているし片目は失われた。当初は杖がなければ歩けなかった彼も、もがき苦しんだあと「ブレイビクに会うため」にリハビリをやり遂げる。なぜビリヤルは、絶望の淵から這い上がり、再び生きようと思ったのか。「ブレイビクに会うため」という目的以外に、彼が多くの人に支えられていたからだろう。たった一人のブレイビクに対して、「仲間のために」と語るビリヤルの強さ。おそらく彼の言う「仲間」には多くの死者も含まれる。
「仲間」の一人であろう、映画後半から登場するララという移民の女の子がとても良い。リハビリ中のビリヤルと交流する彼女の献身が救いになるのはもちろんだが、彼女もまたブレイビク(のような右翼的差別主義者)が憎んでいた存在でもある。だが、彼女は彼女なりに、したたかな闘いを続ける。女性で、移民であるということは、たとえ寛容な社会ノルウェーであっても生きていくことには困難がつきまとうはずだ。それでも、いやだからこそ彼女が他者とともに生きていく姿勢を見せることが、その生きざまが最も、この映画を、そして現代のノルウェー社会を象徴しているのではなかろうか。
ブレイビクに罵声を浴びせようとするキャラクターも登場する(「木に吊るせ」とか「精神鑑定許さん」とか)が、ビリヤルとララは、いずれも確固たる主張を以てブレイビクを、そしてその思想を退ける。もっとも感情的になっていいはずの直接的な被害者であるこの二人が、理性的に、そして淡々とブレイビクを退けようとするのはその言葉に信念があるからなのだろう。つまり、寛容な社会というのは常に社会的に議論をする中で勝ち取っていくものなのだということ、不正義に対しては安易な厳罰ではなく正義を示し続けることで対峙していくべきだということを、この映画は如実に表している。
いずれにせよ、約2時間半の間、私たちは刮目してこの映画を見たほうがよい。それは、ゼロ年代以降厳罰化の一途をたどる日本の視聴者からしたら遠い世界の出来事かもしれないが、でも確かに、この映画で描かれているのもまた、私たちの生きる国際社会の一片なのであるからだ。
ノルウェーは修復的司法を積極的に取り入れている国としても知られるが、ここ数十年にわたる司法制度、刑事政策に大きく関与したのがニルス・クリスティだ。少し前に彼は亡くなったが、彼の遺した功績が現代のノルウェー社会の様々なところに息づいていることはよくわかる。

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