見:ホール・ソレイユ
「ストリップ劇場」という、名前は知っているけれど実情をよく知らないものをどう描いたのだろうという興味本位で見て来た。去年の冬に広島に滞在したことがあり、この映画の舞台になっている流川〜薬研堀界隈や横川界隈を懐かしく眺めた。『お嬢ちゃん』を見た横川シネマも一瞬だけ映画に登場しており、おお!となったがそれはつまりそのままスクリーンの中に感情が投影されていくという、幸せな経験でもあった。
見た順番は前後するがこの前書いた『花束みたいな恋をした』はまさに青春時代の恋愛を人生の一幕に押し込めるまでの物語だったが、本作も青春時代の恋愛が奇跡的な美しいものとして描かれるのは似ているかもしれない。「ヌードの殿堂 広島第一劇場」でアルバイト(というか小間使いに近いが)を始めたばかりの信太郎と、その彼が恋に落ちたストリッパー、サラとの美しい関係。サラは踊り子で、信太郎は従業員のため、二人の関係が成就することはない(踊り子に手を出さないのも信太郎の雇用条件の一つであったため)。それでも、「友達なら」ということで始まった二人の関係は、少しずつ変わってゆく。
それを、おそらく30年ほど経った現代の視点から振り返るので、現代と過去が常に交錯するような映画になっている。現代から過去を回想しているというよりは、画面上では常に交互に展開されるため、見ている側はいまいったいどの時間軸にいるのだろうかと、感覚が揺らぎながら映画を見つめることになる。そして、映画を通して二人の人生を見つめることになるのだ。
過去の信太郎を演じる犬飼貴丈も、現代の信太郎を演じる加藤雅也もどちらも名演をしていて信太郎そのものになっているのだが、それ以上に行定勲監督のポルノ作品『ジムノペディに乱れる』でブルーリボン新人賞を受賞した岡村いずみが最初から最後まで素晴らしい。
彼女は過去に登場するだけでなく、現代でも繰り返し信太郎の前に現れ、そして消えていく不思議な女性を演じている。しかしこれに気づいたのは映画を見た後にパンフレットを開いてからであって、まったく気づくことができなかった。サラというストリッパーを演じるだけでもすごいことだが、異なる時代の、異なる女性を演じきった岡村いずみの魅力というか魔力みたいなものに、取りつかれてしまう映画だ。
そして、現代版でもう一人重要な存在が現役ストリッパーでもある矢沢ようこ演じるようこだ。実質的に、彼女は「リアルなストリッパー」として、そして平成〜令和へと時代を刻んできた踊り子として、スクリーンで名演を披露する。22年のキャリアを持つ彼女は、現実の広島第一劇場でのステージ経験も持つ存在だ。ここでもまた、現実と虚構が混ざりあい、不思議な時空間が展開されてゆく。
映画制作時にはまだ存続していた劇場も、映画が完成した後に閉館している。まさに、夢のような時間が終わるまでを閉じ込めたこの映画は、劇場に関わった多くの人の青春をも閉じ込めた、素敵な空間だったに違いない。