Days

日常と読書日記。 受験生日記は閉幕です。



見:Netflix


 家族というものは常にややこしい。日本に限らず世界共通のものだろうな、ということはこの映画を見ながらよく実感したし、男女の構成は違うが俺も三人兄妹の長男なので、あと仕事をしていなかった時期も少しではあるがあるので、本作に出てくるダニーの気持ちがとてもよくわかる。期待を背負わらせるマシューの憂鬱も、逆に無風すぎて影の薄いジーンの複雑さも。そして名優ダスティン・ホフマン演じる彼らの「偉大な」父、ハロルドという存在のややこしさも。

 ジャンルとしてはコメディという体裁をとっているからか、のっけからおかしい会話のやりとりが続いていくが、どれだけ言葉を交わしてもハロルドと子どもたちの間にはディスコミュニケーションしか残らない。ダニーは仕事を持たないからか実家に居候するという流れになっているけど、コメディなのでさほどシリアスには描かれない。ハロルドのダニーは一緒にやきう(MLB)を見てメッツの応援をしたりするが、関係は特に改善されない。

 その理由は少しずつわかってくる。ハロルドはどうやらダニーにはさほど期待しれおらず、マシューに期待していたらしい。しかしマシューは父と同じ芸術家の道には進まず(センスはあったものの)スーツを着こなすような「堅い仕事」に就く。だから大人になったマシューもまた、ハロルドとは反りが合わない。ハロルドからすれば資本主義の犬のような存在になったマシューとは、食事の席でももちろんディスコミュニケーションばかりだ。というか、そもそもハロルドはまともに会話しようとしない。

 そのハロルドも業界的には大家であり、何度か展覧会の様子も描かれる。そこに兄妹たちが一緒にいるという絵面は皮肉でもあるように思うが、まさか最後の最後にちょっとした感動エピソードを持ってくるとはおそれいった。終始コメディ調で進んでいくのに終盤に見せる転換はどうだ。あとイライザがやっぱり最後までかわいかった。彼女の存在の有無は、この映画の厚みにも関与していると思う。

 終盤に挿入される展覧会ではある事情でハロルドが不在になる。なるほどこのシーンのために、いままでの余興は成されたのかと思うと、バームバックの手腕もさすがであると思う。めでたく去年のカンヌで上映される運びになったもののネトフリでしか流さないということでフランスの映画業界の一部からdisられたようだが、それはさておいていいものはいいのだから作品は作品として認めるべきだろう。ある意味、守旧的なハロルドと現代的なダニーやマシューとの間の確執が、現実化したのだと思うとこれもまた一つの皮肉かもしれないが。

 結局親子関係というものは、死ぬまで続いていくのだ。究極的には逃げようがない。親が毒親の場合、コミュニケーションすら辛いものになるだろう。愛憎こそが人生、かどうかはさておき、家族であっても所詮他人だよなという感覚と、それでもどうしようもないくらい家族は家族なんだよな、という二つの感覚をうまくミックスさせた映画だとは思う。使い古されたテーマかもしれないが、いずれの役者も演技が見事で、それがまたよりリアルな家族不和を演出してみせたように見えた。
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