Days

日常と読書日記。 受験生日記は閉幕です。



見:Jaiho



 映画を見終えた後に検索をかけたら上記のインタビュー記事が見つかったのでGoogle翻訳をかけて読んでみたが、このインタビューでユン・ダンビ監督が試みようとしたことがかなりの部分ネタばらしされているなと感じた。特に次の部分のやりとりは、この映画の核心をついているように思う。(訳文はGoogle翻訳からそのまま使ったので、文言がおかしい部分も残ってます)

――オクジュの視線で話が流れていく。玉州を通じてどんな話をしたかったのか。

ユン・ダンビ「この映画はオクジュの成長物語でもあり、オクジュが観察者としてこの家族を見ることもある。オクジュが感情の振幅が最も大きいため、この家族を眺める観客たちも振幅をよりよく感じることができると考えた。もし兵器が主人公なら、大人の立場で子供たちを見つめる視覚になるのではないか。視点の違いについての話もしたかった。オクジュが思春期を通過しながら感情の変化を経験し、結局ママへの懐かしさを認めるようになる。自分の感情を認めることで一連の過程を通過する物語を作りたかった。私も思春期の頃を大変に過ごしたので、その時期を過ごしている人物を扱いたかった」

 一人の少女の目線でつづられる物語。その小さな目線が、やがて大きな社会と接続していくダイナミズムも描いたのがキム・ボラの『はちどり』だったが、ユン・ダンビが『夏時間』の中でこだわっているのは徹底的な目線の小ささだろう。オクジュという少女の年齢すら明かされていないこの映画は(弟が一人いることは確かだ)夏休みのひとときを描いているため、『はちどり』と違ってオクジュが制服を着て学校に通う場面も出てこない。彼氏らしき少年は登場するも、ほとんど一瞬だ。

 そのため、ユン・ダンビが上記のインタビューで述べているように家族という最も小さいサイズの社会集団における、オクジュの成長物語なのである。翻訳だと「姉弟の夏の夜」というタイトルになっているが、英語タイトルは"Moving on"であり、どこにも夏というワードは出てこない。たまたま夏休みのひとときを描いただけで、夏であることはさほど重要ではなく、あくまでもmoving on、先に進んでいく人たちを描いたということなのだろうと解釈した。

 その夏の日々を、大人ではないまだ立場の弱い少女がどう見ていたか。まず一つ気づかされるのは、オクジュの母親の不在である。父親は最初からいるし、途中から父の妹である叔母も一家に合流する。そのため、主人公姉弟と、父と叔母の兄妹という、二つのきょうだいがほぼ同時に祖父の家に引っ越してくるというちょっと不思議な家族模様を映画は映しだしている。祖父の家や祖父にすぐなつく弟と違い、新しい生活への距離感を図りかねるオクジュ。そのいらだちが弟に向かってしまうのは、きょうだいを経験した人の共感を多く誘うだろうと思った。

 母は不在で、叔母は叔母でパートナーとの関係をこじらせているので大人としては物足りない。自分は姉だからしっかりしないといけないが、実際には複雑な感情が宿っている。一番はおそらく父に対してであるが、自分自身に対する感情も含んでいる。そうした「感情の振幅が最も大きい」オクジュを主人公に仕立てることにより、ゆったりとした展開で進む映画の中で、目に見えない心理的な揺らぎこそが重要なのだ(とりわけ少女にとって)ということを繰り返し観客に訴えているようにも見えた。

 不在が解決されればよいのだろうか。おそらくそうではない。オクジュがなすべきことは、目の前に起きる一つ一つの出来事や、自分の中に湧き上がってくる感情一つ一つと向き合うことなのだろう。全部を受け止められなくても、一つ一つを経験することで彼女は少しずつ成長していく。その過程を、気づけば観客が見守っている。大きな庭を持つ大きな家の中にある、小さな家族の小さな少女のmovingを、最後まで静かに見守ることのできる雰囲気を作り出したことが何よりこの映画のすばらしさだと言えるだろう。

夏時間(字幕版)
キム・サンドン
2021-09-15


 Jaihoでの配信はあと数日で終了するが、Amazonビデオでレンタルして視聴することは可能。夏が完全に終わったこのタイミングにぜひ。
このエントリーをはてなブックマークに追加

コメント

コメントフォーム
評価する
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • リセット
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • リセット