克服できない孤立と、印象的な夏の終わり ――『オスロ、8月31日』(ノルウェー、2011年)静かな夏、追憶と癒しの旅 ーー『サマーフィーリング』(フランス、2019年)

2021年10月02日

伝統や慣習を蹴飛ばして急展開で進む恋愛関係の複雑さ、面白さ ーー『高慢と偏見』(イギリス、1995年)

#1
2018-11-18


 今年は意識的にジェイン・オースティンの長編小説を読み進めているわけだが、彼女の作品は繰り返し映像化されており、中でも1940年に映画化されて以降、繰り返し映像化されているのが『高慢と偏見』である。最近では『プライドと偏見』という邦題で映画化されており、こちらもプライムビデオで視聴することができる(わたしはまだ見てないのでいずれ)。

 さて1995年にBBCによって映像化された本作は、全6話と日本の連続ドラマに比べるとそう長いわけではない(映画よりはボリュームがあるが)。故に序盤はある程度小説に沿って進むものも、中盤以降(ウィッカムやコリンズが登場してから)は急展開と言ってもいいほどハイテンポにストーリーが進展していく。故に重要なのは細やかな心理描写というよりも、個々の人間関係における駆け引きに焦点が当たっていくことになる。

 ここで言う駆け引きは単に恋愛関係における感情の綱引きではなくって、当時の結婚観や身分、言わば伝統や慣習といった制度的なものに制約された駆け引きだ。例えばベネット家のベネット夫人は原作から飛び出たほど豪快かつおしゃべりでおせっかいであり、冒頭のビングリーに対する反応はコメディかと思うほど大騒ぎをする。

 他方で、ダーシーの印象の悪さや、ウィッカムと駆け落ちした末娘リディアに対する厳しい反応も、ちょうど反転させた程度には大袈裟である。姉妹たちの父であるベネット氏は娘の行く末にさほど関心はないが、関心がないがゆえにエリザベスを擁護するという夫婦間のちぐはぐさはドラマの中でも皮肉を込めて描写されていた(ただこのちぐはぐさがエリザベスとダーシーのドラマを用意するとも言えよう)。

 とはいえそういった周囲の反応(末娘リディアの反応もなかなかである)が姉ジェインや、主人公エリザベスに戸惑いを与える。今とは比較にならないくらい女性の地位が低く、恋愛や結婚も個人の意思より家族親族など周囲の思惑が大きな影響を与える。しかしだからこそ、ジェインとエリザベスはそうした周囲の反応もうまく利用しながら、かつ自分の意思を大事にする。結婚という、自分にとっての幸せを探すために、である。

 最終話、あと15分ほどでドラマが終わろうかと思うとき、つまりもうエリザベスとダーシーが相思相愛であることを確認しているにも関わらず、ある親族のおばさんがエリザベスに対してこの結婚は反対だ、と面と向かって突きつける。なかなか、このドラマらしい展開だなあと思うとともに、最後までエリザベスのエリザベスらしさ、つまり周囲がどう思おうと自分の意思を貫く強さ、独立した個人としての女性といった側面が強調されている。現代の視点でジェイン・オースティンを読むときにフェミニズム的だと評価されるのは、こうした女性個人の意思をオースティンが強く描いたからでもあるだろう。

 「私は自分の幸せを考えて行動します」こう言い切るエリザベスの気持ちは、普段は控えめで賢い長女を演じるジェインにも共有されているはずだ。たびたびパジャマ姿で寝室で二人が語り合うシーンがドラマの中に登場するが、周囲のあれやこれやから逃れてプライベートかつ率直な会話を楽しむ二人のシーンには、シスターフッド的な妙味も感じられる(実際の姉妹に対してシスターフッドという形容が正しいかはよくわからないが)。やはり現代に見直しても面白いのがジェイン・オースティンである。



 小説の書評をmediumに掲載しているのでこちらもどうぞ。

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