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2018年05月26日

2010年代の地方中核市で暮らすということ(労働編)

 東京時代の知人であるせしもくん(@seshiapple)から地方暮らしについての往復書簡みたいなのをネット上でやりませんか、という企画を提案されている。
 いまのところ決まっているのは、彼のnote上で彼と私の文章を交互に掲載していく、という形だ。長々と続けてもネタがお互い切れるだろうので、ある程度回数を区切った形での往復書簡になるだろう、というあたりまでは合意している。
 具体的にいつから、どのペースで進めていくかはまだこれからといったところなので始まったらこちらでも告知しようと思うが、その前に自分のこれまでの高松生活を仕事や生活という観点で改めて振り返ってみようと思う。
 少し前に前職でのワークスタイルについて振り返った記事は書いたが、今回はある組織内でどう振舞うかというより、高松のような地方中核市でフルタイムで働き、生活をするとはどのようなことなのかを、大学時代に東京を経由した目線も踏まえつつ振り返ってみたい。

 途中まで書いたら長くなったので、「労働編」と「生活編」に分けてお送りしたい。


◆仕事の面で良かったこと、悪かったこと

 まずは「高松で働く」という観点で良かったことと悪かったことを書いていきたい。
 肩書としては、書店員(約1年、アルバイト)と障害福祉サービスの支援員(約3年)で、計約4年(2014年〜2018年3月)。

〇良かったこと
・選ばなければ仕事はある
→香川県の正社員の有効求人倍率は1倍を常に超えている
・高松市内とその周辺地域の地理や交通に詳しくなった(そして運転の経験が積めた)
→いわゆる送迎業務も日常的に担当しており、それ以外でも車を運転する機会は多かった。ペーパードライバーからのスタートだったので、運転技術を仕事を通してあげられたのは意味がある。ハイエースまでのサイズなら乗れる。
・人間関係ができた
→高松にそもそも友だちはもはやいないので(仲のいい人はほとんどみな四国より外)飯を食ったり酒を飲んだりする相手がいるのは良いこと。
・実務経験が積めた(介護職員実務者研修を取得後、介護福祉士を取得)
→辞めるタイミングで国家資格を一つゲットできたのは、少なくとも悪いことではない。
・新卒ではない中で正規雇用として社会人を経験できた
→新卒での就活をまともにしなかった人間としては、なんだかんだこれがでかい。これがなければ現職へのステップアップも難しかった
・残業がほぼない
→きっちり8時間働いたあとにランニングをしてもまだ19時かそれより前という余裕はでかい。
・通勤時間が短い
→書店員時代も障害福祉時代も自転車で10分〜20分の距離だった。

●悪かったこと
・給料は安い
→福祉職の限界。これはそもそも期待していなくて、ステップアップのための時間だと割り切っていた。
・残業はないが休みは少ない
→これも福祉職あるあるだと思っていて、前職はまだ日祝休みという固定休があったが、そうでなければ(入所系の施設など)もっと精神的につらかったのではないか。
・人間関係が狭くかつ入れ替わりが激しい
→そもそも流動性の高い業界であり小規模事業所ならこれもよくある話。
→結果的に人手不足が常態化してマルチタスクにならざるをえない。

 といったところ。結果的にステップアップできたので、この3年ないし4年間については大きな不満はない。ないが、もちろんこの当事者であったとき、たとえば何も先がない書店員バイト時代はなかなか精神的に楽ではなかったように思う。仕事自体は楽しくやれていたと思うし、人間関係もまずまずだったが都市部でもそうであるように書店員の賃金は低く抑えられているので、貯金もほとんどできなかった。
 正規雇用になってようやく貯金はできるようになったがそれでも大学の同期と比べると低収入には違いなく初年度はワープアと言えなくもないほどの水準だった。やはりこの業界も低く賃金が抑えられているので待遇改善を抜本的にやらなければ人材が定着するわけではないのだ。
 福祉業界ではなく医療業界だが、以下のような取り組みがもっと幅広く行われてほしい。というかインセンティブという概念を知らない経営層が多すぎるのではという感じだし。





◆なぜ、何のために働くかということ

 自分はあくまでステップアップの期間と割り切って働いていたが(前職に入職する際にもいずれ公務員になるつもりだ、と伝えていたので退職がスムーズにできた)仕事自体を楽しめたのもでかかったかなと思う。まあ前職は楽ではなかったけど、現職のハードさに比べると牧歌的で懐かしくも思えてしまう。
 津田大介が一時期よく仕事を続けるには金、人間関係、やりがいの三つが大事だと言っていたが、1つ目がそもそも期待できない中3つ目は常に持てていたので、人間関係、要はここまで被雇用者の流動性が高くなければ福祉業界で働き続けるのは全然アリだったろうなと思う。
 あと、現職で仮につらくなって辞めたくなっても、短いながら前職でのキャリアと資格があるというのは、セーフティネットという意味では精神的にでかい。そこが学歴以外なにもないまま書店員をやっていたころとの違いだなと思う。

 これもステップアップと割り切ったからだが、「書店」も「福祉」も学生時代から興味のあった分野で、それぞれの中の人になれた、というのも自分にとっては意味があった。学歴を考えると低賃金に甘んじているように、少なくとも客観的には見えるしなんでわざわざこの仕事を、という話はさんざんされた。
 されたけどそんなことはどうでもよくって、自分が何を選択するかが大事でしょうということを、とりあえず一貫した4年間だったかなと思う。その意味ではまあいまも同じなんだけど、興味がなければ仕事ができないというのはきっとある。いくらお金を積まれても、「やりがい」とは違うけど「動機・理由・目的」のような要素は仕事を選択するうえで重要なのではないか。
 
 人手不足の時代なので業種や規模にこだわらなければしばらくは仕事がある時代だと思う。そんな中であえて給与水準の高くない地方で働くならば、人口20万以上の中核市くらいであれば休みの日の息抜きもしやすい(カフェと図書館は息抜きのおなじみだが、これがないととてもつらい)し、移動も比較的楽だ。まあ仕事の幅や息抜きの幅となると政令市(人口70万以上)のほうが強いんだけど。近くだと大都会岡山、とかね。
 とりあえずそのへんの話は、次回書いていこうと思う。労働編はこれで終わり。やりたいことをやるべし。
 

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2018年04月28日

田舎は一様ではないしもちろん都会も一様ではない

「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由(阿部 幸大)

 上の記事がここ最近よくバズっている。これはまず間違いないタイトルがバズるようなものになっているというのもあるだろうし、こういう格差の話題は浸透しやすい。この記事から始まる田舎側の共感と批判、そして都会側のわたしたちとは違う感みたいな、そういう反応は容易に予想される。これまでにもよくあったことだからだ。
 次のような批判エントリーは面白く読んだ。

見えている世界が違うのは田舎という場所の問題なのか(Tomohiro Nishi) 
共感だけして満足する人たちについて(ひらりさ)

 あと覚えている人がどれだけいるかはわからないが、かつてはてなでgudachanと名乗っていたアカウントがあり(というかアカウント消しているのをさっき知った)大卒後にニートっぽいなにかになったからかはてなブログとNAVERまとめを2013年〜15年あたりに大量に更新していたアカウントなのだけど、このアカウントもよく地方に絶望して都会を礼賛していた。(*1)
 気持ちはわかる、わからなくもないが、しかしここで言いたいのは、最初の記事を書いた阿部幸大もgudachanも田舎や地方を多様なものとして受け止めて記述しているわけではないということだ。もちろん彼らもすべての田舎や地方を同質のものと思っているわけではないだろう。
 しかし「東京」という補助線を引いたとき、「田舎」とか「地方」は似たようなものに見えてくる。なぜか。

 せっかくなので少し個人的な話をしよう。これは自分のツイッターに書いたことの再掲載のようなものになるけど、1990年の香川生まれ、大学だけ東京だった人間としていくつか所感を書いておきたい。
 香川はなんだかんだ教育県なので親に学歴なくても塾通いさせるし大学にも行かせるという不思議なところがある。一般的に言って学歴は再生産されがちだが、公教育が充実している日本では教育熱の地域差も手伝って学歴が再生産されるとはかぎらないパターンもう珍しくないと思う。仮説だけど。
 地方の教育県でどういうことが起こることかというと結果的に若い人口がどんどん流出して有効求人倍率は高止まり、だったりもする。高校で地元の町を離れたので詳しく知っているほどではないのだが、中学の同級生の半分以上は短大、専門、4大に進学していた。4大に限っても、関西の私立を中心に半分ほどは進学しているはずで。
 それがなぜ可能なのかというと彼ら彼女らは小学校高学年の時点ですでに塾通いをしていたからだ。それだけ親の教育に対する資本があり、かつ周りがそうしているから、という同調圧力(というかピアプレッシャーのほうがよいかな)があったからだろう。
 田舎なので文化的にすごく恵まれていたわけではないが、これもまた有名な話として香川県には日本で唯一全市町村に書店がある県だ。宮脇書店という高松の新刊書店のチェーンがあちこちにあることが主な理由で、さらに小豆島の場合二つの大きい図書館があり、大人となったいまでは物足りないかもしれないが子どものころの自分には十分な蔵書があり、手塚治虫の漫画や子ども向けにリライトされたホームズをよく借りて読んでいた。ある程度の規模の図書館と書店があれば、少なくともある程度の教養はアクセス可能だ。
 
 個人的に地方と東京という関係性においては、「東京があなたにとってどういう場所であるのかは、個人が主観で決定すればいいこと」だと思っている。このことについて詳しくは直前のリンクにも貼ったmediumで書いたのでそっちを見てほしいし、地方と東京との関係を等身大の趣味の視点からとらえるならば、という切り口で作られた(と思う)『悪友』vol.3はほんとうにいい本になっていると思う。
 ここで再度触れるならば、ローカルなものというのはそれ自体が多くの場合固有のものであって、他とは比較的ない多様性を持っているからだ。もちろん地方の郊外やベッドタウンのような、どこにでもあるような風景は社会学的に比較可能な構造になっているかもしれないけれど、それよりさらに田舎の地域に行けば良くも悪くもそこに形成されてきた歴史性があるものだし、なおかつ現代ならばほとんどだれもがインターネットにアクセスできる時代でもある。教養はともかく、情報だけならばどんな田舎にいても、回線さえ確保できれば得られるのだ。
 であるならばむしろ、今度は都会のほうが実は均質に見えてくるかもしれない。田舎での固有の経験を持たない都会生まれ都会育ちの人間が田舎や地方の人間に対して理解を示すことができなくても不思議ではない。不思議ではないが、しかし同じ日本という国で共存しており、税や社会保障といった形で相互にわたしたちは依存しながら日々を暮らしている。
 逆に田舎や地方の人間は東京のような都会の人間を詳しく知っているわけではない。これはほとんどそのまま対照的な関係だ。もちろん、テレビを通して東京を見る機会を地方の人間は持っているので、微妙にズレはあるのだけど、それでも東京の人間のリアルを知る機会はそれをつかまなくては得られるものではない。
 だとするならば、結局のところ関係性の分断をなんとかして乗り越えていくしかないだろうし、さっきも書いたように社会保障制度などでは分断ではなく連帯してしまっているので何らかの形で違う立場を知る、という機会があったほうがよいだろうと思う。

 『悪友』vol.3の例でいうならば都会の人間が地方に聖地巡礼するとか、逆に地方の人間が遠征して全国や海外をめぐるとか。趣味は容易に場所を超えるし、そのことによって単に場所を移動するだけではない体験を得ることがわたしたちは可能なのではないか。さらに言えば、その体験を誰かに伝えることも(それは同人誌でなくてもブログやツイッターでも、なんなら居酒屋での飲み会でもいいと思う)できるのではないか。
 一人の人間が経験できることなんてたいしたことではないが、それを誰かに伝えたり逆に誰かから伝えられることによって一人の人間の視界が開けていくのであれば、それはつまるところ阿部幸大の言う「文化と教育の地域格差」を少しでも埋めることに役立つのではないだろうか。文化も教育も、格差を知った時点で絶望したとしてもそのあとにその格差を小さくすることは十分可能だろうという道筋は、示しておいてよいと思う。

 もう一つ最後に個人的な経験を書いておくと、子どものころに海で釣りをしたり総合学習の一環で農業(米作りとか生花栽培の体験)をしたことも、いまとなっては貴重なものとして、そして田舎に固有なものとして受け止めることができる。都会は機会の優位さを地方に比べると持っているだろうが、すべてを持っているわけではない。
 でもまあ、それで別に構わないのであって、田舎も都会も、地方も中央も、そういういろいろな地域があって一つの国が成り立っているのだということを改めて認識すればいいのではないだろうか。格差格差と言ったところでアメリカに比べれば大したものではないし(アメリカと比較するのはどうか、とはまあ思うが)義務教育と健康保険の強制加入は最低限のレベルで日本人の格差を開かせない方向には一役を買っているはずである。

 長くなったし話も少しそれてきたのでまとめると、タイトルに付したようにまず田舎も都会も一様ではないので一くくりにして議論しようとする人は基本的にそこを改めたほうがよい(とさんざんあちこちで言っている)ということと、田舎と都会ではそれぞれに固有の経験があるはずであって、それをまず尊重したほうがよいということ。
 その上で格差の話をするのであれば、18歳の時点で生まれてしまった格差を、18歳以降の人生で埋めていく方向で考えようということと。
 釧路や小豆島のようなところで18まで育った人間と、東京の23区で18まで育った人間の経験値が異なるのは当然だ。しかしまたその質も異なるはずである。どちらが優劣というわけではなく、互いに無いものを補いあっていけばよい。そのための方法ならばいくらでもあるだろうし、そのほうが現実的で建設的なのではないか、と思う。

 まあもちろん、俺の親が二人とも大卒だったというのも幸運なのだろうとは思うが、しかし両親が大卒ではない同級生も普通に関西の大学に行ってはいるので、田舎に生まれて所得が少ないからと言ってすぐに人生を絶望しなくてもいい、と言っておいたほうがいいとは思う。
 それでも家庭環境に何か問題があるならばどちらかというとそこは福祉の領域かもしれないので、そうであれば市町村や福祉の専門機関に援助を求めよう。といった風に、問題を大きく語るのではなく個別化して語ったほうが、現実的に子どもの未来を救えるし開いていけるのでは、というのが私見である。

 あと最後にもっと個人的なことを言うと、このブログは2004年、俺が14歳(中三)だったころからのエントリーがまだ残っているので、田舎の14歳がどのような経験をして(主に挫折)東京に行ってそして戻ってきたのか、という一つの小さな歴史が記録されているので、興味のある暇な人は昔のエントリーも見てください。めっちゃ恥ずかしいけど。


*1 ちなみに2014年ごろにtumblrでgudachanへの反論記事を書いたことがある。

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2018年03月23日

3年間のワークスタイルを振り返る

 まず、ここでいうワークスタイルは「働き方改革」という意味でのワークスタイルではなく、組織内での個人の仕事のやり方、くらいの意味で受け止めてほしい。
 もうすぐ退職することになる現職での約3年間は、1年目、2年目、3年目で仕事量や裁量が変化するにつれて、あるいは組織内のメンバーが入れ替わるにつれて仕事のやり方を変えざるをえなかった。もっと言えば、誰から指示をされたというよりは意図的に仕事のやり方を試行錯誤してきた3年間だったな、と思う。
 で、なんでこういう記事を書くかというと、素朴にそれをログとして残しておきたいとぼんやりと考えていたからだ。あと、ある人と話をしていたとき、その人も広義のケアワーカー(医療福祉職、くらいの意味合い)であり、俺もまあ広義のケアワーカー(障害福祉施設勤務)であるので、通じる部分もいくらかあるのだろうな、と思いながら話を聞いていたら普段俺がどのように仕事をしているのか、について質問されていたという流れがあり、せっかくなのでまとめるのもアリかな、と思ったのが理由だ。
 よって、タイミングとしてキリがいいころ合いでもあるのでこれまでの自分の仕事ぶりについてまとめてみたい。
 約1年間の書店員時代のことも書こうかなと思ったが長くなりそうなのでそこは省く。書店員を経験して現職で直接役に立っているのは、間違いなく電話対応。

 1年目に意識したことはとにかく仕事を覚えることと、同じミスをなるべく繰り返さないこととひたすらメモすることだった。その上で先輩の仕事のマネをする、あるいは逆をする(反面教師とする)ことを意識していた。できることを増やしてできないことを減らすことをシンプルに意識した。
 研修めいたものはなく(その代わり外部研修には積極的に行かせてもらった)完全にOJTだったこともあって、この本はまあまあ使えた。

入社1年目の教科書
岩瀬 大輔
ダイヤモンド社
2012-09-01


 仕事を覚えることとミスを繰り返さないことは連動してて、結局1年目なのでできなくて当たり前だろうくらいの割り切った気持ちで仕事をしていた。ささいなミスはしょっちゅうあったし、というか元々性格的に凡ミスをしがちだったのだけど、まあそれもそういうものだとほどほどに流していたのでメンタル的にはそれほど病まなかったと思う。仕事のわりに給料の低さにはイライラしたけどまあそれも最初からわかっていたことなので仕方ない。
 仕事を覚えること、についてはマネをする/しないとももちろん連動する。あえて「しない」と書いたのは、入職して1ヶ月くらいたったころにあの人のマネはしたらいかんで、とパートの職員に助言されたからだ。その人はパートではあるが経験があり、バリバリ仕事をこなしていたら「マネはしたらいかん」人は良くも悪くもメリハリのある人で、能力はあるもののだらだらと仕事をしていることも多かった。
 なので「能力はある」部分、単純に言えば身体介助の技術については大いに参考にしたが、声かけやコミュニケーションの部分と、あと仕事のやり方全般についてはマネしないように意識した。後者でマネをしたのはよく引き合いにだすシングルマザーの先輩で、利用者からも人気があり同僚からの信頼の厚い彼女の仕事ぶりは、自分にとっては教科書そのものだった。さっきあげたような本を読んだとしても、いざ実践する際には身近なところにモデルがいるのは大きい。
 この、だれをマネするかしないかはわりと難しいというか、まだ仕事のできない人間にとっては見極めが難しい。だから早い段階で見極めを助言されたのは結果的にはプラスに働いた気がする。
 あとは、汗をかくことをいとわないこと。イビチャ・オシムはかつて代表監督だったときに「水を運ぶ人」を好んでいたと言われているが、水を運ぶ人は基本的に皆から評価が高くなる(その分疲れる)ので、日々のランニングを継続することによって体力を向上させつつ、組織内で一番若手だったこともあってとにかく動いて評価されることを目指した。当初はそもそも仕事ができないので無駄な動きも多かったが、次第に運動量とその質が伴っていったかな、と思う。
 大きなミスとしては、車の運転も下手だったので1年の間に2回自損事故をした。逆にあれ以降大きな事故を起こしたことはないので、まあ意味のある経験だったのかもしれない。そもそもペーパーのまま仕事で車乗り始めたのであれくらいは経験すべきだったのだろう。幸運にもけが人はいなかったので。
 メモはいろいろなアプリを使っていたが、結果的にslackで自分専用のチャンネルを立ち上げて、そこに#workのルームを作ってひたすら投げてるようにした。いまも投げている。

 2年目は引き続き1年目で得た経験の精度を上げる段階で、このあたりからちょっとずつ自分の裁量も増えてきた。1年いたら会社のカレンダーのようなものもだいたいわかってきたので、このあたりはきついが乗り切ったら少し楽になるな、という目途が立てられるようになった。
 2年目の大きな経験は触法障害者の支援に関する研修に参加したことで、保護観察官とか地域定着支援センターの人とかいろいろな人が研修に参加していたが、このあたりの経験も次の仕事への橋渡しになっているなと思う。経験と言えば大げさだが、こういう仕事もあるのか、という自分の認識の幅を広げてくれることになった。このあたりのことは去年受けた面接でも話したことでもある。
 今振り返ると2年目が一番「楽」な時期で、この年だけでアニメ評論系の同人誌に原稿を書きまくっており、合計6本くらい上げたのはそれだけ余暇があったからだと思う。話はそれたが。

 3年目はシングルマザーの先輩の離職もあって仕事量が大幅に増えることになる(ほかにできる人が上司しかいなかったため)のだけど、かといって1人で2人分の仕事をこなすのは完全に無理があるので、いかに仕事を、作業を合理化、効率化していくかという必要があるなと思った。
 なのでとりあえずこの本を読み、事務作業は半分近くの時間を圧縮できたと思う。



 これは別に先輩が仕事をできなかったというわけでは全然なくて、それまでは人員の余裕があったため、合理化へのインセンティブがなかったんだな、とも感じた。機会がなければ合理化はなかなか行われない、という一つの例だろう。
 裁量が増えるのは単にそうなったのではなく、人の出入りとも関連があって、10人程度の小さな組織ゆえか3年で一番下からナンバースリーに上がってしまったので、1年目や2年目のように自分がプレイヤーになるというよりは周囲に的確に指示を出して仕事をやってもらうことのほうが増えた。
 これは自分の仕事量が増えてしまったこととが完全な原因で、もはやプレイヤーをやっている余裕はなくなったのだ、と自覚した。そんなこんなでマネージメントは難しいなあと思いつつ以下の本を参考にした。



 chrojuさんのレビュー記事を読んだあとに買ったので、読んだのは2年目のときかなと思うが、実際に使えるなと思ったのは3年目からだった。HRT(謙虚、尊敬、信頼)という3要素がキーになって話が進んでいく本だが、自分にとって一番重要なのは最初から最後まで信頼だった。
 最初のころは利用者との信頼を、そして次第に同僚たちとの信頼を、といった感じで、ケアワークの宿命はどこまで言っても人間関係で仕事の出来が左右されてしまうところが大きいのだと思う。
 ケアや支援を行うために一緒に仕事をする誰か、それは同僚かもしれないし外部の人間かもしれないが、その際に何らかの形である程度のレベルの信頼関係が構築されていなければ、特定の個人に直接介入していく仕事というのは成り立たないのではないか。そうではなくても、危なっかしくて仕方ないのではないか、と思う。
 もちろんこれとは別にスキルが必要なので、このスキルと人間関係の組み合わせで仕事をするあたりが専門職っぽい要素だよなあといまさらながら感じた。

 以上が3年間のざっとした振り返り。具体的な転職のステップなどは以前書いた記事を参考にしてほしい。
法務省専門職員(人間科学)と自治体福祉職の試験を受けてきたので勉強法をまとめてみる(専門試験編)
2011年の春に考えていたことと、いまだから言えること

 良くも悪くも次の仕事も特定の個人の、わりと大きな部分に介入していく仕事になるだろうという気はしているので、個々のアプローチは大きく変わっていくだろうが、3年間の経験を何らかの形で生かせたら、と思っている。
 とはいえ「経験」が強いバイアスにならないように、いったんリセットしてフレッシュな脳みそで仕事に臨んでいきたい、とも考えている。アラサーだけど社会人枠ではなく新卒枠での採用なので、28歳のオールドルーキーとしてかつてのイチローを参考にしながらがんばっていきたい(目標が高杉内)。




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2013年11月10日

自炊生活最初の一年を振り返る

料理初心者が上達するために立てるべき目標のたぐい ― あとで更新しますぶろぐ

 ななさんの書いたこの記事を読んで、ああこれは自分に置き換えてちゃんとやっておこうと思った次第。
 
【自炊を始めた経緯】
 これはななさんと似ていて、学生寮を出て本格的に一人暮らしを始めた2012年3月を期に自炊を始めた。帰省等々で自分が作らなくてもいいとき以外は大体作ってる。外食に行く回数、使う金額は著しく減った。
 学部生時代の学生寮では、食事に困るのは日曜日くらいしかなくて(平日昼は大学か学生寮の最寄り駅周辺ですませる)その日曜日にごくまれに自炊っぽいことはしていたが、そもそも共用のキッチンしかなくてなにかと不便だった。
 いまの住居はコンロがひとつしかないとか、まああんまり恵まれた環境ではないが所詮一人暮らしであるため、このへんはいろいろ工夫して乗り切っているつもり。そしてあんまりお金がないこと。お金があったらわざわざ時間をかけて自炊しようというインセンティブはなかったかも。
 自炊にかかる食費(たまにある人との外食やお酒にかかる費用はのぞく)については、まだ慣れないころは月に2万越えはしていたが、いまは15,000〜18,000あたりで落ち着いている。1日に置き換えると500〜600円なのでまあいいほうだろう。外食したらこれだけで1食分がふっとんでしまうので、えらい差異だと思う。

【1年間のステップ】
 ななさんのマネをして書いてみると

調味料をそろえて、使い分けられるようにする
初心者向けの料理本を買う
料理本を見ながら、食材の切り方や保存方法を習得する。終わったら(済)マークを入れる
自炊をしている友人や知人との情報交換を行う
クックパッドや料理ブログなどを探したり、アプリをいくつかタブレットに落とす
肉じゃが、筑前煮をちゃんと作れるようにする
鍋料理のパターンを増やす


 最近はあんまり上達してないので最初の1年(2012.03〜2013.02ごろ)に限定した。なので最初の一年。
 ・・・という文章をevernoteに書いて放置してたが、最初の一年から時間が経ち少しは前進したので後ろの方で追記する。

調味料をそろえて、使い分けられるようにする
 調味料がないとそもそも料理が全然できない、というか逆にある程度揃っていれば食材にどう応用するか、といったところかな。
 さしすせそはもちろん、オイスターソースとか、コンソメなどもあると便利。コンソメは時間のないときや冷蔵庫の野菜を整理したいときに便利で、スープにするだけで全然おいしくいける。コンビニで売ってる使い切りのベーコンも混ぜれば味にアクセントがつくし、これにはまってコンソメスープばかり作ってるときもあった。

初心者向けの料理本を買う
 たまたま池袋のジュンク堂で見つけた本を買ったが、なかなか重宝している。手のひらで塩や砂糖などの調味料を計量する方法とか、メジャーな肉、野菜、魚の使い方と簡単に作れるメニューを一品ずつ載せてあってとても便利。これが1,000円で買えるのはとてもいいコストパフォーマンス。

覚えておきたい 料理の基本123』(扶桑社、2011年) 


 花嫁修業(もはや死語かもしれない)を受けていればもちろん具体的にレクチャーされるんだろうけど、実家で料理などほとんどしたことのない自分にとってはほんとうに便利だった。はじめから自己流なんてのは無理で、まずは型から入ることが重要だなあということを学んだ次第。

料理本を見ながら、食材の切り方や保存方法を習得する。(終わったら(済)マークを入れる)
 一つ前の本について。
 料理の基本を習ったあとは、ごくごくありふれたメニュー(ショウガ焼きとか、麻婆豆腐とか。和洋中問わずいろいろ載ってる)があるので、とりあえず食べたいもの、作れそうなものを一つずつ作っていく。
 同じメニューは繰り返しているうちにだんだんメニュー見なくても作れるようになるけどやっぱりときどきは見てしまう。こればかりは今後の自分に期待するしかないかなあ。ゲーセンの音ゲーで、だんだんスコアがパーフェクトに近くなっていく感覚に近いかもしれない。(やや適当)
 
自炊をしている友人や知人との情報交換を行う
 周りにそんなにいるわけではなかったけど、やってるよ、という人に食材のやりくりの仕方を聞くのは面白かった。人によって適切な方法はあると思うので(ライフスタイルや料理の好き嫌い、不得手の差異があるため)全部を参考にするのではなく、取り入れられるところは取り込んでいこう、という感じ。
 あとあんまり意味はないかも知れないけど、自炊やってますというとすごいね、と言われることが(特に女性から)多かったのでちょっと嬉しい。いや別に全然大したことではないと思うけど、相手が女性の場合はこのまま自炊話を展開できれば上に書いたようなステップを歩めることも多いので自炊してますとそれなりに主張するのは大事。
 あと、ネット上の話にはなるけど友人のひとりであるなおちゃんが一時期ブログに「ひとりぐらし記」と題したシリーズを書いていて面白かった。一回だけコメントでのやりとりをしたら、そのコメントが元になった記事を彼女が書いたこともあった。
 ネットとリアル関係なく情報交換を行うことはできる。 

クックパッドや料理ブログなどを探したり、アプリをいくつかタブレットに落とす
 去年の秋以降はこの方法が一番自分にはフィットしてた。
 クックパッドや料理のレシピアプリはたいてい手持ちの食材を打ち込むと検索でひっかかるので、そのなかから作りたいものを作って行けば「何を作ろうか考える」時間の節約になる。クックパッドでは有料登録しないとお気に入りの数に制限があるけど、ソーシャルブックマーク(ECナビのbuzzurlを使っている)で代用すればおk。
 アプリにも料理ブログにも言えることだが、旬のメニューというのがもちろんあって、旬の食材を豊富に使うブログを読むのは面白かった。ブログだとある食材がしばらく続くこともあるけど、そのへんも自炊っぽさがあってよい。
 
肉じゃが、筑前煮をちゃんと作れるようにする
 ちゃんと作れるように、というのはレシピを見ずに自分なりの配分でできるようにすること。うまくいったりいかなかったりはあるけど、そういうのを繰り返すようになってなんとか、というところ。どちらの料理も煮込む時間の按配と、味付けをミスらなければ普通に作れる。
 若干チートだけどめんつゆをうまく使えるようになれれば、もっと楽にこのへんのメニューを作れるようになりそう。和食の味付けを手早くしたいときにめんつゆは便利だ。あと味の素。
 
鍋料理のパターンを増やす
 冬に取り組んだ。冬は鍋をかなりの頻度で活用した。
 理由はいろいろあるが、多様な食材を取り込めるので、栄養の偏りを防げる。特に野菜を豊富にとることができるのがいいのと、味付けさえちゃんとやれば放置している間に完成するのも手軽。冬場なら、余ってもそのまま放置しておいて次の日に回せる。夏はこれができないのが辛い。
 うすくちしょうゆベースの寄せ鍋をよく作った。夏場に実家から送られたそうめんが余ってたので、途中から投入してにゅうめんっぽくしたりも。他には塩味ベースの鍋、白菜と豚肉がメインの常夜鍋、湯豆腐、キムチ鍋・・・などなど、味付けと食材を変えるだけで全然違うものに変わるし、日持ちするし、かつあったまれるというのは大きい。
 冬場はこれの繰り返しなので、いろんな食材は試せたが逆にレシピの手持ちはあまり増えなかった。

 ざっと振り返るとこんな感じ。
 ちゃんとやってないのは弁当作りくらいかなー。4月にちょっと挑戦したけどすぐに挫折してしまった。ななさんと同じなのは、毎朝起きてから卵焼きを作っていたところくらいかな。弁当は手抜きしながら早く作れることと、毎日確実に継続できることが重要だと思うのでこれは別の機会にまた勉強したい。弁当を作ってもらった経験から言えるのは、卵焼きやウインナーなど定番ネタは毎日続け、前日の残り物や冷凍食品で色合いや食材のバランスを整える、といったところだろうか。
 弁当は弁当で特殊な技術がいる(腐らないようにとかこぼれないようにとか)ので、そのうちまたいろいろ試行錯誤しながらチャレンジしてみたいとは思っている。いずれやる。

*******

 少し話はそれるけど、底辺から這い上がって語る貧乏 都会とカップラーメンというtogetterまとめを以前読んだ。
 このまとめの中に、「カップラーメンを高いと思えるような自炊能力は、既に文化資本なのですよ。自炊能力を身につけるためにお金や時間などを投資していますから」という言葉があってなるほどそうかもしれないなーと思った。
 自分のやったことを振り返って来て思ったが、本なりネットなりが身近にあって、しかもそれらを適切に使いこなす能力(大学生以上としては当たり前のようなことなので普段意識しないが、意識しない程度に身についているということかもしれない)がないと、自炊にしてもなんにしても、新しいことを始めて、それを継続するのは難しい。あと、ネットとリアル問わず身近に似たような人がいたのもよかったな、と思う。
 あとは単純にきっかけというのが大事で、一人暮らしを始めなければ自炊をするインセンティブがそもそもなかった。スキル的な意味ではもっとはやくやっておけばという気もするけど、とりあえずはまあやれるうちにやっておこうと思う。
 今後は揚げ物もチャレンジしてみたい。これができるかどうかで料理の幅が変わる。使用済み油のことが懸念でずっとやってなかったけど、少し前に実家に帰ったときに妹が揚げ物の料理(コロッケなど)をガンガン作っていて、やってみたいなと。

他、参考にした文献やサイトなど
梅津有希子、高谷亜由『終電ごはん』(幻冬舎、2012年) 
→コンセプトは悪くない。もやし、豆腐、冷凍うどんなど、さくっと作れる食材をバリエーション豊かな料理に仕立てるのは見事。本で勝ったけど、いまはKindleでも落とせる。最近ドラマにもなったので見ていた。酒井若菜がとてもよかった。


おっさんひとり飯 http://ossanhitorimeshi.net/
→秋〜冬にかけてはよく見て参考にしてた。鍋のレパートリーの増やし方はいろいろ参考に。少し前だけど本もでたらしい。このブログ見てると、食事のローテーションをやむなくではなく、効果的に行えるなーということも感じた。あと、特殊な調味料を使わず、しょうゆ、みりん、酒でできあがるものが多いのも(個人的には)よい。少し前に移転したが、旧サイト(ブログ)にも時宜にあった料理が豊富でよい。

[2ch]お料理速報 http://oryouri.2chblog.jp/
→いわゆる2ちゃんねるのまとめサイト。とりわけ料理や飲食店に関するスレをまとめたブログ。一人暮らしで簡単に作れる系のネタ探しには便利。あとお酒関係の話題も豊富にピックアップしていてこちらもなかなか。

*******

※このあとの自炊生活について

 成長したのかどうかは分からんが、新しく経験したことを書いておく。

ひき肉がかなり使える 
 ひき肉の使い方が最初の一年はよく分からずずっと敬遠していて、買うのはたいていがグラム120円(時々98円)の豚こま肉だった。これはたいていの料理に合うし、煮てもアクが比較的少ないので重宝した。
 で、ひき肉。ひき肉と野菜だけで一品できたり、冷凍したものを取り出して豆腐と一緒にやると肉豆腐的なものや麻婆豆腐ができあがる。あとまだ作ってないけどそぼろだとか、けっこういろいろな料理に派生しそうな便利なやつ。価格が大きく変動せず比較的買いやすいのもよい。
 しょうゆベースの和食にも合うし、味噌ともかなり相性がいいことを最近知ったし、麻婆豆腐の例に出したように中華風の味付けにも合うというのもなかなか便利。

レシピを記憶する
 タブレットで画像をとり、記録はしてた。ただあんまり記憶はしてないので、その都度レシピを見ながら作ることになる。これはあまり効率がよくはない。
 もちろん全部覚えなくてもよいと思うが、頻繁に作るメニューの行程や調味料の分配度合いはだいたい把握しておいてもよいのではと思う。最近画像だけでなくテキストでも記録を始めたが、文字のほうがどの食材を使ったかに関しては記憶しやすい。(画像は完成品しか残してないので)
 レシピサイトやレシピ本も、特定のものを作りたいというとき以外はあまり多方面にアンテナを張るよりも、一カ所、一冊、一サイト(orブログ)にこだわったほうがいいだろうと思う。集中と分散じゃないが、ある程度広げたら集中する段階に入っていい。
 料理がうまくなることも重要だが、自炊は確実に続けられることがより重要なので、そのことを意識できれば効率だけでなく能率もよくなると思う。効率だけだときっと飽きてしまうか逆に疲れてしまう。

生活圏にあるスーパー、小売りを把握すること
 どこにどういうお店があるかもだけど、そのお店でいつ行けば何が安いとか、そんなのを把握すること。たとえば肉は価格の安い日と高い日では差がつきやすい(多く買えば買うほど)ので、安い日に多めに買っておくとか、あまり徹底はできなかったができるとよかったのかもしれない。
 生活圏だった雑司が谷には小さめのスーパーが二つくらいしかなかったので、週末に少し自転車を漕いでまとめ買いするようにしていた。これをしておくと、平日の夜にわざわざ食材を買いに行かなくてもよいから、その分時間の節約になる。まあ、大学の近くに24時間空いてるグルメシティというダイエー系列のスーパーがあったので寄ることも多かったわけだが。
 クックパッドのサービスで、近隣のスーパーを登録しておくと毎日の午前中に安売り、特売情報をメールで流してくれるというのがあるのでオススメ。新聞でもとってない限り、なかなか情報が事前に手に入りづらいしね。最近はネットでもスーパーの広告を見られたりはするけど、毎日送ってくれる(受け取るだけでいい)というのは便利。
 雑司が谷らしいのは小規模な肉屋、豆腐屋、八百屋というのが生き残っていること。どこもたぶん採算は楽じゃないんだろうけど、八百屋の野菜はスーパーで買うよりも安いことが多く、また品数もあるので、閉まる時間はさすがにスーパーよりは早いが時間に余裕のあるときは利用するようにしていた。旬のものが置いてたりするし、買い物しながらちょっと会話をするのは楽しい。

 追記はこんな感じかな。
 あと、ななさんの記事でも最後に紹介されていたNHK「きょうの料理ビギナーズ」発祥の料理本を最近使っている。定番が多いのでわざわざというのもあるが、Kindleで閲覧できるのは便利。




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2012年12月12日

豊かで穏やかな雑司ヶ谷ライフ

 思考とか読んだものや見たものについてのあれこれは書いていたがそういえば生活、くらし的な話はほとんど書いてなかった。
 3月の頭に多摩地域にある西東京市から23区内の豊島区雑司が谷に引っ越して、かれこれ9ヶ月ほどになる。最初はあまり実感がなかったが過ぎ去った日々は早いものであって、年が明ければ1年なんてすぐそこにある。今年の総括的なこともいろんなところで始まっているし、紅白にももクロが初出場というニュースがあったり、12月さまさまだ。

 まあそれはそれとして本題に入ると、雑司ヶ谷を選んだ理由は大学に近かったからというのと、提示されたいくつかの物件のなかで間取りが一番広かったからである。本が膨大にあるので基本的に広さを求める(ぜいたくではあるが)ので、完全に土地とか駅との距離よりもそっちで選んだ。大学まではチャリで10分もかからないが、帰りはのぼり坂になるからたぶん10分以上はかかる。それでもまあ、徒歩→電車→徒歩で約1時間かけて通学していた西東京時代に比べると格段に近い。
 大学の徒歩圏内だとあまりにも味気がない気がするので、チャリでなんとか通えるあたりに住むのはなかなかによいと思う。特に豊島区雑司が谷は山手線圏内なので、都心への移動もチャリで行えてしまうのがとてもよい。新宿までなら20分少々、渋谷も35分くらいあれば行けなくはない。盗難と警察のマーキングが不安なので有料の駐輪場を使うことになるが、だいたい100円とか多くても200円しかかからないので、電車で移動することと比べると交通費としては十分に安い。まあ、電車に乗る生活をしなくなったからか、電車に乗りながら本を読む、という習慣はなくなってしまったので小説を読むペースは落ちたかもしれない。

 少し前から不定期に日暮里で読書会に混ぜてもらっているだが、日暮里への移動も自転車を使っている。不忍通りまで出るとひたすら東へ行くと日暮里、谷中、千駄木界隈に着く。ここまでの道のりは6,7キロしかないのだが、この間に大きなアップダウンを3回ほど繰り返す。最初に護国寺を経て茗荷谷に向かう春日通りとの交差点、次に千石一丁目の信号がある白山通りとの交差点、最後に本郷通りと接する交差点(駒込のあたり)の3回。
 山の手とは言うが、ここまで坂に囲まれた土地であり、坂の上と下の高低差がそれなりにあるというのはこのへんを走って見て初めて気づいた。知識としてないわけではなかったが、実際自分の足で上り下りを繰り返してみるとけっこう足に来るし、それ以上に東京という土地の構造が思った以上にダイナミックだったと気づかされる。で、そのダイナミックな場所に街と街が非常に近接してある、ということが東京の特徴なのだろう。少し進めばすぐ地名が変わるし、街並みも変わる。
 地方だと(まあ多摩地域もだろうが)だらだらとした道が続いたあとに街にたどりつく、みたいなRPGでいうフィールドのような空間が街と街の間にある。でも東京の山手線圏内を走っていると、あまりにも街と街が近すぎていつのまにか通り過ぎてしまった、ということもあるくらいだ。当然、街には人が訪れるし、それぞれの街には固有の文化がある、という前提で成り立っているから、ああここは文字通り都市なんだ、ということを実感する。多様性とエネルギーを持ちそなえた空間としての、都市。
 
 雑司ヶ谷は豊島区でもあるが大学にも近いと書いたように、少し坂を下れば新宿区だし、少し東にいけばすぐ文京区だ。やべーゴミ出し忘れたーというときはチャリを漕いで次の日に出しに行くこともまあできなくはないがまだそこまでゴミに困ったことはない。
 雑司ヶ谷は完全に住宅地という感じの場所なので、鬼子母神の参道を除けば飲食店はあまりない。ただ、チャリで少し足を伸ばすと池袋だし、東に行けば護国寺や音羽界隈、もうすこし行けば茗荷谷や小石川、という界隈なのでふらっと足を伸ばすための拠点として悪くないな、と思っている。
 少し前の日曜日にかつて筑波大学があった教育の森公園というところに足を伸ばしてきたが、都内でこれだけの規模の公園があるのはQOLとしてはよいんだろうな、と感じる。(*1)日曜日なので家族連れが多かったし。あと、イスの上で抱き合ってちゅーしているカポーがいたがそういうことは違うところでやっていただきたい。まあ、紅葉がいい具合だったので文句は言わないでおこうか。
 たまたまこの日は教育の森公園内にある文京スポーツセンターでミニバスに交流試合が行われていたので、ママさんやすでに試合を終えた小学生がいるスタンドにこっそり混じって試合を見ていた。ダブルスコアになっていただけあって明確に力量差があったが、チームとしてのプレーの質が全然違うのでしょうがないかな、という感じだった。戦術理解、は言いすぎかもしれないがディフェンス時のプレッシャーのかけ方だとか、PGのパスセンスや視野は勝っている方のチームが圧倒的に優れていた。4Q目の最後の数分は主力メンバーが途中のタイムアウトで下級生に交代する、という展開もあったりしたし。(*2)
 とりわけうまいなと思った子は二人いて、特にPGの子は自分でディフェンスもしてボールを奪いに行くし、パスで打開できないような状況では自分で切り込んでシュートに行ったりして小学生離れしている感じがすごかった。が、まあサッカーやバレーなんかでもそうだけど基本的な技術がチームで平均的に高いとか、チームスポーツである以上すぐれた個人はすぐれたチームで初めて生きることも、あらためて確認したわけだけれど。

 近場で不定期に出没している音羽のcafe otowayaという店はなかなかよいです。無線も飛んでるし。ひとりで行くとカウンターに回されることが多いけど、ソファ席がかなりゆったりとした感じでよい。カウンター席も長時間座っていてもさほど腰に来る感じではないし、平日だと人もまばらなのでかなりゆったりと読書ができてよい。カウンターで時々料理の仕込みをしているマスターと目が合うが、店に置いてあった本を読み終えたときに会釈したくらいでまだ会話してない俺である。(*3)
 一番気になるのは、このお店のブログによく登場する猫だったりする。お店の近所にいるというだけで、店で飼っているわけではないらしいけども。

 そんな感じで週末に遠出する用事がないときは雑司ヶ谷「周辺」ライフを過ごしております。
 チャリでぐるぐる回っている話が中心になってしまい、ぜんぜん雑司ヶ谷のことは書いてないので今度ちゃんと書くか。そういやそろそろチャリの空気も補充しないとな。

*1 正確に言うと東京教育大学時代の筑波大学があった場所。ただ、いまも公園の隣の敷地に筑波大学東京キャンパスとして一部残っていて人もいた。筑波大学附属小学校もこの敷地内にある。

*2 あとで帰ってから調べてみると都大会でベスト3に入ったチームらしい。そらすげーわ。ちなみに見てたのは女子チームだったけど、女子だからという退屈さは全然なかったし、負けている側も個人のプレーは悪くなかったからチームの戦術をちょっといじれば変わるんじゃないかと思った。あまりコーチから声は出てなかったけれど、無理やりシュート打たされたり30秒が来て相手ボール、ということが何回かあったのでもったいないなと思いつつ見てた。

*3 津田さんの『情報の呼吸法』が置いてあったので40分ほどで読了。コーヒー一杯少しで読み切れるのでカフェに置くにはちょうどいいのかもしれない。

情報の呼吸法 (アイデアインク)
情報の呼吸法 (アイデアインク)


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