見:イオンシネマ綾川
原作を読んでいたことすらこの映画を見るまで完全に忘れていたが、シリーズ前作が2019年4月公開だったことを考えると、この4年間のブランクにはいろいろな思いがある。2019年7月のあの悲しすぎる事件を経た後にキャラクターデザインを務めた池田晶子の名前を見ると、やはり複雑な思いにさせられる。それでも生き残ったスタッフたちが目指したことは、それはちゃんと続きを作ること、そしてシリーズを完結させる(=終わらせる)こと、だったのだろうと思う。そのために、この57分の特別編が必要だったのだ。
2年生の秋、新体制になり、部長になった黄前久美子の逡巡からこの中編映画は始まってゆく。高坂麗奈や塚本秀一といった「勝手知ったる」メンバーを幹部に据えた体制の中で、しかし自分自身も当然ながらプレイヤーでいなければならない。いかにしてこの両立を図ればよいのか? は一つ彼女に与えられた課題である(そして当然この課題は、新入部員を迎えて正式な新体制を迎える3年生編に継続する)。
北宇治高校の吹奏楽部においてもっとも重要なのは再び全国大会を目指す次の学年のシーズンであり、全国出場を果たせなかった2年目の秋は消化試合的な季節でもある。逆に言うと、この雌伏の時間をいかにして過ごすことができるか、つまりスポーツ選手がレギュラーシーズンのあとのオフシーズンをどのように過ごすかが重要になっているように、吹奏楽部にとってのオフシーズンの過ごし方が問われるアニメになっている。
ここで重要な役割を果たすのが、部を引退した3年生たちの存在だ。運動部でも、引退した3年生が残された時間を利用して後輩たちの活動を手伝うことは珍しくないだろうが、吹奏楽部でもこのような形で先輩を再び自分たちの場に呼び寄せることが可能なんだな、と思いながら見ていた。
もちろん夏紀と優子、希美とみぞれといった3年生4人を再び物語に巻き込むことはこのシリーズのファンサービスの一環でもある。同時に、彼女たちもまた、いかにして高校生活を終えていくのか、といった問いを抱えている存在だ。推薦で進路が決まった3人とは別に、音大を目指して一人練習に励むみぞれの姿は、高校3年生の秋の過ごし方には明確な差異があるのだという事実を象徴している。3年生たちにもまた異なったオフシーズンが存在するのだ、と(来年が確約されたスポーツ選手と、確約されていないスポーツ選手との違い、のような)。
オフシーズンは「みんなで過ごした時間」の終わりの予感がはっきりと漂うとともに、残された時間を経験できる貴重な時間でもある。今回映画のキーパーソンの一人である釜屋つばめのような、技術に問題があるわけではないが合奏になるとうまくいかない、といった一人一人の抱える課題に向き合う時間でもある。大会に向けたシーズンになるとオーディションなどで部内での競争が活発化するため、課題と向き合う時間は大きく制約されるだろう。だからつばめが自分自身の課題と向き合うことや、久美子たち周りの力を借りて小さな成長を経験するのは、オフシーズンならではの光景なんだろうなと思いながら見ていた。
あまり細かいシーンに言及することはなかったが、麗奈が久美子に対して見せる素ぶりを久美子が過剰に読み取るシーンなどは、もはや二人の関係性が円熟味を増したなというか、「仕上がってきたな」という感覚にもさせられる。Web版の『Febri』では声優二人の対談も公開されていたが、作中の二人が重ねた時間よりももはや声優たちの時間のほうが長くなってるんだよなとか、そうしたことも考えながら読んだ面白いインタビューだった。
3年生編も劇場で、二部作くらいだろうかと思っていたらテレビシリーズ化が正式に発表され、来年の春からだという。視聴者の一人としてまさにオフシーズンを過ごすかのような気持ちで、あと半年の少しの間の時間を楽しみに待っていたいと思う。
コメント