たった60分のドキュメンタリーであまり大きなことを期待したり、分析したりということはできないだろうけれど、それでもこのドキュメンタリーに出てくる八王子拓真高校の取り組みは面白いなと思った。単位制であり、かつ定時制を持つ公立高校だからこうした教育ができるのだろうし、番組を見ている限り校長のリーダーシップが大きな影響を与えていそうだ。実際、校長の方針について現場の若い教師たちが議論するシーンも撮影されているが、教員全員が同じ方向を向いているわけでもないのだろう。それでも、多くの教員が価値を共有しているからこそ、こうした学校が存在するのも確かである。

 多くの教員が共有している価値とは何か。最近ではありていな言葉かもしれないが、「生徒たちを取り残さない」ことだろう。退学者は毎年数十人はどうしても出ているようで、高校が最後のセーフティネットだという言葉が登場する。東京都内の大学進学率が6割を超えることを考えると、非大卒は3割強。ここには専門卒や高卒が含まれることを考えると、高校中退(=中卒)は東京ではかなりのマイノリティだ。その後の人生設計に大きな支障が出そうなのは容易に想像がつく(大人であれば)。



 ただ、この高校に通ってくる子どもたちの現実は厳しい。いじめや不登校を経験した生徒たちが集められるチャレンジクラスはその典型だろう。また、親が病気である、親が片親である、あるいは自身が生活費を稼ぐためにと、様々な理由で通学が困難な生徒たちが登場する(いわゆるヤングケアラーだと言ってもよい)。番組ではあまり触れられなかったが、軽度の知的障害や発達障害、精神障害を持つ生徒もおそらくいるだろう(一瞬だけ車いすの生徒が映像に映ったが、詳しく取材されてはいなかった)。

 学校側は当初、登校してこない(何らかの事情で登校できない)生徒たちを「怠惰」と言う評価で扱っていたこともドキュメンタリーで紹介される。つまり、生徒たちの背景に何があるかを十分考慮せず、目に見える行為(=登校しないということ)だけで評価していた可能性がある。この発想を転換して、生徒たちの抱える背景や社会問題に目を向けることでようやく生徒たちの登校を促すことができる、という教育に転換していくプロセスが描かれている。

 こうした生徒たちに対して高校がどこまで介入したり支援したりすべきなのかは、教育現場の実態や権限を知らないので十分なことは言えない。ただ確実に言えるのは、多くの教員たちに共有されていたようになんとかして高卒として社会に送り出すという熱意だろう。高校中退では厳しいというのは前述したとおりだが、かといって単に高卒という肩書を与えればいいものでもない。最低限、高卒だと言える程度の教育水準を提供した上で生徒たちを送り出す。いわば、公教育というより個別支援とも言ってよい取り組みが学校のあちらこちらで実践されていく。

 以前読んだ秋山千佳『ルポ 保健室』の中では、なんとかがんばって中学生活をサポートしたとしても、進学後の高校で十分な理解や支援を受けられずに中退してしまうというケースが紹介されていた。もっとも福祉的支援が公教育において大きなウェイトを占めるまではないし(特別支援教育は拡大しているが、まだまだ発展途上である)、教員の労務管理のハードさを考えるといまの学校現場にそもそも余力が残っているかどうかもあやしい。

 ただ、この学校の生徒たち一人一人の立場になってみると、これほど通ってよかった学校、出会えてよかった先生というのもないのではないだろうか。まだまだ未熟な高校生にとって、学校は家庭の次に大きなウェイトを占める。その家庭が様々な困難を抱えている場合に、頼れるのは学校しかない、という生徒たちがこの番組にはあまりにも多い。

 「子どもの貧困」というワードやヤングケアラーという概念が流通して久しいが、個別個別の支援だけでなく、もっと大がかりな形でのサポートの充実が必要なはずだということを、この番組の生徒たちと先生たちは体当たりで教えてくれる。