連帯と尊厳 ――『わたしは、ダニエルブレイク』(イギリス・フランス、2016年)6年ぶりの冬の東京はまだ暖かさが残っていた

2018年12月16日

にぎやかな日々への愉快な追悼 ――『止められるか、俺たちを』(2018年)





見:テアトル新宿

 井浦新と門脇麦で若き頃の若松孝二とその周辺を描く。見たいと思っていたが、たぶん映画館では見られないだろうな、と思っていた矢先、たまたまとった休暇で訪れた東京は新宿のテアトル新宿で、しかもサービスデー価格の1000円で見ることができたのでとても満足している。若き日の、まだピンク映画を撮りまくっていたころの若松孝二を井浦新が演じ、その脇を門脇麦が埋めるなんて最高かよ、な映画なのですが本当に役者はどれも最高で(ほかの役者はわりとキャリアの浅い若手が埋めていたがそれもまたよかった)、1970年前後という、「闘争後」の若者もちらほら出てくるほどに時代の色が濃い作品となっていた。

 門脇麦のための映画になっているのは諸々の理由があるが、彼女が演じる吉積めぐみというキャラクターは若松プロダクションにおける紅一点的存在となっている点が挙げられる。いまどき若い女性の映画監督はさほど珍しくない(それでも「若い女性」というだけで際立つところは良くも悪くもあるが)この映画が舞台としている1970年前後の時代というのは、映画製作というのは非常に男臭いホモソーシャルな空間になっていることや、若松プロが原宿セントラルアパートに入居していたという事実も、非常に時代性に富んだものとなっている。ただそれはやはりいずれも、女性の存在はマイノリティだ。

 たびたび、門脇演じるめぐみは女を捨てたキャラとして描かれる。実際にそのように公言する場面があったり、まわりがすべて男の中で、同じように煙草を吸い、ウィスキーをあおる。そういう風に映画コミュニティにどっぷりと浸りながら、若松孝二の片腕として(助監督として)めきめき力をつけていくのである。(ともすれば現代では名誉男性と呼ばれてしまうような、故意に自身を男性化させる女性でもある)

 もちろんそれらのすべてはめぐみの生存戦略だった。プロダクションで仲のよかった、というかそもそもめぐみを招き入れた「オバケ」はある日若松プロから去っていくし、気づけば新しい若者が加わっているような、人の出入りが頻繁に行われるコミュニティにおいて頭角を現していくが、他方で一人の若者としての生き方も見せ始めていく。

 若松のように、映画の世界にどっぷりハマるキャラクターであったならば、全編通じて痛快な若者たちの青春映画として見られたと思う。いや、別にそのとらえ方が間違っているとは言えないし、そのようにこの映画を見てもいいのだと思う。けれど個人としては、女性として初めてピンク映画の監督を務めるまで成長しためぐみの、彼女がいつのまにか抱えていた複雑な感情の方に目を向けていたい。そうでなければ、若松ではなくめぐみを軸に据えた映画としての本作の意義がしぼんでしまうと感じるからだ。

 にぎやかな追悼とタイトルに書いたけれど、それはもちろん数年前に亡くなった若松孝二という唯一無二の映画監督に対してでもあるし、たった二年間、しかも20代前半という一番青く輝いた瞬間だけを映画製作にまるごと捧げた吉積めぐみという存在に対してでもあるはずだ。しんみりではなくにぎやかに、それがほんとうに、往事を経験してきた人たちにとってのリアリティでもあるんだろうな、と思う。

 暑苦しい映画である。けれども、ぐっと胸を打つ映画でもある。失われた時代の遺産が、たくさん散りばめられている。それはきっと、ただのノスタルジーではなく、現代にも響いてくる鎮魂歌だ。

 あ、一瞬だけあった百合シーンが本当に良かった。深夜のプールは画になる。







このエントリーをはてなブックマークに追加
burningday at 22:54│Comments(0)movie 

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
連帯と尊厳 ――『わたしは、ダニエルブレイク』(イギリス・フランス、2016年)6年ぶりの冬の東京はまだ暖かさが残っていた