Days

日常と読書日記。 受験生日記は閉幕です。



見:Jaiho

 前回『自由が丘で』を見たのに引き続いてJaihoでホン・サンス作品を見てみた。本作も『自由が丘で』といくつか共通していて、ドラマチックなことは起こりそうにない日常の中である男女の恋愛の風景が描かれている。その中では書くこと(今回は日記、『自由が丘で』では手紙)が反復されるし、日記も手紙もいずれも主観的な記録なため、事実関係や時系列は非常にあいまいだ。この映画でも、あいまいなものはあいまいなまま説明しすぎず、静かに時間だけが流れてゆく。

 へウォンは演技を学ぶ学生という設定で、彼女は所属している映画学科のゼミの教授と不倫関係にある。いい加減この関係を終わらせたいと思いながら、冒頭でカナダに行くことになったと語る母と離別する寂しさを埋めるために、教授との逢瀬を選んでしまう。そしてある日同じゼミの学生たちにバレそうになるのだが(おそらく明らかにバレている)、うまくごまかしながら関係を終わらせられず、時間だけが流れてゆく、という筋書きだ。

 そうした日々の記録をへウォンは定期的に日記に書き記そうとする。日記を書くのはいつも同じテーブルで、もしかしたら時間も決まっているのかもしれない。そして日記を書こうとするたびに彼女はなぜか眠くなり、机に伏してしまう。ある時に唐突に目覚めるシーンも何度か描かれているが、彼女が眠ってから目覚めるまでの間に映画が映し出す光景はいったい事実なのか虚構(夢の中の願望)なのか、容易には見分けがつかない。

 『自由が丘で』でホン・サンスは「手紙の順番がわからないが、とりあえず一枚ずつ読む」という方法で映画の中の時系列を混乱させた。最初から登場していた人物が、途中からはさも初めて登場したかのように振る舞うことがあったため、視聴者にもこうした混乱は具体的に伝わっている。他方で今回の場合、夢を見ているへウォン自身にはそれが夢か現実かの判断がつかない。視聴者はいずれもを見ることができるが、やはりはっきりと断定はできない。(これは明らかにうまくいきすぎだろうという展開ならば夢だと判断できるため、まったくわからないわけでもない)

 へウォンの中にあるさみしさが具現化する願望(夢)と、決着をつけなければならない展開(現実)との相関の中で、視聴者は彼女の心理状況を追体験する。いわば「寝逃げ」でリセットしたい気持ちと、消えてくれないさみしさの中で彼女の向かう先を、じっとみつめることができるのが視聴者の特権だということだろう。虚実ないまぜのまま進む、日常を。

ヘウォンの恋愛日記(字幕版)
イェ・ジウォン
2015-06-15

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