見:イオンシネマ綾川
間違いなく言えるのは、これはボーナストラックなんだなということだ。何より映画1本の分量として、70分というのは短い。短いうえに、70分の中に学園時代最後のライブと、その後の彼女たちの姿を描いているので、どう考えても詰め込みすぎである。つまりこれは、何らかの続きのストーリーを描くものではなくて、「続きっぽいものを描くことで、とりあえずこのシリーズにケリをつける」ということなんだろうなということだ。(わざわざ10thって数字を打ってる時点で見る前からそう思っていたけどね!!)
70分でこの映画が試みていたことは主に二つ。一つはいちご世代の卒業をちゃんと描くこと。もう一つは、いちご世代の卒業後のリアリティを観客に見せることである。『アイカツ!』の本編が放映開始から約10年、本編の放映終了(あかり世代含む)からもすでに長い年月が経っており、そのため明確に当時のファンに届けるものとして作られていることがよくわかる。つまり、「かつてより大人になった」ファンに対してのボーナストラックである。まあ、10年経ってもまだ10代という人もいるわけだが(映画館には制服女子高生の二人組もいた)それはさておき。
いちご世代の卒業は、そういえばよく考えたら描かれなかったなと思い出す。あかり世代の成長と挫折、そして飛躍を描くことでアイカツ!の最初のシリーズは178話という長い長いストーリーを終えるが、それは一つの物語の終わりにはなっても、いちご世代の未来までは描かなかった。ただ、幸運なことに『アイカツスターズ!』や『アイカツフレンズ!』などの後継シリーズが続いたこと、また歴代シリーズのキャラクターが折り重なって登場する『アイカツオンパレード!』というコンテンツが登場したことで、いちご世代をもう一度描く余地ができたのだと解釈している。
この映画の原型は元々2022年に『アイカツプラネット!』の劇場版と同時上映されており(ということを最近まで知らなかったが)、そこに新規エピソードを追加したのが2023年公開版になっている。2023年に描くということで、改めて10年後、10周年を記念すべき一本になったのは間違いない。だから「いちご世代の卒業後のリアリティを観客に見せること」という、この映画のもう一つの試みに大きな意味が乗っかってくる。
以前シノハラユウキさんと紙草さんが企画・主宰した同人誌『MIW―Music of Idol World―』に、「ラブライブ声優を卒業した彼女たちの途上――南條愛乃、新田恵海、三森すずこの現在地」というエッセイを書く機会があった。
このエッセイで言いたかったことは、以下のようなことだ。アイカツ!シリーズとほぼ同時期にアニメ化が進行したラブライブ!シリーズが続く中でキャストたちの卒業もファンは経験する。そのため、「二次元アイドル声優の演者を卒業しても声優としての人生が続く彼女たちをいかに応援し続けることができるのか」を、過去の雑誌記事などから新田、南條、三森の発言を引用しつつ彼女たちの経歴や発言を紐解いたものだった。コンテンツが終了(あるいは一区切り)しても、コンテンツの供給が終わっても演者たちの人生は続くのである。もちろん、彼女たちが演じることを辞めても。ならば、その時にファンやオタクはどのような心構えで彼女たちを応援したり祝福したりすることができるのだろうか。そういったことについて、(今書いているこのエントリーもそうだが)個人的な感覚を書いた文章だった。
この観点を、この映画にも同じように導入できるのではと考えた。映画に当てはめる場合、演者たちの存在というよりはキャラクターたちの存在を考えるわけだが、コンテンツが一つの区切りを迎えてもなお、どこかでいちごやあかりや蘭は自分たちのやりたいことをやっていて、あるいは目指していて、そして3人の関係は途切れずに続いていくんだろうな、という予感を予感ではなく形にしたのがこの映画なのだろうと思ったからだ。
さっきのエッセイを書いた2016年末の段階では「推す」という概念はまだ一般的ではなかった。推すというよりは見守る、あるいは応援する、祝福するといった表現の方が個人的には今でもしっくり来る。コンテンツの供給がなくなっても、どこかに存在するのだろうという思いを持ち続けることは可能なはずだ。二次創作という手法を使わなくても、思いを馳せることはできる。また何より、時間の流れが曖昧になりがちな二次元世界の表現において、いちごやあかりたちがちゃんと「大人になる」プロセスを描いたことは、アイドルアニメ史上においても重要なことではないだろうか。
もちろん「大人になる」過程で経験する現実は生易しいものではない(という描写もきちんとされている)。けれど、彼女たちの姿を見ていると希望的な未来を十分に想像できる。努力と友情が紡ぐSHINING LINEが、まだ見ぬ明るいSTARWAYに間違いなく繋がっている。未来はきっと、輝いているから。
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