『卯月の雪のレター・レター』という短編集を手に取ったのが最初の相沢で、本作が二冊目になる。ちなみに講談社タイガから出ているのは野崎まど、紅玉いづきを経て三冊目で、『卯月の雪』の解説を書いていたのが紅玉だったことも考えると紅玉が相沢を読め、と言っているようなものだと勝手に理解した。本作『小説の神様』はそのストレートすぎるタイトルを体現したようなヒロインが美少女転校生として登場する一方、かなりひねくれたタイプの主人公が対峙するエンタメとなっている。

 千谷一夜という名義で中学生のときに作家デビューを果たしたもののデビュー作の売り上げは芳しくなく、二作目も出せずに数年が経過した。高校では友人の九ノ里に誘われて部員不足で廃部寸前の文芸部に参加するものの、書くことへの意欲は戻らないまま。そんな中で同じクラスにやってきた小余綾詩凪は、同い年でありながら不動詩凪として人気作をとばす売れっ子の作家だった。あることをきっかけに彼女と話をするきっかけを得るがそのときには小説に対する価値観で対立し、決別。しかし二人に共通する編集、河埜の提案によって、新作の共作を試みることになる。

 最悪の出会いを経たあとに一緒に仕事を試みることは果たして可能なのか、という問題もあるが分かりやすいくらいに対立していく二人の価値観の相違は分かりやすい。千谷は自分の小説が売れなかったことや、病気で長期入院中の妹への思いから売れる小説に絶対的な重きを置くようになる。これが本音なのかは別として、千谷の言うことは出版不況や書店の閉店や取次の倒産が相次ぐ昨今の状況下では一面的なただしさを持っている。さらに彼の父がかつて(あまり売れない)小説家だったことも、売れることへの執着は強くなっていく。

 対する(とはいっても仕事の関係上対立してばかりでもいられない)小余綾に「小説の神様」が見えるのだと語る。その彼女が振りかざす正論は少しずつ千谷のゆがんでしまった心を砕いていく。彼女はも物語の力を純粋に、そして強烈なまでに信じるタイプの作家で、その強力な新年は作品の中にも投影されているし、なにより作家としての、個人としてのかのじょを形作るアイデンティティーにもなっているところがヒロインとしての魅力にもつながる。千谷は何度か「天は二物を」と彼女を評してつぶやくが、では次に容姿端麗で成績もよく、なんでもできるように見えてしまう彼女がなぜ物語の強さにこだわるのか? という問いが千谷の中に生まれていく。

 千谷はもちろん小説を、書くことそのものを捨てたわけではない。捨てたわけではないから、自分とはあまりにも違う小余綾の姿勢に対立してしまうし新しい部員の小説指導も引き受けてしまう。千谷のデビュー作を好きだと言った小余綾の言葉には動揺するが、その彼のデビュー作の文庫化を機に再び目の前が雲っていく。こういう時代に作家という仕事を引き受けてしまった人間の辛さが分かりやすく表れているし、そのことを自覚的に書いている相沢が憎らしくもなる。

 とはいえ、共作がスタートし、対立を重ねながらも少しずつ接近していく中での断絶は、『小説の神様』という物語の核心部分に深く入っていくきっかけにもなる。物語をつづる人間にとって、小説とはどういうものなのか。そして読者にとって、物語はどのような意味を持つのか、っという根源的な問いだ。もっとも、これらの問いはそもそも意味がない、と当初の千谷の言うように蹴落としてしまうことも可能だろう。だからこそ、あえて、あえて向き合うことができなければ、これらの問いへの答えはみいだせない。

 最近読んだ川上未映子の『安心毛布』というエッセイに、この小説の核心につながるような一節があったので引用してみよう。

 なにとも比較できないなにか。誰かにとやかく言われようのないなにか。学校や職場以外の場所にこそ、仕事や人間関係以外のものにこそ、自分にとって素晴らしいものがあるという自信をもつこと。(中略)なにかひとつ、誰にもわかってもらえない自分だけの大事なものを見つけることが、明日また、学校や職場でがんばるためのちからになると思うのだ。人からどう思われようと、決して揺るがないものをひとつだけでいいから胸にもっておく。それは本当にわたしたちが困ったときに、わたしたちを必ず助けてくれるちからになる。(川上未映子(2016)『安心毛布』中公文庫、p.92)


 翻って『小説の神様』は物語の力を信じる者と否定する者の間の物語だった。どちらが優勢なのかは言うまでもない。重要なのは、一度見失ったものでも再び見いだすことができるかもしれない、というところだろう。千谷の場合それは小余綾や妹、それに九ノ里や成瀬といった文芸部員の存在によってもたらされた。きっかけを与えてくれた河埜の存在も大きい。しかしこれだけだとちょっといい話で終わりかねない。だからこそ、千谷のみが再生することだけが本作のねらいではない。小余綾もまた、再生を必要とするのだ。

 基本的に千谷に一人称で書かれるがゆえに、小余綾についてはあまり多くのことが触れられない。だから彼女についてはある意味では、叙述トリック型のミステリーだと言えるだろう。その謎を解くことで、「小説の神様」に対するこだわりのゆえんもまた見えてくるようになる。共作を始めたばかりのころ、彼女が発する言葉が印象的だ。

 物語を読むことで、心に湧き上がる力があるのなら。それを用いて、現実に立ち向かってほしい。苦しいことも、辛いことも、物語があるのなら、人は必ず立ち向かえるから(p.128)

 本作の終盤で小余綾はあることに苦しむ。千谷は彼女を救おうとするが、真に彼女の救えるのはかつての彼女自身の、物語に対する思いの強さなのかもしれない。それは川上未映子がエッセイで書いたことにも通じる。物語を必要とするのは、もちろん純粋にそれが読まれうるという時もあるだろうけれど、物語が選ばれる時にこそ、確かな力を発揮するのかもしれない。小余綾の信念は一見すれば青臭いけれど、それこそが大事な時こそ。

安心毛布 (中公文庫)
川上 未映子
中央公論新社
2016-03-18