2019年12月の保有資産&2020年展望痛快かつ超教育的で、限りなくヒューマニティ ――『セックス・エデュケーション』ファーストシーズン(イギリス、2019年)

2020年01月09日

不器用で仕方がなかった青春時代のこと ――『マイ・ビューティフル・デイズ』(アメリカ、2016年)



 マイ・ビューティフル・デイズ。そのまま訳すと「私の美しい日々」といったところだろうけれど、実際の映画は思ったよりキラキラしたものではなく、むしろ思春期独特の、めんどうくさい感情といかに向き合えばよいのか、といった普遍的なテーマである。

 これを、あるクラスでの英語の授業風景(フィッツジェラルド『グレート・ギャッツビー』についての授業だった)から始まり、週末に少し遠いところで開催される演劇大会に参加する生徒3人と引率教師1人の人間模様を描いた、たった一週間、わずか90分弱のドラマとして表現するシンプルな映画だった。たぶんこれ以上引っ張ったりもう少し幅を持たせることもできただろうけど(たとえばサムはよくも悪くも「都合よく配置された」キャラクターにしか見えなかった)これはこれでいいのではないか、とも思う。

 一つは恋。不器用すぎるし、危険な香りしかしない恋。確かに10代の学生だったころ、少しだけ年上の女性教師がとても魅力的に思えたことはある。けれども、多くの場合実際には何もせず、内に秘めるだけの感情だ。だがティモシー・シャラメ演じるビリーは自分の感情を適切にコントロールできない。映画の中では行動障害という診断がついているが、具体的にはもっとメンタルのバランスの部分だったり、ADHD的な多動性だったりが絡んだ症状をビリーは見せる。それは狂おしくもあり、青くさくもあり、「こうすることしかできないんだ!」という情念そのもののように見える。

 それを結果的に受け止めてしまう教師のレイチェルにも危うさがある。校長からビリーについて事前に注意を受けている一方で、彼女が教師としてではなく個人としてビリーを受け止めてしまう瞬間があるからだ。もちろんこれはビリーにとっては高揚でしかない。けれども、教師としての正しさがあるとは言えない。ではどうすれば? 二人の関係はどうなる? 映画の中で残された時間がわずかな中で、落とし込んだ方向性はなるほどなと思った。

 つまりこの映画は、禁断の恋愛を描くものでもないし、かといって徹底的な断絶を描くわけでもない。人と人とが瞬間響きあう時があるということ。その瞬間には「正しさ」が入る余地がないということ。そうしたエモーションの高まりこそが、ある意味では青春と言ってもいいのかもしれないことだ。

 クラスのリーダー格的な優等生兼美少女でありながら、登場シーンはさほど多くないリリ・ラインハート演じるマーゴットの存在が非常に輝いている。彼女の存在は目立つし、華になる。しかし、彼女とて望んだものは得られない。何もかもが手に入るほど、青春は甘くない。ということと、付け加えて挫折に対してどう向き合うのか(いわゆるレジリエンス)が試されたとき、彼女の何気ない振る舞いがとても魅力的でいとおしく思えたのだ。不器用すぎるビリー、陽気だがマイペースなサム、危うい教師のレイチェルといった3人と比べると、一番安定感のあるマーゴットが輝くのは他者と関わる瞬間にあるのだなと。

 ビリーの演技の妖艶さは皮肉すぎるほど立派なもので、その天才肌のビリーを見て内心悔しい気持ちがあるだろうマーゴットの心情を思うとこれもまた青春の痛みがあるなと思う。けれども、最後は、最後だけは美しく。途中までの道のりがでこぼこすぎるのは、彼ら彼女らが不器用すぎるから仕方ない。でもまあ、青春ってそういうものだよね、といったある種の開き直りこそが、彼ら彼女らを本当に輝かせるのかもしれない。肩の力を抜いて、ただ、目の前の自分と誰かを見つめることができれば。

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