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日常と読書日記。 受験生日記は閉幕です。

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 先日NHKスペシャルで池江璃花子の特集が組まれていたので見ていた。約一年前の冬、高校卒業の直前のタイミングに白血病を発症し、競技者としての活動を停止。結果的に来年に延期になったとはいえ、東京生まれの彼女が地元で迎えるはずだった東京オリンピックへの参加が相当厳しい状況になってきた。

 それでも彼女は病室から、あるいは自宅から定期的にメディアを通してメッセージを発してきた。自身のインスタグラムでも発信を続けている。以下に引用するのが昨年12月に退院した際の直筆メッセージだ。


 
 一人のアスリートとして、そして一人の難病患者として。それでも彼女はまだ18,19歳の少女である。そんな彼女が、自身の社会的役割を深く自認するかのようなメッセージを発信し続けることに、個人的には強い驚きを持っている。もちろんインスタグラムのようなソーシャルメディアがあるからこそ、彼女はダイレクトに自身の言葉を発信できる。最近ではウィッグをつけていない、あの長く黒い髪がほとんどない画像のアップもしている。NHKスペシャルでの密着でも、彼女は自分自身をさらけ出すことにとても積極的だった。発病直後の、とても弱くなった姿ですら。

 受容理論というモデルが心理学にはある。障害の受容理論や病の受容理論といった形で使われることが多い。



 中途障害や難病など、心身の状況の変化を受け入れることが困難な出来事に遭遇した時、この理論によればショック期→否認期→混乱期→努力期→受容期といった5つのステップを経て人は新しい心身の状態を受け入れていくようになると言う。ただ、いったんステップが進んだあとに戻ることもあれば、この期間が誰にとっても共通なものとは言えない。ガンなどの重大な疾病の場合、亡くなるまで受容期に至らないままということもあるだろう。

 こうした受容理論の一般的な経過を考えると、池江璃花子はあまりにも早く努力期ないし受容期に到達しているなと言える。若いからだ、と考えることもできるだろう。闘病生活は容易ではないだろうが、回復に至る段階になれば彼女にはまだ残された時間は長い。東京が無理でもパリを目指せばいい。何より早くプールで泳ぎたい。こんな心境をNスぺの映像から感じとることができた。

 ただ、かつて自分自身がそうだったが、病を受け入れるのは相当に苦しいものである。病そのものとの闘いも苦しいが、何より、他人と比較してしまう自分に打ち克つ必要があるからだ。周りは学校に行って元気に勉強したり遊んでいるのに、自分は退屈な病室で飲みたくない薬を飲まなければならない。病院のごはんはおいしくない。何より外で思いっきり体を動かすことができない。5歳や10歳の再発時、病院で考えていたのはこういうことだ。自分だけがなぜ苦しまなければならないのか、といった現実を受け入れることが、10歳の自分には到底難しいものだった。

 もっとも、彼女とて楽だったはずがない。映像の中にもいくつかは映っていたが、そこには映らない彼女の苦しみを想像することはできる。それでも難病と闘う同世代の仲間や、遠くにいるファンや、泳ぎたいという気持ち。起きているだけで体がしんどく、「死んだほうがいいんじゃないか」と思ってしまうほど深く大きく心理的に落ちたあとに、そこからリバウンドする力がなんと強くてすがすがしいことか。

 レジリエンス、という言葉をここ10年ほどでよく聞くようになった。3.11の時にもこの言葉をよく聞いた。退院後、彼女とて例外ではなく同じように、いや、免疫機能が弱まっているがゆえによりリスクの高い形でCOVID-19とともにある世界で生きることになった。それでもなんて彼女はポジティブで力強いのだろうと感じさせてくれたのは、COVID-19の流行を機に減ってしまった献血への呼びかけだ。
 
 彼女は強いから魅力的なのではないと感じた。彼女は自然な姿を見せるだけで、それだけでものすごく魅力的に見えるのだ。やさしさ、ポジティブさ、強さ、弱さ、もろさ。ありのままのいまを見せようとする彼女にどうしようもなく惹きつけられる。同世代のほとんどが味わうことのないような過酷な経験をしたことでもろさ、弱さを知った彼女が見せる新たな表情と言葉が、とてつもなく強く、まっすぐに響く。

 彼女はもう過去の彼女には戻れない。でも彼女の輝きはきっとこれからも失われないし、新しい色になって存在感を示していくのだろう。願わくばまた彼女が笑顔で、そして強くプールで泳いでいる姿を見られることを。あるいはそれが叶わないとするならば、彼女の見つけた新しい道を、人生を。
 
 もうすぐ20代になる彼女の見せる、10代最後に見せるまぶしいまでの輝きをこれからも見続けていたい。


※このエントリーは5月9日に配信したツイキャスを下に書きました。ツイキャスの録音は以下を視聴ください。


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 半年ほど前、NHKが作った安楽死に関する番組への批判を長々とつづったエントリーを投稿したが、現実の死を題材に何かを表現するというのはそもそもがセンシティブな要素を多分に含んでいると思う。死は、身近な人にとっては個人的な出来事だ。だが、安楽死にしろ、今回の映画のテーマである在宅死にしろ、誰かの死はそれ自体が社会的な関心事になりうるし、高齢者福祉や在宅医療といったくくりで見たときには社会保障政策の対象になりうる。要は、個人的であるのと同時に社会的、公共的な出来事でもあるのだと言える。




 さて、もともとはBS1スペシャルの100分番組 「在宅死 “死に際の医療”200日の記録」として制作され、この短縮バージョンがNHKスペシャルにもなり、そして今回改めてディテクターズカット部分も交えて110分のドキュメンタリー映画として完成したのが、本作『人生をしまう時間』である。監督も出演者もテレビ放映の時のものを踏襲しているし、何ならすでに見たことがある映像が多々あった。だが、初めましての人にもわかりやすいように、いままでよりもずっと「視聴者に語り掛ける」切り口を見せているなと思った。ナレーションが一切ないにも関わらず、である。

 それでもこの映画が視聴者に対して優しい作りになっているのは、小堀鴎一郎医師や堀越洋一医師を中心とした在宅医療、居宅介護メンバーの医療福祉スタッフ(ケアマネ含む)が幅広く登場しているからだろう。テレビ版では尺の都合やおそらく分かりやすさへの狙いもあり、医師の言葉と患者(利用者)/家族(親族)間の言葉のキャッチボールが流れるシーンが多かった。劇場版では小堀医師や堀越医師の葛藤にも似た言葉にも存分に耳を傾けながら、この二人を近くで支えるスタッフたちの言葉にも耳を傾けていたのがよかった。

 たとえば映画で新たに挿入されたあるエピソードでは、往生を終えた女性のベッド脇でケアマネと
家族との言葉のやりとりがしばらく映像に残っていく。ある人にとっての死は、その周辺の人も巻き込むことが多い。だから人の死は何かの終わりをそのまま意味するわけではない。「死に方を考える」とか「死に方を選択する」ところから始まり、実際に誰かが亡くなり、そしてそのあとに余韻が残される。そして余韻が終わったころ、残った人たちの人生がまた始まっていく。

 テレビ版でも印象的だった百目柿を愛する老人と、目の見えない中年の娘とのやりとりにもそうした時間の流れがよく見える。視聴者は老人と娘のやりとりをただただ見守ることしかできない。しかしそこに小堀医師がやんわり介入していき、最後の時間をささやかに演出する。でも、本当の最後の時間は当人と、そして身近にいる人だけのもの。だから小堀医師は老人の娘に言う。すぐに知らせなくてもいいから、そばにいてあげてほしいと。朝になったら見に来るから、と。

 昨年話題になった東畑開人の『居るのはつらいよ』を思い出してもいい。ただただそばにいること、そこに意味を見出そうとすればするほど、つらく苦しい。けれども、誰かがそばにいることでうまくいったり、逆にうまくいかなかったりする。誰かがいなければそのどちらも生まれえないことが、人間と人間の間には存在する。先ほどの老人はほとんど死を待つのみになっており、医療行為めいたものはほとんど何もできない。だが、柿のなる日を待ちわび、そしてその柿を誰かに渡したいという思いをくみとるためには、「ただいるだけ」の人が本当に必要だ。そして死ぬまでの日々をケアする人もまた。

 東大医学部を卒業し、そのまま東大病院などで外科医として腕を振るった小堀医師にとって、死を前提とした医療はその語り以上に葛藤にあふれていたはずだ。それでも、いやだからこそか、決してわかりやすい答えのない在宅死の現場に80を過ぎてもなお通い続けるその意気に、在宅医療や在宅死を通して人間の在り方そのものを見ようとする、ある老医師のたぐいまれなライフワークが存在することがよくわかる。

 すべての人が望んだ死を選べない現実にも、医師は実直に、そしてユーモアを交えて向き合う。社会保障政策の不十分さも要員ではあるものの、医師の語り一つ一つは本当にすぐれた、そしてヒューマニティに満ち溢れた、ライフワークそのものである。


死を生きた人びと
小堀 鷗一郎
みすず書房
2018-05-02







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ETV特集「親亡きあと 我が子は…〜知的・精神障害者 家族の願い〜」


 以前ETV特集で放送された「長すぎた入院」は精神病院における長期入院を取り上げた良質なドキュメンタリーだった。長期の入院により失われるものの膨大さを丹念に切り取りながら、番組の後半では退院した患者を受け入れる小規模グループホーム(GH)を取り上げていた。今回、知的障害者や精神障害者の親と当事者に焦点を当てたのは、高齢者介護に比べると「社会化」がまだまだ足りていない障害福祉の世界における重要なテーマだからだろうし、「長すぎた入院」のアフターとしても見るべき番組だった。

 番組の要点は大きく分けて3つある。まず、成人になった知的障害者が親と同居する一方で親が年老いていったり貧困化し、障害者自身の生活の将来像が見えないこと。次に、精神障害者の地域移行(一人暮らしや施設入所)が親の疲弊に加え、資源の不足や周囲の偏見といった困難さを抱えていること。最後に、ではどのような形でケアを社会化させ、親の負担を減らすことが可能か、といったところが要点だったと思われる。

 中でも、成人してから20年近く幻聴に苦しみ、10回以上の入退院を繰り返した後に最後は実の父親に絞殺され、亡くなった女性(明示されていなかったので断定は避けるが、統合失調症の症状の表れ方に類似していた)を取り上げていたのが衝撃的だった。モザイクがかかってはいたが、女性の遺影や遺品、部屋を映しながら、殺人の罪で起訴された後に執行猶予がついた父親(こちらもモザイクがかけられていた)へのインタビューを試みていたのは、強く印象に残った。

 こうしたあまりにもヘビーな現実をふまえながら、現実的なケアの社会化(家族の外でケアを行うこと)や地域移行(病院や大規模施設以外の形でケアを行うこと)の形を探す取り組みとして、千葉で行われているACTや、大阪(だったと思う)のある地域で行われていた当事者親のGH建設運動が紹介されていた。ただ、屁びーーな現実は当事者や支援者の努力だけでどうにかなるものではないのも現実で、GH建設運動の行き詰まる様は現代社会におけるマイノリティの生きづらさそのものであると感じた。

 高齢者介護については、当事者である高齢者のボリュームが大きく、票田にもなることから選挙の争点にもなりやすい。ここしばらくホットである年金問題も、本来ならば障害年金も含まれるべきだろうが、あくまで老齢年金の話題として取り上げられる。家庭内でケアを行うことになる現役世代の問題でもあり、まだ低賃金かつ重労働の典型である介護現場の待遇改善といった話題も、介護保険以降の課題として取り上げられることが多い。

 ただ、それに比べると、すべての人が当事者や関係者にはならない障害福祉の領域は、あくまでone of themの論点として政治の世界では扱われがちだ。今回の参院選では山本太郎の政党が当事者を比例で擁立したことで話題になったように、一般的な領域というよりはやや特殊な領域として語られることが多い領域である。結果とし、浦河べてるの家のような一部の先進的な団体や地域を除いて、成人した障害者ケアの社会化というトピックは大きな形では浮上しない。

 おそらくこうした現実が、障害者たる子が成人しても親と同居している現実や、新しくGHを建設しようとしても周囲の理解が得られないという問題ともリンクしている。わかりやすく言えば、一般の人々にとっては障害者とおは「未知なる他人」であって「自分とは異なる他者」として見られることもそうそう一般的ではないのだろう。ただでさえ階層や属性による分断が進む現代においては、「他者」という存在を認知、受容することすら難しい。当事者の連帯は社会運動的な意味でも負担の軽減的な意味でも重要な要素だが、当事者以外の他者と連帯することの難しさを、まざまざと見せつけられるドキュメンタリーになっていた。


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 こうした状況を踏まえて一人の支援者として言えることがあるとすれば、目の前の利用者に対して何ができるかを考え、同僚や関係機関と上手に連携して、少しずつ自立度を高めていくことしかないのではないか。ただ番組でも紹介されていたように、あまりにも資源が足りない現実(この点においては高齢者介護も同様である)は拭えない。身も蓋もないことだが、ズブズブにならないよう淡々とできることをやっていくことでしかない。

 もちろんこれはまず目の前の相手に対してできることであり、長い目で見た時はまた別だ。ACTのように、その時々で使える制度をうまく利用してやっていくことが経済的だし、ロールモデルになりうる。とはいえACTも現実にはなかなか難しいという話も聞くし、多職種連携は介護の世界で重要な要素だが、連携のコストを乗り越えなければ実りのある支援にはなりづらいだろう。やり方はいろいろあっていい。当事者の利益にかなうことは何かをじっくり考え、支援スキルを磨いていくことを、個人として改めて意識づけられた。

 ただ、一つ言えることがあるとすれば、90年代以降にノーマライゼーションが制度や生活の場面で少しずつ浸透し、立岩真也『生の技法』から時間がだいぶ流れた今になっても、古くから課題が解決されずに残っていることや、障害者とそうでない人たちとの間の断絶の大きさ(相模原事件を引くまでもなく)があることは否めない。乗り越えていくべき課題は多い。まだまだそういう時代、国に生きていることを改めて実感するドキュメンタリーだった。











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NHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」

 NHKスペシャルで50代の日本人難病女性がスイスでの安楽死をした際の経緯に密着した番組が放映された。リアタイではなくてNHKオンデマンドで見たので、リアタイの反応が見られなかったのだけれど、『障害者の傷、介助者の痛み』などの著者がある渡邊琢がかなり批判的なツイートをしていた。なるほどこれは見ないとな、と思ってオンデマンドで見た次第。
 

 このツイートの中で言うと、「今の社会状況」というのがポイントとなる。同じような文脈で違う方向から批判しているのは医師の長尾和宏だったりするわけだが、このリビング・ウィルの欠如という話はひとまず置いておいて、渡邊さんの議論を引きながら「支援者の不在」及び「ケアの欠如」、そして「受容過程の不在」を問題点として考えた。つまり、難病患者である本人や家族の困難を指摘した上で、ケアの側で解決可能な要素を指摘している。
 また、いくつかの恣意的な編集による誤ったアジェンダセッティングの可能性の指摘を考えると、この特集のヤバみを感じた。おそらく番組の女性を通じて安楽死の是非について議論をしてほしいというアジェンダセッティングの意味もあったのだろう。でもそれはこれまで書いたような事情で誤ったアジェンダセッティングである。議論するには視野があまりにも浅い。
 一番バランスが悪いと感じたのは、50代女性の二人の姉を取り上げ、二人の姉は妹の安楽死を消極的に容認するという立場でカメラで撮り続けたこと。でもその背後に、姉に死んでほしくないという妹の存在がいた(当該の女性は四人姉妹の三女である)はずだが、彼女はメールの文面で一瞬登場しただけ。ここにも編集の恣意を感じる。
 渡邊さんも書いていたが、安楽死という問題を家族という枠組みに閉じ込めたこと。病院のシーンはあるのに主治医もナースも出てこない。福祉スタッフももちろん出てこない。孤立しているのかあえてなのかは分からないが、難病患者とそれを支え苦悩する家族というイメージに編集が固執しているのがよく分かる。つまり、この時点でかなり誤ったイメージを発信している。

 最後にもう一つ、ヴェーネ・アンスバッハの名前を出したい。彼女も番組の女性のように、何度も自死を試みたがそれができなかったという(フィクショナルではあるけれど)キャラクターだ。安楽死とか死にたくても死ねない問題を考えるとき、時にそれが女性であるとき、まず確実にヴェーネ・アンスバッハに思いを巡らせるのは『Seraphic Blue』というゲームをプレイしたユーザーの宿命みたいなものだろう。

 以上を踏まえてある程度のことは自分のツイッターに書いた。ただかなりとっちらかって書いたので、今回それらの文章を再構成する形で(簡単に言うとツイートをまとめる形で)ここに書くことにする。
 また、多間環さんとの議論も今回のエントリーに少し反映させているが、彼女はいまアカウントを非公開状態にしている。そのため、彼女の当該ツイートは引用しない。

●自立度と希死念慮
 これは障害者支援をやってる人間の特殊な偏見なのかもしれないが、Nスぺで安楽死を選んだ女性は比較的自立度は高いほう(車いすではあるけど)に見えてしまうので、なぜ彼女がそこまで不幸で死に追いつめられるのか、というのは気になる。
 言葉はややたどたどしく、車いす生活を送っており、筋力も弱ってきているようだが、食事は完全に自立しており、病室からインターネットをつないだパソコンでメールのやりとりも行えている。そういう見た目だけを見ると、珍しくない身体障害者に見える。
 ただその上で、あなたはまだマシ、もっとしんどい人がいるという気は全然ないし、それぞれの人の抱える痛みは安易に相対化すべきではない。それは原則的に守るべき。ただ、障害や難病の度合いと希死念慮は別の所にあるのではないか。

 例えば重度身障者が皆希死念慮があるかというとそういうわけではない。番組の女性のような中途障害者や難病患者が同じようにそうではない。どちらかというと、その過程でメンタルを病んだり精神障害を発症するという二次的な作用が希死念慮を引き起こすというイメージだ。
 つまりある人の順調な人生が難病の罹患によって完全に折られてしまい、精神的にも立ち直れなくなった過程で希死念慮を持ってしまったのだろうと仮定する(あくまで仮定として)。障害の受容段階論で言うところのショック期を超えられるか分かれ目なのだろう。

●難病を受容する過程

 当人の受容過程が希死念慮を考える上で大事なのだが、番組においては「私らしいうちに死にたい」という彼女のショック度を表現しているにとどまった。この彼女が安楽死を不可逆的に選択したとなると、あまりにも多くの人が安楽死を選んでもおかしくはない、となりそうだ(番組の編集の問題として)。
 それがいいのか悪いのかは正直分からないし、安楽死という選択それ自体を批判するつもりはない。ただ、進行性の神経難病の場合、あれは確かに希死念慮を持ってもおかしくないということは、かつて神経系の難病患者だった人間としては否定できないということは理解できる。
 一番病気がつらかった10歳の時、周りの大人に死にたいって言ったら相当怒られた記憶がある。言った相手が同じ難病患者の子どもを持つ親だったと記憶しているので、怒られるのは当然だ。つまりそれはそれで一つの正しい反応だろう(命を粗末にするなという意味で)なと思うし、結果的に私自身は29歳になるまで生き延びているので、希死念慮それ自体への対処法ってのはあるはずだ。希死念慮を尊重しすぎると、それはそれでロクな結果につながらない。

 番組の女性については韓国の大学を卒業し、翻訳や通訳などのキャリアを持ち、その後児童養護施設での勤務を考えていたらしい。仕事一本で生きてきたような、タフな女性だったのだろう。ただ、タフであるがゆえに進行的に身体の自由を失っていく難病生活が耐え難かったのは容易に想像できる。
 しかし、言ってはなんだが歳を重ねると様々な事情でキャリアを中断するということはあまりにもありふれている。あるいは、若くしてがん患者になり、容赦なく余命を宣告される人も珍しくない。自身は健康でも親の介護で離職するというケースも、40代以降に差し掛かったなら本当に珍しいことではない(それを支える制度もまだ貧弱であるし)。
 彼女に似た人は大勢いる。だから彼女が安楽死を選んだことを容易に正当化するのは危ういが、番組はあまりにも彼女の主張を尊重しすぎてはいないか、というのが最大の違和感と言ってもよい。

●制度・政策的観点
 海外と比べて日本は安楽死の議論が少ないと番組では語られていたが、日本は高度な医療技術と世界的にも稀な医療制度を持っている。遅ればせながら障害者支援の枠組みに難病患者も取りこまれるようになっている。このような難病患者が生き続けるための環境について、番組では触れられることがなかった。
 だから渡邊琢さんのようなケア職の立場の人が番組の構成に疑義を唱えるのは当然だ。日本の医療制度にほとんど言及せず、尊厳死は認められてきたが安楽死は認められないという単純な二項対立でしかこの議論を行わない番組の構成は、あまりにも雑だと感じる。その雑さが誤ったイメージを発信しているとすれば、マスメディアとしての姿勢として大きな疑義がある。

 さらに福祉政策の観点から考えると、重度身障者は訪問、通所、施設系の障害者支援サービスを豊富に受けることはできるし、事業者にはそれなりに加算もつくけれど、難病患者への福祉サービスの受け入れの実態としてはまだまだといったところだ。そして番組の女性が入院していた新潟にその資源があったかというと……という印象は拭えない。
 例えば高齢者は社会的入院が問題になった80年代以降、どんどん病院から出ていける(出て行かざるをえない)ようになったけど、難病患者は病院で社会的入院を続けざるをえない、となるとつらいものがある。可能ならば在宅で、地域で訪問看護や訪問介護などのサービスを使って生きていける選択がもっと広まっても良い。というか、実際にはそういう例は豊富にあるはずだ。なのになぜか番組ではそういった施設外のケアについては触れない。
 故小山剛の先進的な在宅介護の取り組みで知られるこぶし園は新潟(長岡市)だし、地方だから何もないとは思わない。このあたりの掘り下げは、それこそ地域に密着するマスメディアであるNHKならあってもよかったのではないか。

●死ぬことと生きること
 高齢者福祉の世界では死が本当に目の前にあるけど、障害者福祉の世界だとすごいやり方で生きている人と、死にたいが口癖だけどやっぱり生きてる人と、いろいろな人がいる。生と死は単純な二元論ないなと日々この領域で仕事をしていて思うところだ。
 渡邊さんが今回の番組の編集を相模原障害者施設殺傷事件になぞらえてていたように、生きることのグラデーションが窮屈な社会というのは、役割を終えた人や役割を失った人から、生きることを容易に奪ってしまう。生産性がなくなったから死ぬことを目指し、それを容易に容認するような社会なのであれば、そもそも医療も福祉も最低限にしか必要がない。
 もちろん先天的な障害と中途で罹患する難病や確かに状況が異なるものであろうが健常ではない存在を否定し、それを容認してしまうということは、実際に健常な身体や精神を持たずに生きている人たちを見殺しにしてしまうのではないか。彼ら彼女らの尊厳への目配せがあまりにもないのではないか
 治療の見込みが、身体の機能の改善の見込みがないならば不要になるということだ。しかしそれは正にディストピアだし、ナチズムに通じる。このあたりの視野がNHKに欠けていたことも、あまりにも危険だと感じた。

●ヴェーネ・アンスバッハのこと
 番組の女性がやったことは積極的安楽死でもなんでもなく、現代日本社会の中で生きられなかった人の自殺の手段が電車への飛び込みではなくて投薬だった、という風にも理解できるだろう
 難病の進行と希死念慮を経ての安楽死は安楽死というより単なる自殺だと考える。それは、セラブルのエピローグパートにおいて、天使としての役割を終えて、何もない、無の存在となったヴェーネ・アンスバッハの言動とダブる。
 でもヴェーネは二年かけても死ななかったし死ねなかった。ある意味飼い殺しとも解釈できるアフターエピソードはかなり残酷だし、他方で役割がなくなって無になったとしても死ぬ必要はないし生きて良い、という天ぷらのイデオロギーかなとも感じた(なので女性にも安楽死する前にぜひセラブルをやってほしかったな、その上で結論を出してほしかったかなというのが強引な感想)。
 ヴェーネもそうかもしれないが、安楽死した人にも「尊厳」の呪いのようなものがあるかなと思う。結局のところ完全に病気を受容すると尊厳が失われるかのような錯誤をしたまま死んでいったような気がするし、それは本当に幸福な決断なんですかね、と問いかけたい。
 受容した上で自死するならともかく、受容の過程を経ずに病気によって変わってしまった自分自身をただただ否定して自分を殺してしまうというのは、簡単に言ってしまえばエゴだろう。別にエゴであってもよい。
 ただ、そのエゴをさも正しいものかのように振る舞うことについては留保が必要だ。あなたにとって正しいことが、他人にとっても正しいとは限らない。この意味では、同じ病気の別の重度身障者の女性を番組で取り上げていて、ここは数少ないバランスに配慮した部分かなと感じた。

 「ヴェーネ論」の結論で書いたことは、ヴェーネにいかに生き方の幅をもたらすかであった。安楽死を選んだ女性にとっても、これまでの生き方を失ったからと言って、今後の人生の生き方の幅を全否定しなければならなかったのだろうか。ここには留保が必要である。
 また、生き方の幅を失った、あるいはそもそも持たない人間が一つの役割を終えたから死んでしまうというのであれば、この世界には死者だらけになってしまう。そうではなくて、何か大きなことを終えたあとでも死ななくて良いという話をしたかった。あるいは、何か大きなことが難病等でできなくなったとしても、それでも何か別のことはできたのではないだろうか。
 もっとも、ヴェーネの場合は希死念慮が容認されたわけではない。番組の女性は二人の姉に容認され(一人の妹には否定されていたが)ここは大きい違いだろう。そして自殺未遂を繰り返すものの、彼女は死ねなかった。ここには迷いもあるのかなと感じました。生きること、死ぬことのいずれのが出来ない戸惑いのようなものがある。
 番組の女性はあまりにも死にとりつかれていて、そして姉もそれを容認する、死以外の外部性を失わせるという、「ヴェーネ論」で出した結論と対のアプローチをしていた。死による救済を掲げるキャラがセラブルには複数出てくるが、ヴェーネはその敵に抗した。ヴェーネが死ねなかったのも、もしかしたらここに理由があるのかもしれない。

*******

 以上、かなり番組に批判的なコメントを書いてきたが、ケア職の立場として言いたいことはすでに渡邊さんが詳細に論点を提示しながら批判していたので、分厚く書くことはなかった。
 その代わり、ヴェーネ・アンスバッハのことを考えずにはいられない自分の性分をしたためたつもりだ。当初番組の女性がヴェーネっぽいのではと思っていた部分はむしろそうではなく、ヴェーネとは遠いところに番組の女性はいた、という風に結論付けたい。
 そういうわけで、来るべき「ミネルヴァ論」のための布石としては、いい思考のトレーニングになりました。





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 このエントリーは2月16日に行われた、【ものを書くための、読書会 vol.21(テーマ:「私と本」)に参加した際のエッセイで、30分即興で書いたものを掲載します。接続詞や助詞などをやや直した以外は、当日発表したものとほぼ同じです。文の展開がややごちゃごちゃしていますが、即興ということもあるのでご了承ください。

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 私がかつて難病患者でなければ、こんなに本を読まなかっただろう。もしくは、本を読んだり、文章を書くことが楽しいと思えるのは、もっと後だったと思う。(※神経系の難病に罹患し、闘病していた時代があったというお話です)
 最初に長い入院にしたのは5歳のころで、5歳の男の子にとって入院生活はまああまりに退屈なものだから、病室を抜け出して他の病室に不法侵入するか、誰かから差し入れられたスラムダンク全巻(※当時まだ未完だったので、既刊の全冊)を読むのが数少ない楽しみだった。退院した後、「俺は天才だ」と叫びながら、しかし桜木花道ではなく三井寿にあこがれてシュート練習をしたのをよく覚えている。
 次に長い入院をしたのは10歳の時だが、この時は病状が重かったので、本を読む余裕はなかった。
 その次が13歳の時で、この時に小説を読むことに真に目覚めてしまった。この頃、2ヶ月ほど入院したものの比較的病状は軽かったので、たくさんの本を持ち込んでいた。橋本治に出てきたジェフリー・アーチャー(※今回課題となって輪読した橋本のエッセイ)の『ケインとアベル』や、ワイルドアームズ3のノベライズや、『聖の青春』で有名な大崎善生のデビュー小説や、要はジャンルというものが分からないから、新刊として売っていたものと、親の本棚にあってものを持ち込んだのであった。
 一番退屈をしのげたのは司馬遼太郎を読んでいた時だ。文庫で8巻ある『竜馬がゆく』を読むのは、流行のマンガを読むことよりも面白かったと思う。

 この時の経験がなければ、すでに遊びで始めていたインターネットで本の話をしたり、書評を書くためにウェブサイトを13歳の年に作ることはきっとなかった。もちろん、先の人生にもきっかけはあったと思う。でも、この時に入院していなければ、ゼロ年代初期のインターネットを楽しめてなかったのではないか。
 そもそも今の自分の原型はすべてこの時にある。平日は陸上部で毎日走り、家に帰っては本を読み、チャットをするなどしてネットで遊ぶ。この後の人生でたくさんのことを経験するが、走ること、本を読むこと、文章を書くこと、これらを三位一体でやっていたこの時はとても楽しかったし、今の自分を支えているのも13歳の自分のおかげだと思う。
 だから今でも、2月になると地元で丸亀ハーフマラソンを走るのが楽しい。走りながら文章のアイデアを考えることもよくある。読むことと書くことと、走ることは社会人になった今では仕事のストレスを発散させるための、とても安価で有効な方法だ。そしてもちろん、今いるこの場所(※カフェみずうみにおける読書会のこと)も、遠征という形で日ごろのストレスから解き放たれて、読むことと書くことを楽しんでいる自分がいる。
 だから今の私は、13歳だったころの自分感謝しかない。今後の人生においても、自分の原点だったリトルバーニングが、病院というとても不自由な空間で編み出した自由な生き方を、忘れてはいけないと思う。
 あれから気づけば16年経ち、2019年2月16日の今日、私は29歳になった(※事実です)。苦しかったことを乗り越えて、ここまで生きてこられたことに感謝したいというのが、私と本の間における重要な関係性である。 (了)







ケインとアベル (上) (新潮文庫)
ジェフリー アーチャー
新潮社
1981-05-27



パイロットフィッシュ (角川文庫)
大崎 善生
KADOKAWA / 角川書店
2012-10-01




◆追記
 病気のことについて追記する。追記する理由は上のエッセイではあまりにも説明してないから(即興なので許してほしい)ということと、13歳以降の至って健康な自分を知っている人からすれば、かつての自分がこうだったということは知らない場合が多い。
 わざわざ話すネタでもないので当然といえば当然だが、逆に地元の同級生や当時の教師はほぼ全員が自分が病気していたことを知っているはずで、このへんのギャップがあることを、エッセイを発表するまで忘れていたせいもある。なので改めてここで、コンパクトに、ではあるが少し病気についての追記を行う。
 私がかつて経験した病気は多発性硬化症・視神経脊髄炎/重症筋無力症の合わせ技だったが、いずれも当時の難病指定56疾患に指定されていたため、特定疾患医療受給者証を取得し、公費による難病医療助成を受けて治療することができた。その後も一年ごとに受給者証の更新を行ってきた。
 現在は「難病法」の施行により約300疾患にまで拡大されたが、私自身は13歳時の再発以降は長らく軽症患者であったため、現在は受給者証を所持していない。ただ、軽症患者を助成の対象から切り離して良いのかどうかについては議論がある。
 私と同じ病気を経験した人の著者としては次のものに詳しい。

難病東大生
内藤 佐和子
サンマーク出版
2009-10-09



 また、大野更紗の著作も、彼女とは違う病名ではあるが症状の出方や、役所に出す書類のめんどうくささなど、読んでいて共感できる(というか昔経験した)ことが多くあった。

 
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 レイズさんの以下のツイートに対する個人的な見解について。




 簡単にまとめて自分のタイムラインに流しましたが流れていくのもあれかなと思い、もう一度ここで参考文献も載せつつまとめてみます。一部訂正も含みつつ。

・たとえば健康保険は戦前に原型や一部の被用者保険があったりして戦後の60年代に国民皆保険となり、合わせて年金制度も整う。介護のルーツは70年代に成立した老人福祉法だと思うけど、高齢者医療費無料化が主だったのでどちらかというと医療制度の一環な気がしている。
→老人福祉法の制定は1963年だが1972年の一部改正による老人医療費無料化が実際に与えた影響力としては大きいと考えられる。一部の地方自治体が先行していた左派的な政策(いわゆる革新自治体)を国レベルで取り入れた形。










・もちろん医療制度と言っても当時の「老人」たちは病院に「社会的入院」をしていたのであって、それはつまり病院が実質的な介護施設を兼ねていたと言っていいと思うのだけどそれだとベッドをどんどん埋めるし医療費も膨らむというのが80年代の議論であって。
→「社会的入院」は入院に対するネガティブなイメージであり、行き先のない高齢者や精神病患者に対して用いられていた言葉。当時のことはリアタイで知らないので一般的に使われていたかはわからないが、医療政策をやっている人間なら知っているであろう概念の一つ。かつては精神保健福祉が未整備で、精神病院への入院は数十年単位を数えるのも例外ではなかった。







関連記事:日本の戦後精神医療史の凝縮 ――NHKEテレ(2018)『ETV特集 「長すぎた入院」』(2018年2月14日)

・1987年に社会福祉士及び介護福祉士法ができて社会福祉士、介護福祉士という福祉の国家資格が生まれるわけだけど、ここから2000年の介護保険まではまだ開きがある。そのためには1990年の福祉八法改正をまず経過せねばならない、という感じですかね。制度史的には。
→ちなみに精神保健福祉士の資格の整備には1987年からさらに10年を待たねばならない。この意味でも精神科領域の福祉の整備は遅れているイメージが強い。

・レイズさんの指摘する「家族で介護をやるのは、病院で見てる限りはかなり無理があるように思う」のは昔もおそらくそうであって、おそらく家庭内における何らかの女性(嫁や娘など)がその役割を担うとされていたはずだから、女性への負担は大きかったはず。もちろんいまも、ですが。
・しかしながらそうして無理を通してきてしまった歴史がそれなりにあってしまうことによって、いまでも介護は家で女性がするものだとか、介護業界は女性が数的に優位であることとかも、ジェンダー的に偏った認識のままきてしまった歴史的な産物なのではと思う。
→ジェンダー的な視点ももちろん指摘できる。介護は専門職が家の外で行うものでなく、「女」が「家の中」で行うものだという時代が長く続いたことの弊害はいまでも散見される

・直接的な回答にはなっていないかもだけど制度史的にはこんな感じです。ちなみに制度だけでいうと精神科領域も別の形で遅れをとっている・・・ような気はします。こちらも木村敏や中井久夫のようなすぐれた精神科医は戦後出てきているが精神保健福祉の領域では遅れがあるのではと。








 介護のみならず福祉制度を政治の視点から見るならば最初に挙げた3冊が適していると思う。医療もそうだが、どの時代も福祉は政治の争点になってきたし、いまでもそうであることがよくわかる。そこには一定の党派性や流行があり、90年代以降に加速する高齢化によって財政赤字の問題とセットで議論される領域になっている。

 介護だけに限定すると、
・福祉制度的な優先順位が政治のレベルで高くなかったこと
・高齢者の社会的入院が実質的な介護を兼ねていたこと
・ジェンダー的な偏りが長く続いたことによる弊害
 この3点が主要因だと考えられる。

 高齢化問題は早くから指摘されていたものの老人福祉法から介護保険へと移行するまでには時間がかかったことも、結果的に介護に関する制度やサービスの整備の遅れにつながっている。
 介護保険以降は小規模施設や地域密着型サービスの整備が進んでおり外形的には「施設から地域へ」という移行が進んでいるが、これも財政赤字が前提にあることは指摘しておいていいと思う。特養などの大規模施設で丸がかえしてみるべきなのは比較的要介護度の高い高齢者だけという流れは、今後も大きくは変わらないだろう。
 

 ざっくりとしたまとめだけどこちらからの回答はこんなところ。何かあればご質問ください。
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公式:http://www4.nhk.or.jp/etv21c/x/2018-02-03/31/18887/2259602/
オンデマンド:http://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2018084758SC000/?capid=sns002(視聴は2/17まで、216円)

 当日リアルタイムで見逃してしまったのを悔やみつつ(丸亀ハーフの前日だったから仕方ないね)一部で話題になっていたので見てみたが、60分という短い中で戦後日本の精神医療史をコンパクトに凝縮した特集だと思った。視聴期限が迫っているが、医療問題やマイノリティの問題に関心がある人には見てほしいと思う。
 たとえばイタリアは精神病院を捨てたともいわれているし、人権意識の高い西ヨーロッパ諸国は戦後、むしろ精神病院を減らして地域移行を進めていったと言われている。対して日本の精神病院という構造はいまだに残り続けていること(世界の精神科ベッドの2割が日本にあると紹介されていた)や、地域移行が進まずに数十年単位の長期入院が強いられていること。
 そして今回登場する統合失調症の患者は、3.11によって皮肉にも退院の契機を得たこと、などだ。

 細かい論点は番組を見てほしいということで、番組で補足されていなかったいくつかのことに触れておきたい。
 まず番組に登場するのはほとんどが中高年、さらに老年と言ってもいい年齢の統合失調症患者だ。なぜこうなっているかというと、一つは統合失調症は主に10代後半から20代の青年期の間に発症するとされ、そのまま入院が長期化しているからだろう。長期化している理由は番組の中でも戦後の精神科病棟への収容政策があったとされているように、結果的に座敷牢から病院へという形で「収容」という発想が変わらなかったのが根本の原因である。(他方で、近年は入院患者数は漸減している。ソースがすぐに見つからなかったが、ゆるやかな地域移行の成果と、新規の発症者が減少している帰結とされている)

 番組でも紹介されていた(はず)が、現在の精神科への平均入院日数は280日ほどである。まあこの平均が意味するところの具体的なばらつきは明かされなかったが、いまの若い人が入院したとしてそこから40年や50年入院というケースはほとんどないだろう。
 中井久夫の研究に代表されるように統合失調症自体への研究が進んできたことや、入院以外の選択肢が様々あること。服薬が必要な場合でも、メンタルクリニックへの通院が一般的だと思われる。(ちなみに精神疾患の治療の際、自立支援医療の適用を受けると、自己負担が1割で済む)
 数はまだまだ足りていないと思うし、番組内では住民の反対運動の歴史なども紹介されていたが、精神疾患専門のグループホームも各地に作られている。通所施設としての作業所や就労支援施設も様々あるので、在宅もしくはホームで生活しながら仕事をしたり適宜ケアを受けたりといったことは可能だ。一人暮らしの場合など、事情によってヘルパーによる家事援助も受けられるだろう。
 そもそもいまの医療制度では長期入院によって病院はもうからない構造になっているので、ある程度長くなってくると病院側は患者を積極的に退院させるはずである。よって、番組に登場した患者のような長期入院はよほど重篤か、よほど自傷や他害行為といった緊急性がないかぎり行われないはずだ。

 ところで精神保健法ができたのが1987年、精神科ソーシャルワーカー(PSW)としての精神保健福祉士の制度が始まったのが1997年、そして「分裂病」から名称が変わり「統合失調症」が誕生したのが2002年と、まだまだ統合失調症を中心とする精神科医療の周辺の整備は日が新しい。
 整備されて日が新しいということは、医師や看護師、あるいは作業療法士などが主に病院での患者の支援にあたっているが、病院の外で患者の支援にあたるワーカーはまだまだ不足しているともいえる。仮に精神保健福祉士の資格を得たとしても、活躍の場が十分にあるか、また賃金が十分かという点もまだまだ改善の余地がある。 
 番組の中では病院の中で数十年もの歳を重ね、中高年になった患者の退院と地域移行への取り組み
も紹介されている。患者たちは病院の外に出られただけで幸せを感じており、その幸福感は表情からにじみでている。他方で受け止める家族もまた高齢化しており、彼らの複雑な心境も露呈していく。家族を責めるのは容易かもしれないが、個人的には家族も何らかの形で収容政策の被害者になっているように感じた。
 もちろん家族の意向もあって入院している患者も多いだろうし、その点では家族は加害者ともいえるわけだが、とはいえ家族か病院かという二択しか長い間選択肢がなかったことを見落としてはいけないと思う。この点は高齢者介護の問題とかなり近似していると思っていて、介護離職という問題も本来は高齢者の地域移行や見守りの制度がスムーズに整備されているならば大きく顕在化しなかったかもしれない。
 精神疾患の患者も高齢となった親も、そのケアをいかに長い間家族が背負ってきたのかはもう十分に語られている。統合失調症患者の長期入院も、それは一種の社会的入院だったのだろう。でもそうした収容の時代、人権無視の時代はとっくに終わっているし終わらせる方法をもっと模索しなければならない。いま生きている時代は、たとえ日本が世界の潮流に出遅れているとしてもそういう流れの中にあるはずだからだ。

 もう一つ、精神疾患を持たない知的障害者も長い間入院を余儀なくされてきたことも番組の中で紹介されている。知的障害者は長い間「精神薄弱者」という呼称をされており、1998年にようやく知的障害者福祉法が整って名称が変わった。
 知的障害者の場合は各地に特別支援学校や養護学校ができるなどして環境整備が進んできたが、他方で収容されていた知的障害者もいるという事実を、今回の特集ではさりげなくではあるが強調した番組の意義は大きいと思う。 
 その意味では、戦後の障害者政策の一端も「凝縮」されたいい特集になっていた。なかなかカメラの入りにくいと思われる精神病院の中にカメラがどんどん入っていっていること、そして病院の日常が比較的淡々と撮影されていることに好感を持った。過剰なナレーションなどいらなくて、カメラの先の日常が彼らにとってのすべてなのだろうし、決して飛び降りることのできない窓枠も彼らの日常の風景なのだろう。

 地域移行という意味では障害者の日中の通所施設で仕事をしている自分にとっては、まさに一つの流れのプロセスの中にいるのだろうと思う。統合失調症の利用者には多く接してきたし、入院経験のある利用者からは病院という場所のいやな思い出や忌避感をたくさん聞いた。
 いまの自分が仕事としているフィールドも、まだまだ終わらない戦後の一部なのだなと強く感じた。




看護のための精神医学 第2版
中井 久夫
医学書院
2004-03-01

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