少し間が空いた。この間に東京に行ったりもしたので、気が向いたら振り返りたいと思う。2泊3日滞在したが3日間で15人くらいの人とお会いすることができてありがたいと感じた。香川というか四国にいったん引きこもってしまうとそれなりに楽に生活できてしまうんだけれど、でもそれだけだと物足りないよなという現実も確かにあって、東京でいろいろな人と会うことによって自分の立ち位置をその都度再確認しているような気がする。
東京を離れてもう6年になる学部と修士を合わせただけの年月を香川で過ごしていて、その大半の時間を労働に費やしてきた。そして先月30歳になってしまったので、これからの身の振りをどうしていこうかという話を東京ではひたすらにしていた。自分がやりたいと思っていることは隙間産業的であるとは思っているけれど、周囲の人と同じようなキャリアを歩むことにはまったく興味がないので、良くも悪くも引き続き我が道をゆくしかないなと感じる。ゴーイングマイウェイ、でしか生きていけない。まあそれが「早稲田らしさ」かもしれないし、単なるこじつけかもしれない。
その早稲田出身で陸上界のスターである大迫傑が今日やってくれた。たった1年半の間に2度も日本記録を更新する選手なんて、もう相当先まで現れないのではないか。確かにナイキの厚底シリーズは革命的かもしれないが、それを使いこなせるだけの能力がランナーに備わっていなければ靴はただの靴である。多くの人はランニングシューズの能力を勘違いしているように思う。シューズが走るのではなく、あくまでも走るのは人間であって、同時に万人に最適なシューズは存在しない。シューズの能力を存分に発揮できる能力まで含めて現代のトップランナーたりえるのだろうと、今日改めて強く感じた。
大迫傑を見ていてそのレース運びにはすさまじいものがあった。前半から前へしっかりついていくと思いきや折り返したあたりから少しずつ遅れ始め、一次は第二集団に近いのではと思わせるシーンもあった。ただ、その後の盛り返しが本当に見事だった。2分50秒台前半で刻む速すぎる前を追わず、いったん3分台に落とし込むことで自分のペースを作って見せた。20キロ台で自分のペースを取り戻したからこそ、30キロ台になって落ちて来た井上を拾い、そして一気に突き放したのだろう。
マラソンランナーにとって重要なのはいかに自分の身体と対話しながら走り続けることができるか、だと思う。今回のように高速のタイムを刻むペースメーカーがいると、自ずと速いタイムを刻んで走ることになる。ついていける場合はいい。だが、たとえばMGCの設楽がそうだったように、前半のハイペースは確実に30キロ台になってボディブローのように効いてくる。今日その影響をもろに受けたのが井上である。いったん大迫が離されたとき、このままズルズル行くとまずいが前が見える範囲でついていけるならば、後半の逆転はあるだろうと思っていた。
コメントを見る限り大迫自身も折り返し付近でヤバイと思ったようだが、気持ちを切らさず冷静に残り20キロのレースを展開できたのが彼のいまの実力だったのだと思う。ペースダウンは一つのギャンブルである。前に追いつけるかどうかは、前が落ちてきてくれるはずだという仮説が成り立った時であって、仮説が成立しなければ離されるだけだった。
さらに大迫の成長を感じたのは32キロでスパートして一気に井上を離したところだ。MGCではスパート後に服部勇馬に追いつかれた大迫が、その時よりもずっと手前でスパートをするのは、二つ目のギャンブルだと感じた。確かに井上を離すことはできるが、そのあと自分が落ちていく可能性はなかったか。もちろん、ないと確信があったからこそ、スパートをかけたのだろう。冷静に、したたかに。
その大迫がフィニッシュ地点でガッツポーズをし、その後のインタビューで涙を流していた。クールな素顔の裏にある切実さ、必死さ、孤独。いろいろな感情がこみあげる、そして本番での飛躍を期待したくなる、素晴らしい一日だったと思う。
午前中はずっとマラソンに張り付いていて(ちなみに夜勤明けだがまだ職場に残留していた)午後はイオンシネマ綾川で『劇場版 SHIROBAKO』を見ていた。テレビシリーズから4年後、つまりだいたい宮森あおいが社会人6年目になったころだなと思いながら、最近社会人6年目になった人間としてとても楽しく見ていた。
変わらないもの、変わっていくもの。その両方を受け止められるようになった宮森あおいのたくましさが、とにかくまぶしくて、心揺さぶる2時間だった。
東京を離れてもう6年になる学部と修士を合わせただけの年月を香川で過ごしていて、その大半の時間を労働に費やしてきた。そして先月30歳になってしまったので、これからの身の振りをどうしていこうかという話を東京ではひたすらにしていた。自分がやりたいと思っていることは隙間産業的であるとは思っているけれど、周囲の人と同じようなキャリアを歩むことにはまったく興味がないので、良くも悪くも引き続き我が道をゆくしかないなと感じる。ゴーイングマイウェイ、でしか生きていけない。まあそれが「早稲田らしさ」かもしれないし、単なるこじつけかもしれない。
その早稲田出身で陸上界のスターである大迫傑が今日やってくれた。たった1年半の間に2度も日本記録を更新する選手なんて、もう相当先まで現れないのではないか。確かにナイキの厚底シリーズは革命的かもしれないが、それを使いこなせるだけの能力がランナーに備わっていなければ靴はただの靴である。多くの人はランニングシューズの能力を勘違いしているように思う。シューズが走るのではなく、あくまでも走るのは人間であって、同時に万人に最適なシューズは存在しない。シューズの能力を存分に発揮できる能力まで含めて現代のトップランナーたりえるのだろうと、今日改めて強く感じた。
大迫傑を見ていてそのレース運びにはすさまじいものがあった。前半から前へしっかりついていくと思いきや折り返したあたりから少しずつ遅れ始め、一次は第二集団に近いのではと思わせるシーンもあった。ただ、その後の盛り返しが本当に見事だった。2分50秒台前半で刻む速すぎる前を追わず、いったん3分台に落とし込むことで自分のペースを作って見せた。20キロ台で自分のペースを取り戻したからこそ、30キロ台になって落ちて来た井上を拾い、そして一気に突き放したのだろう。
マラソンランナーにとって重要なのはいかに自分の身体と対話しながら走り続けることができるか、だと思う。今回のように高速のタイムを刻むペースメーカーがいると、自ずと速いタイムを刻んで走ることになる。ついていける場合はいい。だが、たとえばMGCの設楽がそうだったように、前半のハイペースは確実に30キロ台になってボディブローのように効いてくる。今日その影響をもろに受けたのが井上である。いったん大迫が離されたとき、このままズルズル行くとまずいが前が見える範囲でついていけるならば、後半の逆転はあるだろうと思っていた。
コメントを見る限り大迫自身も折り返し付近でヤバイと思ったようだが、気持ちを切らさず冷静に残り20キロのレースを展開できたのが彼のいまの実力だったのだと思う。ペースダウンは一つのギャンブルである。前に追いつけるかどうかは、前が落ちてきてくれるはずだという仮説が成り立った時であって、仮説が成立しなければ離されるだけだった。
さらに大迫の成長を感じたのは32キロでスパートして一気に井上を離したところだ。MGCではスパート後に服部勇馬に追いつかれた大迫が、その時よりもずっと手前でスパートをするのは、二つ目のギャンブルだと感じた。確かに井上を離すことはできるが、そのあと自分が落ちていく可能性はなかったか。もちろん、ないと確信があったからこそ、スパートをかけたのだろう。冷静に、したたかに。
その大迫がフィニッシュ地点でガッツポーズをし、その後のインタビューで涙を流していた。クールな素顔の裏にある切実さ、必死さ、孤独。いろいろな感情がこみあげる、そして本番での飛躍を期待したくなる、素晴らしい一日だったと思う。
午前中はずっとマラソンに張り付いていて(ちなみに夜勤明けだがまだ職場に残留していた)午後はイオンシネマ綾川で『劇場版 SHIROBAKO』を見ていた。テレビシリーズから4年後、つまりだいたい宮森あおいが社会人6年目になったころだなと思いながら、最近社会人6年目になった人間としてとても楽しく見ていた。
変わらないもの、変わっていくもの。その両方を受け止められるようになった宮森あおいのたくましさが、とにかくまぶしくて、心揺さぶる2時間だった。
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