見:ホール・ソレイユ

 これはぜひ見たいなと思っていた映画なので、目撃できてよかったなと思う。ただこの映画を見て最初に実感したのは、北アイルランドにおける「紛争」について、自分がほとんど何も知らなかったなということだ。今あらためてケン・ローチの『麦の穂をゆらす風』をちゃんと見たいなと思うくらいには、今に続く根深さを実感させられる映画だった。



 この映画の主役は間違いなく一人の教師(ケヴィン校長)だが、同時に登場する北アイルランドはベルファストに位置する男子小学校の生徒たちも主役と言えるだろう。ケヴィン校長がただ存在するわけではこの映画は始まらない。子どもたちの語る言葉が、ほとんどすべてとも言ってよいからだ。もちろんその言葉を引き出すケヴィンを始めとした教師たちの「問いかけ」がなければ始まらない。その意味では、教師たちは映画の中では徹底的に黒子である。まあ、エルヴィス・プレスリーが大好きなケヴィン校長は、長身でスキンヘッドというルックスからしてどう見ても「目立ってしまっている」けれども。

 映画のパンフレットにはP4C(Philosophy for Children)という教育手法が紹介されており、日本での導入が進んでいることも紹介されている。NHKが以前特集したこの番組は、その象徴的な取り組みの一つかもしれない。この番組も主役は子どもたちで、教師たちが黒子に徹する姿は印象的だった。



 もちろん教師たちはある程度の情報提供はする。例えば北アイルランド問題について考える時に、過去の紛争や闘争の映像を見せる。君たちの親やおじいちゃんおばあちゃんたちがね、と言った語り口で。しかしあくまでそれは前座的な導入であり、議論は子どもたちの目線でスタートさせる。上から何かを教え込むということを、可能な限り避けている。その代わり、子どもたちに問いを投げ続ける。これは一種の、ソクラテス式問答法の教育分野への応用だと言えるだろう。



 アリストテレスやプラトン、それにソクラテスから始まり、近代以降の西洋哲学者たちのイラストが時折映像に映り込むが、ソクラテスはこう言った〜という導入も行われない。そうしてしまうと、哲学ではなく倫理の授業になってしまいかねないからかもしれない。哲学者の思考を学ぶより前に「考え方」や「問いへの向き合い方」、あるいは「他者の議論を聞く方法」とか「他者に主張をする方法」を学ぶことにつながる。

 この手法の先には、カール・ロジャーズの言う「無条件の積極的関心」という概念も想起することができる。他者への関心がなければ、議論に参加しようとは思わないだろう。逆に言うと、関心があるからこそもっと議論をすることができるのではないか。映画の中盤では実際にクラスメイト間で起きたいじめが議論の俎上にも上がる。対立は街の中だけではなく、教室の中でも起きている。けれども、対立は克服することもできる。他者やコミュニティに対して関心を持ち、議論することができれば。

 小さな対立とそれに対する対処を学ぶことが、北アイルランド問題のような大きな対立に対する対処に役立つか、と言われるとそれは難しいだろう。どちらかというとそうした地域の中にある大きな問題に対しては対処を学ぶというよりは、自分たちも歴史の中にいるという実感を得ることの方が重要なのかもしれないと感じた。映画の後半では街にめぐらされている多くの壁の中からいくつかピックアップして壁画を描く、という場面があるがそこでも考える少年の図が描かれる。当事者として考え続けること。政治的対立の解消は容易ではないが、だからこそ関心と思考を続ける必要がある、というメッセージに見えた。

 映画の現代は"YOUNG PLATO"であるわけだが、小さなプラトンたちがソクラテス式問答で鍛えられる姿は、大人たちにも強く響く。小さなプラトンたちは、小さな教室で、小さな問いに答え続ける。それはいつかきっと、大きな問題に向き合った時に、あるいは対処する必要に直面した時に役に立つ……かどうかはやはり何とも言えないが、考える練習の先にあるのは、暗い未来ではなくて明るい未来であってほしいなと思える。