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日常と読書日記。 受験生日記は閉幕です。

economics

 ツイッターで親しくしている人向けに作成してたのですが、よく考えればブログに挙げてもいいのでは、と思ったのでアップします。

 このブックガイドを作成したのは2020年ですが、その時は新型コロナによる経済的な波及効果(もちろん悪い意味で)に対する金融政策や財政政策(orマクロ経済政策)を考えるためでした。他方で今年はウクライナ戦争による物価の変動と為替の変動についてのニュースや議論が日常的になっています。

 ただ、2年前がそうであったようにそもそも金融政策を理解している人はあまり多くないのでは(そもそも金融政策と財政政策は相互に関連はするものの全然違うこととか)と感じたので、改めていったん金融政策入門という形で復習しておくのは重要かなと思い、ブックガイドをアップしました。

 入手しやすいようにということであえて新書を並べています。1を除く4冊はすべてkindleで入手可能。学習のためにはある程度分厚い入門書がいいと思いますが、とっかかりやすさを重視した選書にしました。




1. 日経新聞(2020)『金融入門 第3版』日経文庫
金融入門<第3版> (日経文庫)
日本経済新聞出版
2020-03-14


◆選書理由
・今回紹介する本で最も入門的かつ教科書的
・2020年3月に第3版が出たので選書の中では情報が一番新しい
・金融政策の前に金融とは何かの理解から始まり、金融業界の話や為替、株価、金利についての解説などなど
・「金融入門」であって「金融政策入門」ではないので政策とはさほど関係ない話(一般の銀行の話とかフィンテックとか)も多いが入門書かつ教科書的な構成なので、5冊の中では一番とっかかりやすい

2. 湯本雅士(2013)『金融政策入門』岩波新書 
金融政策入門 (岩波新書)
湯本 雅士
岩波書店
2015-01-01


◆選書理由
・特定の立場に取ることはなく、かつ教科書的になりすぎないようにアメリカや日本の具体的な政策、経済の動向に言及しながら丁寧に論を進めている印象
・専門用語に頼りすぎずに文章を書いている。次第に用語の出番が増えていくが、序盤に丁寧に解説しているので読みやすい。日本銀行券ってそもそも何?というあたりから話を進めているのも入門的で良い
・入口は入りやすいがいったん入ると内容は分厚く、マクロ経済学的な数式やグラフも多々登場する。このあたりは経済学部生向けな気がするので、難しいと感じるところは読み飛ばしてもよい
・伝統的金融政策(ケインジアン、マネタリスト)と現代的な非伝統的金融政策(金利を誘導するようなオペレーションや量的緩和政策)の特徴や意義についてそれぞれ時間をかけて解説している。実際の金融政策を理解する肝でもあるので、この部分だけしっかり読むのも良い
・インフレとデフレの特徴と功罪、それぞれにどのようなアプローチを中央銀行は行っているのか(いくべきか)という話もかなり時間をかけて行っている
・あとがきから読むのもいいと思うし、参考文献リストがあるのも良い
・2013年刊行なので少し昔の話が中心だ(2000年代の日銀やFRBの話が多い)が、始まったばかりのアベノミクスへの言及もあり。
・3の本がわりとポジショントークをしているところがある(放漫な金融、財政に対して批判的なスタンス)ので、その分2の本はバランスがいいなと感じる


3. 熊倉正修(2019)『日本のマクロ経済政策 未熟な民主政治の帰結』岩波新書 


◆選書理由
・比較的新しい。日銀の黒田体制、アベノミクスへの評価と疑問なども多い。
・通貨政策、金融政策、財政政策、経済政策と民主主義という流れ。最初が通貨政策なので、為替介入の是非といった特定のトピックの話から始まっているのはタイムリーだけど、教科書的には入門的ではないかも
・入門書というよりはそれぞれの政策に対する解説と評価(批評)が主といったところで、分厚いニュース解説を読んでいるような印象
・ほかの本を一通り読んでから帰ってくるには向くと思うしタイムリーな話題も多く面白いが、最初の一冊としては選ばない方がよいと思う

4. 池尾和人(2010)『現代の金融入門』ちくま新書
現代の金融入門 [新版] (ちくま新書)
池尾和人
筑摩書房
2014-02-07


◆選書理由
・「入門」とあるわりには骨太なので、せめて1か2を読んでからこの本に来た方がいいかな。昔一回読んで今回読み直したけどやはり難しい
・内容は確かに入門的(大学の経済学部生レベルという意味で)かつほかの本と比べても最も理論的
・読み応えもあり、大学の講義を1クール分受けている印象を持った。新書でこのボリュームは単純にすごい
・1の本のような金融の個別の制度の解説ではなく、制度やルールを利用して各プレーヤーがどのように行動しているか(=金融システム)の解説や分析が主。このあたりの問いの立て方や着眼点は経済学者的
・2010年刊行と今回紹介するにはやや古いが、リーマンショック後まだ間もないころでもあり、バブルはどのように起きるか、金融デリバティブとはどのようなものか、リーマンショックのような金融危機が起きないように、平時どのように企業の金融活動に規制をかけていくか……といった視点は他にはない特徴
・あくまで「金融入門」であって「金融政策入門」ではないが、グローバルに広がった金融システムの全体像を理解するための一冊としては面白いし、それが理解できてようやく金融政策の意義も理解できると思われる

5. 翁邦雄(2013)『日本銀行』ちくま新書
日本銀行 (ちくま新書)
翁邦雄
筑摩書房
2014-05-02


◆選書理由
・元日銀の中の人として、中央銀行の歴史や役割から話を進めていく。(2の本では5の著者が名指しで論評されるページもあった)
・前半は近代経済史(海外、日本)といったところがメインなので読み飛ばしてもいいと思うし、興味があれば一種のノンフィクションの読み物として面白い部分でもある(現代の金融政策からは遠く離れるけれど)
・中盤以降は経済環境や社会状況の変化に対して日銀がどのように向き合ってきたかを、バブル期以前以後を境目に概説していく
・とりわけ後半は経済危機やデフレへのアプローチ、財政と絡めた話なども多い。
・金融政策を理解するためには財政政策とセットで理解する必要があるので、このあたりへの目配せは実際に日銀の中にいた人としてぬかりない印象
・最後には刊行当時始まったばかりのアベノミクスへの言及も

◆まとめ
・教科書として読むなら1がおすすめ
・入門書としてのおすすめは1,2
・好きなのは2と4と5
・3は時事的な話題が多すぎて金融政策を入門的に理解するには向いていないが、時事的な話題から金融政策と財政政策に入門したい場合は手に取って良いかも


※上記の内容は2020年2月に作成した(2021年8月に一部改訂/2022年9月に原文の趣旨を維持しつつ二訂)。
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 この前の続きのような形になるが、いわゆる中室発言をきっかけにして所得制限や所得の再分配を正しく理解できていないツイートを最近よく見かける。もっともそれらの多くはポジショントークであり、自分たちにもっと寄越せという欲求であると仮定すると、彼ら彼女らへ所得の再分配の意義を説得するのは容易ではない。ただ、誤った認識がネット上に流布する現状は好ましくないため、いったん(というか再度)整理するためのエントリー。

◆総論

 子育て支援に関する現状の政策がベストとは言えない。例えば日本の児童福祉は所得制限を伴うが、所得制限を伴わない児童手当を給付している国はヨーロッパに多く見られる。所得制限を行う場合、線引きについて不満が生まれるのは避けられない。とはいえ、かといって自分たちへもっと寄越せと主張することで低所得家庭への支援を批判すると福祉政策における再分配は成り立たない。予算は無限大ではないため、限られた予算をどのような形で再分配を行なえば良いのかという議論はすべきだが、元ツイートのように努力の結果年収を多く持つ人が更なる要求をするのは再分配の否定とも言える。

 あえて指摘すると努力して年収を多く獲得している人が税金を多く支払ってこそようやく累進課税が機能し 、諸々の政策へと生かされる。生活に不満があるのであれば、日本的なメンバーシップ雇用の批判や教育費の高さを批判したら良いのであって、税制そのものの批判は所得階層に分断を生むだけである。 しかしツイッターランドを見ていると現に分断は生まれており、異なった階層を生きる人々の生活の実態は見えづらいことが伝わってくる。

 所得を多く持つ人ほど税金や社会保険料を多く支払う必要があるので不満があるのは分からないでもない。かといって累進課税そのものを否定すると空振りになるので、他のところ(先ほど挙げた雇用慣行や教育システムなど)を批判したほうが良いし建設的なはずだ、と言う立場。児童手当にしろ幼保無償化にしろ関心のあるのは子育て世帯であるが、雇用慣行や教育システムへの批判はもっと多くの人、例えば子どもを持たない人などを巻き込んで連帯することも可能である。

 ちなみに自分は常に税金や社会保険料を多く支払う側で、医療や福祉の制度的恩恵を受ける立場(自己負担の減免や手当の給付など)ではないと言える人でなければ、自己責任論を展開してはいけないだろうし、もっと寄越せというべきではないのではないか。事故や病気などで自分が困った時もそれは自己責任だから仕方ないですね、で本当によいのか。所得制限なしで一律にということは結果的に高所得者を利するという中室発言を改めて思い起こすべきである。



子育て支援の経済学
山口 慎太郎
日本評論社
2021-02-15


公正としての正義 再説 (岩波現代文庫)
ロールズ,ジョン
岩波書店
2020-03-17


社会保障の経済学 第4版
隆士, 小塩
日本評論社
2013-10-15





◆階層と社会関係資本

 ちなみに年収1000万と年収600万なら後者の方が楽論者の人は、年収以外の資産や資本を無視しすぎなのではないか。年収1000万クラスの人はかなりの割合ハイクラス家庭出身(つまり実家が太い)だろうし、中高大学社会人経ての社会関係資本を多く持つ側だと思われる。だからといって年収1000万と年収600万を比べちゃいけないわけではないが、生活のしやすさしんどさは実際にそれぞれあると思うけど、年収だけで比べるのは情報量が少なすぎる。階層の議論に持って行った方が色々なことがクリアに見えてくる。

 例えばパットナムがソーシャル・キャピタルの研究を展開したのは数十年前だが、一般に低所得者層ほど社会関係資本が少なく、繋がりが少ないことが貧困をより悪化させる循環もある。だから以下の記事で佐藤主光が言っているようなプッシュ型支援が重要になる。同じ趣旨のことは、中室発言にも見られる。



 少なくとも福祉政策や社会政策というものを多くの現代の経済学者はそうした認識で捉えているはず。他方で、年収1000万家庭の生活しづらさや子育て罰みたいなものを放置していい訳ではないが、それらは前述したように子育て支援政策や社会政策とは違う枠組みで議論され、解決されるべきなのではというのがこのアカウントの立場。

 従って最初に述べたように、一定レベルの収入の持ち主が低所得者層への給付施策を批判するならばこちらはその主張を再批判しなければならないという立場をとる。

孤独なボウリング―米国コミュニティの崩壊と再生
ロバート・D. パットナム
柏書房
2006-04-01






シングルマザーの貧困 (光文社新書)
水無田 気流
光文社
2014-12-19



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■今回の論点

 9日から10日かけて、子育て世帯のタイムラインが非常に荒ぶっており確認したところ、教育経済学者による中室牧子の上記の発言が発端となっているようだった(厳密には、彼女の発言が一部切り取られた時事通信の記事に対する反響が火種)。ツイッターで建設的な議論を行うことは年々難しくなっていると改めて感じるが、関心のある方への情報提供としてこのエントリーを書いた。分量は長いが、随所に引用やレコメンドの情報も含んでいるため、そちらも併せてご覧いただければ嬉しい。

 さて、上記のyoutube動画の14分〜29分あたりが件の中室発言である。中室によるnoteに発言と資料がそのまま掲載されているので、動画ではなくnoteを閲覧してもよい。今回の火種になったのは以下の部分である。(なお太字はバーニングによるもの)

今の日本においても、再分配政策があまりうまく機能していない可能性があります。3ページをご覧ください。これは、兵庫県尼崎市から提供を受けた市内の保育所に支払われる保育料の分布です。グラフの一番下にあります緑の分布が2000年のもの、一番上の黄色が2015年のものです。これをみると、2000年時点では、保育所利用料は0円のところが最も多くなっていることがわかります。保育所は、児童福祉施設の1つであり、保育料は応能負担となっていますから、この時点では経済的に苦しいご家庭における子供の養育を支援する福祉的な役割が大きかったということがわかります。しかし、2015年になると、最も高い保育料を支払っている家計が最も多くなっています。これは、この15年の間に、保育所の役割は福祉から共働き世帯のサポートへと変化してきたことを意味します。このような状況で、一律に幼児教育の無償化という再分配政策が行われれば何が起こるのでしょうか。2019年10月に開始された幼児教育無償化への支出の多くは、高所得世帯への再分配となったと考えられます。同様のことは他の自治体でも生じており、例えば東京大学の山口慎太郎教授らによれば、神奈川県横浜市では世帯年収1,130万円以上の世帯が幼児教育無償化によって受けた恩恵は1年間で約52万円に上るのに対し、360万円の世帯では15万円程度であったということです。このように世帯の経済状況を把握することなく一律の無償化を行えば、再分配の機能を果たし得ないことがわかります。わが国の財政状況が極めて厳しい中では、高所得世帯ほど手厚い再分配を行うことは国民の理解を得られないものと思います。


 今回の中室発言と彼女の議論を端的にまとめると、現在の幼保無償化政策は高所得世帯が恩恵を多く受けるという(意図せざる)帰結を招いている。児童福祉における無償化政策という(給付はしないが自己負担を求めないタイプの)再分配政策の結果、高所得世帯が最も恩恵を受けるとするならば、それは福祉政策としては「政府の失敗」であると言ってよいだろう。ある政策が意図せざる帰結を招き、むしろやらなければよかったのでは、ということは歴史的にも珍しいことではない。



 山口慎太郎による横浜市の研究は2021年刊行の『子育て支援の経済学』でも紹介されており、mediumに書評を書いている。

子育て支援の経済学
山口 慎太郎
日本評論社
2021-02-15




 また、中田さんによるこちらの一連のコメントは本書の議論のポイントがコンパクトにまとめられている。






■「再分配の失敗」の解釈、あるいは政策デザインの失敗

 高所得世帯をどこで線引きするかは議論があると思われるが、こちらの記事で紹介されているデータによると年収1000万以上の子育て世帯は2016年時点で16%を占めている。数としては多くないが、この層は上昇傾向にある。これは、中室発言の「2015年になると、最も高い保育料を支払っている家計が最も多くなっています」ともリンクするだろう。中室が示している家計がどの程度の年収世帯かは分からないが、保育料が上限付きの応能負担だと仮定すると上限の最も上の金額を支払う世帯が多数を占めるということは、所得の比較的高い層が積極的に保育所を利用していると考えてよい。

 つまり、中室発言は統計的なファクトであり、中室発言を攻撃することにはほとんど意味がない。攻撃するとすれば、幼保無償化の政策過程だろう。かつて「3年抱っこし放題」発言がネガティブない身で話題になった安倍晋三を改めて攻撃してもよい。






 幼保無償化の対象が3歳〜5歳であり、0歳〜2歳が外れたことに対する批判は政策決定当初から目立っていたため、改めて同じ批判をすることも一つの手である。完全無償化ではない幼稚園、特に私立幼稚園は無償化をきっかけに保育料を意図的に引き上げたことが珍しくなく、この行為に対する批判が当時多くなされていた。



 また、こちらのnoteに書かれているように、そもそもの政策デザインが子育て支援や少子化対策という名目に対して微妙だという指摘もできるだろう。



 とはいえ、政策というのは往々にして経路依存的であるため、すでに実施した政策を取りやめるのは難しい。無償化の後に自己負担に転じたのは1970年代の老人福祉法に基づく老人医療費無料化が挙げられるが、例は多くない。また、高齢者の医療と福祉は平成に入って後期高齢者医療や介護保険に分岐していくため、老人福祉法の役割は終わりつつある(法律自体は残っており、介護保険法と併存している)。



■必要とされる議論

 ここまでは論点の整理と中室発言の解釈をしてきたが、ここでいったん幼保無償化からは距離を置いてみよう。ここからは、子育て支援を考える上でどういった議論が必要なのかを考えたい。もちろん必要な議論はいくらでもあるだろうが、このエントリーでは以下の二点に絞って考えることにする。

1.待機児童問題や保育士の待遇の問題など、保育の質と量を考える上で残された問題があるということ

2.子育て支援は子どもが成長するにしたがってフェーズが変わり、子のライフステージが移行する。その際に必要な費用に関する議論も同時に必要であり、子育て世帯をフォローするためにはこれらを政策パッケージとして提供する必要があるということ


〇一点目について

 これについては元横浜市副市長の前田正子のこちらの著書に詳しい。少し前の本ではあるが、2015年に始まった子ども・子育て支援新制度以後の本でもある。






 ここで挙げられている保育士不足や建設反対運動については、少し前に実施した#スペースで地方自治論の第12回「子育て行政」の回で言及している。録音については公開期間が終了したが、その回のレジュメは今も閲覧できる状態にしてあるので関心のある方はご覧いただきたい。



地方自治論 有斐閣ストゥディア
平野淳一
有斐閣
2018-05-25



 何が言いたいかというと、これは幼保無償化が決定した際の批判でもあったのだが、保育の質と量がまだまだ十分に担保されたとは言えない(特に都市部において)中で幼保無償化による自己負担の軽減は、子育て支援において有効な策と言えるのか? という問いを再浮上させてもよいのではないかということだ。前述したように、一度決定した幼保無償化を取りやめることは難しく、かといってボリュームが増えつつある高所得世帯を狙い撃ちにすると、この世帯は見放されたと感じるだろう。

 中室は今回の提言で保育の質評価にも言及しているが、2020年にも幼保無償化の批判と質確保の重要性について言及している。


 
 待機児童問題は保育士の不足+保育施設(保育所、こども園)の不足の両方を解決しないと難しい。前者について出来るとすれば、公立の保育士の給与の資源を国庫負担金にする(学校の先生のように)ことだろう。公立学校の教員の給与は国庫負担があるため、子どもに対して先生が足らなくなるという事態は起きづらい。むしろ現在は少人数学級や特別支援がトレンドとなっているため、子どもの数の減少と教員の数の減少は一致しない。



 しかしこの仕組みを保育所にも導入するとして、学校教育と違って私立の割合が大きい保育の領域で可能なのかどうかは正直分からない。また、いずれにせよ保育士の待遇改善費用を確保するための増税が必要とされるだろう。

 他方、日本では児童手当も所得制限付きだが、所得制限のない児童手当を実施している国はヨーロッパを中心に多くある。そのため、幼保無償化という保育料の無償化(あるいは軽減策)に対して所得制限を導入することは世帯がそれぞれに所得証明を作成、提出するコストと、行政がそれを審査する(ミーンズテスト)コストが二重にかかることも考慮する必要がある。

 では、現在の意図せざる帰結を温存してよいかというと、もちろんそうではない。ここでのアイデアは中室と同じで、支援を多く必要とする(「真に支援が必要」という表現は正直苦手だが)世帯へのフォローアップが必要だ。アイデアとして海外で一般的なのは給付付き税額控除である。例えばアメリカの「児童税額控除(Child Tax Credit)」の例がwikipediaに詳しい。

 アメリカでは源泉徴収という習慣がないため、被雇用者も自営業者もいずれもが確定申告を行っている(はずである)。その確定申告の際に税額控除が行われ、その後所得に応じて給付が提供されるという形での二段構えがアメリカ式の給付付き税額控除である。アメリカには児童手当が存在しないので、給付付き税額控除が実質的な児童手当と言ってよい。

 結論を述べると、幼保無償化より前に優先する政策課題が子育て行政においては様々あるということ。また、幼保無償化は政策デザインがイマイチであるが所得制限の導入が最適解とは言えない。制度を温存するならば、別の施策(給付付き税額控除など)と組み合わせる形で低所得世帯を中心にフォローアップすべきであるということだ。

〇二点目について

 これも多くの人が投げかけていた意見だが、子育てにかかる費用で莫大なのはむしろ教育費であるということだ。私立中学・高校や高偏差値の大学へ進学することを考えると、またそのために必要な塾代や習い事代なども考慮すると、枚挙にいとまがない。

 私立ではなく国立大学に進学するとしても、初年度に必要な入学金と授業料とその他施設代を合計すると悠に100万ほどにはなる上に、転居を伴う場合は引っ越し費用や家賃、生活費が必要になる。奨学金を利用するとしても多くの場合は貸与付きの奨学金であるため、卒業後に借金として残る。

 自分の話をすると、学部の4年間に240万を借り、卒業後の2012年9月から返済が始まっているが、そこから約10年が経過し、ようやく借り入れ残額が90万円台になっているところだ。240万というのは一か月5万×4年間(48か月)の数字だが、一か月7万を借りていた友人は336万以上を返済していることになる。この数字はこの30年間給与水準が上がっていない日本の労働者にとって、決してやさしい数字ではない。

 また、住宅費用も都市部を中心に高騰、もしくは高止まりする傾向が続いている。首都圏では中古マンションの価格も高騰しており、労働の機会が多く提供される代わりに高い住宅費が必要とされ続ける状態が続いている。





 住宅政策を長年研究している平山洋介は日本における公的な家賃補助の仕組みがないことを指摘している(あるとすれば生活保護制度における住宅扶助)。






 これは長い間企業型の福祉が続いてきた日本において、家賃や交通費などの負担を企業が積極的に行ってきたことにも起因するだろう。しかしバブル崩壊後、そうした福利厚生費を潤沢に払える企業が絞られる中、日本の住宅政策はいびつな状態で続いている。

 そしてそうした保守的でいびつな住宅政策にプラスして浸透してきた新自由主義が招いたのは、従来型の人生設計モデルの崩壊であった。






 この著書の最後に平山の述べる「都市の条件の再生」や「社会維持の新たなサイクル」といった観点は、子育て支援においても必要な観点だ。中室牧子という経済学者を叩いたり、シルバーデモクラシーだというイメージによる批判をしたとしてもそれはほとんど意味をなさない。



シルバー民主主義という言葉は、最近の論壇において流行語となり、仮説ではなく半ば事実として受容されてきた。だが、高齢者が選挙民の多数を占めることは日本の高齢者偏重の社会保障の主要因とは言いにくい。極端に女性議員の数が少ないことや、古い保守的な家族観を持つ自民党が長年政権を維持してきたこと、年功序列を重んじる政党組織、官僚制など、他の背景を探るべきである。いずれにしても、今回の18歳選挙権とシルバー民主主義の議論とには齟齬があると言える。


 子育ては家庭と保育園や幼稚園の往復で完結するわけではない。子は育つにつれてライフステージを移行させ、親は老いを見据えながら子育てと労働の両立を図ろうとする。そこにはそれぞれの人生、それぞれの生活がある。排除的にならずに可能な限り多くの人(もちろん、未婚の独身者や、子なしの既婚者も)を包括し、同時に支援を多く必要とする世帯をサポートするための政策デザインや政策パッケージの議論が必要だ。

※追記(3月26日)

 3月23日にハフィントンポストにおいて中室牧子本人へのロングインタビューが公開されていたので追記。こちらを読むことで中室の構想する子育て支援政策の論点がよりクリアになるだろう。




■その他推薦したい文献リスト

〇格差社会
学歴分断社会 (ちくま新書)
吉川徹
筑摩書房
2013-08-09




〈格差〉と〈階級〉の戦後史 (河出新書)
橋本健二
河出書房新社
2020-02-07




 子育ての先には何らかの形で最終学歴が待っており、労働につながる。ゆえに現在の日本では学歴による格差がどのように生じているかを認識しておくことが重要だ。吉川徹と橋本健二はそれぞれのアプローチで日本の格差社会の構造をあぶりだしている。

〇教育 


 フォロワーさん推薦図書。東大など、ハイクラスな学生やOBOGほど学歴ではなく塾歴になっていると指摘するおおたとしまさのルポルタージュ。そうした構造が生まれること自体の強い批判ではなく、そこからこぼれ落ちるものを評価しようとするおおたの姿勢に好感を持った一冊でもあった。子育ての先に労働があると先ほど書いたがその前に待っているのは受験であり、ここに費用が多くかかることはこれからの時代を生きる子育て世帯の悩みの種となり続けるのだろう。

あしながおじさん (光文社古典新訳文庫)
ウェブスター
光文社
2015-11-27


 女子が大学に行くことが珍しく、ましてや親のいない施設出身のジェルーシャはなかなかに奇跡的な存在であるが、そんな彼女の生き生きとした大学生活と、まるでラブレターのような手紙のやりとりがとても楽しい。女子の大学進学率の地域差は日本でもまだまだ色濃く残る中では、ジェルーシャのような恵まれない女子の大学進学は現代でも相当困難を伴っている。こうした側面も日本には残っているということにも思いをはせたい。




〇女性と労働
働く女子の運命 (文春新書)
濱口桂一郎
文藝春秋
2016-01-15




 以前「#深夜の図書室」でも取り上げた二冊。この時は女性の労働にフォーカスして議論をしたが、女性の労働のサポートは子育て支援においても重要な要素であるため、改めてチェックしておきたい。



〇社会保障
社会保障の国際動向と日本の課題 (放送大学教材)
浩, 居神
放送大学教育振興会
2019-03-20


 アメリカの児童税額控除の例を示したが、他国の社会保障の動向は参考になる点が多い。本書では「子どもの貧困」について2章分、「子育て世代と社会保障」について1章分、「住宅政策と社会保障」について1章分触れられており、このエントリーで触れてきた内容ともクロスオーバーしているため、今後の議論においても参考になる一冊だろう。



 やや古い本になるが、日本の福祉と政治、そして企業との関係が戦後どのように発展・形成され、そしてバブル崩壊後に瓦解しているのかを理解することも重要だ。制度の多くは経路依存的だという話を先ほどしたが、子育て支援に関する制度も同様に解釈してよい。そしてそれぞれの制度と政治の関係、企業による福祉(福利厚生)の関係も見据えることで、制度を立体的に理解することが可能になるだろう。
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見:ソレイユ・2

 予定の調整が下手なので『エクストリーム・ジョブ』を見逃してしまったが97年のアジア通貨危機〜韓国IMFショックを描いている本作は絶対に見たいと思った。アジア通貨危機は日本でも高校生なら習うレベルなので、もちろん現代の韓国人にとっては悪夢であり重要な現代史であるこの一幕は学校でもおなじみの光景だろう(実際に小学校でリアルタイムに教えられるシーンがある)。

エクストリーム・ジョブ(字幕版)
シン・ハギュン
2020-04-10



 返ってこない手形、急速に進むウォン安ドル高(いまのドル円とはスピード感が違う)、減っていく外貨準備高、「不都合な真実」を隠そうと模索する財務官僚と、一刻も早い情報公開と経済立て直しを模索する韓国銀行(韓国の中央銀行)……ある程度金融、財政、為替、マーケットあたりの知見は必要だと思っていたが実際にその通りで、特に後半何の説明もなくIMFの専務理事が一種の悪役として登場するくだりはちょっと笑ってしまった。このあたりを抑えてから映画を見に行った方がいいかもしれない。

金融入門<第2版>
日本経済新聞出版社
2018-02-23



金融政策入門 (岩波新書)
湯本 雅士
岩波書店
2015-01-01



現代の金融入門 [新版] (ちくま新書)
池尾和人
筑摩書房
2014-02-07



日本銀行 (ちくま新書)
翁邦雄
筑摩書房
2014-05-02



 やや個人的な感想にはなるが、序盤のハン・シヒョンにシン・ゴジラの尾頭ヒロミみがあってとても良かった。情報量を早口で畳みかけるタイプ。どこかで読んだ情報では、現実の韓国銀行にハン・シヒョンが演じたようなキレキレの女性がいたわけではないらしい。だがあえて彼女をこのような役で起用したところは、韓国社会の男女間におけるいろいろな構造の変化を読み取れる。
 
 97年の金融危機はその後の韓国社会を形作ってゆくことになる。小さい会社があっさりと切り捨てられたり、対照的にサムスンのような巨大企業がより強い力を握っていったり。社会全体としては経済的に発展したかもしれないが、その内実は富める者がより富み、貧しい者は貧しい状態が強いられたままになる。アカデミー賞作品賞を獲得した『半地下』はその典型的な例だと言えるだろう。

 とりわけ民主化以降はもちろんいくつもの分岐点が韓国社会にあったのだろうけれど、バブル崩壊がその後の30年間の日本経済の形を大きく決定づけたのと同じくらいのインパクトが97年にあったことを、現代の視点から振り返るシーンがわずかながら挿入されているのもよいなと思った。ただの現代史の出来事ではないことを、その巨大なまでに発展した企業や街の姿と重ねることで改めて見せつけてくる。

 もう少し雑駁とした感想を続けると、韓国銀行で重要なポジションを務めるハン・シヒョン役のキム・ヘスが49歳と知って???という感じ。どう考えてもアラサーにしか見えなかったんだが。あと『バーニング』のユ・アインが転生して逆張り投資家として成功しているのも面白かった。でも成功しても喜びに欠けた表情が良かった。個人としての成功がを手にしても社会に向き合おうとするその姿が、現在の韓国社会が見る一つの夢なのかもしれない。勝者と敗者との間の分断を乗り越える夢を。


国家が破産する日 (字幕版)
ハン・ジミン
2020-04-08



バーニング 劇場版(字幕版)
パン・ヘラ
2019-08-07




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 レイズさんの以下のツイートに対する個人的な見解について。




 簡単にまとめて自分のタイムラインに流しましたが流れていくのもあれかなと思い、もう一度ここで参考文献も載せつつまとめてみます。一部訂正も含みつつ。

・たとえば健康保険は戦前に原型や一部の被用者保険があったりして戦後の60年代に国民皆保険となり、合わせて年金制度も整う。介護のルーツは70年代に成立した老人福祉法だと思うけど、高齢者医療費無料化が主だったのでどちらかというと医療制度の一環な気がしている。
→老人福祉法の制定は1963年だが1972年の一部改正による老人医療費無料化が実際に与えた影響力としては大きいと考えられる。一部の地方自治体が先行していた左派的な政策(いわゆる革新自治体)を国レベルで取り入れた形。










・もちろん医療制度と言っても当時の「老人」たちは病院に「社会的入院」をしていたのであって、それはつまり病院が実質的な介護施設を兼ねていたと言っていいと思うのだけどそれだとベッドをどんどん埋めるし医療費も膨らむというのが80年代の議論であって。
→「社会的入院」は入院に対するネガティブなイメージであり、行き先のない高齢者や精神病患者に対して用いられていた言葉。当時のことはリアタイで知らないので一般的に使われていたかはわからないが、医療政策をやっている人間なら知っているであろう概念の一つ。かつては精神保健福祉が未整備で、精神病院への入院は数十年単位を数えるのも例外ではなかった。







関連記事:日本の戦後精神医療史の凝縮 ――NHKEテレ(2018)『ETV特集 「長すぎた入院」』(2018年2月14日)

・1987年に社会福祉士及び介護福祉士法ができて社会福祉士、介護福祉士という福祉の国家資格が生まれるわけだけど、ここから2000年の介護保険まではまだ開きがある。そのためには1990年の福祉八法改正をまず経過せねばならない、という感じですかね。制度史的には。
→ちなみに精神保健福祉士の資格の整備には1987年からさらに10年を待たねばならない。この意味でも精神科領域の福祉の整備は遅れているイメージが強い。

・レイズさんの指摘する「家族で介護をやるのは、病院で見てる限りはかなり無理があるように思う」のは昔もおそらくそうであって、おそらく家庭内における何らかの女性(嫁や娘など)がその役割を担うとされていたはずだから、女性への負担は大きかったはず。もちろんいまも、ですが。
・しかしながらそうして無理を通してきてしまった歴史がそれなりにあってしまうことによって、いまでも介護は家で女性がするものだとか、介護業界は女性が数的に優位であることとかも、ジェンダー的に偏った認識のままきてしまった歴史的な産物なのではと思う。
→ジェンダー的な視点ももちろん指摘できる。介護は専門職が家の外で行うものでなく、「女」が「家の中」で行うものだという時代が長く続いたことの弊害はいまでも散見される

・直接的な回答にはなっていないかもだけど制度史的にはこんな感じです。ちなみに制度だけでいうと精神科領域も別の形で遅れをとっている・・・ような気はします。こちらも木村敏や中井久夫のようなすぐれた精神科医は戦後出てきているが精神保健福祉の領域では遅れがあるのではと。








 介護のみならず福祉制度を政治の視点から見るならば最初に挙げた3冊が適していると思う。医療もそうだが、どの時代も福祉は政治の争点になってきたし、いまでもそうであることがよくわかる。そこには一定の党派性や流行があり、90年代以降に加速する高齢化によって財政赤字の問題とセットで議論される領域になっている。

 介護だけに限定すると、
・福祉制度的な優先順位が政治のレベルで高くなかったこと
・高齢者の社会的入院が実質的な介護を兼ねていたこと
・ジェンダー的な偏りが長く続いたことによる弊害
 この3点が主要因だと考えられる。

 高齢化問題は早くから指摘されていたものの老人福祉法から介護保険へと移行するまでには時間がかかったことも、結果的に介護に関する制度やサービスの整備の遅れにつながっている。
 介護保険以降は小規模施設や地域密着型サービスの整備が進んでおり外形的には「施設から地域へ」という移行が進んでいるが、これも財政赤字が前提にあることは指摘しておいていいと思う。特養などの大規模施設で丸がかえしてみるべきなのは比較的要介護度の高い高齢者だけという流れは、今後も大きくは変わらないだろう。
 

 ざっくりとしたまとめだけどこちらからの回答はこんなところ。何かあればご質問ください。
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