来週から大学はテスト期間に入る。つまり、講義はもうほとんど終わってしまっているわけだ。体調を崩して最後の講義に出られなかったのがひとつあって自分をぶん殴りたくもなったが、まあそんな状況でも何かの終わりは時間が立てばやってきてしまうという当たり前の状況に直面しているらしい。
 らしい、というのは確か4年前の高3のいまごろもそうだったとは思うが、正直実感はない。(*1)
 思いつくだけの理由を挙げてみる。

 まず思いつくのは2月から生活が激変するわけではないからかな。
 高3のときは2月から自主登校という形で、授業は今と同じように1月で終了した。とはいえ卒業しているわけでもないしもちろん入試を控えている(すでに今の大学は受かってたんですが、色々あって)ので、ほとんど毎日高校に通っていた記憶がある。午前から行っていたか午後から行っていたかの違いくらいだろうか。
 今年の場合で言うと2月から、正確には最後のテスト終了後からめでたく春休みだ。卒論の提出という課題はあるものも、7,8割方構想はできているし半分くらいは書いてしまったのでとりたてて難儀するとは思っていない。採点バイトを予定していたが漏れてしまったので、あまった時間を費やせばまあ無難に終わるだろう。
 大学生活とか大学で人と会うという機会は高校時代と違って激減するが、図書館にしばらく通うつもりなので同じようにまた平日は大学に、休日はどこか街に、というサイクルはそんなに変わらない。

 それと、人間関係を大学以外でも担保していることも大きいかもしれない。最近はオフ会とまでは行かないものもネットを通じて知り合った人と何かしらの用件で個人的に会う、ということがしばしばあるので、大学の友人知人と会う機会とそれほど遜色ないんじゃね、という気もなんとなくしている。
 基盤があるのはリアルである大学で出会った人たちだけど、ネットで出会った人ももうずいぶん増えたし、今後も交流の続く人はそれなりの数いるだろう。あとはネットではないが大学の外で出会った人たちも合わせれば、今月が終わったところで人間関係が激変するとはあまり考えられない。リアルのほうでも2月はゼミの集まりが何回かあるみたいだし。
 これはたぶん、東京から出て行くという決断をしたら影響は大きいのだろうな、という感じかな。

 みっつめは単純に慣れだとも思う。個人的に一番何かが終わる、と思ったのは中3の春、つまり生まれ育った地という意味での地元を離れるときだった。
 その後順風満帆だったわけではないが、逆に言えば土地を変え、人間関係を変え、色々と苦しんだりしながらも生きていくことを体感的に覚えているので、楽というわけではないだろうけれどもうすぐまた同じようなことが起こるとしても、ある程度納得して時間を進められる気がする。
 東京に来て少し驚いたのは東京の快適さと人間関係の面白さのせいか、東京を離れたくないという人が多々いることだ。離れられない、という人もいる。地方とかないわー、みたいな。昔はそれこそないわー、と思っていたが最近はちょっと分かるような気もする。単純に楽しいし、自由だしね。
 自分のことを振り返ると21年間の間で島しょ部、地方都市、東京郊外という場所に住んできてそのたびに人間関係をほぼきれいに入れ替えてきた経験がいちおうあるので、「動く」ということにいつの間にか大きな抵抗はなくなっているんだなあ、と

 理想的な終わり方とか、別れる前の心がけとか、なかなかそういうことに鈍感になってきているなあとは思う。いつか終わるじゃん、というあきらめがあるからかもしれないが。
 たぶんそういうことよりも、この前書いた記事ではないがリアルタイムのインタラクティヴを楽しみつつ、それが有限だと分かっているからより楽しいんだと思うことにしている。
 別れを迎えたとして、ネットでもなかなかやりとりができなくなるとして、確かに少し寂しいかもしれないが今までもずっとそれを繰り返してきた。そして、基本的には再会することが不可能になるわけではない。

 「じゃ、そういうわけで。また」くらいの軽い気持ちで今年の春も、別れを迎えて誰かを見送るのだろうとぼんやり思っている。
 まああとで気づくことも多いので、今の時点ではなんとも、という感覚がなんだかんだ強いんだけどね。

*1 4年前の1月の終わりにはこんなエントリーを書いている。うどん屋値上げのほうはかなりショックだったなあ。