フラート、クワロマンティック、重要な他者 ――「恋愛関係の外側に位置する親密さ」を構想する(1)2021年10月〜11月に言及した情報まとめ #深夜の図書室

2021年11月26日

制度としての恋愛と結婚、マミートラックと雇用慣行を考える ――「恋愛関係の外側に位置する親密さ」を構想する(2)



 前回の続き。前回は恋愛結婚の歴史の話を最後にしたわけだが、これはネガティブでもポジティブでもなく、単に近代化によって時代が進むにつれて恋愛結婚が増えてきた、ということを振り返っただけだ。こういうタイトルでものを書くと恋愛や結婚を否定しているとも解釈されるかもしれないが、そういうわけではない。

 あくまで自分が考えたいのは、既存の恋愛や結婚の形は否定しないが、その上でもっと自由で多様だったほうがよいのでは、という問いである。しかしながら自由や多様と言ったところで、抽象的である。したがって、自由や多様が意味するところの具体的な形を構想していく必要があるのではなかろうか、というのが先ほどの問いから生まれる、もうひとつの問いである。基本的には最初から最後までこの二つの問いについて考えていきたい、ということを第2回の冒頭に記しておく。(順番が遅い、というツッコミはとても正しい)

 今回は、前回少しだけ触れたマミートラック問題について改めて考えてみたい。これはつまり、日本の雇用慣行と保育の社会化の限界が婚活に大きな影響を与えているのではないかと解釈している。とりあえず最近読んでいる濱口桂一郎のこちらの本を参照したい。

働く女子の運命 (文春新書)
濱口桂一郎
文藝春秋
2016-01-15





 この本の第4章「均等世代から育休世代へ」でマミートラック問題や育休世代のジレンマ問題(中野円花)が議論されている。濱口の説明によると、マミートラックとは「出産後の女性社員の配属される職域が限定されたり、昇進・昇格にはあまり縁のないキャリアコースに固定されたりすること」(前傾書、p.220)とされている。

 濱口が提案するのは以下のようなことだ。日本には労働時間の柔軟性を導入する第二次ワークライフバランスが活況だが(育休や時短勤務。最近だと在宅ワークの導入もこの流れにあるかもしれない)第一次ワークライフバランスが存在しない。この第一次ワークライフバランスとは、労働時間の硬直性である。pp.231-232でEUの労働時間指令が紹介されているが、具体的には毎日の休息時間、毎週の休息時間、最長労働時間といった休息や労働についての規定のことだ。

 濱口によるとEUの28か国の法律にはこのような規定が入っているが、もちろん日本には存在しない。むしろ36協定などで無限に働き続けてきたのが日本である。この本の出版以降、超過勤務は月45時間などといった規定が導入されてきたが、これでも残業を含めて週48時間労働が規定されている先ほどの労働時間指令に比べると、はるかに長い。勤務間インターバルの議論もこの本の出版以降は時々耳にするが、法制化にはほど遠いだろう。

 さらに提案しているのは、男女ともに無限定ではない働き方を導入することだ。そもそも、「女性活躍」という言葉をやめようと濱口は語っている。なぜならばすでにマミートラックは定員オーバーであり(都市部の保活地獄を見ると確かにその通りだろう)、従来の男性中心的な総合職トラックにマミートラックを付加するような仕組みにそもそも限界があるという指摘をしている。そして、それは女性の労働スタイルを変えるというよりは、男女ともが利用できる無限定ではない労働スタイルを構想したほうがよいのでは、という提案だ。ワークライフバランスの観点を踏まえても男性は男性で総合職トラックで限界を迎えているのは様々指摘されているし、このあとに紹介する筒井のいう「共働き社会」と総合職トラックは相性が良いとは言いづらい。

 とはいえ、以下のような指摘もまた事実だろう。結婚や出産と日本の雇用慣行は相性が悪いまま魔改造されていくことがよくわかる(とてもつらい)。

 残念ながら、今日まで限定正社員、ジョブ型正社員に関する議論は結構盛んに行われているにも関わらず、それはほとんどもっぱら職務限定正社員や勤務地限定正社員であり、それゆえにまた解雇規制との関係でその是非が熱っぽく議論されているのですが、ワークライフバランスを確保するという観点からの時間限定正社員という議論は、あまり関心の対象になっていません。そのこと自体が、この問題へのバイアスを示しているように思われます。(p.239)


 また、筒井淳也『仕事と家族 日本はなぜ働きづらく、産みづらいのか』第3章「女性の社会進出と『日本的な働き方』」の中で、以下のように書いている。
 日本の置かれた現状からすれば、とりうる道は限られる。日本の直面する大きな課題は、長期的な労働力不足、社会保障の担い手不足である。この問題を緩和するためには、出生率を上昇させる、女性の労働力参加率を上げる、外国人労働者を受け入れるといったことが必要になる。第2章で指摘したように、女性が長期的に働き続けられる見込みが得られる「共働き社会」を実現することができれば、出生力と女性の労働力参加率をともに高めることができる。そして共働き社会の条件として、これまでの男性的な働き方、つまり無限定な働き方を制限すること、外部労働市場を活性化させること、職務単位の働き方を拡充させることが必要になるだろう。(筒井(2015)、p.118)




 筒井は濱口や熊沢『能力主義と企業社会』の議論を引きなつつ少子化や労働力不足の話もしている(たとえば最後の職務単位の働き方は、濱口のいうジョブ型の議論を利用していると言えるだろう)わけだが、マミートラック問題をいかにして克服するかという着眼点は濱口とも近いものがある。

 さて、濱口と筒井がいずれも2015年に刊行した新書において、それぞれがマミートラックに触れている部分を紹介してきた。マミートラックとこの連載のいう、「恋愛関係の外側にある親密さ」では関係がないのではないか。それは結婚したカップルの話ではないか、と思う人もいるだろう。しかしここで重要なのは、マミー、つまり「子育てをする母親」と雇用慣行の相性の悪さなのである。もはや言うに及ばずだが、日本のシングルマザーの平均所得かなり少ない部類に入る。これは、結婚した母も、離婚した母も、いずれもが同じようにマミートラックを走らされているからではないかと想定できる。これこそ、濱口の言う「働く女子の運命」、つまり、日本では女性であるというだけで雇用において不可思議とも差別的とも言える扱いを受けてしまうことの帰結である。

 しかしながら、離婚したシングルマザーは離婚する前よりも幸福度が高いという指摘を、神原文子による詳細な調査は示している。彼女の調査によると、離婚したくてもできない(「プレ子づれシングル」という言葉を神原は適用している)状態のほうが生きづらさを抱えると指摘することができるようだ。彼女の調査をした多くの女性たちは、離婚したことを後悔していないとも語っている。これは正規雇用の女性も、非正規雇用の女性にも見られる心理であるようだ。

 結婚(法律婚)とは「国家が承認する親密さ」であるが、現実には結婚したカップルの1/3は離婚を経験する。これほどの数字を示す現実においても、離婚は望ましくないという社会的な規範はいまだに強い。それでも、生きづらさが少しでも軽減したり、後悔しないという心理的な帰結をもたらすのであれば、「国家が承認する親密さ」から自由になることは、ひとつの重要な選択肢として機能しているのだろう。しかしながらマミートラック問題を克服しない限り、またすでに限界を迎えている保育の社会化を再構築しない限り、シングルマザーの貧困といった社会課題は容易に克服しえないのも事実だろう。経済的な問題は貧困だけでなく、健康状態にも悪い影響を及ぼすことは、COVID-19以降に女性の自殺者が増えているという事実からも改めて指摘しておきたい。


 
 「恋愛関係の外側に位置する親密さ」を構想するために今回はあえてその内側に潜ってみたが、後半にのべた結婚→離婚というベクトルを見ると内と外はやはりひと繋がりのあるものだとも言えるだろう。今回は雇用慣行や離婚について焦点を当ててきたので、次はいよいよ結婚について考えていきたいと思っている。(あくまで予定なので変更の可能性はあります)


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