Days

日常と読書日記。 受験生日記は閉幕です。

 去年の2月は何をしてたっけか、と思い出すとすごく単純で「就活」だった、というオチ。そうかたった一年前まで俺は就活生というよく分からない人種のひとりだったのかー、という感想をどう伝えていいかはよく分からないが、まあそういう事実はあっさりと忘れられてしまうんだな、とは感じている。
 周りは基本的に「就活」を経て順調に社会に出て行く(この言い方はあまり好きじゃないけどとりあえず便宜的に)のだけど、それを選ばないとすればそれ相応の苦労はつきまとうわけだ。実際苦労したかどうかは置いておいても、自分を試した一年間だったんだな、とは思う。 去年の2月までは就活をしてたが、3月にはもうすでにしていないし、一年前の今月はひとつの大きな分かれ道だったわけだ。たぶん。
 さて、一年経って今年も2月が始まる。一年前の自分が思い描いていた2月を迎えられたかどうかというと、ひとまず来年度以降の居場所を確定させた、という意味ではなんとかなっているほうなのだろう。

 「生命とは、明日を迎える権利だ」というフレーズが最近プレイしている『Stardust Blue』(*1)というゲームのセリフとして出てきた。
 権利という言葉をどう解釈するかだけど、ひとつは権利なのだから履行しても文句は言われない、というところか。どれだけ腐っていようと、どれだけ素晴らしかろうと明日は平等にやってくるし、明日を平等に迎え入れることができる。平等であるがゆえに他者から非難されるべきではない。
 もうひとつは、生命を持っている以上明日を迎える必要がある、というところだろうか。基本的に生権力的な社会に生きているかぎりは、文字通り尽き果てるまでは生命という灯火を紡いでいかねばならない。生命を持つ権利というのは単に、死んでないということの裏返しでしかないのかもしれない。
 
 歳をとるのが嫌になったのはいつからだろうか。
 終わってしまう過去を慈しむように、もう二度とないことへの憧憬だけが肥大するように、過去は時には書き換えられるほどまぶしくも映る。前に進むことの魅力を感じないわけではないにせよ、前述したようにあまりにも先が長いことに絶望したくもなる。
 多くの人が卒業したら就職する大学4年の春休みというのは、長い長い学生時代の終わりを意味する。それはそれは壮大なフィナーレだ。社会人という人種になり、あるいは社畜というカテゴライズをされるのはまだしも、非正規雇用や無職へのルートもすぐそばにある。長い長いサバイバルの始まりを前にしているのだから、卒業式というよりは出陣式とでも言い換えるべきかもしれない。

 とはいえ、あまりにも悲観的すぎる未来をきっと誰もが期待しているわけでもない。Perfumeの「Dream Fitgher」という曲の歌詞にも明確に表現されている。

ねぇ みんなが言う未来ってさ
なんだかんだって 実際は多分
真っ暗じゃなく 光が差して
だけど 普通じゃまだ物足りないの


 俺自身はたぶん、個人としては悲観的だが全体としては楽観的な部類に入るのだと常々思っている。
 個人として悲観的な理由は単純で、楽観的になってしまっては努力を怠ってしまうから。自分を追い詰めてしまうくらいに悲観的になって始めて前に進むエネルギーに変換される。いままでもずっとそうやって生きてきたし、こういう生き方は自分でも時にはかなりキツイと思っているのだが、簡単に生き方を変えられないのは不器用な証拠なんだろうな、と思う。逓減する努力はしているけどね。
 ここであらためて権利という言葉に戻ろう。生きるのはしんどいが、それでも生きていていいのなら生きてやる。逆に言えば生権力と書いたように、簡単には死なせてくれないのが世の常だったりするのだけど、生きることという大きなことを考えるよりは、まずは始めることから考えてみる。外へ一歩踏み出すとか、一文字を書き始めるとか。最初の一手は誰にとっても小さくて一瞬でしかない。
 歳をとるのは確かに嫌なのだが、その嫌という感覚にもっとちゃんと向き合うべきなのかな、と考えてみるい。実際のところは全てが嫌というのではもちろんなく、どちらかと言えば嫌という意味に過ぎなかったりする。個人的には悲観的でも全体的には楽観的なように。別に世界は簡単に壊れてしまわない(悪化はするだろうが)し、自分の生命も簡単には尽きない。そんな感覚も確かに持っている。

歳をとることを肯定的にとらえるとすれば、それはすこしまえに記事にしているようにまだ見ぬものへの純粋な期待や好奇心があるというところだろうか。そういう気持ちをしぶとさに変えて、生き残っていけたらひとまずはマシな人生になるかな、と思いつつ。
ことしも、2月が始まっていく。

*0 今回の記事は去年の2月の終わりに書いた「そして2月が終わる」という記事のエッセンスとかタイトルから着想を得て書きました。また、2月は自分の苦手な冬の終わり、春を迎える準備をするための大事な月でもあり、そして自分の誕生月でもあるという意味で2月には特別な思い入れがある、という意味もあります。新しく生まれ変わるためにね(キリッ

*1 このブログではSeraphic Blueでおなじみの天ぷらさんが2001年に制作したフリーゲーム。セラブルの前作にあたる。テーマは「生命」だとか。年が明けたあたりから絶賛攻略中。
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