中途半端な休日で島にも帰らなかったので映画を見た。『Seraphic Blue』のオープニングなどで引用されていた「ショーシャンクの空」にを、ようやく鑑賞した。
どう表現していいか分からない。奇しくもリアルの自分も希望を見いだせるのかどうかが分からないことが起こった(まあ俺が悪いのもあるが)ばかりだった。
原題は”The Shawshank Redemption”。ショーシャンクの救い、だが日本題のほうが好きかな、俺は。救いというよりも空のほうが的を射ている気がする。
1947年、妻とその愛人殺しの無実の罪で終身刑を言い渡され、ショーシャンク刑務所に送られることになったアンディ・デュフレーン。彼は歳は若いが銀行の副頭取を務めるほどのエリートだった。最初は口も聞かず心を開かないアンディだが”調達屋”ことレッドの仲間達と次第にうち解けてゆく。
図書館の司書や会計係を務め、様々な人物に邂逅していくが、同時に様々な苦難にぶつかってゆく。人を廃人にもしていく刑務所。何かをしていないと正気を保てない。これから生きていく中で、彼らに希望はあるのか?
テーマは希望。ワイルドアームズもこのスタンスに近いところもあるが、ワイルドアームズはあくまでも西部劇としての一面であって、本作は現実と真っ向から向き合っている。刑務所という閉ざされた空間の中での一生。希望なんて、願うだけ無駄なのだろう。本当に、最後の最後までそう思ってならなかった。
前半で起きた一つの死がそれを決定づける。『Seraphic Blue』では「自由は彼に何を与えたのか」とも言っていた。そして決定的なのが「ハッピーエンドは失われた」である。
彼に生きろ、と叫びたかった。だがそれは端から見ている者としての言葉でしかない。当事者ではないからだ。それは最近メディアが大きく取り上げるいじめ自殺にも繋がるものなのかもしれない。『Seraphic Blue』は言う。「運命にそういう眼差しを向けるのは、無思慮であり無責任ではないかね?」と。
確かにそれも一つの真理かも知れないが、本作は最後には全く別の真理を貫く。
刑務所という特別な場所だからこそ希望とは何か、を問いやすかったのだろうが、刑務所でなくても希望を見失うときもある。必死に生きるか必死に死ぬか。その言葉が最後まで胸の中に響いてやまない。
最後に至るまでレッドはアンディに希望を捨てろと言い続けていたかったのかも知れない。刑務所生活に馴染んでいくたびに外に出たくなくなる。外の世界よりも格段に居心地が良くなる。死を遂げた彼のケースを以てしても然り。
それに最後まで反抗して感動的なラストシーンに繋げるアンディ。音楽を愛し、鉱石を愛し、愛し続けた。どんでん返しがたまらなく気持ちいいのは色々理由があるのだろうが、希望を最後まで捨てなかったことと、その年月に対する最高のカタルシスになしえている。
ラストシーンの演出は鳥肌物。(少しネタバレ)
詩的すぎるほど鮮やかな海の青。飛び出した広い世界。手に入れた希望。今まで積み上げてきたものが一気に集約された、実に詩的すぎるラストシーン。言葉を失ったよ。本当に。
モーガン・フリーマンのレッドとしての役柄が最高にいい。長い刑務所生活で達観してしまったレッド。そのレッドもアンディとの出逢いで少しずつ心を開いていく。それでようやく本作の本筋が出来上がってくるのだが、役との一体感がたまらなくいい。哀愁漂う風体と彼の表情が全てを物語っているとでも。
手紙を探すたびに牧草地を訪れるシーンは構成的に完全にハマっていた。木々を掻き分け、こけそうになるシーンとかね。
本作でオスカーでも主演男優(助演じゃないのかと思ったが)にノミネートされたようだが『フォレスト・ガンプ』のトム・ハンクスに譲っている。本作はことごとくオスカーでは『フォレスト・ガンプ』にやられたらしい。12年前のことなんで、今まで知りもしなかったんだが。
そして昨年『ミリオン・ダラー・ベイビー』で念願のオスカー助演男優賞を授賞している。そっちもまだ見てないんだな、俺。
根幹に流れているのはアメリカンドリームなのかもな、と思いつつ。聖書の役所も皮肉的で上手いなあと思った。脚本的にも最高にイカす作品。あと、サイトを回っていると劇中に流れる「フィガロの結婚」にも大きな意味があった。
ワイルドアームズと本作から受け取る希望の形というものは少し違うが、思いは同じだろう。希望は掴むものだ。誰にも奪えない。そしてアンティの言うように、”永遠の命”なのだろう。
素晴らしい2時間と少しをありがとう。必死に生きるって、大事なことだよね。
どう表現していいか分からない。奇しくもリアルの自分も希望を見いだせるのかどうかが分からないことが起こった(まあ俺が悪いのもあるが)ばかりだった。
原題は”The Shawshank Redemption”。ショーシャンクの救い、だが日本題のほうが好きかな、俺は。救いというよりも空のほうが的を射ている気がする。
1947年、妻とその愛人殺しの無実の罪で終身刑を言い渡され、ショーシャンク刑務所に送られることになったアンディ・デュフレーン。彼は歳は若いが銀行の副頭取を務めるほどのエリートだった。最初は口も聞かず心を開かないアンディだが”調達屋”ことレッドの仲間達と次第にうち解けてゆく。
図書館の司書や会計係を務め、様々な人物に邂逅していくが、同時に様々な苦難にぶつかってゆく。人を廃人にもしていく刑務所。何かをしていないと正気を保てない。これから生きていく中で、彼らに希望はあるのか?
テーマは希望。ワイルドアームズもこのスタンスに近いところもあるが、ワイルドアームズはあくまでも西部劇としての一面であって、本作は現実と真っ向から向き合っている。刑務所という閉ざされた空間の中での一生。希望なんて、願うだけ無駄なのだろう。本当に、最後の最後までそう思ってならなかった。
前半で起きた一つの死がそれを決定づける。『Seraphic Blue』では「自由は彼に何を与えたのか」とも言っていた。そして決定的なのが「ハッピーエンドは失われた」である。
彼に生きろ、と叫びたかった。だがそれは端から見ている者としての言葉でしかない。当事者ではないからだ。それは最近メディアが大きく取り上げるいじめ自殺にも繋がるものなのかもしれない。『Seraphic Blue』は言う。「運命にそういう眼差しを向けるのは、無思慮であり無責任ではないかね?」と。
確かにそれも一つの真理かも知れないが、本作は最後には全く別の真理を貫く。
刑務所という特別な場所だからこそ希望とは何か、を問いやすかったのだろうが、刑務所でなくても希望を見失うときもある。必死に生きるか必死に死ぬか。その言葉が最後まで胸の中に響いてやまない。
最後に至るまでレッドはアンディに希望を捨てろと言い続けていたかったのかも知れない。刑務所生活に馴染んでいくたびに外に出たくなくなる。外の世界よりも格段に居心地が良くなる。死を遂げた彼のケースを以てしても然り。
それに最後まで反抗して感動的なラストシーンに繋げるアンディ。音楽を愛し、鉱石を愛し、愛し続けた。どんでん返しがたまらなく気持ちいいのは色々理由があるのだろうが、希望を最後まで捨てなかったことと、その年月に対する最高のカタルシスになしえている。
ラストシーンの演出は鳥肌物。(少しネタバレ)
詩的すぎるほど鮮やかな海の青。飛び出した広い世界。手に入れた希望。今まで積み上げてきたものが一気に集約された、実に詩的すぎるラストシーン。言葉を失ったよ。本当に。
モーガン・フリーマンのレッドとしての役柄が最高にいい。長い刑務所生活で達観してしまったレッド。そのレッドもアンディとの出逢いで少しずつ心を開いていく。それでようやく本作の本筋が出来上がってくるのだが、役との一体感がたまらなくいい。哀愁漂う風体と彼の表情が全てを物語っているとでも。
手紙を探すたびに牧草地を訪れるシーンは構成的に完全にハマっていた。木々を掻き分け、こけそうになるシーンとかね。
本作でオスカーでも主演男優(助演じゃないのかと思ったが)にノミネートされたようだが『フォレスト・ガンプ』のトム・ハンクスに譲っている。本作はことごとくオスカーでは『フォレスト・ガンプ』にやられたらしい。12年前のことなんで、今まで知りもしなかったんだが。
そして昨年『ミリオン・ダラー・ベイビー』で念願のオスカー助演男優賞を授賞している。そっちもまだ見てないんだな、俺。
根幹に流れているのはアメリカンドリームなのかもな、と思いつつ。聖書の役所も皮肉的で上手いなあと思った。脚本的にも最高にイカす作品。あと、サイトを回っていると劇中に流れる「フィガロの結婚」にも大きな意味があった。
ワイルドアームズと本作から受け取る希望の形というものは少し違うが、思いは同じだろう。希望は掴むものだ。誰にも奪えない。そしてアンティの言うように、”永遠の命”なのだろう。
素晴らしい2時間と少しをありがとう。必死に生きるって、大事なことだよね。
コメント
コメント一覧 (2)
僕も好きです。
原題の訳を【救い】と書いてありますが、
この映画キリスト色が濃い作品です。
【Redmption】という単語キリスト用語では
贖い、贖罪と用いられるためショーシャンクの贖い
が恐らく正しい原題になるかと思います。雑学ですけどね。
ジーニアスの英和で改めてredemptionを引き直しました。おっしゃる通りです。ご指摘ありがとう。
そう考えると原題のほうがしっくり来るかも知れませんね。ラストシーンがあまりにも印象的だったので、最初見たときは邦題もなかなかと思ったんだが。