
ガールフレンド・フロム・キョウト
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ニコニコ動画での処女作「ピアノ・レッスン」(2009年)からのファンである古川さんの音楽について語りたいことはいろいろある。が、このアルバムを聴いていると(正確にはアルバムを買う前の視聴の段階から)特に言葉はいらないんじゃないか、という気持ちになった。
暗いところから明るいところへ。本人の言葉を借りればそんなふうにできているアルバム。だからこそ一番最初の曲「魔法」は一番暗く、だからこそ圧倒的な曲になっている。そしてyoutubeとニコニコで2バージョン公開されているMVも。わーお。
去年の6月にリリースになったメジャー流通1st『Alice in Wonderland』は自主レーベルからだったが、今回の2ndはスペースシャワーから、ということもあってか各種メディア(ネット、FM局など)でも取り上げられたり曲がかかったり、ということがアルバムリリース直前から連続している。
なのでそのへんで古川さんが何を語ったのかについてちょっと雑感を書いてみる。結論だけ書けばますますこのミュージシャンを追っかけたい、というところなのだが、その理由みたいなものをいくつか。
確かもうボーマスには出ないだろうとどこかで言っていたので、遠くなってしまったなあという感覚がある反面、これからのキャリアを考えるとニコニコ動画に曲をアップしていた時期がたまたま近い距離にいた、というだけなのかもしれない。
それでも遠いようで近い、と感じる。精力的にネットで情報を発信しているし、Ustでの深夜の弾き語りが続いている。
──では、ボーカロイドだけで今回のような流通アルバムを作ることに興味は?
前作の頃からなかったですね。前作は複数の人間で一緒に作ることがテーマで、極力自分は演奏もせず、プログラミング以外はしないつもりだったんです。で、僕にとってのボーカロイドは「もし自分が女の子の声が出たら」という機材で、「ボカロを使ったらそれは自分が歌うのと同じ」と思って使わないと決めてたんです。でも今回は理由が全然違って。
──どう違うんですか?
初音ミクのイベントが3月にあって、裏方としてお手伝いをしていたのでライブを観たんです。ステージ上に立っている初音ミクを、お客さんたちが本当に1人のアーティストとして見てるんだなってすごく感じちゃったんですよ。それを観て不覚にもすごく感動してしまいまして(笑)。終演後には客席同士が「がんばった! がんばった!」みたいな空気になってて。自分は今までボーカロイドを楽器として、自分の声を代弁する機材として捉えてたけど、初音ミクをちゃんとしたアーティストとして考える使い方こそがもしかして正しいんじゃないかって思っちゃったんです。なのに自分には残念ながら、キャラクター的に楽しむっていう感覚がないので、もしかしたら俺は1人で場違いなことやってるんじゃないかという気持ちになってきて。僕には資格がないからもう使うべきじゃないな、って。
引用元:ナタリー Power Push 古川本舗(4/4ページ)
最初の古川本舗アカウントでの投稿は2009年6月の「ピアノ・レッスン」からほぼ1年後の「夜と虹色」の投稿までなので、よく考えてみれば実質1年しかない(参考:初音ミクwiki 古川P)そしてその1年後に前述したメジャー1stアルバムをリリースする。1年単位で区切ったとしても、めまぐるしい日々であることは容易に想像がつく。合間にボーマスで出すためCDをかなりの数作っているしね。
ボーカロイド、とりわけ初音ミクはそれ以上にめまぐるしい展開を見せ、発売から5年を経過したいまに至る。結局のところ、結果的にニコニコ動画でのボーカロイド音楽受容は定着したが、使う側からすれば元々はひとつの楽器にすぎないのではないか。そんなことを古川さんのめまぐるしい3年半近くを回想して勝手に考えている。
この間だけでもいろんなボカロP(と呼ばれる人たち)がメジャーへ活動の幅を広げていった。シーンは常に変わり続けている。
だからこそ、今期待すべきなのはニコニコ動画でのボーカロイド受容はそれとして、それ以外にシーンが広がり続けていくことなのだろうな、と素朴に思う。まあ、そんなことはlivetuneの活動を見ていれば言うまでもないんだけど、仮にボーカロイドを用いなくても、ある時期にボーカロイドを使っていた人が今はまったく違う活動をする、ということも同時に期待したい。
こう考えるとsupercellはうまいこと併用してるな、って思う。それもひとつの解だろうし。
つまるところは表現の多様性という意味でシーンが広がるところまで広がって欲しいな、と。ついていくリスナーも離れるリスナーもあるだろうけど、確実に新しいリスナーも刻まれるだろうし、音楽の受容がごくごく限られたところにとどまることを否定するわけではないが、そうではない別の形はあっていいだろう。簡単に言えばそんなところだ。
別な表現をすれば、ボーカルとしての初音ミクにこだわって表現の幅を広げるのもありだろうし、そこから脱却して新しい別の形を模索するのもありだろう。個人としては、ミュージシャンその人自身の決意のようなものを感じれる音楽を聴けるのは、リスナーとしてひとつの幸せであると思っている。CINRAでのインタビューで語っているように、変化することを違和感として見られないようでいたい、というのはなるほどな、と思った。
まあ、もっと言えばいいものを届けてもらった以上、いろいろ惜しむところはないではないが文句のつけようが基本的にはないな、って感じる。少なくとも俺はいまのところ、ボーカロイドをボーカルとして使わないと決めたことに対してケチをつける気はまったくないし、古川さんに限らずlivetuneにしてもsupercellにしても、それぞれが変化しながらニコニコ動画の外でシーンを作っていくことにワクワクせずにはいられない。
古川さん自身についてあれこれ書いてきたので音楽について全然書いていないのでいくつか。
一番好きな曲は2009年冬に公開した「girlfriend」なのだが、2ndアルバムでは見事なエンディングを飾っている。公開されて以降はこの曲を聴きまくっていたし、今回も空気公団の山崎ゆかりさんが素晴らしくやさしい歌声で、アルバムのエンディングを歌い上げている。動画公開時からいい最終回だった、という言葉がふさわしかったので(あいだに長い間奏が入るのが見事)アルバムとしていい配置になっているな、と。
――ボーカロイドやニコ動のシーンには一曲で聴くことに慣れているリスナーが多いという印象があって。一方で僕みたいにまだまだCDを買い続けるタイプのリスナーはアルバムを通して聴くことが当たり前だと思うんですけど、それぞれ趣向の異なるリスナーの間でどんな反応があるのか楽しみですね。
そうですね。僕自身、便利だから配信は使いますけど、やっぱり曲単位になっちゃうんですよね。ニコ動とかをやっていて思うのは、古川という名前よりも先に曲を覚えられてしまうような側面が強いという点ですね。例えば「Aliceの人」みたいな。曲が独り歩きして宣伝広報してくれるのは良いのかなと思うんですけど、それはあくまでも手段の一つであって、表現ではないですよね。もちろん単品でのデジタル配信や動画投稿を否定することもないんですが、デジタル配信なりのコンセプトを考えることが必要だと思います。僕は若かった頃にジャケ買いとか、アルバムを通して聴くことを楽しかったと体感しているので、その感じを押し付けたくはないんだけど、諦めたくはないですね。CDは衰退したとは言われるけれども、「まだ死んでねえぞ」という意地ははっていたいです。好きなので。
引用元:【Interview】ボーカロイドからヴォーカリストへ。デジタルと生音を自由に横断するサウンドクリエイター古川本舗、その表現の本質に迫る。
1stがベストアルバム的だったのに対し、今回はアルバムとして、あるいはCDとしていかに聴かせるか、ということを意識して作ったと引用したように古川さん自身は語っているのは強調すべきだろう。
アルバムは通して「別れ」をテーマに曲がつくられていて、最初に書いたように暗いところから明るいところへと少しずつ移り変わっていくサウンドを提供することで、多様な「別れ」を演出している。
そういった意味でコンセプトアルバムにもなっているので、一曲ずつ聴く味わいもできるし、通して聴くことがなによりも楽しい。楽しい、というか正直震える。一番最初に通しで聴いたときは、耳が幸せ以外の言葉で、いまの心境を言い表せたらいいのに、と感じた。
物書きのくせに語彙がなくてアレですが今回はこんなところで。とりあえず今月は愛用のVictor製オーディオコンポでこのアルバムを聴きまくるんだろうなあと思う。
今年もいろんな音楽を聴いてきたが、いまのところのベストはこれだ。音楽を好きでよかったと、心から思える12曲の体験だった。
*further listening
1st major album"Alice in Wonderland"

Alice in wonderword
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最初のほうに書いた2011年6月リリースの1stメジャーアルバム。
vocaloid best album"peams E.P."

peams E.P(CD2枚組)
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古川さんは最初のアカウントを消してしまっているので、ニコニコ動画ではボカロ曲はほとんど公式には聴けない状況になっている。
なのでメジャー流通のアルバムは聴いたがボカロを使っていたころの音楽も聴きたい、という人にはこちらを。過去の公開曲に加え「ナミウ」が新曲として入っているのもおいしい。