Days

日常と読書日記。 受験生日記は閉幕です。



見:Jaiho



 Jaihoという映画配信サイトで今日まで配信だということを知り、急いで見てみたがとてもよかった。この映画には夜のシーンが多く登場するので、深夜に見たのはとても心地が良かったのかもしれない。女と女の関係性を描く映画だと言ってしまうのは単純かもしれないが、その描き方が好きな映画だったからよかったと素直に言えるのだと思う。

 主人公のチャヨンは31歳。冒頭、公務員試験予備校の講義を受けている様子が流される。ミクロ経済学やマクロ経済学といったワードを聞くと、27歳まで公務員試験を受けていた過去の自分のこともいくらか思い出されるが、日本以上に若者の就職が厳しい韓国ではまた違った重みがあることだろう。しかも31歳で女性となると、である。結果的にチャヨンは試験を放棄し、データ入力のアルバイトを始める。そのバイト先でもまた就職にあぶれた若者たちが何人もいて、休憩時間にインターンはどこにいく? という会話をしている。

 こうした現実に直面するチャヨンがある日、外でひとり酒を飲んでいたところ颯爽と通りかかったのがヒョンジュだった。ランニングウェアを身にまとった彼女は、チャヨンの落とした缶を拾うと、再び颯爽と駆けていく。その姿に見とれていたチャヨンは、思い立ってランニングを始める。そしてヒョンジュたちと同じランニングサークルに入り、一緒に練習を行うようになる。
 
 ランニングを通じて関係が深まり、現実とも向かい合っていくようになる・・・というような筋書きではおそらくない。ランニングはいくつかの意味でメタファーである。まず、自分を鍛えることである。自分の心と体を鍛える手段として、偶然目の前に現れたのがランニングであり、ヒョンジュだった。ヒョンジュがダンスをしていたらチャヨンもダンスをしていたかもしれないし、ヒョンジュがギターを弾いていたらチャヨンはギターを覚えようとしたかもしれない。また、ランニングを始めたからと言って現実はそう簡単に好転していかない(つらい)。

 ただこれは個人的にも(市民ランナーの一人として)感じることだが、現実から逃げるための手段としてランニングというものは非常に便利だ。まず、楽器などと違って始めやすい。シューズと、ちょっとしたウェアさえあればよい、最低限の。そして、走っている間は無になることができる。

 ランニングの場面ではチャヨンとヒョンジュが併走したり、前後を走るシーンが繰り返し映像に登場するが、二人はほとんど会話を交わさない。唯一会話が弾んだのはヒョンジュの部屋を訪れ、一緒に酒を吞みながら理想のセックスについて語らった時だろう。これ以外の場面で二人は自分のことを多く語らない。そして、互いに相手をよく知る前に、別れは訪れてしまう。

 その別れの場面がいささか唐突すぎて戸惑いを覚えてしまう。ただ、ヒョンジュがいなくなったからこそ改めてこの映画はチャヨンに問うてくる。どう生きるのか。人生をどう「走る」のか。ここに来るとランニングが持つメタファーが、別の次元へと移行していくことに気づかされる。社会の中では置き去りにされているチャヨンだとしても、年の離れた妹は彼女を慕っている。

 相変わらずチャヨンは多くを語らないし、彼女の人生は順調にはいかない。それでも、いやだからこそなのか、時間を作って一人夜の街を走る。走ることで手に入れた身体感覚と、ヒョンジュとの関係性を自分の身体に刻んで走り続ける。走ること自体に大それた目的はいらない。酒を飲むために運動する、でもよい。そう笑いながら語っていたヒョンジュのことを、彼女の背中や肌のぬくもりをチャヨンは繰り返し思い出して、そして時間が経ったころに忘れていくのだろう。それが残された者の、一つの役目かもしれない。

 最後、一人高級ホテルのソファに寝転んだままどこか遠くを見つめるチャヨンの姿は、とても美しかった。
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