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日常と読書日記。 受験生日記は閉幕です。

essay



 前回の続き。前回は恋愛結婚の歴史の話を最後にしたわけだが、これはネガティブでもポジティブでもなく、単に近代化によって時代が進むにつれて恋愛結婚が増えてきた、ということを振り返っただけだ。こういうタイトルでものを書くと恋愛や結婚を否定しているとも解釈されるかもしれないが、そういうわけではない。

 あくまで自分が考えたいのは、既存の恋愛や結婚の形は否定しないが、その上でもっと自由で多様だったほうがよいのでは、という問いである。しかしながら自由や多様と言ったところで、抽象的である。したがって、自由や多様が意味するところの具体的な形を構想していく必要があるのではなかろうか、というのが先ほどの問いから生まれる、もうひとつの問いである。基本的には最初から最後までこの二つの問いについて考えていきたい、ということを第2回の冒頭に記しておく。(順番が遅い、というツッコミはとても正しい)

 今回は、前回少しだけ触れたマミートラック問題について改めて考えてみたい。これはつまり、日本の雇用慣行と保育の社会化の限界が婚活に大きな影響を与えているのではないかと解釈している。とりあえず最近読んでいる濱口桂一郎のこちらの本を参照したい。

働く女子の運命 (文春新書)
濱口桂一郎
文藝春秋
2016-01-15





 この本の第4章「均等世代から育休世代へ」でマミートラック問題や育休世代のジレンマ問題(中野円花)が議論されている。濱口の説明によると、マミートラックとは「出産後の女性社員の配属される職域が限定されたり、昇進・昇格にはあまり縁のないキャリアコースに固定されたりすること」(前傾書、p.220)とされている。

 濱口が提案するのは以下のようなことだ。日本には労働時間の柔軟性を導入する第二次ワークライフバランスが活況だが(育休や時短勤務。最近だと在宅ワークの導入もこの流れにあるかもしれない)第一次ワークライフバランスが存在しない。この第一次ワークライフバランスとは、労働時間の硬直性である。pp.231-232でEUの労働時間指令が紹介されているが、具体的には毎日の休息時間、毎週の休息時間、最長労働時間といった休息や労働についての規定のことだ。

 濱口によるとEUの28か国の法律にはこのような規定が入っているが、もちろん日本には存在しない。むしろ36協定などで無限に働き続けてきたのが日本である。この本の出版以降、超過勤務は月45時間などといった規定が導入されてきたが、これでも残業を含めて週48時間労働が規定されている先ほどの労働時間指令に比べると、はるかに長い。勤務間インターバルの議論もこの本の出版以降は時々耳にするが、法制化にはほど遠いだろう。

 さらに提案しているのは、男女ともに無限定ではない働き方を導入することだ。そもそも、「女性活躍」という言葉をやめようと濱口は語っている。なぜならばすでにマミートラックは定員オーバーであり(都市部の保活地獄を見ると確かにその通りだろう)、従来の男性中心的な総合職トラックにマミートラックを付加するような仕組みにそもそも限界があるという指摘をしている。そして、それは女性の労働スタイルを変えるというよりは、男女ともが利用できる無限定ではない労働スタイルを構想したほうがよいのでは、という提案だ。ワークライフバランスの観点を踏まえても男性は男性で総合職トラックで限界を迎えているのは様々指摘されているし、このあとに紹介する筒井のいう「共働き社会」と総合職トラックは相性が良いとは言いづらい。

 とはいえ、以下のような指摘もまた事実だろう。結婚や出産と日本の雇用慣行は相性が悪いまま魔改造されていくことがよくわかる(とてもつらい)。

 残念ながら、今日まで限定正社員、ジョブ型正社員に関する議論は結構盛んに行われているにも関わらず、それはほとんどもっぱら職務限定正社員や勤務地限定正社員であり、それゆえにまた解雇規制との関係でその是非が熱っぽく議論されているのですが、ワークライフバランスを確保するという観点からの時間限定正社員という議論は、あまり関心の対象になっていません。そのこと自体が、この問題へのバイアスを示しているように思われます。(p.239)


 また、筒井淳也『仕事と家族 日本はなぜ働きづらく、産みづらいのか』第3章「女性の社会進出と『日本的な働き方』」の中で、以下のように書いている。
 日本の置かれた現状からすれば、とりうる道は限られる。日本の直面する大きな課題は、長期的な労働力不足、社会保障の担い手不足である。この問題を緩和するためには、出生率を上昇させる、女性の労働力参加率を上げる、外国人労働者を受け入れるといったことが必要になる。第2章で指摘したように、女性が長期的に働き続けられる見込みが得られる「共働き社会」を実現することができれば、出生力と女性の労働力参加率をともに高めることができる。そして共働き社会の条件として、これまでの男性的な働き方、つまり無限定な働き方を制限すること、外部労働市場を活性化させること、職務単位の働き方を拡充させることが必要になるだろう。(筒井(2015)、p.118)




 筒井は濱口や熊沢『能力主義と企業社会』の議論を引きなつつ少子化や労働力不足の話もしている(たとえば最後の職務単位の働き方は、濱口のいうジョブ型の議論を利用していると言えるだろう)わけだが、マミートラック問題をいかにして克服するかという着眼点は濱口とも近いものがある。

 さて、濱口と筒井がいずれも2015年に刊行した新書において、それぞれがマミートラックに触れている部分を紹介してきた。マミートラックとこの連載のいう、「恋愛関係の外側にある親密さ」では関係がないのではないか。それは結婚したカップルの話ではないか、と思う人もいるだろう。しかしここで重要なのは、マミー、つまり「子育てをする母親」と雇用慣行の相性の悪さなのである。もはや言うに及ばずだが、日本のシングルマザーの平均所得かなり少ない部類に入る。これは、結婚した母も、離婚した母も、いずれもが同じようにマミートラックを走らされているからではないかと想定できる。これこそ、濱口の言う「働く女子の運命」、つまり、日本では女性であるというだけで雇用において不可思議とも差別的とも言える扱いを受けてしまうことの帰結である。

 しかしながら、離婚したシングルマザーは離婚する前よりも幸福度が高いという指摘を、神原文子による詳細な調査は示している。彼女の調査によると、離婚したくてもできない(「プレ子づれシングル」という言葉を神原は適用している)状態のほうが生きづらさを抱えると指摘することができるようだ。彼女の調査をした多くの女性たちは、離婚したことを後悔していないとも語っている。これは正規雇用の女性も、非正規雇用の女性にも見られる心理であるようだ。

 結婚(法律婚)とは「国家が承認する親密さ」であるが、現実には結婚したカップルの1/3は離婚を経験する。これほどの数字を示す現実においても、離婚は望ましくないという社会的な規範はいまだに強い。それでも、生きづらさが少しでも軽減したり、後悔しないという心理的な帰結をもたらすのであれば、「国家が承認する親密さ」から自由になることは、ひとつの重要な選択肢として機能しているのだろう。しかしながらマミートラック問題を克服しない限り、またすでに限界を迎えている保育の社会化を再構築しない限り、シングルマザーの貧困といった社会課題は容易に克服しえないのも事実だろう。経済的な問題は貧困だけでなく、健康状態にも悪い影響を及ぼすことは、COVID-19以降に女性の自殺者が増えているという事実からも改めて指摘しておきたい。


 
 「恋愛関係の外側に位置する親密さ」を構想するために今回はあえてその内側に潜ってみたが、後半にのべた結婚→離婚というベクトルを見ると内と外はやはりひと繋がりのあるものだとも言えるだろう。今回は雇用慣行や離婚について焦点を当ててきたので、次はいよいよ結婚について考えていきたいと思っている。(あくまで予定なので変更の可能性はあります)
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 恋愛の外側、つまり友達以上恋人未満の感情や持つ異性との関係性について、少し前から考え続けている。以前、桃山商事のイベントレポート記事(詳しくは以下のリンクを参照)で「フラート」という概念を知ったとき、これはなにかに使えるかもしれないなとは感じていた。



 「フラート」とはこの記事によると、「友達以上恋人未満の関係を楽しむ」とか「恋の戯れ」といったところらしい。はっきりとした恋愛関係ではないものの、限りなくそこに近いものとして。あるいは、あらかじめそうではないと割りきった上で楽しむ(戯れる)ような関係、とでも解釈をした。日本語の文脈にある「友達以上恋人未満」という言葉には、「恋愛関係にはなりたいけどなれないもどかしさ」が内包されているイメージだが、「フラート」だともう少しこの文脈を脱色して、「別に恋愛関係にならなくてもいいのでは」「恋愛関係でなくても、恋愛のような関係を結んでもいいのでは」というカジュアルさを感じた。

 とはいえ、これでもやはり「恋愛関係とそれ以外」という形で恋愛関係が基準になっているもどかしさもあった。このもやもやをもう少し深掘りしてくれるかもしれない概念として、「クワロマンティック(クォイロマンティック)」なるものがあることを、『現代思想』2021年9月号におけるレロ(中村香住)の論考で知ることができた。彼女とは学生時代以来、ゆるく関係を続けているがこうした形で彼女の議論に着目する機会が来るとは、なかなか人生面白いものだなとも感じる。
 

 このツイートに続くスレッドで彼女が説明しているように、ギデンズの概念がベースにあることが指摘できることや、そこからさらに先ほどの概念を発展させて「重要な他者」という構想を提示している。この構想は、ただの友達でもなければ恋愛関係にもない、だが特別な意味を持つ他者を指す際に有効なのではないか、というのが彼女の主張だ。

 今の自分が保持している親密さにとってフラート、クワロマンティック、重要な他者といったワードのいずれが有効なのかは正直まだよくわからないが、「恋愛関係の外側」を位置する概念や構想と複数出会うことができたのは、自分の気持ちを軽くしてくれているなと思う。以前からすでに型にはまった親密な関係性を示す言葉(恋愛、結婚など)にずっと違和感があった。

 学生時代のある時期から女友達が少しずつ増えていった。高校は文系クラスの半分以上が女子だったので、彼女たちとの関係を作ることは自然と必要だった(そうでないと疎外されるかも、というおそれもあった)。そうして関係をつくっていった女友達やクラスメイトの中には、恋愛感情ではないけれど、普通の友達以上の感情を持っていた人も何人かいた。そうした女友達(男ではない、くらいの意味であえて女友達という表記にしておく)との関係性の遍歴を振り返ったり、いま自分が保持している親密さを考えた時に、やはりこういった関係性いついてきちんと言語化していたいなと思ったのだ。

 先ほど挙げた『現代思想』の巻頭対談(高橋幸+永田夏来)において、現代の若者のほうが結婚観が保守化、コンサバ化しているのではないかという指摘がされていた。昨今の婚活、妊活、あるいは保活の動向などを見ていても、いい人がいればいち早く結婚、出産をして仕事に復帰し、子育てと自分の生活を両立していきたいという若い世代は確かに一定数存在するなと思う。(マミートラック問題を踏まえると、こうした戦略をとるカップルが存在するのは妥当だと言えるだろう)

 そうした現代的な、つまり男女共同参画とワークライフバランスが融合した世界観において、結婚や出産は一定程度所与のものとして語られがちである。もちろん、積極的にDINKSを選ぶカップルもいるし、出産したくてもできずに不妊治療に長い時間をかけるカップルもいるから出産は必ずしも所与とは言えないが、「結婚したらいずれ子どもを持つものだ」という社会規範はまだまだ強い。

 どんな時代においても社会規範は一定の影響力を持つので、規範から完全に自由になることは現実的には難しい。ただ、ここ10年くらいの間にセクシャル・マイノリティの存在が一気に可視化されたり、多様性やダイバーシティという言葉が一気に流通したことを考えると、さすがにもうそろそろ「みんないずれ結婚して子どもを持つものだ」という規範から自由になってもいいのではないだろうか、と思っている。

 これは加藤秀一が詳細に提示していることであるが、そもそも日本において「恋愛」という概念すら非常に新しい。そもそもが近代化にあたって輸入した概念でありる。また、「恋愛結婚」の広がりはそもそも戦後のトレンドであって、私たちの親世代(戦後〜1960年代生まれ)が従来の見合いや縁組といった方法を超えてようやく手に入れたスタイルである。



 すでに先行研究(?)の紹介だけで分量が長くなったので続きは別の機会に改めて言語化したい。ここまでレビューしてきたことや自分自身の経験的な事実を踏まえながら、「恋愛関係の外側に位置する親密さ」についてもう少し丁寧に考えていきたいと考えている。

 あと、この文献読んだらいいよとか、こういう概念や構想があるよっていう情報をいつでもお待ちしておりますのでご存じの方はぜひ教えてください。 
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 このエントリーは2月16日に行われた、【ものを書くための、読書会 vol.21(テーマ:「私と本」)に参加した際のエッセイで、30分即興で書いたものを掲載します。接続詞や助詞などをやや直した以外は、当日発表したものとほぼ同じです。文の展開がややごちゃごちゃしていますが、即興ということもあるのでご了承ください。

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 私がかつて難病患者でなければ、こんなに本を読まなかっただろう。もしくは、本を読んだり、文章を書くことが楽しいと思えるのは、もっと後だったと思う。(※神経系の難病に罹患し、闘病していた時代があったというお話です)
 最初に長い入院にしたのは5歳のころで、5歳の男の子にとって入院生活はまああまりに退屈なものだから、病室を抜け出して他の病室に不法侵入するか、誰かから差し入れられたスラムダンク全巻(※当時まだ未完だったので、既刊の全冊)を読むのが数少ない楽しみだった。退院した後、「俺は天才だ」と叫びながら、しかし桜木花道ではなく三井寿にあこがれてシュート練習をしたのをよく覚えている。
 次に長い入院をしたのは10歳の時だが、この時は病状が重かったので、本を読む余裕はなかった。
 その次が13歳の時で、この時に小説を読むことに真に目覚めてしまった。この頃、2ヶ月ほど入院したものの比較的病状は軽かったので、たくさんの本を持ち込んでいた。橋本治に出てきたジェフリー・アーチャー(※今回課題となって輪読した橋本のエッセイ)の『ケインとアベル』や、ワイルドアームズ3のノベライズや、『聖の青春』で有名な大崎善生のデビュー小説や、要はジャンルというものが分からないから、新刊として売っていたものと、親の本棚にあってものを持ち込んだのであった。
 一番退屈をしのげたのは司馬遼太郎を読んでいた時だ。文庫で8巻ある『竜馬がゆく』を読むのは、流行のマンガを読むことよりも面白かったと思う。

 この時の経験がなければ、すでに遊びで始めていたインターネットで本の話をしたり、書評を書くためにウェブサイトを13歳の年に作ることはきっとなかった。もちろん、先の人生にもきっかけはあったと思う。でも、この時に入院していなければ、ゼロ年代初期のインターネットを楽しめてなかったのではないか。
 そもそも今の自分の原型はすべてこの時にある。平日は陸上部で毎日走り、家に帰っては本を読み、チャットをするなどしてネットで遊ぶ。この後の人生でたくさんのことを経験するが、走ること、本を読むこと、文章を書くこと、これらを三位一体でやっていたこの時はとても楽しかったし、今の自分を支えているのも13歳の自分のおかげだと思う。
 だから今でも、2月になると地元で丸亀ハーフマラソンを走るのが楽しい。走りながら文章のアイデアを考えることもよくある。読むことと書くことと、走ることは社会人になった今では仕事のストレスを発散させるための、とても安価で有効な方法だ。そしてもちろん、今いるこの場所(※カフェみずうみにおける読書会のこと)も、遠征という形で日ごろのストレスから解き放たれて、読むことと書くことを楽しんでいる自分がいる。
 だから今の私は、13歳だったころの自分感謝しかない。今後の人生においても、自分の原点だったリトルバーニングが、病院というとても不自由な空間で編み出した自由な生き方を、忘れてはいけないと思う。
 あれから気づけば16年経ち、2019年2月16日の今日、私は29歳になった(※事実です)。苦しかったことを乗り越えて、ここまで生きてこられたことに感謝したいというのが、私と本の間における重要な関係性である。 (了)







ケインとアベル (上) (新潮文庫)
ジェフリー アーチャー
新潮社
1981-05-27



パイロットフィッシュ (角川文庫)
大崎 善生
KADOKAWA / 角川書店
2012-10-01




◆追記
 病気のことについて追記する。追記する理由は上のエッセイではあまりにも説明してないから(即興なので許してほしい)ということと、13歳以降の至って健康な自分を知っている人からすれば、かつての自分がこうだったということは知らない場合が多い。
 わざわざ話すネタでもないので当然といえば当然だが、逆に地元の同級生や当時の教師はほぼ全員が自分が病気していたことを知っているはずで、このへんのギャップがあることを、エッセイを発表するまで忘れていたせいもある。なので改めてここで、コンパクトに、ではあるが少し病気についての追記を行う。
 私がかつて経験した病気は多発性硬化症・視神経脊髄炎/重症筋無力症の合わせ技だったが、いずれも当時の難病指定56疾患に指定されていたため、特定疾患医療受給者証を取得し、公費による難病医療助成を受けて治療することができた。その後も一年ごとに受給者証の更新を行ってきた。
 現在は「難病法」の施行により約300疾患にまで拡大されたが、私自身は13歳時の再発以降は長らく軽症患者であったため、現在は受給者証を所持していない。ただ、軽症患者を助成の対象から切り離して良いのかどうかについては議論がある。
 私と同じ病気を経験した人の著者としては次のものに詳しい。

難病東大生
内藤 佐和子
サンマーク出版
2009-10-09



 また、大野更紗の著作も、彼女とは違う病名ではあるが症状の出方や、役所に出す書類のめんどうくささなど、読んでいて共感できる(というか昔経験した)ことが多くあった。

 
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ノーベル文学賞にカズオ・イシグロ氏 英国の小説家

 カズオ・イシグロが今年のノーベル文学賞に輝いたということで、あちこちで報道がなされたり、日本での版元になっている早川書房が忙しそうだったり、ちょっとしたお祭りになっているなと感じる。彼は日本人なのかそうでないのかみたいな話はどうでもいいので(というか二年連続英語圏から、というのに驚いた)そのへんの話は置いておいて、彼の語る創作論が興味深いなと思って報道を眺めていた。

 この流れで、だと思うが、NHKが以前放送していた文学白熱教室という番組を日曜深夜に再放送していたので見ていた。
 日本のどこかで、様々な国籍の学生相手に自身の創作論を報告する、という流れで、55分バージョンと74分バージョンがあるらしいが昨日やってたのは短い方。そのなかでも、小説を書き始めたきっかけの部分が印象に残った。

 根底にあった動機は薄らいでいく世界を保存したいという思いだったのだ。
 (中略)小説を書くことが私の世界を安全に保存する方法だったからだ。


 これまで書いてきたいくつかの小説のうち、ネット上にあげてない短編がいくつかあるのだけど、2013年の冬に書いた「あらかじめ約束された未来」という短編があって、まあオープンにしていないまま語るのも変な感じだが、端的に言うと自伝的な小説に仕立てたつもりの小説だった。
 このすぐあとにRaiseさんに誘われて「三月は浮遊する」を小説ストーリーテラーに書くことになり、オファーやイベントがあったらなんか書く、くらいのゆるいスタンスで小説を書くようになった。続けていると言っていいのかは分からないが、まあなんか書いてます、くらいの感覚は持っている。
 「三月は浮遊する」の舞台はいちおう高松ということにしているが、ストーリー自体は完全に架空のもので、いくつかの場所のイメージはあるけれど登場させているキャラクターにモデルがいるわけでもなく、思いつくままに書いただけだった。文章レベルでの稚拙さを指摘されつつも、内容自体がわりと評価されたのは素朴に嬉しかった。

 「あらかじめた約束された未来」についてだが、「薄らいでいく世界を保存したい」とか「私の世界を安全に保存」という言葉にかなり敏感に反応してしまったのは内緒だ。こればかりはもう、自伝というほど大それたものではないが、学生時代の終わりに経験した恋にも至らないような関係を、できるだけ具体的に書きとめておこうとだけ考えた、青臭い動機だったとしか言えない。
 ほんとうにそれ以上でもそれ以下でもないし、この小説に関しては具体的なモデルが存在するわけで、さすがにネットにオープンにするわけにはいかねえな、と思っている。いちおう、クローズドな形で何人かの方には読んでもらって、感想もいただいたりしているのだけれど、そのへんはまあ許してほしい。

 言いたいことはなにかというと、「世界を保存」という動機はそれほど珍しいことでもないのだなと思ったということだ。カズオ・イシグロの場合もいくばくかの青臭さがあったに違いないが(谷崎潤一郎に深く感化されたという話もしていたくらいだし)、まあそれでも三作目でブッカー賞をとるのだからほんと大した作家だ、と思う。(そりゃそうだ)
 自分の動機が肯定されたというのは大げさだと思っているが、ああそういえば俺も似たようなことを考えて小説を書いたな、ということを思い出すきっかけにはなった。別に小説を書くためにパソコンに向かっていたのではなくって、Evernoteの画面を見ながら記憶をたどって覚えている限りのことを書きとめておこう、くらいの気持ちだった。気づいたらそれが一つの物語になっているんだからおそろしい。予期せぬところから創作というのは生まれるのだな、とも感じた。

 「あらかじめ約束された未来」で表現したかったのも、たぶん自分の人生とか決断とかの肯定なのだと思う。そして、違う世界にいった誰かに対する祝福。
 こういう未来はあらかじめ決まっていたかもしれないが、だからといってこれまでの過程をすべて無駄にしたくはない(という青臭さ)気持ちを、どうやって表現すればいいかと考えたら自然と小説になっていたのかもしれない。もちろん小説でありフィクションなので、ベースはあるにしても大半は虚構だ。自分が書いたほどに、自分自身の人生は美しいものではないし、それは誰だってそうだろう。
 でもまあ、30まで数えるほどの年月になってしまった身からすると(この小説を書き上げたのはまだ23になったばかりのときだった)、それはそれでいいのだと思う。美しくなんかなくたってよいし、泥臭いくらいが人生というものだろう。いつか歳をとって昔の自分を振り返ってみたときに、そこには後悔がつきものかもしれないが、肯定できるものが少しでもあったならば、辛うじて祝福してもいいのではないか。
 
 カズオ・イシグロはなぜ小説なのか、と学生たちに説いたあと、他の表現やメディアでは達成できない、小説にしかできない物語の構築のプロセスを語っていく。
 俺がこの領域にたどりつけるなんて思ってもいないが、小説だから表現できることの可能性みたいなものは探究してもよいな、と思った。
 とりあえず目下の予定は、第3回半空文学賞である。
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 「青空文庫」の富田倫生追悼記念シンポジウムをニコ生で眺めながら、そういえば自分のサイトがあと2ヶ月ほどで開設10周年だな、と気づいた。
 まあ最初から今まで過疎だし最近は更新も滞ってしまっているが、なんだかんだ10年間続けてきたことの意味だとか、この10年に何があったのかを少し考えてみた。「青空文庫」は一番シンプルなテキストベースでひたすら残すとことにこだわってきていて、シンポでは見栄えよりも利用可能性を重視した点が評価されていた。
 著作権の世界で孤児著作物という言葉があるように(シンポでは福井健策弁護士が基調報告で触れていた)長い間残す、残っていくということが現実ではなかなかに難しい。インターネットの世界ではいったんデータが飛んでしまえば第三者がオフラインで保存していたり、サーバーにかろうじて残ってでもいないかぎり残っていくのは難しい。
 そうでなくても個人サイトやブログの寿命はさほど長くはない。ブログのようなはじめからサービス上にしかデータがない場合、サービスが終了してしまえばオンラインでの閲覧は不可能になる。もっとも、そうした保存の困難さを前提としているからこそInternet Archiveのような取り組みもある。
 それでも万能ではないし、青空文庫のようにほぼ完全な状態で情報を残すためには人の手による作業が必要になるだろう。

 この10年のことを考えると、まずはどうしてもこの10年間に失われたものについて思いをはせたくなる。今のように個人が複数のソーシャルメディアのアカウントを使い、多方面に情報を蓄積していく時代とは違って、2000年代の中盤まではハンドルネーム一つで掲示板やチャット、あるいはブログのコメント欄などでやりとりをするのが通例だったように思う。
 だからこそ前略プロフィールのように、自己紹介それ自体がサービスとして機能していた。いまではアカウントのbio欄があればこれも基本的には事足りるわけだが。
ここで言いたいことを簡単に言うと、一度つながりを失ったときにもう一度インターネットの世界で出会うのは困難だということだ。シンプルなハンドルネームの場合は名前だけで同一性を特定するのが難しいから、難易度はさらに上がる。
 例えばこの10年で何人ものかおりさんやしょうこさんと出会って来たかが分からない。このかおりさんとあのかおりさんが違うというのは、ハンドルネーム以外に情報が担保されていないと難しいのだ。
それでも奇跡的にと言うべきなのか、情報がかすかに残っていたおかげでソーシャルメディア上で再会できた人も、多くはないが何人かいる。
 今みたく誰でもツイッターやfacebook をやっている時代だからこそ実現したのだろう。ソーシャルメディアはその関係性の密度ゆえに時々めんどうくさくもなるが、こうした一面は捨てたものじゃないなと思う。長くインターネットに触れていて、もう会えないと思っていた人とやりとりができるのは嬉しいものだ。

 サイトではこの10年間かけて350本以上の小説を書評を書き続け、2004年から開始したブログでは記事が1100本ほどに及び、よくもまあ膨大な文字を刻み付けてきたものだ、と思う。「青空文庫」とは規模も何も比較にならないがこれらはアーカイブとしての側面もあるので、更新が多少滞っても古い情報にアクセスできない、という状態は今後も回避したいと思う。
 毎年4月にサーバーとドメインの更新を行っているが、よほどの事情で更新料を払えないということいがないかぎりは閉鎖ということは考えていない。たとえ更新を完全にストップさせたとしても、公開は続けていきたいと思っている。まあ、今後どういうことが起こるか分からないので、あくまで現時点の思いは、という留保は必要だが。
アーカイブといっていいのか分からないが、2004年から(当初は思いつきで)続けてきたもうひとつのことはネット上の知人や友人の詩の掲載だ。こちらからお願いして許諾を得た上で、古いものから新しいものまで掲載してきたが、一部をのぞいて初出はうちのサイトではない。

 そして2013年、それらのサイトはすべてもう存在していない。ということで、ネット上ではInternet Archiveをのぞけばうちのサイトでしか彼女たちの作品を閲覧することができない、という状況に(もう何年も前からだが)なっている。
 もちろん著作権は本人に帰属して存続しているから、少しいびつな状況ではあるかもしれない。もう連絡をとることすら困難な人たちが多く、いったん許諾を得たとはいえずいぶん昔のことなので、もし掲載をもうやめてほしいと思っていてもそれをこちらからは確認できない。何もアクションがないかぎりは基本的に続けるが、孤児著作物問題は実は身近なところにあるのだと実感する。
 あと、単なるアーカイブの掲載にとどまらなくなったのは詩を投稿するBBSを設置してからだ。元々作品投稿をしていた大手サイトが閉鎖したことで、何人かがうちのサイトで投稿をするようになった。
 もっとも、サイトの規模が違いすぎるから同じようにはいかないだろうけれど、いったん途切れた交流が再び始まる、という光景をBBS越しに眺めたときに、インターネットはこういうことも可能なのだと感じた。交流がメインのサイトではないけれど、コンテンツの周辺で交流をするのは今も昔も楽しいと再確認することもできた。同じ場所や、同じツール、サービスが永続することはなく、いつかやがて終わりの日をむかえる。
 それでももう一度インターネットの海の中で出会うことができて、交流するこができるのはまんざらではない、と思う。

 インターネットにもうすぐ10年もいると、自分がネットを始めた当初に持っていた感覚が古びていることも感じる。
 インターネット黎明期のことはちょっと分からないが、今日ほどインターネット上に個人名とそれにひもづいた情報が膨大なデータベースとなって存在する状況はない。このトレンドが続くのか、いつかまた個人名や個人情報をクローズするようになるのかは分からない。
 チャーリーこと鈴木謙介の新刊『ウェブ社会のゆくえ』の議論を借りると、多孔性を持ってしまった現実は、その穴を塞ぐ方法をまだ知らないように思う。おそらく、穴を塞ぐことよりも、穴が開いてしまっているという状況を所与のものとして様々なコミュニケーションを行ったり、制度を作ったりということが続くのだろう。
 結局インターネットはバーチャルでもなんでもなく、リアルの延長でしかとらえられないのだ。リアルから逃避している場であるのか、リアルと密接に絡み合っているのかはネットのサービスやコミュニケーションそれぞれだろうけれど、ネットとリアルという区別は道具立てとしては便利だが、全く別の世界が無関係に存在しているわけではない。
 そうやってもう何年も前にネットとリアルを問い直そうとしたgenneiくんのことを、チャーリーの新刊を読みながら考えていた。

 インターネットをとりまく環境や、インターネットが内在するものはきっとこれからも変化し続ける。自分にとっての次の10年に何が起きるのかは全く分からない。
 分からないが、きっとインターネットを始めたころもそうだったように、分からないから楽しいという感覚をこれからも持ち続けていたいと思う。変化に寛容に、変化をワクワクしながら。それでもさすがに変わってしまったものへのノスタルジーはある。それはそれで仕方ないから、両方とも抱えていようと思う。
 これまでもこれからも長くインターネットに触れて生活していこうと考えるなら、そうしたバランス感覚を持っていたほうがよいだろう。

 まずはたどりついた10年目のことを、小さく祝福しようと思う。




******

 という感じの文章を二年前に書いたままお蔵入りしていたのだが、青空文庫関連で動きが最近あったので掲載してみることにした。
 そこにさっき名前を出したgenneiくんが関わっているというのは、不思議な感じがある。
 
「Code for 青空文庫」アイデアソン #1

 青空文庫の運営がそうやすやすと言っているものではないというのは二年前のシンポジウムでも確か言われていたことだし、「本の未来基金」という取り組みもでてきたりはした。とはいえ、一つのウェブサービスとして見たときにはもっと技術的な問題がいろいろあるのでは、という趣旨のイベントらしい。
 定員をはるかに超えたようだが、ただでさえTPPの影響をもろに食らいかねない青空文庫を今後いかにサステナブルなものにするかについての議論や活動が広がっていけばいいなと思う。
 技術者じゃないので今回の件についてはとりあえず追いかけるくらいのことしかできないけれど、まさに「本の未来」が続く、それを続けるための試みなのでじっと見守っていきたいと思う。

 
本の未来 (Ascii books)
富田 倫生
アスキー
1997-02



 富田さんのこの本も青空文庫化されており、ウェブで読むことができる。いまを先取りした議論が多様に行われており、非常に胸が熱くなった。
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 書きたいことがないわけではないは、それらをまとめる時間とか労力とか、そういったものがいつのまにか失われているのではないかということに気づいて思い立って文章を打っている。
 とはいえ、小さなことはいっぱい書いているし(各種ソーシャルメディアにおいて)、この前は東京まで行って文フリに久しぶりに参加(2012年の文フリ15以来約2年半ぶり)してきたりと、書くことに縁がなくなったわけではない。けれども何かが失われている、ような気がする。だからよく分からない、抽象的な不安だけが手元にある。

 読むことに関しては意地でも続けている。というか、これがなくなってしまうということは、呼吸をしないことや食事をとらないこととほぼ同義であって、つまり生きること、健康に生き続けるための要件を失うことになる。もちろん生命活動は維持されるだろうが、確実に自分の中で何かが死に絶えるだろう。死に抗うのは、生き物にとってはごくごくあたり前のことだ。
 でもまあ、これはなかなかめんどうなことだとは思うのだけれど、読んでばかりいてはまた窒息してしまうのだ。いくらでも読むべき本は積み上がっていくけれど、それらをひたすら消化していくのは、それはそれで単調に過ぎる。
 だから書くことで何かを残そうとして、2003年、当時まだ中学二年生だった俺は『Daily Feeling』という書評サイトを始めたのだろうと思う。かつての13歳が干支を一回りして25歳になっても同じことをやっているなんて、ばかげているというか三つ子の魂なんとやらというか。いや、結局のところ、自分の根っこは全然変わっていないんだなと安心するんだけどね。

 久しぶりに「書く人」たちと交流できたのは素直に楽しかった。いろいろあってかつて所属していた早稲田大学詩人会のサークル入場を手伝うことになり、朝10時過ぎから流通センター入りしたわけだけど、いつもなじみのある2階とは違い1階というところの新鮮さをまず味わう。とはいえ人はそれなりに入っていて、意外と1階と2階も同じくらいにぎわっているのかもしれない(GW最中というよさもあったのかもしれない)と感じた。
 詩人会のブース近くは詩歌の島だったせいか、両隣は現代詩だったがすぐ裏手には「ネヲ」や「北海道短歌会」といった短歌界隈が構えており、詩と短歌の距離が微妙に遠いような、それでも近いような、よく分からない感覚を覚える。
 少しだけ離れたところに雑司が谷のみちくさ市で出会ったなつこさんが初の新刊を携えていたので、購入しつつあいさつをした。こういう、「書く人」との再会はとても嬉しい。

 まあその他いろいろあったのだけれど、それはまた別の機会に書くとしよう。
 本業としてではなくあくまで趣味という限られた時間や余力の中で、それでも趣味だから基本的に好きなことを好きなようにできるということ。あらかじめ定まった限界を見据えながら、可能な限り余白を最大化すればいい。
 何かを続けるということは、他にやらねばならないこととの折り合いの連続だ。かつては勉強で、いまは仕事で、でも結局はそれくらいの差しかない。その間の中で、自分が自分らしく、なんてのはまあさておいても、書きたいように書いて、生きたいように生きる。それだけのことなんじゃないか。

 文フリでかつての友人たちが出していた同人誌『ZOO』創刊号を買ってすぐに読んだ。当日たまたま声をかけられてなければ、完全に視界の外だった。なんだかんだ、足を運ぶのは大事だ。
 この創刊号は各種エッセイで編まれているが、これから引用する次の文章には心の底から同意したことをここに記しておく。もうほんとに、ここ最近もやもやと感じていたことはまさにその通りなんだよって、なんであのとき直接伝えなかったのかと、少しだけ後悔しつつ。
 
 
ブログや書評をほめられるとうれしい。生活を浸食しない限りで悪あがきし続けて、どこにもたどり着かないけど、もうやりたくなくなるまで文章を書いてどこかに出すという妥協点しか見えない。こういうのを趣味っていうのかな。
内山菜生子「文化系どこで上がるか」 『Zoo』p.9
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 そういえばこの夏休みから秋口にかけて長期間のワークショップという形で学部生たちと密に関わる機会があった。というか俺の夏休みはほとんどここに費やされてしまったのでそれ以外のことができなかったりここ以外の人と会う機会が少なくなってしまい、という感じだったのだけど(まあ参加したおかげで目的の一つであった被災地を訪れることができたのでイーブンだとは思っている)せっかくなのでここで感じたあれやこれやをメモ程度に書いておこうと思う。
 こういうことを経験して成長しました!なんていう話は俺も特に読みたくないし興味はないので書かない。実際成長したかどうかなんてもう少し時間が経ってみないとよく分からんし、社会人基礎力なるものが身についたのかどうかも同様にしてよく分からん。個人としてはソツなくこなすことを心がけ、できた部分もあったしできなかった部分もあったというそれだけのことだ。
 というわけで、これからここで書くのはあくまでも記事タイトルにしている、会話の文法あるいはコードについてに限定する。

 人々がどういう会話をしているかだとか使用語彙はどのようなものかというのはある種ハビトゥスのような側面もある。たとえば日本では橋本健二『階級都市』にも具体的に書かれていたが階層によって言葉や使用語彙が変わる、つまり通じる/通じないが階層間で明確になるという時代があった。いまに置き換えたら階層による差は縮んだとは思うが女子高生には女子高生の文法があるしコードがある、オタクにもまた然りといったことを考えるとクラスタによって際分化されているのかもしれないな、と思う。
 まあそのへんの文化人類学的な話(なのかどうかもよくわからんが)は置いておいて、コミュニケーションが思った以上に簡単じゃなかったな、というのがこの夏の一番大きな感想でもある。もちろん2人ほど既知の人がいたけれどもほかの人たちとは初対面で、グループワークという共同作業をやらなければならない。その作業が俺のいた班ではけっこう難航した、というのもあってかなり苦しかったんだがここで書く主題はそれじゃない。あくまでも彼ら、彼女らと交わしたごくごく一般的な会話についてだ。

 結論から書くと、会話のリズムやテンポがふだん関わっているような人たちとはかなり違ったということだ。そしてリズムやテンポが違うということは文法やコードも異なる。専門的な話や分析的な話はあまり好まれないというか話題にはなりづらい。面白いのは、ただし恋愛トークはのぞくということ。
 ある話題について少し話す内容を考えた後、「そういえばあれは〜」みたいにより掘った話をしようとすると怪訝な表情を向けられるのが印象的だった。要はそれはもうついさっき終わった話なのだ。おおかみこどもを見てきたことについてあれこれ話をした気がするのだが、ほとんど見向きもされなかったような気がする。重要なのは俺がおおかみこどもを見てきて面白かったらしい、という情報であって、少なくとも分析的なことについては求められていない。
 より個別具体的には話が弾んだこともあったし話が弾んだ人もいたので、上の話はあくまでも一般的にこの夏過ごした人たちとの会話のコードがそうだった、ということを書いておきたかった。なぜかというと、俺自身がふだんどういう人たちとどういう会話を交わしていて、その文法やコードがどのようなものなのかということを意識せざるをえなかったからだ。意識させられた、といったほうがいいだろうか。
 クラスタが変わればこうしたものも変わっていく、ということはまあ容易に想像はできるけど、ふだん所属しているクラスタだと微々たる変化でしかない。話す内容は変わるかもしれないが、文法やコード、会話のリズムやテンポはわりと変わらない。だからふだん所属している複数のクラスタを移動しても、変化を意識するのはあくまでも話す内容でしかない。
 
 だから話す内容も違えば文法やコードも違う、という経験をしたのは久しぶりだった。去年の夏の集中講義もふだん属していないようなクラスタの人たちと出会えたけど、テーマがテーマだったので話が合うことのほうが多くてさほどギャップは気にならなかった。今回のほうがふだんとのギャップは大きかった。自分のコミュニケーションの方法を若干修正しなければならないな、と思うくらいには。
 長期のワークショップだったので終わる頃にはそれなりに仲良くはなれたが、このあとも人間関係を続けていくかという点では迷いがある。切実な話を書くとお金があまりないという状況なので交際費の分配をもう少しほかの方に、特に夏休みあまり会えなかった人たちに広げたいという思いもある。夏のメンバーで今後も飲み会などなどがあるようだけどそろそろ自分のことにも専念しないといろいろと詰んでしまうというもうひとつの状況もあるので基本的に遠慮するだろうな、という感じ。

 まあそういう事情もあり、いったんわたしは身を引きますのでそういうことでよろしく。と、自分自身の整理の意味も込めて一応書いておくことにする。
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 最近は深夜アニメとアイドルに生かされているわけだけど、それって全部女の子じゃないですかーと言われそうなのでなかなかおおっぴらに言えることではない。(*1)ネットではガンガン言ったりするけど。でも重要なのは性的な意味はあまり付加されず、あくまで女の子を見る/観ることの行為性が重要だったりするわけですよ。たぶん。
 そもそも女の子を愛でることに男女の差はあんまり関係なくて(そもそもかわいい、という言葉は女子の特権だったりするわけだ)アニメ好きな女の子もアイドル好きな女の子も一定数いたりする。ボカロ界隈だと消費者は女子のほうが多かったりするわけで、そういう子たちがミクやGUMIかわいーと公然とネットで書き連ねている時代なのだからいやはやインターネットも開放的になったなあ、としみじみしているよ。

 それはそれとして、よくよく考えると高校受験のときとか大学受験のときなんかは好きな女の子がいる、みたいなのがモチベーションになってたりするし、いまはいまで前述したようにアニメとアイドルという2次元と3次元の両方が日々のエネルギーになっているなあということをこの前考えた。たまたまネット上で「素敵な女の子」に救われて生きている、みたいな話をしたんだが、大げさかどうかはさておいて、たとえ世界に絶望してもどこかにあの人がいるのなら、みたいな気持ちはあるんじゃないかな、と思うわけですよ。
 坂上智代が「智代アフター」の最後につづってた言葉とも通じるかもしれないが、だからこそもう絶望しない、と少なくとも暫定的には思うことができる。実際はまた絶望したりユーウツになったり落ち込んだりうまくいかなかったり、というもろもろの心境の変化はあるとしても、どこかでつなぎ止まる気はするんですよね。
 だから女の子最強というのではなくて、たまたまひとつのよすがとして女の子にすがる、みたいなのは二次元的想像力をさしおいても自分のなかにはあるなあと思っている、というお話。重要なのはかっこつきであって、ある種自分のなかで偶像化しているときもあったりするんだろうけれど、偶像化することで自分が生き延びることができるならそうするしかなかったりもする。文字通り偶像的存在であるアイドルの歌う歌詞はいかに非現実的で明るすぎるか、なんてことを責めても意味はない。役割に忠実であるということは、そのぶんより偶像性を帯びて、なんらかの理念型のような形へと近づいていく。理念型だから意味はない、なんていったらどっかの学者が黙っちゃいない。あくまでそうやって想像(あるいは創造)できることに意味があるのだから。

 あとはまあ、ひとりで悶々としたり卑屈になったりするめんどうくさい性格なので、ふと眺めていた深夜アニメとかアイドルソングに救われるのと感じるのはひとりよがりな自分ではいたくない、と思わせてくれる力を持っているからでもある。最近だと夏色キセキとモーレツパイレーツと坂道のアポロンが白眉だったと思うんだけど、並べてみて改めて思うがアニメの醍醐味のひとつは群像劇を1クールないし2クールほどを使ってじっくり書き込めるところにあるような気がする。(*2)緒方恵実の発言じゃないが、明らかに狙いすぎる深夜アニメもままあるなかで、強い物語を提示してくれる、要は骨太なアニメはそう多くない。まあこれは制作の問題とか単純に業界の問題とかいろいろあるだろうから一言でこうだ、とは言えないけどね。アニメの制作数はここ10年ちょいで格段に増えてしまっているから全体としての質は・・・なのはしょうがないんだけどね。
 話を戻すとつまりは何かに生かされていると思うことはそれ自体がひとつの幸せなのかもしれないし、幸せという言葉を使わなくてもよすがが自分の外のどこかにある、ということは一つの力にはなるだろう。その形式というかスタンスというか動機が多少偏っていても基本的に放っておいてくれるとすごくうれしいな、って思うわけだ。共感してもらえるともっとうれしいけどそれはちょっとぜいたくなので、どこかの夜に酒でも酌み交わしながらということでなにとぞ。というかこういうネタで話せる相手がいるのかどうかは不明ではあるが!

 もうあたりまえに流通してしまっていて新鮮味もなにもない結論をいうと、かわいいは正義だしかわいい女の子は最強ということでいいんじゃないかと。別にかわいくないは不正義とは言ってないからね、論理学的に。
 というわけで深夜ネタをブログに起こすことをしていいのかどうかはアレな感じもしつつ、たまにこうやって雑文を殴り書きしたいので新しくカテゴリを作ってみた。またいつか、気が向けば。

*1 まあ、あまり小難しいとか堅い人間だとかに思われるのをふせぐためにわたしはただのオタクです、と弁明することはたまにある。

*2 余裕があれば今度春アニメまとめと夏アニメの雑感、みたいなことを書きたい。ちなみに夏アニメはP.A.WORKSの新作であるTARI TARIに断然期待してるけどクドリャフカ編にはいった氷菓とか、ノイタミナの夏雪ランデブーあたりが楽しみ。

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トマパイではWADAちゃんが好きなんですがYUI(小池唯)はさすが安定の美人さんだなあ、と再確認したMV。
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