■ In Memorial Fictionalization
[man side:01]
ありがとうより「さようなら」を覚えているし、こんにちはより「ごめんなさい」を覚えている。
なんでだろうなあ、と思い理由を考えてみることにした。たぶんありがとうやこんにちはは社交辞令のようなものでもあるし、使い慣れすぎていて一つ一つをちゃんと思い出せない。誰に言ったかはなんとなく覚えていても、どういうとき、どういう文脈だったかは、覚えているほうがすごいと思う。そういう人も世の中にはいるのかもしれないけれど。
「さようなら」も「ごめんなさい」も、きみに関して覚えているのはもう一つ理由がある。きみと会話したことはほとんど忘れてしまったけど、どこで会ってどこで会話をしたかは今でもよく覚えている。当時よく歩いた大通りと、海の見える埠頭。さすがに海が近いから少し風が強くて、遠くにはタンカーが何隻も浮かんでいる。
少し長いきみの髪が波風に揺れている様子を見るのが好きだった。黒髪と、夕日のオレンジの対比は本当にきれいだった。
初めて話をするようになったきっかけも覚えていない。でも、鮮やかな景色やそのとき綺麗だったものは覚えている。
それはきっと、きみがいたからだろう。きみがいなければ、景色はただの景色で、いつ見てもほとんど変わりなどなくて、ただそこに当たり前のようにあるからにすぎない。
きみがいる、ということが今はもちろんだけど、あのときも当たり前じゃなかった。よく考えればトータルでも会った回数なんて両手でがんばって数えられる回数くらいしかないような気もする。
そもそも、いったい、なんだったんだろうね。もちろん、深い意味はないと言ってしまうことはできるだろうけれど。無理矢理思い出して意味づけしようとする自分のほうがどうかしているのかもしれないけれど。
もうあの日々からは年月も場所もだいぶ遠ざかっているし、当たり前だけどいつも考えているわけじゃない。それでもただ、なぜか忘れない景色と、なぜか忘れない黒髪を、きみの横顔を。いまも思うことができる。
感傷とはこういうことだろうか。ひとりよがりなだけだろうか。
ふとしたことで思い出したくなって、薄れそうになっていく記憶をとりもどそうとする。頭よりずいぶん上に置かれていてどう考えても届かない距離だけれど、気になっているから手を伸ばす子どものように。
ああそうか、まだ自分は、子どもごころが捨てられてないんだ。まだまだ全然、大人になりきれてないんだ。
今過ごしているのはこういう日々だ。やるせなくても、過剰に過去をなつかしく思うときがあっても、なんだかんだ大人の日々を生きてるよ。意外と人間は順応するものだ。もう自分のことなんて忘れているだろうけれど。
きみも穏やかな日々を過ごしていることを、遠くから願っている。
******
なんとなく文章を殴り書きしたいなーと思って始めて見た。
いちおうシリーズ化したいけど不定期だし最悪今回で終わるかも(woman sideは大体書いたので近々更新します)だけど、「架空の思い出話」を「届かない往復書簡」という形にしたいと思っている。
2人のことは書き手である俺だけが知っている、的な。どこかで聞いた話や自分の経験や、それとまったくの架空の設定などなどを合わせてフィクショナライズしていく試み。
自分の中でもやもやしているものをただはき出すだけでなく、深呼吸するような感覚。一歩引いて、少しだけ長い文章を。
[man side:01]
ありがとうより「さようなら」を覚えているし、こんにちはより「ごめんなさい」を覚えている。
なんでだろうなあ、と思い理由を考えてみることにした。たぶんありがとうやこんにちはは社交辞令のようなものでもあるし、使い慣れすぎていて一つ一つをちゃんと思い出せない。誰に言ったかはなんとなく覚えていても、どういうとき、どういう文脈だったかは、覚えているほうがすごいと思う。そういう人も世の中にはいるのかもしれないけれど。
「さようなら」も「ごめんなさい」も、きみに関して覚えているのはもう一つ理由がある。きみと会話したことはほとんど忘れてしまったけど、どこで会ってどこで会話をしたかは今でもよく覚えている。当時よく歩いた大通りと、海の見える埠頭。さすがに海が近いから少し風が強くて、遠くにはタンカーが何隻も浮かんでいる。
少し長いきみの髪が波風に揺れている様子を見るのが好きだった。黒髪と、夕日のオレンジの対比は本当にきれいだった。
初めて話をするようになったきっかけも覚えていない。でも、鮮やかな景色やそのとき綺麗だったものは覚えている。
それはきっと、きみがいたからだろう。きみがいなければ、景色はただの景色で、いつ見てもほとんど変わりなどなくて、ただそこに当たり前のようにあるからにすぎない。
きみがいる、ということが今はもちろんだけど、あのときも当たり前じゃなかった。よく考えればトータルでも会った回数なんて両手でがんばって数えられる回数くらいしかないような気もする。
そもそも、いったい、なんだったんだろうね。もちろん、深い意味はないと言ってしまうことはできるだろうけれど。無理矢理思い出して意味づけしようとする自分のほうがどうかしているのかもしれないけれど。
もうあの日々からは年月も場所もだいぶ遠ざかっているし、当たり前だけどいつも考えているわけじゃない。それでもただ、なぜか忘れない景色と、なぜか忘れない黒髪を、きみの横顔を。いまも思うことができる。
感傷とはこういうことだろうか。ひとりよがりなだけだろうか。
ふとしたことで思い出したくなって、薄れそうになっていく記憶をとりもどそうとする。頭よりずいぶん上に置かれていてどう考えても届かない距離だけれど、気になっているから手を伸ばす子どものように。
ああそうか、まだ自分は、子どもごころが捨てられてないんだ。まだまだ全然、大人になりきれてないんだ。
今過ごしているのはこういう日々だ。やるせなくても、過剰に過去をなつかしく思うときがあっても、なんだかんだ大人の日々を生きてるよ。意外と人間は順応するものだ。もう自分のことなんて忘れているだろうけれど。
きみも穏やかな日々を過ごしていることを、遠くから願っている。
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なんとなく文章を殴り書きしたいなーと思って始めて見た。
いちおうシリーズ化したいけど不定期だし最悪今回で終わるかも(woman sideは大体書いたので近々更新します)だけど、「架空の思い出話」を「届かない往復書簡」という形にしたいと思っている。
2人のことは書き手である俺だけが知っている、的な。どこかで聞いた話や自分の経験や、それとまったくの架空の設定などなどを合わせてフィクショナライズしていく試み。
自分の中でもやもやしているものをただはき出すだけでなく、深呼吸するような感覚。一歩引いて、少しだけ長い文章を。
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