見:ホール・ソレイユ
『1987』や『国家が破産する日』など、去年から意識的に韓国の現代史を題材にした映画を見ているが、その中でも18年間大統領の在位にあった朴正煕を暗殺するまでの40日間に密着した本作を楽しみにしていた。少し前に『知りたくなる韓国』で韓国という国家や社会の成り立ちを勉強していたが、そういった歴史的な知識があった方がより面白く見られるだろうと思う。(韓国人にとっては当然の歴史も、日本人、特に若い世代にとっては近いけれど少し遠い国の歴史はリアリティが薄いため)
とはいえ、『1987』やあるいは『タクシー運転手』あたりの軍政期の末期の民主化運動を題材にした映画は製作が容易ではなかったとも聞く。本作についても、「事実を基にしたフィクション」という体裁をとった映画としてキャラクターの名前は一部を変えられている。朴正煕の娘である前大統領朴槿恵政権が継続していた場合、本作を含めた一連の映画の製作は難しかっただろう。
朴槿恵はただでさえ左派、リベラルの文化人をブラックリストとしてピックアップしていただけに、自身の父の威信に関わる映画を(しかも父を民主化を阻害し、市民に対して暴力装置として機能する敵として描く映画を)作るという行為は許しがたいものであったはずだ。ゆえに、朴槿恵政権が倒れたおかげで戦後史や現代史を題材にした映画が作られるようになったのは、当の韓国に住む人たちにはもちろん、海外で見る自分のような立場においても韓国という国を概観し、理解するための有益な道具となっている。これらの映画はそれぞれ独立しているが、続けて見たり比較したりすることで、鑑賞する側にとって戦後史をもう一度振り返り、現代を見つめなおすためのひとまとまりのプロジェクトクトのように見える。
前置きが長くなったが、本作は大統領暗殺という明確な着地点を設定した上で、それがなぜ起きたのかを解き明かしていくミステリーのような構造をとっている(いわゆるwhy done it型のプロットである)。しかしそれ以上に本作を覆うのは韓国映画ならではのノワールの空気感である。それを真正面から体現するキム・ギュピョン役のイ・ビョンホンが最初から最後まで本当に素晴らしい。
戦後も長く軍政が敷かれ、民主化までに長く時間がかかった韓国社会において、KCIAのような諜報機関の暗躍や、政治的に対立した人間に対する拷問や虐待などは珍しくなかったはずだ。本作でもわずかながら拷問のシーンが描かれているが、これがリアリティを持つのはまだ近い歴史だからだろう。若い世代は別として、中高年以上の世代にとって軍政の記憶はまだ生々しく残っているはずだから。
先ほど最初から最後まですばらしいと書いたイ・ビョンホンが物語の軸である。あくまで本作の軸であって、すべての答えを提供しているわけではない。ただ、実行者である彼の動機、つまり心理的な動きの変化に密着することで、直接的な答えとはまた違う意志も見えてくるようになっている。韓国では現在でも権力に欲がくらんだという解釈と、朴正煕の独裁に対して反逆したという二つの解釈があるようだが、どちらが正しいとも言えない(どちらとも正しく、またどちらとも間違いの可能性もある)。イ・ビョンホンがあまりにも完璧な演技をする(特に表情、目の動きが素晴らしい)ことで、観客に対して様々なボールが投げられる。それらをどうキャッチして、どう解釈するかはこちら側にゆだねられているのだ、最初から最後まで。
歴史でもあり、現代でもある1979年のことを考えるならば、その後に続く歴史である『タクシー運転手』(光州事件)や『1987』(6月民主抗争を中心とした一連の民主化運動や学生運動)に思いを馳せてもよいと思う。民主化して30年以上経つとは言え、少し前までは軍政期のイメージをもまとう朴槿恵が政権を持っていたのが韓国という国家でもある。過去は一時のものとして終わらずに現代まで確実につながっているということを、改めてこの映画を見て考えていた。