何もないようで、小さな何かが起こり続ける ――『自由が丘で』(韓国、2014年)制度としての恋愛と結婚、マミートラックと雇用慣行を考える ――「恋愛関係の外側に位置する親密さ」を構想する(2)

2021年11月25日

フラート、クワロマンティック、重要な他者 ――「恋愛関係の外側に位置する親密さ」を構想する(1)

 恋愛の外側、つまり友達以上恋人未満の感情や持つ異性との関係性について、少し前から考え続けている。以前、桃山商事のイベントレポート記事(詳しくは以下のリンクを参照)で「フラート」という概念を知ったとき、これはなにかに使えるかもしれないなとは感じていた。



 「フラート」とはこの記事によると、「友達以上恋人未満の関係を楽しむ」とか「恋の戯れ」といったところらしい。はっきりとした恋愛関係ではないものの、限りなくそこに近いものとして。あるいは、あらかじめそうではないと割りきった上で楽しむ(戯れる)ような関係、とでも解釈をした。日本語の文脈にある「友達以上恋人未満」という言葉には、「恋愛関係にはなりたいけどなれないもどかしさ」が内包されているイメージだが、「フラート」だともう少しこの文脈を脱色して、「別に恋愛関係にならなくてもいいのでは」「恋愛関係でなくても、恋愛のような関係を結んでもいいのでは」というカジュアルさを感じた。

 とはいえ、これでもやはり「恋愛関係とそれ以外」という形で恋愛関係が基準になっているもどかしさもあった。このもやもやをもう少し深掘りしてくれるかもしれない概念として、「クワロマンティック(クォイロマンティック)」なるものがあることを、『現代思想』2021年9月号におけるレロ(中村香住)の論考で知ることができた。彼女とは学生時代以来、ゆるく関係を続けているがこうした形で彼女の議論に着目する機会が来るとは、なかなか人生面白いものだなとも感じる。
 

 このツイートに続くスレッドで彼女が説明しているように、ギデンズの概念がベースにあることが指摘できることや、そこからさらに先ほどの概念を発展させて「重要な他者」という構想を提示している。この構想は、ただの友達でもなければ恋愛関係にもない、だが特別な意味を持つ他者を指す際に有効なのではないか、というのが彼女の主張だ。

 今の自分が保持している親密さにとってフラート、クワロマンティック、重要な他者といったワードのいずれが有効なのかは正直まだよくわからないが、「恋愛関係の外側」を位置する概念や構想と複数出会うことができたのは、自分の気持ちを軽くしてくれているなと思う。以前からすでに型にはまった親密な関係性を示す言葉(恋愛、結婚など)にずっと違和感があった。

 学生時代のある時期から女友達が少しずつ増えていった。高校は文系クラスの半分以上が女子だったので、彼女たちとの関係を作ることは自然と必要だった(そうでないと疎外されるかも、というおそれもあった)。そうして関係をつくっていった女友達やクラスメイトの中には、恋愛感情ではないけれど、普通の友達以上の感情を持っていた人も何人かいた。そうした女友達(男ではない、くらいの意味であえて女友達という表記にしておく)との関係性の遍歴を振り返ったり、いま自分が保持している親密さを考えた時に、やはりこういった関係性いついてきちんと言語化していたいなと思ったのだ。

 先ほど挙げた『現代思想』の巻頭対談(高橋幸+永田夏来)において、現代の若者のほうが結婚観が保守化、コンサバ化しているのではないかという指摘がされていた。昨今の婚活、妊活、あるいは保活の動向などを見ていても、いい人がいればいち早く結婚、出産をして仕事に復帰し、子育てと自分の生活を両立していきたいという若い世代は確かに一定数存在するなと思う。(マミートラック問題を踏まえると、こうした戦略をとるカップルが存在するのは妥当だと言えるだろう)

 そうした現代的な、つまり男女共同参画とワークライフバランスが融合した世界観において、結婚や出産は一定程度所与のものとして語られがちである。もちろん、積極的にDINKSを選ぶカップルもいるし、出産したくてもできずに不妊治療に長い時間をかけるカップルもいるから出産は必ずしも所与とは言えないが、「結婚したらいずれ子どもを持つものだ」という社会規範はまだまだ強い。

 どんな時代においても社会規範は一定の影響力を持つので、規範から完全に自由になることは現実的には難しい。ただ、ここ10年くらいの間にセクシャル・マイノリティの存在が一気に可視化されたり、多様性やダイバーシティという言葉が一気に流通したことを考えると、さすがにもうそろそろ「みんないずれ結婚して子どもを持つものだ」という規範から自由になってもいいのではないだろうか、と思っている。

 これは加藤秀一が詳細に提示していることであるが、そもそも日本において「恋愛」という概念すら非常に新しい。そもそもが近代化にあたって輸入した概念でありる。また、「恋愛結婚」の広がりはそもそも戦後のトレンドであって、私たちの親世代(戦後〜1960年代生まれ)が従来の見合いや縁組といった方法を超えてようやく手に入れたスタイルである。



 すでに先行研究(?)の紹介だけで分量が長くなったので続きは別の機会に改めて言語化したい。ここまでレビューしてきたことや自分自身の経験的な事実を踏まえながら、「恋愛関係の外側に位置する親密さ」についてもう少し丁寧に考えていきたいと考えている。

 あと、この文献読んだらいいよとか、こういう概念や構想があるよっていう情報をいつでもお待ちしておりますのでご存じの方はぜひ教えてください。 

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burningday at 19:08│Comments(0)essay 

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