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日常と読書日記。 受験生日記は閉幕です。

 まず、ここでいうワークスタイルは「働き方改革」という意味でのワークスタイルではなく、組織内での個人の仕事のやり方、くらいの意味で受け止めてほしい。
 もうすぐ退職することになる現職での約3年間は、1年目、2年目、3年目で仕事量や裁量が変化するにつれて、あるいは組織内のメンバーが入れ替わるにつれて仕事のやり方を変えざるをえなかった。もっと言えば、誰から指示をされたというよりは意図的に仕事のやり方を試行錯誤してきた3年間だったな、と思う。
 で、なんでこういう記事を書くかというと、素朴にそれをログとして残しておきたいとぼんやりと考えていたからだ。あと、ある人と話をしていたとき、その人も広義のケアワーカー(医療福祉職、くらいの意味合い)であり、俺もまあ広義のケアワーカー(障害福祉施設勤務)であるので、通じる部分もいくらかあるのだろうな、と思いながら話を聞いていたら普段俺がどのように仕事をしているのか、について質問されていたという流れがあり、せっかくなのでまとめるのもアリかな、と思ったのが理由だ。
 よって、タイミングとしてキリがいいころ合いでもあるのでこれまでの自分の仕事ぶりについてまとめてみたい。
 約1年間の書店員時代のことも書こうかなと思ったが長くなりそうなのでそこは省く。書店員を経験して現職で直接役に立っているのは、間違いなく電話対応。

 1年目に意識したことはとにかく仕事を覚えることと、同じミスをなるべく繰り返さないこととひたすらメモすることだった。その上で先輩の仕事のマネをする、あるいは逆をする(反面教師とする)ことを意識していた。できることを増やしてできないことを減らすことをシンプルに意識した。
 研修めいたものはなく(その代わり外部研修には積極的に行かせてもらった)完全にOJTだったこともあって、この本はまあまあ使えた。

入社1年目の教科書
岩瀬 大輔
ダイヤモンド社
2012-09-01


 仕事を覚えることとミスを繰り返さないことは連動してて、結局1年目なのでできなくて当たり前だろうくらいの割り切った気持ちで仕事をしていた。ささいなミスはしょっちゅうあったし、というか元々性格的に凡ミスをしがちだったのだけど、まあそれもそういうものだとほどほどに流していたのでメンタル的にはそれほど病まなかったと思う。仕事のわりに給料の低さにはイライラしたけどまあそれも最初からわかっていたことなので仕方ない。
 仕事を覚えること、についてはマネをする/しないとももちろん連動する。あえて「しない」と書いたのは、入職して1ヶ月くらいたったころにあの人のマネはしたらいかんで、とパートの職員に助言されたからだ。その人はパートではあるが経験があり、バリバリ仕事をこなしていたら「マネはしたらいかん」人は良くも悪くもメリハリのある人で、能力はあるもののだらだらと仕事をしていることも多かった。
 なので「能力はある」部分、単純に言えば身体介助の技術については大いに参考にしたが、声かけやコミュニケーションの部分と、あと仕事のやり方全般についてはマネしないように意識した。後者でマネをしたのはよく引き合いにだすシングルマザーの先輩で、利用者からも人気があり同僚からの信頼の厚い彼女の仕事ぶりは、自分にとっては教科書そのものだった。さっきあげたような本を読んだとしても、いざ実践する際には身近なところにモデルがいるのは大きい。
 この、だれをマネするかしないかはわりと難しいというか、まだ仕事のできない人間にとっては見極めが難しい。だから早い段階で見極めを助言されたのは結果的にはプラスに働いた気がする。
 あとは、汗をかくことをいとわないこと。イビチャ・オシムはかつて代表監督だったときに「水を運ぶ人」を好んでいたと言われているが、水を運ぶ人は基本的に皆から評価が高くなる(その分疲れる)ので、日々のランニングを継続することによって体力を向上させつつ、組織内で一番若手だったこともあってとにかく動いて評価されることを目指した。当初はそもそも仕事ができないので無駄な動きも多かったが、次第に運動量とその質が伴っていったかな、と思う。
 大きなミスとしては、車の運転も下手だったので1年の間に2回自損事故をした。逆にあれ以降大きな事故を起こしたことはないので、まあ意味のある経験だったのかもしれない。そもそもペーパーのまま仕事で車乗り始めたのであれくらいは経験すべきだったのだろう。幸運にもけが人はいなかったので。
 メモはいろいろなアプリを使っていたが、結果的にslackで自分専用のチャンネルを立ち上げて、そこに#workのルームを作ってひたすら投げてるようにした。いまも投げている。

 2年目は引き続き1年目で得た経験の精度を上げる段階で、このあたりからちょっとずつ自分の裁量も増えてきた。1年いたら会社のカレンダーのようなものもだいたいわかってきたので、このあたりはきついが乗り切ったら少し楽になるな、という目途が立てられるようになった。
 2年目の大きな経験は触法障害者の支援に関する研修に参加したことで、保護観察官とか地域定着支援センターの人とかいろいろな人が研修に参加していたが、このあたりの経験も次の仕事への橋渡しになっているなと思う。経験と言えば大げさだが、こういう仕事もあるのか、という自分の認識の幅を広げてくれることになった。このあたりのことは去年受けた面接でも話したことでもある。
 今振り返ると2年目が一番「楽」な時期で、この年だけでアニメ評論系の同人誌に原稿を書きまくっており、合計6本くらい上げたのはそれだけ余暇があったからだと思う。話はそれたが。

 3年目はシングルマザーの先輩の離職もあって仕事量が大幅に増えることになる(ほかにできる人が上司しかいなかったため)のだけど、かといって1人で2人分の仕事をこなすのは完全に無理があるので、いかに仕事を、作業を合理化、効率化していくかという必要があるなと思った。
 なのでとりあえずこの本を読み、事務作業は半分近くの時間を圧縮できたと思う。



 これは別に先輩が仕事をできなかったというわけでは全然なくて、それまでは人員の余裕があったため、合理化へのインセンティブがなかったんだな、とも感じた。機会がなければ合理化はなかなか行われない、という一つの例だろう。
 裁量が増えるのは単にそうなったのではなく、人の出入りとも関連があって、10人程度の小さな組織ゆえか3年で一番下からナンバースリーに上がってしまったので、1年目や2年目のように自分がプレイヤーになるというよりは周囲に的確に指示を出して仕事をやってもらうことのほうが増えた。
 これは自分の仕事量が増えてしまったこととが完全な原因で、もはやプレイヤーをやっている余裕はなくなったのだ、と自覚した。そんなこんなでマネージメントは難しいなあと思いつつ以下の本を参考にした。



 chrojuさんのレビュー記事を読んだあとに買ったので、読んだのは2年目のときかなと思うが、実際に使えるなと思ったのは3年目からだった。HRT(謙虚、尊敬、信頼)という3要素がキーになって話が進んでいく本だが、自分にとって一番重要なのは最初から最後まで信頼だった。
 最初のころは利用者との信頼を、そして次第に同僚たちとの信頼を、といった感じで、ケアワークの宿命はどこまで言っても人間関係で仕事の出来が左右されてしまうところが大きいのだと思う。
 ケアや支援を行うために一緒に仕事をする誰か、それは同僚かもしれないし外部の人間かもしれないが、その際に何らかの形である程度のレベルの信頼関係が構築されていなければ、特定の個人に直接介入していく仕事というのは成り立たないのではないか。そうではなくても、危なっかしくて仕方ないのではないか、と思う。
 もちろんこれとは別にスキルが必要なので、このスキルと人間関係の組み合わせで仕事をするあたりが専門職っぽい要素だよなあといまさらながら感じた。

 以上が3年間のざっとした振り返り。具体的な転職のステップなどは以前書いた記事を参考にしてほしい。
法務省専門職員(人間科学)と自治体福祉職の試験を受けてきたので勉強法をまとめてみる(専門試験編)
2011年の春に考えていたことと、いまだから言えること

 良くも悪くも次の仕事も特定の個人の、わりと大きな部分に介入していく仕事になるだろうという気はしているので、個々のアプローチは大きく変わっていくだろうが、3年間の経験を何らかの形で生かせたら、と思っている。
 とはいえ「経験」が強いバイアスにならないように、いったんリセットしてフレッシュな脳みそで仕事に臨んでいきたい、とも考えている。アラサーだけど社会人枠ではなく新卒枠での採用なので、28歳のオールドルーキーとしてかつてのイチローを参考にしながらがんばっていきたい(目標が高杉内)。


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