Days

日常と読書日記。 受験生日記は閉幕です。



 『スコーレ No.4』に続いて2冊目の宮下だったが、思いの外面白かった。ちょっと『スコーレ』に近い筋なんじゃないかと思うが(小さな挫折と小さな成功を繰り返して主人公の女性が自信を得ていくあたりとか)描写の仕方や文体には大分差異があるが、柴崎友香を読んでいるように宮下奈都を読んでいる部分もあるかもしれない。かもしれない、というのはまだ2冊しか読んでいないし、柴崎とは共通点よりも差異のほうが多いので、あくまで個人的な所感にとどまるだろうなとは思うけれども。

 譲さんとの結婚が直前で破談になってしまった明日羽は失意の中の日々を送っていた。二人で住む住居も、新婚旅行のプランも決まっていた中での破談の理由は作中で(断片的には言及されるものの)明らかにされない。そんな中、叔母のロッカさんにヒントをもらう。それはドリフターズ・リストという、簡単に言えばやりたいことリストを作れ、という指示だった。最初はリストの作成に悩みながらも日常を少しずつ回復していく中で、美容師の京さん、あとは整体の人であったり、他者の存在に助けられていく。ここがかなり重要で、他者との関わりやコミュニケーションの中で主人公である明日羽の中にある何かが少しずつ触発されていくのだ。

 明日羽にとっていくつかのターニングポイントがあうが、まず大きなのは京に会うために髪を切りに行くことだろう。就業後のカットモデルという役得を利用し、髪を切った姿を翌日職場にさらすシーンの心理描写がおそらく宮下が書きたかったことの一つであるはず。つまり、これはのちのち同僚であり友人でもある郁美から指摘されることでもあるのだが、リストの消化自体が重要なのではない。リストを消化していくというステップを通じて、譲との結婚生活を考えていた明日羽を現実に自然な形で引き戻すとともに、かつ新しい日常に軌道を載せていくための道具としてドリフターズ・リストはうまく機能している。そしてもちろん、小説全体の展開の軸にもなっている。 

 もう一つ、この髪を切るという行為は明日羽も作中で実際に予感したように失恋を想起させやすい。ただ、明日羽はあくまで京という一人の男性に、ある程度の好意とリストの消化という二つの要因を抱えて会いに行った。髪を切るという行為や、切られた髪は単なるプロセスの帰結でしかない。しかし、その単なるプロセスの消化が明日羽を前進させるきっかけにはなっているし、明日羽はしだいにリストそのものに書かれたではなく、自分自身の欲求を取り戻していく。何をしたい、誰と会いたい、そして自分はこうなりたい、と言った風に。
 
 終盤に明日羽が会社のプロジェクトチームへの参加を打診され、考えた末に誘われたプロジェクトに参加するというエピソードが書かれる。このエピソードではまず明日羽に対する期待が示され、明日羽自身の自信や仕事への思いが描写されていく。小説の前半から中盤にかけては仕事や職場に対する不安ばかりが書き込まれ、仕事を辞める手前まで気持ちが動いていた明日羽だったが、終盤では非常に対照的だ。そしてこのエピソードがもっとも『スコーレ No.4』と類似しているように思う。

 ありていに言えば回復、再生、成長といった言葉が思い浮かぶ。しかしそれ以上に意識したのは冒頭に書いたような柴崎友香との類似、つまりどこにでもいそうな一人の女性の生活を書き込むことで彼女が立っている場所、あるいは生きている時間の意味を問い直していくようなスタイルが印象的だった。柴崎よりもよほど読みやすく分かりやすく具体的な文章を書く宮下は場合によっては過剰あるいは過少な柴崎の文章とは違って、多くの人に共感を得られやすいだろう。個人的にはもう少し、宮下なりの味を文章や文体に出していっても面白いのかもしれないと勝手な期待をしている。


※元となったのは2014年夏頃に書いた文章。最新作『羊と鋼の森』が本屋大賞を受賞したことを記念して今回アップロードしました。

羊と鋼の森 (文春e-book)
宮下奈都
文藝春秋
2015-10-02




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