まーちゃ@machaxcha_00
なんで低所得者子育て家庭は優遇されて、こども3人産んで納税たくさんして #所得制限 の我が家は何も手当がないのか。所得上げるまでに勉強したり時間やお金や寝る時間削ったりそれぞれの努力があっての今の年収なのに。その努力の結果が子育… https://t.co/GxLaZegGvD
2022/04/21 16:48:52
まーちゃ@machaxcha_00
@kishida230 国内の子育て支援にもっと目を向けて下さい。子育て世帯の声を聞いて下さい。将来の日本を支える子どもたちには日本の未来への投資だと思って所得制限なしの一律支援を求めます。そして子育て支援と貧困支援は切り離して下… https://t.co/bw4sUWRbco
2022/04/22 21:25:49
この前の続きのような形になるが、いわゆる中室発言をきっかけにして所得制限や所得の再分配を正しく理解できていないツイートを最近よく見かける。もっともそれらの多くはポジショントークであり、自分たちにもっと寄越せという欲求であると仮定すると、彼ら彼女らへ所得の再分配の意義を説得するのは容易ではない。ただ、誤った認識がネット上に流布する現状は好ましくないため、いったん(というか再度)整理するためのエントリー。
◆総論
子育て支援に関する現状の政策がベストとは言えない。例えば日本の児童福祉は所得制限を伴うが、所得制限を伴わない児童手当を給付している国はヨーロッパに多く見られる。所得制限を行う場合、線引きについて不満が生まれるのは避けられない。とはいえ、かといって自分たちへもっと寄越せと主張することで低所得家庭への支援を批判すると福祉政策における再分配は成り立たない。予算は無限大ではないため、限られた予算をどのような形で再分配を行なえば良いのかという議論はすべきだが、元ツイートのように努力の結果年収を多く持つ人が更なる要求をするのは再分配の否定とも言える。
あえて指摘すると努力して年収を多く獲得している人が税金を多く支払ってこそようやく累進課税が機能し 、諸々の政策へと生かされる。生活に不満があるのであれば、日本的なメンバーシップ雇用の批判や教育費の高さを批判したら良いのであって、税制そのものの批判は所得階層に分断を生むだけである。 しかしツイッターランドを見ていると現に分断は生まれており、異なった階層を生きる人々の生活の実態は見えづらいことが伝わってくる。
所得を多く持つ人ほど税金や社会保険料を多く支払う必要があるので不満があるのは分からないでもない。かといって累進課税そのものを否定すると空振りになるので、他のところ(先ほど挙げた雇用慣行や教育システムなど)を批判したほうが良いし建設的なはずだ、と言う立場。児童手当にしろ幼保無償化にしろ関心のあるのは子育て世帯であるが、雇用慣行や教育システムへの批判はもっと多くの人、例えば子どもを持たない人などを巻き込んで連帯することも可能である。
ちなみに自分は常に税金や社会保険料を多く支払う側で、医療や福祉の制度的恩恵を受ける立場(自己負担の減免や手当の給付など)ではないと言える人でなければ、自己責任論を展開してはいけないだろうし、もっと寄越せというべきではないのではないか。事故や病気などで自分が困った時もそれは自己責任だから仕方ないですね、で本当によいのか。所得制限なしで一律にということは結果的に高所得者を利するという中室発言を改めて思い起こすべきである。
◆階層と社会関係資本
ちなみに年収1000万と年収600万なら後者の方が楽論者の人は、年収以外の資産や資本を無視しすぎなのではないか。年収1000万クラスの人はかなりの割合ハイクラス家庭出身(つまり実家が太い)だろうし、中高大学社会人経ての社会関係資本を多く持つ側だと思われる。だからといって年収1000万と年収600万を比べちゃいけないわけではないが、生活のしやすさしんどさは実際にそれぞれあると思うけど、年収だけで比べるのは情報量が少なすぎる。階層の議論に持って行った方が色々なことがクリアに見えてくる。
例えばパットナムがソーシャル・キャピタルの研究を展開したのは数十年前だが、一般に低所得者層ほど社会関係資本が少なく、繋がりが少ないことが貧困をより悪化させる循環もある。だから以下の記事で佐藤主光が言っているようなプッシュ型支援が重要になる。同じ趣旨のことは、中室発言にも見られる。
少なくとも福祉政策や社会政策というものを多くの現代の経済学者はそうした認識で捉えているはず。他方で、年収1000万家庭の生活しづらさや子育て罰みたいなものを放置していい訳ではないが、それらは前述したように子育て支援政策や社会政策とは違う枠組みで議論され、解決されるべきなのではというのがこのアカウントの立場。
従って最初に述べたように、一定レベルの収入の持ち主が低所得者層への給付施策を批判するならばこちらはその主張を再批判しなければならないという立場をとる。