気づけば5月もあと一週間と一日か。来週はゼミで発表があり、また金曜日にはレポートの締め切りがあり、その次の週にも少し大きなことがあり、それまではしばらく引きこもりの日々かな、と。まあ日曜日からしばらく雨らしいので、やるときはやるしかない、と。
 ゼミの発表用の本はもう読んだのであとはレジュメをさっさと作って、レポートをやりたいところ。レポート用の本は結局ほとんど読めず。すべてはインテル・・・ではなくて日曜日の俺が悪いですが、まあ夜中はチャンピオンズリーグを見ておりました、と。
 予想はしてたがインテルの試合運びはさすがとしか言えなかった。それくらいしか言えない。バイエルンは好調だったリベリーを欠いたこともそうだが、それらしい展開を作らせないディフェンスをインテルがずっとしていたので。エトーがあれだけ献身的にチームプレーをするのはカメルーン代表では見たことがない。モウリーニョが何をこのチームに持ち込んだかということがよく分かった。

 それはそうと。
 金曜日に新宿のとらのあなにボーマスで買えなかったびにゅPのアルバムを引き取りにいくついでに、サザンテラスの新宿宮崎館KONNEで口蹄疫の募金をしてきた。まあ、できることはこれくらいかな、と。
 某大臣の始末とか県と国(政府・官僚)の責任のなすり合いがどうたらということをツイッターをやっていたりネットを徘徊していたら嫌というほど見かける。それ自体、何かを言うことは自由だと思うが、それでいて認識不足や情報不足でデマが流れていたりあらぬ批判をしているようでは何の意味もないし、それに影響される人がいるようならマイナスにしかならない。表象だけに対する批判というものは、その背後にあるものを無視している以上は何の意味も持たない。それを的確にとらえた批判ならどんどんやるべきだろうけれど。
 まあ俺はあまりこの一件に関して詳しく調べたわけではないので、明らかにおかしいだろうと思うことに関して(韓国のせいであるだとか、問題をすべて某大臣に集約していくところとか)思うことがあった、というお話。結局は民主党が嫌いだから民主党の責任にしてしまえばいい、という恣意性しか感じられない。自民党政権時に日本嫌いの中国人が首相の靖国批判をしているようなもので、何かがあったから嫌いだというよりは、何かそれらしい理由を持ってきて批判するようなものである。
 言いたいことを言うときや書くときは、それに政治という複雑な事象を持ち出す以上はそれ相応のことをふまえねばならない。別に居酒屋談義ならテキトーでもいいとしても、ネット上でインタラクティブな場所でやるのなら誰かの行為は不特定な多数に向けて発信されているのだから、それくらいの認識は当然持たないといけないよね、と。
 某大臣の行為は法的には問題ないにしても政治的には問題がないわけもないので非難はされて当然。だがすべて彼が悪いとか、口蹄疫の対応に関してたらればを連発しすぎることは、ただ彼を嫌いだから言っているような気がしてならない。扱っているマターやイシューが複雑なのだから、なおさら感情論は排さないと批判などすべきではない。ただの愚痴である。

 まあこのへんは知り合いがニコ生で口蹄疫に関する放送を最近ずっとやっていて、「口蹄疫について知ってもらいたい」という方向性は悪くないのに、コメントにつられたか本心が出たかは分からないが放送の方向が政治問題化していくことが何回か見受けられた。そこで見受けられた発言に対して注意を促した、というお話なんだけど。誰かの人格や自由意志にまで踏みいるようなコメントに乗るようではいけないだろう、と。
 このへんはニコ生特有のもろさと未熟さなんだけどね。ハードルの低さとも言える。多くの個人がネット上で文章を上げるようになったときも、そのハードルの低さは指摘されたが、ニコ生のように映像を配信できるようになったことでまた同じことを考えた。
 まあ別にどうでもいい誰かのことならわざわざ文句を言うのもめんどうくさいしスルーしておくだねど、わりと仲良くしているネットの知り合いなのでさすがにつっこんでおいた、と。
 
 あと、同時にツイッターの扱いの難しさというのも感じてしまう。ツイッターはハードルが低い上に、書いている人の本心が出てしまいがちで、それがただの愚痴になることもしばしばある。俺もたぶん、愚痴っていると思う。その愚痴が意図せざるReTweetで広がって、前に書いたように本質を欠いたことがネット上の海に広まってしまうという現象が珍しくない。
 TumblrのReblog機能にもおそらく同じことが言えて、RTもReblogもそれぞれフィルターがかかるから良質な発言や記事が広まることに関しては有意義な機能なんだけど、ある種の悪意を持ったRTやReblogはこわいよなあ、と思った。へたすればブログ炎上以上の規模を持ちかねない。
 知らなかった、ではすまされないのが法律上での有過失という行為(法律上の悪意とは知っていたからやった、ということ)だけど、ネット上では客観的に悪意性を持っているとしか思えない。発信者が悪意か有過失か善意無過失かなどは分からないからね。

 ここ最近ブームのソーシャルサービスはブログや掲示板が持っていた個別性に加えて多分に連関性を持っていて、従来のサービスとの差別化という意味では後者がソーシャルサービスのウリであることは明らか。
 それに加えてネットブックやスマートフォン、携帯電話の流通によって、元々低かったハードルがさらに下がった上、どこでも投稿できるようになった。実際の行為は紙でメモをとるよりも、些末なことかもしれない。
 ネットリテラシー向上というのは大昔から言われてきたことだが、それ以上にネットをする人それぞれが、見えなくても画面の向こう側に不特定な多数がいるということを意識すれば、だいぶ変わるんじゃないかなーと思う。
 ブログレベルでは見ている人が限られるしリスクは少ないけど、ツイッターは一つのサービス内に多くの人がいて、俺のフォロワーは最近180人にもなってしまったので彼らの中の一定数は見ているだろうということを考えたら間違ったことが言えない、と思うのである。
 まあネットのいいところは、間違ってたら間違っていると指摘してくれる人がいることなのかもしれないけど。俺もまだリテラシーに浅かったころは多くの失敗をして、その度に大人に諭されてきた。いつの間にか俺が逆の側にいること、そして逆の側にいる以上、それ相応のことはやらないとね、って思ったのでした。いやまあ、俺もまだまだ甘いだろうけどね。


*タイトルは「Angel Beast!」というアニメ内のユニット、ガルデモことGirls Dead Monsterの「Thousand Enemies」より
誰が待っているかは分からないだろう、ってことで。
CD買ったけど、1stより好きかもしれん。ゆいにゃんのボーカルがなかなか上手くて、けっこうはまってる。