Days

日常と読書日記。 受験生日記は閉幕です。

2023年07月

もののけ姫 [Blu-ray]
ウォルト・ディズニー・スタジオ・ジャパン
2013-12-04


見:金曜ロードショー

 宮崎駿の新作を見て、最初に思い出したのは『もののけ姫』だった。『もののけ姫』ほどファンタジックでもないし、時代設定が古いわけでもないが、社会変動や自分自身の環境の変化などをきっかけとして、「自分探しをせざるをえなくなった」男性主人公が、旅立った世界で少女と出会う。しかしその少女もただの少女ではなく、という大まかな筋書きが似ているなと思ったのだ。

 

 今回新作を見ながらネットでつながっている何人かには話したが、おぼろげながらの記憶として「映画館で最初に見た映画」が『もののけ姫』だったと記憶している。1997年、当時7歳で、学齢で言えば小学校2年生になる。そのタイミングでこの映画を見た時の率直な感想は「怖い」だった。26年ぶりにフルバージョンで再見したが(金曜ロードショーでチラ見はしていたが、フルは26年ぶり)確かにこの映画は怖い。多く登場する異形の存在も怖いし、何を企んでいるかわからない大人たちも怖い。しかし元居た集落を追い出されて孤立した少年であるアシタカにとって、この旅は恐怖そのものだったのかというと、そうではなさそうなのだ。

 むしろアシタカより、サンのほうがおびえている。白い山犬を従えて颯爽と森を駆ける彼女は表面的には強い力を持っているように見えるが、現実的には孤児であり、であるがゆえに山犬に育てられ、犬と森に対する忠誠心を持った少女である。サンの過去やトラウマは詳しく明かされないので立ち入らないが、いずれにしても人間のコミュニティからは孤立した存在であるアシタカとサンがその「拳を交わす」過程で惹かれ合ってゆくのは自然な流れだったのだろうと受け止めた。

 殺す寸前まで行ったアシタカを助けることに至ったサンは、アシタカの相棒ヤックルからアシタカの過去について聞かされる。そこで彼女がつぶやいた「話してくれた。お前の事も古里の森の事も」という言葉には、サンの中の戸惑いが見える。犬と森を信じ、人間を憎んできたサンが、アシタカという人間とその過去には興味を持つことになった。これは矛盾だと言えるだろう。

 これまで自分自身が持ってきた物語とは別の物語と出会い、それを語り直すプロセスのことをナラティヴ・アプローチということがある。社会福祉の面接や心理臨床で使われる技法だが、従来の物語(ドミナントストーリー)を、新しい物語(オルタナティブ・ストーリー)に書き換える作業のことをそう呼んでいる。



 過去のトラウマを書き換えるという意味ではトラウマケアの技法としてもナラティヴ・アプローチは使えるし、認知を修正するために用いるなら認知療法(ないし認知行動療法)とも言える。いずれにしても重要なのは、アシタカを助けたサンのように、他者に対して自分を開いていくことにあるのだろうと思う。自分の世界(物語)に閉じた状態では、ドミナントストーリーが優勢のままであり、新しい物語に書き換えることはおそらくない。ただ、その方が楽なこともある。異質な他者とのコミュニケーションは、アシタカを助けたサンのように葛藤や動揺を生むからだ。

 アシタカはサンのことを「そなたは美しい」と呼んだ。その言葉がサンを動かしたとも言えるが、それ以上にサンがアシタカと言う異質な他者を受け入れるプロセスの中で物語を書き換えたことが意味のあったことではないかと思う。そのプロセスがあって初めて、アシタカを信頼することができるようになったからだ。

 つまりこの映画はアシタカという、「孤立しているわりには楽観的な少年が、孤高の少女サンと出会って成長する物語」ではなく、「サンという孤高の少女がアシタカという異質な他者に影響を受けて成長する物語」だと解釈している。アシタカの場合、呪いが解けて腕の傷が消えればあとはどうにでもなる(と思われる。おそらく)。しかしサンの場合、映画が終わったあとでも大きく境遇が変わったわけではない。いずれにしても彼女は(孤児であるがゆえに)孤高の少女として生きることを続けるからだ。集団としての人間を信用できない以上、彼女にはそれしか選択肢がない。
 
 それでも、映画の最後に見せるサンの表情はとても明るくてまぶしかった。生き方は変わらない。それでも、サンは新しい物語を生きている。それは初めて彼女にともった、希望の明かりだったのではないだろうか。





このエントリーをはてなブックマークに追加


見:イオンシネマ高松東

◆時代背景と純文学的なアプローチ

 まずこの映画を語る際に重要なのは時代背景なんだろうな、というのは1937年刊行の同名書籍が原作(というよりあくまで原案)の時点で察するべきだった。文字通り、(日本が戦争に突入してゆく最中の)その時代、そしてその少し後の時代を書いた映画だからである。もちろん、このアプローチはほとんど同じ時期の1936年に発表された堀辰雄の短編小説「風立ちぬ」を原作とした、10年前の夏休み映画『風立ちぬ』のアプローチと似ている。

 しかしながらあくまで表面的には、である。実質的に2023年の夏休み映画として公開されたこの映画は、『風立ちぬ』とは全く異なるアプローチをしている映画だった、というのが素朴な感想である。なぜならば今回のこの映画は児童向けの小説を原案としながら、後期高齢者になった宮崎駿が「極私的」に翻案した教養小説(ビルドゥングス・ロマン)、つまり「純文学的な私小説映画」だからである。

「陽気で明るくて前向きな少年像(の作品)は何本か作りましたけど、本当は違うんじゃないか。自分自身が実にうじうじとしていた人間だったから、少年っていうのは、もっと生臭い、いろんなものが渦巻いているのではないかという思いがずっとあった」

 「僕らは葛藤の中で生きていくんだってこと、それをおおっぴらにしちゃおう。走るのも遅いし、人に言えない恥ずかしいことも内面にいっぱい抱えている、そういう主人公を作ってみようと思ったんです。身体を発揮して力いっぱい乗り越えていったとき、ようやくそういう問題を受け入れる自分ができあがるんじゃないか」

「君たちはどう生きるか」宮崎駿監督が、新作映画について語っていたこと。そして吉野源三郎のこと(朝日新聞好書好日, 2023年7月14日)


 Twitterでの検索や、映画の感想投稿サイトFilmarksを見ていると「よく分からなかった」というコメントが頻出していることが分かる。それは確かに正しい。なぜならば、多くの私小説や純文学は、少なくとも「分かりやすく」作られていない場合が多い。純文学的な私小説(わかりやすいところで言うと夏目漱石やヘルマン・ヘッセを想像すれば良い)は、一般的に主人公(多くは少年化青年)の内面の成長を描こうとするからだ。あるキャラクターの内面がすべて言語化されることは一般的にはない(『鬼滅の刃』が例外的なだけである)。だからこそ、「分からなかった」というコメントは正直だなと感じた。

 それらは多くの場合、成功を通じてというよりは、社会や集団、他者との接点の中での挫折と傷つきを利用した、反省的な内面の成長を描いている。そこには恋愛が絡むこともあれば友情が絡むこともあるだろうし、大人と子どもの心理的・社会的距離が絡むこともある。いずれにせよ、主人公が多くの他者と接点を持ち、コミュニケーションや感情の交換を行うことが純文学的な私小説の主眼である。そして多くの主人公は他者と出会うたびに、葛藤を抱える。年齢と精神的な未熟さゆえに、「善い生き方とは何か」をまだ知らないからである。

 他方で私小説の著者である作家はすでに成人しているというか、ある程度の年齢に達している場合が多い。宮崎駿に関しては御年82歳であるが、82歳という年齢は私小説を作る年齢にある意味適していると言えるだろう。82年間生きてきた中で経験したものを、まだ年若い主人公の少年に投影することが可能だからだ。監督を手掛けただけでなく脚本も手掛けている本作は、文字通り「作家としての宮崎駿」を読むことが可能だろう。その意味でも、「純文学的な私小説映画」あるいは「極私的な教養小説」として読むことは、むしろ適切であると考えられる。



 話を戻すと、多くの人が「よく分からない」と表明したのは正しい。そのもう一つの理由が、純文学をエンタメの領域に昇華した『風立ちぬ』のイメージが残っているからだ。今回も堀辰雄の原作とほぼ同時期の原作を扱っているし、主人公は少年である。ラピュタやもののけ姫がそうであったように、何らかの形で少年の冒険活劇が描かれるに違いない、と想定することは十分可能だ。しかし宮崎駿はその期待を、映画の中で繰り返し裏切ってゆく。であるがゆえに、置き去りにされる視聴者が多く存在し、その視聴者が「分からない」と述べたのではないか、というのがもう一つの仮説である。


◆2010年代の新海誠との類似と差異

――『天気の子』も今作も、言葉を伝えにいく物語なんですね。今年は新海監督が『ほしのこえ』でデビューして20年目となる年です。新海作品では、相手に言葉が届かないディスコミュニケーション状況が描かれてきました。近作における言葉の伝達の可能性に、新海監督の変化を感じています。

新海 初期の頃はディスコミュニケーションを描いていました。自分自身の周囲の状況もディスコミュニケーションだったし、観客と何かが通じあった経験も当初はあまりなく、だからわからないものは描けなかったのだと思います。作品をつくり続けてきて、観客との間で感情や思考の交換が徐々にできるようになってきて、そこに到るまで20年かかったということなのかもしれません。

『すずめの戸締まり』、新海誠監督ロングインタビュー。“たどり着いたのは、旅をしながら土地を悼む物語”(Pen, 2022年12月9日)


 映画の中盤あたりから、この映画は新海誠が2011年に公開した映画『星を追う子ども』に非常に類似しているなと感じながら見ていた。現にTwitterを検索すると、同様のコメントを書いている人が多数見つかった。『星を追う子ども』は母を亡くした少女・明日菜が、アガルタと呼ばれる異世界に行ってしまった父を追い、冒険してゆく映画だ。




 そのファンタジックな世界観とガールミーツボーイの展開は、当時から「ジブリっぽい」と評されることも多かったが、それから12年が経過して今度は逆に宮崎駿が「新海っぽい」と指摘されるのは非常に面白い。さらに細かいところを指摘して「庵野っぽい」とか「春樹」っぽいと指摘する人もいる。春樹に関しては特に新作の『街と不確かな壁』との類似を指摘する人もいる。重要なキャラクターが図書館の住人である点は、確かにそうだ。個人的には今回ポスタービジュアルにもなっているアオサギのキャラクターを羊男だと指摘する人の声にも同意したいところだった。

街とその不確かな壁
村上春樹
新潮社
2023-04-13





 とはいえ庵野や春樹と比較するのがこのエントリーの狙いではない(多分ほかの人がやってくるだろうとも思う)ので、あくまで新海誠との類似と差異についての話をしたい。新海誠のフィルモグラフィーを振り返ると、デビュー作『ほしのこえ』から2007年の『秒速5センチメートル』と、2011年の『星を追う子ども』以降では明確な変化が見られると、今回映画を見る前に感じていた。



 ヒロインを断念することについては『秒速5センチメートル』が最も分かりやすいが、『ほしのこえ』も『雲の向こう、約束の場所』も途中までは主人公の少年とヒロインとの心の交流や感情の交換を描きながらも、最終的に主人公が残された場所に一人立たされることを描いていた。『秒速センチメートル』については、成人後に主人公とヒロインがクロスする場面が描かれながらも、クロス(通り過ぎる)することが人生なのだ、という諦念が前面に出た映画になっていた。要は、「変わってゆく現実をいかにして受け入れるのか」を視聴者に問うたのが『秒速』までの3部作だったと解釈している。

 『星を追う子ども』は少し分かりにくいところもあるが、2013年の中編映画『言の葉の庭』と2016年の大ヒット映画『君の名は。』、そして続く2019年の『天気の子』は非常に分かりやすい構造を持っている。いずれの映画も、少年の主人公が、ヒロイン(ユキノ、三葉、陽菜)とのつながりを「変わってゆく現実の中で、いかにして諦めないか」が物語のクライマックスに提示される。





 新海は2010年代に頻繁に3.11について言及しており、2022年には『すずめの戸締り』という形で直接的に映画に仕立て上げたが、新海誠にとっての3.11以後というのは「諦めないこと」の価値を確認した時代だったのかもしれない。3.11のような巨大な現象に対して一見すると人は無力かもしれない。でも、本当に何もできないのだろうか? という問いを『君の名は。』でも『天気の子』でも繰り返し投げかけている。その答えが、結果がどうなるかはともかくとして「諦めないこと」だったのだろうと解釈している。

 具体的に言うならば、「ありのままの現実を受け入れる」ということだ。それはある面では喜劇かもしれないが、別の面では悲劇かもしれない。万人の望んだ結果ではないだろう。それでも、現実を受け止めるところからしか何も出発できないのでは?という問いへの答えである。ここに新海は神秘性と歴史性を導入する。神話、伝説、物語、あるいは老人だからこそ知っているかつての東京や江戸の形。





 翻って宮崎駿の2023年はどうだっただろうか。少なくともこれは単なるジュブナイル映画ではないことは確かである。ジュブナイルはあくまでエンターテイメントの技法であり、純文学の技法ではない。むしろ宮崎駿のファンタジックなジュブナイル映画を見たいなら、ラピュタを見返せば良いのだろう。連作短編小説をアニメーションで作るような『秒速5センチメートル』を発表して大きく評価を受けた後、『星を追う子ども』以降は一貫してエンターテイメントの路線を崩さない新海誠がいた。しかし宮崎駿は、後期高齢者にして純文学的な技法を取り込んだ。そうしないと表現できないこと、つまり重要な何人かのキャラクターの造形に関わることがあったからだ、と解釈している。


◆自閉的な大叔父と、呼び水としてのシスターフッド(あるいはマザリング)

※ここからは本筋に関わるネタバレを多く含みます

 まず最も重要なのは、異世界の創造主でもある大叔父だろう。人間離れした読書量を誇ったという大叔父の存在は「ばあや」たちによってあらかじめ語られているが、それはあくまで「伝聞」であって、事実を加工している可能性が大きい。塔の中に吸い込まれた後、塔の内部を巨大な図書館として建築した大叔父は、非常に自閉的な存在だ。もし大叔父が本当に自閉症スペクトラムか何かを患う障害者であったならば、戦前までの日本広い邸宅の敷地内に存在する塔の中に「私宅監置」することも合法的だったはずだ(根拠法は1900年施行の精神病者監護法)。そうする方が他者との交流を拒絶する大叔父にとっても、そして「イエ」を守る当時の人たちにとっても、いずれにおいても都合が良かったとも言える。



 他者とのコミュニケーションを拒絶し、書物に没頭する。異世界の主に君臨してからも、大叔父は孤独を貫いた生き方をしたまま老人になっている。これはすなわち後期高齢者になった宮崎駿だ、と解釈することは容易だろう。そして大叔父が呼び寄せた眞人は自身の正統な後継者だと感じたはずだ(ちなみにこの映画には宮崎駿の息子、宮崎吾朗のクレジットもされている)。

 しかし、大叔父の存在だけでは物語が動き出さない。何らかの呼び水が必要だからだ。その呼び水が、眞人にとっての二人の母、すなわち実母であるヒミと、義母である夏子である。夏子が塔の中に迷い込んだからこそ、眞人は塔に向かった。眞人が一人で塔の中に入ることはできなかった。塔の中に入る「目的」が必要だった。なぜならば、目的を達成することが塔を出る方法にもつながるからだ。この点は、父を追ってアガルタに旅立った『星を追う子ども』の明日菜と近似する。この映画もアガルタも、生と死の混ざりあう歪んだ時空間を持っている。

 その異世界の最初のガイドを務めたのは若き日のキリコだったが、その役割はすぐにヒミに移譲される。あいみょん演じるヒミは、あいみょんのイメージそのままに快活で明るくて元気な少女だ。従来型の宮崎アニメのヒロインの造形に近い存在とも言える。このヒミを「若き日の実母」と設定することで、「義母」たる夏子が塔に吸い込まれた理由にもつながるのではないか、というのが筆者の解釈である。つまり、夏子を呼び寄せたのは大叔父ではない。夏子を呼び寄せたのは、ヒミである(はずだ)。その夏子を追って眞人も塔の内部に行くため、間接的にヒミは眞人を呼び寄せたとも言えるだろう。

 ではなぜヒミは夏子を呼び寄せたのだろうか? それは夏子がいかに眞人の母になろうと努力したところで、眞人は夏子を母だと認識することを拒否したからである。それは当然で、眞人は映画冒頭で描写される病院火災で亡くなったヒミの遺体を直接見てはいない。見ていないからこそ、眞人はヒミが死んだという事実を受け入れられていない。表面的にはヒミの死を「知っている」かもしれないが、その事実を受け入れるような心理状況にはなっていない。

 この点(ヒミの死を拒否する眞人の心理)について、エリザベス・キューブラー=ロスの「死の受容過程モデル」を眞人にも導入できるかもしれない。キューブラー=ロスの受容過程モデルとは、がんなどにより寿命の告知を受けた患者がその残された時間の中で死をいかにして受け入れていくのか、その心理的な過程を5つに分けられるという理論モデルだ。しかしこれを、「身近な他者の死を受け入れられない第三者」にも応用して適用することも可能だろう。



 眞人は異世界に行く前にすでに第1段階の「否認」と第2段階の「怒り」というステップを経験している。続く第3段階の「取引」については、異世界でヒミと出会うことで果たされる。結果的にはヒミの死を受け入れるため、タイムパラドックスは成立しないが、「取引」は成功しなくても良い。神龍が存在するドラゴンボールの世界と違って現実に死者は生き返ることはないので、むしろ「取引の失敗」をいかにして受け入れるかが重要だ。そのため、「取引の失敗」のあとに「抑うつ」が生じるとキューブー=ロスは理論化している。眞人の場合、ヒミと出会わなければこの第3段階の壁を越えることは容易ではなかったかもしれない。ヒミと出会い、「取引」を試み、そして結果的に「取引の失敗」のおかげでようやく眞人は母の死を受容できるし、夏子を母として許容することができるようになるからだ。

 ヒミが一見、ご都合主義的な存在として映画の中で描かれているのは、注意して見た方が良い。もちろん作劇的に火を扱う能力があるヒミの存在は貴重で、ほとんど無力な眞人にとっては重要(かつ都合の良い)存在だ。でもそれはヒミが単純に「眞人に優しい」から成立しているわけではない。ヒミの行為には、ヒミにとっての合理性があると解釈すべきだ。それは何より、実妹である夏子に「眞人の母として幸せになってほしいから(シスターフッド的解釈)。そしてもう一つ、眞人に「自分の死を受け入れてほしいから(マザリング的解釈)である。ヒミは姉として、そして母として、夏子と眞人を呼んだのである。眞人を夏子と大叔父、それぞれの待つ場所に導く責任がヒミにはあるのだ。


◆私小説的な対峙、純文学的な結末

 最も、この映画のクライマックスは大叔父の待つ場所にたどり着いた眞人が大叔父と対話するシーンだろう。この連続するシーンにはアオサギやインコの王という第三者も介入するわけだが、いったん脇に置いておこう。ちなみになぜこの映画には鳥が多く登場するか。それは塔の中から出られなかった大叔父が見た、一つの夢(鳥のように世界を自由に羽ばたきたい)だったのだろうと解釈している。もっとも異世界の鳥、とりわけインコたちは飛ぶことをやめて歩いて生活しているので、夢は夢のままだったのかもしれない。

 話を戻すと、大叔父から重大な「問い」をもらい、それに対していかに「答え」を出すか。これがこの映画で最も重要な場面であり、物語のクライマックスと言ってもよい場面である。逆に言うと、これまでの冒険活劇はすべて前座的というか、伏線として重要な意味を持っているかというと必ずしもそうではないと思う(もちろんいくらでも解釈可能だが)。最後の大叔父と眞人の対話を最初に想定した後、あの天国のような場所にたどりつくまでの物語を逆算して構築した2時間だったのだろうな。これはこの映画の「よく分からない」要素とも関連している。先頭から順番に物語を作るならばもう少し整合性のとれた筋ができたのかもしれないが、結論だけ作ってあとから筋を作ったがために、複雑になっているのである。

 二人の対話の場面を私小説的な対峙、と書いたのは大叔父も眞人も、いずれもが宮崎駿の分身に思えてならないからだ。1940年代に出生した宮崎は戦中の雰囲気をおそらく経験的には知らないはずだが、もし自分がもう少し早く生まれていたら、という仮定をしてもおかしくはない。そして、老いた自分と、まだ若い(未熟な)自分を同じ画面の中で対峙させたらどのようなアニメーションを作れるだろう、と妄想していてもおかしくはない。もちろんこれは完全に妄想の世界であるが、吉野源三郎の原作を読んですでに老人たる宮崎駿が感化されただけでなく、内なる「リトル宮崎駿」も同時に感化されたのではなかったのか、と。

 純文学的な結末、についても触れておこう。この映画が『風立ちぬ』と大きく異なるのは、直接的に戦争を描くことをしていないことだ。他方で、その時代を生きた人間を描写する。冒頭では夏子と眞人が出征する軍人を見送るシーンがあるし、眞人の父は工場でおそらく軍需製品を作っている。あのいくつも並べられた透明なキャノピーは、この映画では飛ばなかっただけであり、『風立ちぬ』をすでに見ている視聴者ならば容易に飛んでいる姿を想像することができる。あるいはこの映画のどこかに、堀越二郎がいたのかもしれないと想像することもできる。

 『風立ちぬ』のキャッチコピーは「生きねば」だった。この映画の結末は、10年経ってなお、というか改めて「生きねば」をリフレインさせる構造を持っている。生きている者より死んでいる者の方が多い(キリコ)とされる異世界を出ても、多数の死を持ち込んでくる戦争の足音が聞こえる現実世界が待っている。「死の匂い」が常に漂う世界の中で、生きることと死ぬことを改めて問いかけたかったのだろう。折しも100年ぶりのパンデミックを経験した現実世界もまた、10年前とは比較できないほど「死の匂い」を多く経験した。

 この「生きねば」は眞人にだけ向けられたものではない。新たな命を宿している夏子にも、そしてこれから大人になってやがて眞人を出産することになる少女の姿をしたヒミにも向けられている。目の前の死を受け入れよう。その上でなお「死の匂い」に満ちた世界を、生き抜こう。それが厳しい時代を生き抜いて大人になるための、必要なステップなのかもしれない。足場が崩されても、がむしゃらにインコの王を追いかけたように。


◆「生きる意味」とは何か、「善き生」とは何か

 1997年の宮崎駿は『もののけ姫』主人公のアシタカを通して「生きろ、そなたは美しい」の言葉を残した。2013年の宮崎駿は堀越二郎を通して「生きねば」というメッセージを残した。1997年は阪神大震災や地下鉄サリン事件から2年後であり、2013年は3.11から2年後であった。それらの言葉は、災後を生きる当時の私たちに向けられたものでもあったかもしれない。翻って10年後の2023年は、1997年や2013年年とは全く異なる文脈で生と死について考える機会が多い。少年の顔をした宮崎駿が、老人の顔をした宮崎駿に対して「生きねば」と決意するに至るを描いたこの映画は、むしろ逆に82歳の宮崎駿に「(まだもう少し)生きろ」という思わせたのではないのか?

 異世界の大叔父は死を超越した存在かもしれない。世界を自分の思い通りに操れるかもしれない。しかし彼は、圧倒的に孤独である。大叔父の姿をありありと見た眞人は、最終的にそうした大叔父の人生を選択しなかった。第二次世界大戦を起こすような、悪意に満ちた愚かな人間たちの待つ現実世界で再び生きることを選んだ。母はもういない。でも幼き母もまた、生きることを選んだ。たとえ遠くない未来に死が待っていたとしても(そういえば彼女は火のことを美しいと言っていたが、サンの美しさとつながるかもしれない)、生きることを選んだ。いつか死んでしまうかもしれないけれど、嬉しいことがあるんだと目を輝かせるヒミの笑顔は眞人だけでなく多くの観客の目に焼き付いたことだろう。

 生きろ、あるいは生きねば。もはやそのどちらでもよい。古くはソクラテス、近代以降ではカントやロールズなど、多くの偉大な先人たちは「善き生」についての哲学的な考察に多くの時間を費やした。人はやがて死ぬ。けれども、いやだからこそ「善き生」について考えることには大きな価値があるということを、知っていたからだろう。また近年の森岡正博の研究に詳しいが、反出生主義が話題になるような時代だからこそ、生きる意味、あるいは生命の哲学の価値が再考されているのだろうとも感じる。

 宮崎駿は1997と2013年を経験しながら、2023年には永遠の誘惑を振り切って、限りある生の時間を積極的に生きることを選んだ少年を描いた。それは82歳という年齢を以て観客に問いかけたとともに、生い先の短い(だろう)自分自身にも突きつけた「善き生」の構想だったのではないだろうか。







政治的リベラリズム 増補版 (単行本)
ジョン・ロールズ
筑摩書房
2022-01-13


公正としての正義 再説 (岩波現代文庫)
ロールズ,ジョン
岩波書店
2020-03-17





◆おわりに

 最後になるが本エントリーに関してはあくまで個人的な解釈を多分に含んだ批評エッセイと言ったところなので、それ以上でも以下でもない。せっかくなのでまた頭が冷えてないうちに考えたことを残しておきたかっただけであり、他者の意見や感想を否定するものではありませんので、そのへんはご了承くいただきたい。

 何度も書いているようにすでに後期高齢者になった宮崎駿だが、アメリカでは10歳以上上のクリント・イーストウッドがまだ現役であることも考えると、さらに10年後にもう1本作ることで本当の遺作とすることができるのではないか、とも考えた。そうすると、『風たちぬ』と本作を含めた「遺作3部作」として送り出すことも可能なはずだ。今回と前回はいずれも1930年代、つまり昭和初期の小説を原案としているわけで、同様のスタイルでもう1本作るならばどのようなものができるかは単純に見てみたいものである。

 次はまたエンタメにもどるのか、あるいは再度純文学的な私小説をアニメーションとして表現するのかも含め、まだまだできるのではないか、という期待を持たせてくれる。もちろんアニメーションは多数の人間を巻き込んだ共同作業なので、老人監督に付き合わされる若い人たちが多数必要なわけだけれど、「多く人を自分の都合で巻き込むことの功罪」にも向き合ったのが今回の映画だったんだろうなと思う。

 改めて筆者は大叔父と眞人こそが宮崎駿であり、若き日の宮崎駿(である眞人)を物語の最初から最後までガイドし続けたアオサギが鈴木敏夫だったのだろうと解釈している。「友達ではない」と言いながら眞人を最後までガイドするのは、長年の腐れ縁たる鈴木敏夫にしかできない芸当だからだ。宮崎駿がどう考えていようが、鈴木敏夫が「もっと生きろ(そして作れ)」と言えば宮崎駿が翻意する可能性は、これまでの彼の発言録を振り返るまでもなく容易に想像できる。

 もしこの先もまた何か作ることがあるならば、きっと同じようなことを少し違った形で表現するのだろう。その時はまたネットで「アベンジャーズ」とも呼ばれた日本の有名制作スタジオ仕事が増えるのだろうが、その成果をぜひ、目撃したいものだ。



※このエントリーは7月14日夜のSpacesで会話したヘラジカさんコスケさんとのやりとりを一部参考にしています。自閉的な大叔父の私宅監置仮説については、コスケさんの「塔って巨大な座敷牢だよね」の発言に影響を受けています。この場を借りてお礼を申し上げます。
このエントリーをはてなブックマークに追加











このエントリーをはてなブックマークに追加

↑このページのトップヘ