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2022年10月01日

あるべき人の不在と、感情の所在――『夏時間』(韓国、2019年)



見:Jaiho



 映画を見終えた後に検索をかけたら上記のインタビュー記事が見つかったのでGoogle翻訳をかけて読んでみたが、このインタビューでユン・ダンビ監督が試みようとしたことがかなりの部分ネタばらしされているなと感じた。特に次の部分のやりとりは、この映画の核心をついているように思う。(訳文はGoogle翻訳からそのまま使ったので、文言がおかしい部分も残ってます)

――オクジュの視線で話が流れていく。玉州を通じてどんな話をしたかったのか。

ユン・ダンビ「この映画はオクジュの成長物語でもあり、オクジュが観察者としてこの家族を見ることもある。オクジュが感情の振幅が最も大きいため、この家族を眺める観客たちも振幅をよりよく感じることができると考えた。もし兵器が主人公なら、大人の立場で子供たちを見つめる視覚になるのではないか。視点の違いについての話もしたかった。オクジュが思春期を通過しながら感情の変化を経験し、結局ママへの懐かしさを認めるようになる。自分の感情を認めることで一連の過程を通過する物語を作りたかった。私も思春期の頃を大変に過ごしたので、その時期を過ごしている人物を扱いたかった」

 一人の少女の目線でつづられる物語。その小さな目線が、やがて大きな社会と接続していくダイナミズムも描いたのがキム・ボラの『はちどり』だったが、ユン・ダンビが『夏時間』の中でこだわっているのは徹底的な目線の小ささだろう。オクジュという少女の年齢すら明かされていないこの映画は(弟が一人いることは確かだ)夏休みのひとときを描いているため、『はちどり』と違ってオクジュが制服を着て学校に通う場面も出てこない。彼氏らしき少年は登場するも、ほとんど一瞬だ。

 そのため、ユン・ダンビが上記のインタビューで述べているように家族という最も小さいサイズの社会集団における、オクジュの成長物語なのである。翻訳だと「姉弟の夏の夜」というタイトルになっているが、英語タイトルは"Moving on"であり、どこにも夏というワードは出てこない。たまたま夏休みのひとときを描いただけで、夏であることはさほど重要ではなく、あくまでもmoving on、先に進んでいく人たちを描いたということなのだろうと解釈した。

 その夏の日々を、大人ではないまだ立場の弱い少女がどう見ていたか。まず一つ気づかされるのは、オクジュの母親の不在である。父親は最初からいるし、途中から父の妹である叔母も一家に合流する。そのため、主人公姉弟と、父と叔母の兄妹という、二つのきょうだいがほぼ同時に祖父の家に引っ越してくるというちょっと不思議な家族模様を映画は映しだしている。祖父の家や祖父にすぐなつく弟と違い、新しい生活への距離感を図りかねるオクジュ。そのいらだちが弟に向かってしまうのは、きょうだいを経験した人の共感を多く誘うだろうと思った。

 母は不在で、叔母は叔母でパートナーとの関係をこじらせているので大人としては物足りない。自分は姉だからしっかりしないといけないが、実際には複雑な感情が宿っている。一番はおそらく父に対してであるが、自分自身に対する感情も含んでいる。そうした「感情の振幅が最も大きい」オクジュを主人公に仕立てることにより、ゆったりとした展開で進む映画の中で、目に見えない心理的な揺らぎこそが重要なのだ(とりわけ少女にとって)ということを繰り返し観客に訴えているようにも見えた。

 不在が解決されればよいのだろうか。おそらくそうではない。オクジュがなすべきことは、目の前に起きる一つ一つの出来事や、自分の中に湧き上がってくる感情一つ一つと向き合うことなのだろう。全部を受け止められなくても、一つ一つを経験することで彼女は少しずつ成長していく。その過程を、気づけば観客が見守っている。大きな庭を持つ大きな家の中にある、小さな家族の小さな少女のmovingを、最後まで静かに見守ることのできる雰囲気を作り出したことが何よりこの映画のすばらしさだと言えるだろう。

夏時間(字幕版)
キム・サンドン
2021-09-15


 Jaihoでの配信はあと数日で終了するが、Amazonビデオでレンタルして視聴することは可能。夏が完全に終わったこのタイミングにぜひ。

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2022年09月17日

中央銀行と金融政策を理解するためのブックガイド5選

 ツイッターで親しくしている人向けに作成してたのですが、よく考えればブログに挙げてもいいのでは、と思ったのでアップします。

 このブックガイドを作成したのは2020年ですが、その時は新型コロナによる経済的な波及効果(もちろん悪い意味で)に対する金融政策や財政政策(orマクロ経済政策)を考えるためでした。他方で今年はウクライナ戦争による物価の変動と為替の変動についてのニュースや議論が日常的になっています。

 ただ、2年前がそうであったようにそもそも金融政策を理解している人はあまり多くないのでは(そもそも金融政策と財政政策は相互に関連はするものの全然違うこととか)と感じたので、改めていったん金融政策入門という形で復習しておくのは重要かなと思い、ブックガイドをアップしました。

 入手しやすいようにということであえて新書を並べています。1を除く4冊はすべてkindleで入手可能。学習のためにはある程度分厚い入門書がいいと思いますが、とっかかりやすさを重視した選書にしました。




1. 日経新聞(2020)『金融入門 第3版』日経文庫
金融入門<第3版> (日経文庫)
日本経済新聞出版
2020-03-14


◆選書理由
・今回紹介する本で最も入門的かつ教科書的
・2020年3月に第3版が出たので選書の中では情報が一番新しい
・金融政策の前に金融とは何かの理解から始まり、金融業界の話や為替、株価、金利についての解説などなど
・「金融入門」であって「金融政策入門」ではないので政策とはさほど関係ない話(一般の銀行の話とかフィンテックとか)も多いが入門書かつ教科書的な構成なので、5冊の中では一番とっかかりやすい

2. 湯本雅士(2013)『金融政策入門』岩波新書 
金融政策入門 (岩波新書)
湯本 雅士
岩波書店
2015-01-01


◆選書理由
・特定の立場に取ることはなく、かつ教科書的になりすぎないようにアメリカや日本の具体的な政策、経済の動向に言及しながら丁寧に論を進めている印象
・専門用語に頼りすぎずに文章を書いている。次第に用語の出番が増えていくが、序盤に丁寧に解説しているので読みやすい。日本銀行券ってそもそも何?というあたりから話を進めているのも入門的で良い
・入口は入りやすいがいったん入ると内容は分厚く、マクロ経済学的な数式やグラフも多々登場する。このあたりは経済学部生向けな気がするので、難しいと感じるところは読み飛ばしてもよい
・伝統的金融政策(ケインジアン、マネタリスト)と現代的な非伝統的金融政策(金利を誘導するようなオペレーションや量的緩和政策)の特徴や意義についてそれぞれ時間をかけて解説している。実際の金融政策を理解する肝でもあるので、この部分だけしっかり読むのも良い
・インフレとデフレの特徴と功罪、それぞれにどのようなアプローチを中央銀行は行っているのか(いくべきか)という話もかなり時間をかけて行っている
・あとがきから読むのもいいと思うし、参考文献リストがあるのも良い
・2013年刊行なので少し昔の話が中心だ(2000年代の日銀やFRBの話が多い)が、始まったばかりのアベノミクスへの言及もあり。
・3の本がわりとポジショントークをしているところがある(放漫な金融、財政に対して批判的なスタンス)ので、その分2の本はバランスがいいなと感じる


3. 熊倉正修(2019)『日本のマクロ経済政策 未熟な民主政治の帰結』岩波新書 


◆選書理由
・比較的新しい。日銀の黒田体制、アベノミクスへの評価と疑問なども多い。
・通貨政策、金融政策、財政政策、経済政策と民主主義という流れ。最初が通貨政策なので、為替介入の是非といった特定のトピックの話から始まっているのはタイムリーだけど、教科書的には入門的ではないかも
・入門書というよりはそれぞれの政策に対する解説と評価(批評)が主といったところで、分厚いニュース解説を読んでいるような印象
・ほかの本を一通り読んでから帰ってくるには向くと思うしタイムリーな話題も多く面白いが、最初の一冊としては選ばない方がよいと思う

4. 池尾和人(2010)『現代の金融入門』ちくま新書
現代の金融入門 [新版] (ちくま新書)
池尾和人
筑摩書房
2014-02-07


◆選書理由
・「入門」とあるわりには骨太なので、せめて1か2を読んでからこの本に来た方がいいかな。昔一回読んで今回読み直したけどやはり難しい
・内容は確かに入門的(大学の経済学部生レベルという意味で)かつほかの本と比べても最も理論的
・読み応えもあり、大学の講義を1クール分受けている印象を持った。新書でこのボリュームは単純にすごい
・1の本のような金融の個別の制度の解説ではなく、制度やルールを利用して各プレーヤーがどのように行動しているか(=金融システム)の解説や分析が主。このあたりの問いの立て方や着眼点は経済学者的
・2010年刊行と今回紹介するにはやや古いが、リーマンショック後まだ間もないころでもあり、バブルはどのように起きるか、金融デリバティブとはどのようなものか、リーマンショックのような金融危機が起きないように、平時どのように企業の金融活動に規制をかけていくか……といった視点は他にはない特徴
・あくまで「金融入門」であって「金融政策入門」ではないが、グローバルに広がった金融システムの全体像を理解するための一冊としては面白いし、それが理解できてようやく金融政策の意義も理解できると思われる

5. 翁邦雄(2013)『日本銀行』ちくま新書
日本銀行 (ちくま新書)
翁邦雄
筑摩書房
2014-05-02


◆選書理由
・元日銀の中の人として、中央銀行の歴史や役割から話を進めていく。(2の本では5の著者が名指しで論評されるページもあった)
・前半は近代経済史(海外、日本)といったところがメインなので読み飛ばしてもいいと思うし、興味があれば一種のノンフィクションの読み物として面白い部分でもある(現代の金融政策からは遠く離れるけれど)
・中盤以降は経済環境や社会状況の変化に対して日銀がどのように向き合ってきたかを、バブル期以前以後を境目に概説していく
・とりわけ後半は経済危機やデフレへのアプローチ、財政と絡めた話なども多い。
・金融政策を理解するためには財政政策とセットで理解する必要があるので、このあたりへの目配せは実際に日銀の中にいた人としてぬかりない印象
・最後には刊行当時始まったばかりのアベノミクスへの言及も

◆まとめ
・教科書として読むなら1がおすすめ
・入門書としてのおすすめは1,2
・好きなのは2と4と5
・3は時事的な話題が多すぎて金融政策を入門的に理解するには向いていないが、時事的な話題から金融政策と財政政策に入門したい場合は手に取って良いかも


※上記の内容は2020年2月に作成した(2021年8月に一部改訂/2022年9月に原文の趣旨を維持しつつ二訂)。

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2022年07月31日

淡々と思い出される7月26日の記憶 ――『ちょっと思い出しただけ』(2022年)



見:Amazonプライムビデオ

 印象的なタイトルには気になっていたが映画館には間に合わず、少し後悔していたところにあっという間にAmazonプライムビデオ入りしていたので見ることにした。期待していたように、一貫してタクシードライバーの役を演じる伊藤沙莉がいい。おそらく新型コロナを意識したのであろう、布製のマスクをした彼女がさかのぼっていく、まだマスクをしていなかった、日々を描いていく。淡々と。

 最初から最後まで本当に淡々としているのがいいなと思った。現在から過去に遡っていくということは、一種の叙述トリック的に伏線が回収されていくのではないかと思っていた。回収される要素もあるが、一つ一つの要素が決定的に重要にもなっていない。最初はほとんど情報のなかった二人、伊藤沙莉演じる葉と、池松壮亮演じる照生との関係性が、過去をさかのぼる中で少しずつ説明されていくに過ぎない。そこに大きな意外性はなかった(もちろん、単に俺が読み取れていない可能性はあるが)。

 監督や制作陣がどれだけ意識したのかは分からないけれど、『花束みたいな恋をした』の逆回転のような映画だなと思った。『花束』はタイトルにすでにあるように、「恋をした」と過去形で語ることで映画の中でこれから展開される恋愛はいずれ終わるのです、と観客に予告している。予告することで、「いったいどのようにして終わるのか?」という問いを共通認識させる映画だ。

 翻って『ちょっと思い出しただけ』というこの映画のタイトルは、すでに終わっている恋愛が、いつどのように始まっていったのか?という問いを共通認識させるような仕掛けがある。しかし前述したように、この映画のいいところは『花束』のようにドラマチックでエモい展開にはしない。夜のシーンが多いからか、どちらかというとチルいとでも表現したほうがよいだろう。ダラダラとしたチルい会話劇は、おのずと青くささが混じった青春劇にもなっていくのだけれど、どこかありふれたやりとりに感じられる。そのありふれた感覚が、ドラマ的な『花束』との良い差異にもなっている。

 過去を思い出すということは、現在の二人に何かしら思い出すきっかけがあったと思うほうがよい。7月26日という日付の持つ意味はもともとは照生の誕生日という程度だったけれど、照生にとっては一生つきまとう日付であり、葉にとっては忘れてもよいけれどどこかで引っかかった日付である。こうした対照的な意味合いは、最後にケーキを食べなかった葉の選択へと引き継がれていく。ケーキを買ってしまったけれど、隣にいる男性にその理由を告げるわけにもいかない。理由を共有しないことで、過去を過去にすることができる。隣にいる彼の知らない、自分だけが占有する記憶として。

 一つケチをつけるとすると、作劇の都合上仕方ないけれど、クリープハイプと尾崎世界観の使い方がわざとらしいところがもったいない。もっと自然に、普通に登場させるような演出でもよかった気がする。他方で、成田凌や國村隼、市川実日子や永瀬正敏など、二人の記憶の脇を固める俳優陣の存在がよかった。短い中で各々が味わいを出すことで、二人にとっての7月26日に彩りを加えることに成功していた。
 
ちょっと思い出しただけ
永瀬正敏
2022-06-11



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2022年05月26日

新しい形態の犯罪者集団はいかにして暴かれたのか ――『サイバー地獄:n番部屋 ネット犯罪を暴く』(韓国、2022年)



 ちょうど新型コロナが流行しだしたころに日本のインターネットでも少し話題になったのが「n番部屋事件」だった。過去にない規模の参加者のいた集団的性犯罪であり、このネトフリのドキュメンタリーでも強調されていたように明確な性搾取の事件だった。日本で話題になったころは主犯格の2人、博士とガッガッがようやく逮捕されたころだったため、事件の概要も子細に語られていた記憶がある。

 ただ、このドキュメンタリーで改めて思ったのは、まだまだ知らないことばかりだったということだ。大規模な犯罪なのにテレグラムを通じた特殊なネット空間ゆえに露見しにくかったこと、プロのメディアではなく最初にこの事件に気づいたのがジャーナリストを志望する大学生2人組だったとのこと(しかも、コンペに参加する一貫の調査の中で事件を発見してしまった)、そして警察がいかにこの新しい犯罪者たちを追い詰めたかということ。

 本編の序盤は犯罪者たちの「性搾取」をアニメーションなどを使って再現することで、実際の加害と被害のイメージを視聴者に共有させることに成功している。そして成功しているがゆえに、アニメーションであってもあまりにも生々しく、残虐である。写真や動画は加工され、フィクショナブルなものに置き換えられているとはいえ、テキストでのメッセージは詳細に再現されている。そのため、このドキュメンタリーを見る前に、そういった心理的に危険なシーンが多数はめこまれていることには留意したほうがよい。女性たちを手招くための細かな手口やグルーミングの詳細が語られるところには何度も吐き気がしたほど。

 中盤以降は追う側の視点が幾重にも重なってくる。「追跡団炎」(メディアによっては「追跡団火花」や「追跡団花火」と訳されることもあるがここでは本作の翻訳に準拠する)として登場する二人の大学生、ハンギョレ新聞の取材チーム、テレビ局、そして警察。



 犯罪者たち、特に博士は追う側であるメディアを執拗にけん制し、脅迫する。それは彼がこれまでグルーミングをする中で使用してきた手口に似ている。脅迫し、要求をのませることで、自分の思い通りに他者をコントロールする。そうした欲望の塊のような存在である博士は、痕跡を多くは残さない。外国にいるというほのめかしさえする。ではどのように追うのか。

 「犯罪者が永遠に隠れることはできません」とは後半に登場するあるホワイトハッカーの言葉だ。テレグラムは痕跡をすぐに消すことが可能なメディアだが、かといってインターネット上のログを抹消できるわけでもないし、IPアドレスを完全に誤魔化すこともできない。新しい性犯罪とはいえ、インターネットを利用している以上、痕跡が残る。その痕跡を使って一つずつ犯人を追うという、新しさと古さが混合したような刑事手法が印象に残った。

 韓国では2016年に江南駅近くのトイレで22歳の女性が全く知らない男性に殺害された事件を一つのきっかけにして、多くの女性たちが社会に対して声を上げている。本作では省かれているが、NHKの『アナザーストーリー』がこの犯罪を扱った時に、多くの女性たちが「n番部屋事件」に対して抗議運動を行い、国会に請願する運動を行ったことも紹介されていた。





 韓国の現代文学や映画でも、女性蔑視やミソジニーといったジェンダー不平等は数多く題材にされている。これほどまでに女性たちが生きづらい社会があるということ(日本も例外ではないかもしれない)を直視することも、このドキュメンタリーの目指す地平だろう。少なくとも、吐き気がするくらいにはその試みは成功しているように思えた。


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2022年04月06日

ナラティブによる揺さぶりと、二人の巡礼 ――『ドライブ・マイ・カー』(2021年)



見:イオンシネマ高松東

 原作である村上春樹の短編集『女のいない男たち』を読んだのはもう何年も前なので、見事に内容を忘れたまま映画を見ることになった。いかにもな村上春樹の書く主人公である家福(西島秀俊)の惰性的なセックスとクリエイティブへのこだわりを見るにつれて、思った以上に饒舌(な印象を受けた)だと思ったが饒舌な主人公は濱口竜介作品にはよく似合う。劇中劇とそれを作る過程を描いた4時間の大作『親密さ』と比べると、劇中劇であるチェーホフの『ワーニャ伯父さん』がちょっと道具的じゃない?(制作のプロセスを詳細に扱っていたのだから、もう少し劇自体を長く見たかった)という不満はあったものの。

 原作である同作以外に同じ短編集から「シェエラザード」のエッセンスを取り入れることで、この映画で最も重要なのはナラティブなのだということが象徴的に描かれ、導入されていく。カップルの性行為(少し風変わりな)を起点として物語を進行するのもいかにもな村上春樹といったところで、ただ主人公がよく喋ることに意味があるわけではない。むしろ、たいていのことは語る彼の語らないことに意味があるのではないか。そのために、劇中劇が利用されているのではないかという仮説を早いうちに提示する。

 家福に付き添うのは主に二人。ドライバーのみさき(三浦透子)と、スキャンダルによってフリーランスになった俳優、高槻(岡田将生)だ。この二人の間の会話のやりとり、そして高槻が積極的に投げかけるいくつかの質問は、家福を揺さぶる。家福自身の感情を揺さぶり、彼のナラティブ(とりわけ、妻であった音に対するもの)を揺さぶる。

 同時に、会話ないしコミュニケーションは双方向のものであるから、問いかける側も常に揺さぶりを受けることとなる。この揺さぶりが、巡礼のような形で結実するのが終盤のみさきとの長いドライブだ。『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』において、ある女性の死をめぐる多崎つくるの巡礼を描いた。彼の旅路は、謎を解くこと自体にももちろん重要な意味はあるが、旅をするというプロセスが彼の感情を揺さぶり続けることに意味があった。

 みさきは、一人では決して訪れることのなかっただろうその場所に訪れる。そして、思わず家福に甘えてしまう。こうした感情のやりとりもまた、家福が音との間に喪失していたものなのかもしれない。みさきの過去をめぐるための巡礼が、みさきとは無関係の他者であった家福を揺さぶる。客観的に見ると、家福がみさきを道具的に利用したようにも見えるが、みさきもまた家福を利用している。

 この双務関係とも共犯関係とも言える関係は、『多崎つくる』にはなかった形の巡礼である。多崎つくるも一人ではなく誰かと一緒に巡礼をしていればまた違った感情が芽生えたのかもしれないし、発見があったかもしれない。もちろん一人旅も悪いものではないが、一人ではなく二人であるということの意味は、意外にも大きいものだったのだろう。

女のいない男たち (文春文庫)
村上春樹
文藝春秋
2016-10-07


村上春樹
文藝春秋
2015-12-04




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2022年02月01日

2022年1月によく聴いた音楽

 久しぶりにやる。というかやっぱちゃんと続けたいですね、これ。
 1月と書いてるけど後半は12月アップロードの楽曲も含みます。


あたらよ「知りたくなかった、失うのなら」


 純猥談とのコラボと聞いてうーーーーん、という感じはあったものの(そういうものをあたらよに求めているわけではないので)曲自体はいくらかキャッチーな前奏から始まり、初見のお客さんを引き込むことにはまずまず成功しているかなと思う。オールドなリスナーに対しても、最後まで聞けばああいつものあたらよだなと思わせる安心感があった。もう少しメロディで遊んでくれても良かったとは思ったけど、普段と違うギター音を強くしたアレンジは、これはこれで。

宇多田ヒカル「BADモード」


 1月にラジオで一番聞いた曲だと言っていい気がする。やたら耳に残るというわけでもないけど、ゼロ年代以降の宇多田ヒカルがちゃんと生きてるよなって感じがする。よく考えたら1998年にデビューした人を2022年もちゃんと聞けるって幸せですよね。

SUPER BEAVER「東京」


 12月に長屋晴子とFIRST TAKEで演じた曲を改めて自分たちだけで、という曲。いろんなバンドやミュージシャンが「東京」というタイトルの曲を作ってきているので、SUPER BEAVERなりのストレートをぶち込んできたなって感じがする。のっけから「愛されていて欲しい人がいる なんて贅沢な人生だ」と始まるのでまあこれだけで相当速い直球ですね、155km/hくらい出てそう。日常とか人生とか、そういうものを歌うことにいい意味で慣れているがゆえのストレートだと受け止めた。

 せっかくなのでこっちも。



緑黄色社会「キャラクター」
緑黄色社会『Actor』



Actor
Sony Music Labels Inc.
2022-01-26


 リョクシャカをちゃんと聞き始めたのは「Mela!」あたりからだと思うけど、このアルバムを聞いて改めてちゃんと聞かないとヤバイのでは、と思ってちゃんと聞いている。去年の「ずっとずっとずっと」あたりもヤバイというか、これってどうなってんの?という曲だったので(長屋晴子が息継ぎをほとんどせずずっと歌い続けているのがいろんな意味で怖くてすごい)。それを言えば「キャラクター」もそうですね。アルバムで一番好きなのは「Landscape」です。これが一番長屋晴子の声をうまく使えている。


にしな「hatsu」


 アップロードは12月だが、12月も1月も本当にこれはよくリピートしていた。にしないいよにしな。「夜間飛行」がこのライブでぐっと好きになりました。

フィロソフィーのダンス「気分上々↑↑」


 この前のNACK5「カメレオンパーティー」(1月30日放送)で土屋礼央がフィロのスの楽曲を複数取り上げていて驚いたが、土屋が言っていたようにボーカルのパワーが最近の彼女たちはほんとうにすさまじい。「テレフォニズム」でもやべーやべー言ってた気がしましたが、「気分上々↑↑」の原曲に特徴的なアップテンポをあえてスローにチルい感じにアレンジしているのがまず驚くし、結果的にこのアレンジがボーカルの存在感を強くしているなとも思う。

milet×Aimer×幾田りら「おもかげ (produced by Vaundy)」


 最初は正直そこまで印象に残らなかったんだが、ラジオで繰り返し聞くうちに耳に残るようになった曲。思ったよりもスルメでした。この3人だといくらはやや細いボーカルかなと思ってたけど、彼女の声が曲に「合っていく」プロセスが好きでした。


おまけ




 スピーカーが欲しい&マイクが欲しい→そうだスピーカーフォンを買おうということで購入したのがこれ。ビジュアルは手元に置くとちょっと安っぽく見えてしまう(ここは悩んだAnkerのConf3でもよかったかもしれない)が音質にはとても満足しているし、マイクとしてもまずまず使えているようなのでいいかなというところ。まあこのへんは沼なので、そのうち飽きてもっといいものを・・・となるかもしれないし、ならないかもしれないが音楽やラジオはこれでしばらく聞くぞ!という気持ち。

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2022年01月04日

2021年11月&12月の読書記録+α





 11月は体調がいまいちでやや失速した分を12月に取り戻した、という感じ。
 抜群に面白かったのは『嫌われた監督』と『カンバセーションズ・ウィズ・フレンズ』の二冊。この本はいずれもむさぼるように読んだ。こういう本に出会えるので読書ってやめられないんだな、と思った。『カンバセーションズ』についてはmediumにレビューを書いている。




 前の記事で今年のベストにも次点として入れた『ユリイカ』の綿矢りさ特集と『現代思想』<恋愛の現在>特集も非常に面白かった。この二冊は相通ずるところがあるし、気づいたら恋愛とか結婚とかそれ以外についてずっと考えていた年の瀬だったなと思う。そういうエントリーも上げたしね。

 身近なところでは、ひろこさんのこのエントリーが面白くて、今後の自分の人生の参考になるかもならないかも。


 学生時代のころからアカウントはフォローしていたが、割と最近相互になってやりとりをするようになった。表に出てくる話、出てこない話含めていろいろなことをフラットにやり取りできる同世代のつながりができたのはうれしいものです。

 ちなみに2021年トータルで読んだのは311冊でした。読書メーターに入ってない本(同人誌など)を含めるともうちょいありそうだけど、そこまで細かく数えてないので詳細は不明。



 他、印象に残った記事やエントリーは以下の通り。そういえば衆院選もあったな。



 自分の中で境家先生はゲーム理論の人なので、ここ数年現実政治に対して積極的に発言をなさっているのがなんとなく面白い。面白い、というかイメージを変えないといけないな、という感覚。



 いくつかのBL小説(一穂ミチ、木原音瀬など)もそうだけど、自分が明るくないジャンルの小説を彼女から知る機会はとても多い。いつも本当にありがとうございます。



 遭遇したくはないが、もししてしまった時に何をすべきかは知っておいたほうがよい、という話。一応護身術の心得はあるけど、戦わずに済むならそれが最もよい。





 mediumにレビューをアップしている。



 乗代はもっと早く評価されるべきだと思ったので、ようやく評価が追いついたのはうれしかった。「最高の任務」もそうなんだけど、書くということに対するこだわりや特定の土地に対するこだわりを今後どういう形で小説に落としていくのかは楽しみにしている。後者へのこだわりは、同じく特定の土地を立体的に書くことが多い柴崎友香や滝口悠生と比べると独特な軽やかさがって好きだ。



 いろんな人が書いてるけど、バチェラー役の人がクズな分、女性陣の個性や仲の良さが際立った回だったなと思う。途中からは藤原さんと坂入さんをずっと見ていた。



 新しいエントリーではないけどフォローできてなかったので。2022年こそ倫理学(医療倫理含む)をちゃんとやっていきたい。毎年のように言っているので・・・



 『旅する練習』の感想が読めて面白かったのと、『Shrink』をさすがにそろそろ読まないとな(仕事柄)と思った。



 なぜ日本だけオミクロンが全然広まっていないのか、遺伝や文化的に近しい国である韓国ではヤバいのに・・・というスタンスの記事。結論は「わからない」ということで、その「わからなさ」に至る経緯が詳細にフォローされている良記事。

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2022年01月01日

2021年コンテンツ回顧

 過去のエントリーを遡って確認してみたが6年ぶりらしい。前回2015年は社会人1年目の終わりでした(遠い目)
 いつも通り、今年リリースされたものからの選出なので旧作は含まず。こちらもいつも通り3つずつ選んでるけど順不同です。順不同のベスト3といったところでよろしくどうぞ。


●小説
1.乗代雄介『旅する練習』講談社
2.サニー・ルーニー『カンバセーションズ・ウィズ・フレンズ』早川書房
3.カン・ファギル『別の人』

旅する練習
乗代雄介
講談社
2020-12-28


カンバセーションズ・ウィズ・フレンズ
サリー ルーニー
早川書房
2021-09-02


別の人
カン・ファギル
エトセトラブックス
2021-08-26



●ノンフィクション
1.郝景芳『人之彼岸』早川書房
2.鈴木忠平『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』文藝春秋
3.ケイト・マーフィ『LISTEN』
次点:『現代思想2021年9月号:特集=<恋愛>の現在』、『ユリイカ2021年11月号:特集=綿矢りさ』





LISTEN――知性豊かで創造力がある人になれる
ケイト・マーフィ
日経BP
2021-08-05







●社会科学
1.マイケル・フリーデン『リベラリズムとは何か』ちくま学芸文庫
2.アン・ケース&アンガー・ディートン『絶望死のアメリカ』みすず書房
3.山口慎太郎『子育て支援の経済学』
次点:濱口桂一郎『ジョブ型雇用社会とは何か:正社員体制の矛盾と転機』岩波新書

リベラリズムとは何か (ちくま学芸文庫)
マイケル・フリーデン
筑摩書房
2021-03-12


絶望死のアメリカ――資本主義がめざすべきもの
アンガス・ディートン
みすず書房
2021-01-18


子育て支援の経済学
山口 慎太郎
日本評論社
2021-02-15





●映画
1.『ひらいて』
2.『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』
3.『KCIA 南山の部長たち』
次点:『劇場版 きのう何食べた?』、『ファーストラヴ』

●音楽(アルバム)
1.あたらよ『夜明け前』


2.Pastel*Palettes 「TITLE IDOL」


3.Hakubi「era」


次点:Awesome City Club「Grower」


次点:ユアネス「6 cases」
6 case
HIP LAND MUSIC, FRIENDSHIP.
2021-12-01



●音楽(楽曲)
1.Homecomings「Here」


2.フィロソフィーのダンス「テレフォニズム」


3.武藤彩未「SHOWER」


次点:にしな「ヘビースモーク」


 にしなはこのライブ映像がかなりよいので置いておく。



次点:ヨルシカ「春泥棒」


 ヨルシカも公式がライブ映像の一部をアップしている。配信で見ていたが、そういえばこのライブも今年だったな。



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2021年12月19日

まどろみとさみしさ ――『へウォンの恋愛日記』(韓国、2013年)



見:Jaiho

 前回『自由が丘で』を見たのに引き続いてJaihoでホン・サンス作品を見てみた。本作も『自由が丘で』といくつか共通していて、ドラマチックなことは起こりそうにない日常の中である男女の恋愛の風景が描かれている。その中では書くこと(今回は日記、『自由が丘で』では手紙)が反復されるし、日記も手紙もいずれも主観的な記録なため、事実関係や時系列は非常にあいまいだ。この映画でも、あいまいなものはあいまいなまま説明しすぎず、静かに時間だけが流れてゆく。

 へウォンは演技を学ぶ学生という設定で、彼女は所属している映画学科のゼミの教授と不倫関係にある。いい加減この関係を終わらせたいと思いながら、冒頭でカナダに行くことになったと語る母と離別する寂しさを埋めるために、教授との逢瀬を選んでしまう。そしてある日同じゼミの学生たちにバレそうになるのだが(おそらく明らかにバレている)、うまくごまかしながら関係を終わらせられず、時間だけが流れてゆく、という筋書きだ。

 そうした日々の記録をへウォンは定期的に日記に書き記そうとする。日記を書くのはいつも同じテーブルで、もしかしたら時間も決まっているのかもしれない。そして日記を書こうとするたびに彼女はなぜか眠くなり、机に伏してしまう。ある時に唐突に目覚めるシーンも何度か描かれているが、彼女が眠ってから目覚めるまでの間に映画が映し出す光景はいったい事実なのか虚構(夢の中の願望)なのか、容易には見分けがつかない。

 『自由が丘で』でホン・サンスは「手紙の順番がわからないが、とりあえず一枚ずつ読む」という方法で映画の中の時系列を混乱させた。最初から登場していた人物が、途中からはさも初めて登場したかのように振る舞うことがあったため、視聴者にもこうした混乱は具体的に伝わっている。他方で今回の場合、夢を見ているへウォン自身にはそれが夢か現実かの判断がつかない。視聴者はいずれもを見ることができるが、やはりはっきりと断定はできない。(これは明らかにうまくいきすぎだろうという展開ならば夢だと判断できるため、まったくわからないわけでもない)

 へウォンの中にあるさみしさが具現化する願望(夢)と、決着をつけなければならない展開(現実)との相関の中で、視聴者は彼女の心理状況を追体験する。いわば「寝逃げ」でリセットしたい気持ちと、消えてくれないさみしさの中で彼女の向かう先を、じっとみつめることができるのが視聴者の特権だということだろう。虚実ないまぜのまま進む、日常を。

ヘウォンの恋愛日記(字幕版)
イェ・ジウォン
2015-06-15



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2021年12月01日

理解されないから、衝動が乱反射する ――『ひらいて』(2021年)



見:イオンシネマ綾川

 綿矢りさの近年の作品では傑作の部類に入ると言ってよいし、2010年代の彼女の飛躍作でもあると思っている。駆け込みで劇場に行ったおかげで、原作を読んだ時の感慨を久しぶりに思い出すことになった。文藝誌『新潮』に一挙掲載だった原作を大学図書館で読んでうおおお、と悶えた記憶がある。2012年の春のことである。気づけば大方10年前の話だ。

 主人公の愛、愛が片思いをしているたとえ、そしてたとえの彼女である美雪。この3者関係が軸となっているのは原作と同じだが、学校とその周辺が舞台になっているだけあって、学校の同級生や先生、またそれぞれの親との会話など、主役3人の生活がより立体的に見えるなと感じた。文化祭に向けたアイドルダンスの練習で始まる冒頭は、今風の女子高生の日常を象徴的に映し出していると言える(楽曲はオリジナルのようだが、明らかに坂道を意識している)。アイドルダンスは一体感とルッキズムの象徴とも言えるので、地味な雰囲気の美雪や、チームワークが苦手な愛がそうした活動になじめないことも、早い段階から予見されているという意味でも象徴的な冒頭のシーンになっている。

 たとえの存在感も、原作よりはくっきりとしている。愛がみつめるたとえ、そして美雪が手紙をつづる相手としてのたとえ、二人の同級生から見つめられながら、しかしその内心は誰も知らないんじゃないかという、曖昧な存在としてのたとえを、ジャニーズJr.の作間龍斗が好演している。少しイケメンすぎるきらいはあるものの、学校でのたとえはほとんど常に表情を崩すことがなく、思考や感情が外に漏れないように見せるキャラクターとしてのたとえを違和感なく演じているのはとてもよかった。普段が普段なだけに、たとえの家を二人が訪問する終盤のシークエンスでは、普段と違ったたとえを演じることにも作間は成功している。

 美雪もまた、愛の視点からすると「よくわからない同級生」だ。美雪がたとえに渡した手紙を愛が盗み見ることで、美雪とたとえの関係に愛は気付く。その発見の後、愛はたとえを攻略することをいったん中止して、愛を攻略しようとする。しかしながら、たとえがそうであるように美雪もまた、一見してよくわからない上に、近づいてもよくわからない存在なのだ。だから愛は時に強引に攻めるというスタイルをいとわないわけだが、そうして身体の距離が近づいたところで、逆に感情のわからなさに愛は苦しむ。人間の心は、物理的に近づけば開くというほど単純なものではない。

 もっともこれは逆から見ても似たような構図だと言える。たとえは愛のことをよくわかっていないし、美雪もまた愛のことをよくわからない。二人とも、そのわからなさを愛に伝えているが、愛からするとなぜ二人が自分のことを理解しないのかがわかっていないのだ。美雪は愛の強引な姿勢と、それが純粋な恋愛感情に基づかないことをおそらく早いうちから察している。

 それでも美雪が愛を受け入れるのは、自分自身の寂しさゆえでもあるだろうし、たとえとの関係があるからだ。美雪は自分とたとえの関係が、愛とたとえの関係に比べて圧倒的に優位であることを知っている。だから愛にどれだけ攻められても、心を完全に許すことはない。自分の性欲を自覚しつつ、その欲に完全に流されることはない。だから、たとえとのプラトニックな関係を数年間にわたって継続することができているのだ。こうした時間の流れを、愛は頭でなんとんく理解していても、腹落ちするほどには理解できていない。

 愛はまた、自分が親や教師にも理解されてないことを知っている。周囲から見たら容姿端麗で、リーダーシップもあり、成績も良好だという評価を受けているようだが、それは彼女の本質ではない。自分の本質をわかってほしいのに、理解されない苦しさ。乱反射、とはパンフレットに掲載されていた山田杏奈の言葉だが、自分自身が誰にも理解されてない、それでもわかってほしいし、自分自身をさらけ出したい。そうした様々な欲求が(強引に)乱反射することで、「ひらいて」ほしいというメッセージを送り続ける。

 原作でも映画でも非常に愛はやっかいな存在で、監督である首藤凛の助言を受けながら愛のことを辛抱強く理解しようと山田杏奈はつとめたようだ。対して美雪は、一見よくわからない薄い存在だが、愛が美雪に接近すればするほど、美雪の芯の強さが際立つことがよくわかる。愛はきっとこの美雪の内面の強さが悔しかったのだろうな、だからこそ、衝動を発露するやり方が強引になってしまったのだろう。実はめちゃくちゃ不器用な愛の存在が、最終的には愛おしいとも思えてしまう、そういう愛を山田杏奈は本当に巧みに、粘り強く演じることができていると思う。

 愛は誰にでもできるような役柄では絶対ないので、原作ファンとしては山田杏奈の好演、熱演が、何よりとてもうれしかった。

ひらいて(新潮文庫)
綿矢 りさ
新潮社
2015-07-24




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