2020年03月

2020年03月21日

4年後の自信と覚悟、そして悪あがき ――『劇場版 SHIROBAKO』(2020年)



見:イオンシネマ綾川

 前にテレビシリーズを見たのがちょうど社会人1年目の時で、社会人5年目の視点から改めて振り返る的なエントリーを書いた。



 2クール目もやる予定だったがとん挫しているのは怠惰ということにしてほしい。今回劇場版を見て、「4年後の自信と覚悟、そして悪あがき」というタイトルをこのエントリーには打ってあるが、裏テーマとしては「社会人6年目になったと思われる宮森あおいたちの奮闘を社会人6年目になったバーニングさんの視点で振り返る」というものだ。あおいは短大卒業後にストレートでムサニに就職して(1クール目)おり、季節が一巡して社会人2年目の冬になったころに物語は終わる。なので劇場版でたびたび口に出される4年後、つまり社会人6年目だとしてもおそらく26歳くらいだろう。最近30歳になった自分とは年齢的に距離があるものの、1年目の時の6年目の時との違いを多々表現しているなと思われた。

 上記のエントリーでは「キャリアの浅さから生まれる悩みや挫折」とタイトルに振ってあるが、これを踏まえると今回は「キャリアを積んだ先にあるつらさと責任感」とでも言い換えられるかもしれない。逆に、これがあるからこそ「自信と覚悟、そして悪あがき」につながっていく。なぜかというと、人は悩みや挫折がなければ、それを乗り越えた経験がなければ簡単にはステップアップしていかないからだ。

 たとえば役割、あるいはポジション。テレビシリーズ終了後の世界線で起きた「タイマス事変」を経て、丸川社長が引責辞任するなどムサニのメンバーは散り散りになる。宮森とともに働いていた制作メンバーも何人かは会社を去り、ナベPは丸川の後を継いで社長(ナベ長)になり、宮森はそのナベPが担っていたラインプロデューサーの役割を、元請けの新作劇場版で担うこととなる、のが今回のあらすじだ。つまり、キャリアと責任が増えた宮森が、「劇場アニメを制作する」劇場版が本作である。
 
 特にアニメ制作の現場は限られた期間、予算、人員という、状況をハードにする要素があちこにち満ちている。これを「回す」ことが制作に求められるわけだけど、なかなか絵コンテを描かない監督に代表されるように、アニメ制作そのものは容易には進んでいかない。テレビシリーズ11話で矢野パイセンが言う「トライ&エラーって言うけど日々トライ&トラブル」が改めて思い起こされる。これを、1年目や2年目の制作の立場で迎えるのと、一種のマネジメント職であるラインPの立場で迎えるのとはまた異なる。仕事への向き合い方も、外部や内部のメンバーとの向き合い方も。そして、自分が何をしたいのかという、根本的な問いへの向き合い方も。

 一番面白いなと思ったのは、あの5人もそれぞれ4年の時間を経過しているから、彼女たちは同じ制服を着て、東北の某高校で過ごした時代からはかなり遠く離れてきていることだ。遠く離れるということは、次第に変わっていく自分たちの関係性であったり、あるいは自分のポジションにも向き合わなければならない。

 宮森がPになったのはもちろん、りーちゃんは脚本家(?)としてなぜか田中真紀子のフォームをマネながら脚本家(?)として重要なアシストを果たすし、絵麻は作監として作品や宮森と向き合う。もう「同級生」でもないし「部員」でもないし「先輩後輩」でもない。過去には戻れない。けれども彼女たちはそれをそのままに受け止めていて、いまをいまとして生きようとしている。これって結構、簡単じゃないよね?って思うのだ。特に、いまだに過去にとらわれている木下誠一が対照的であるがゆえに。

 翻って自分を見つめると、自分も社会人6年目になって、同じく6年目の宮森たちをすごくまぶしく思いながら見ていた。けれども5年前とは違って、自分の立場をそれはそれとして受け止められるようになったかなと思う。何もなかったころから、一応何かはあるいまへ至るまでの期間は楽ではなかったけれど、たどりついたいまをまんざらではないなと思っているから。

 きっとこれからも繰り返し見返していくのだろう。社会人10年目、15年目、20年目の自分にはどう映るのだろうか。あるいは、宮森あおいの10年目や20年目が描かれたりするのだろうか。物語はきっとまだまだ続くと、思ってもよいよね、って変わらずに期待させてくれるのは楽しい。宮森あおいはきっとこれからも悪あがきをあきらめないはずだから。

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2020年03月09日

【2020年3月9日】一山麻緒、1ドル101円台、キム・ヘス

 昨日の話だが、雨の中行われた名古屋ウィメンズマラソンの一山麻緒は本当に素晴らしかった。ほぼ一年前の東京マラソン(これも寒いレースだった)で初マラソン&24分台を記録し、ロンドンマラソンを経てMGCにも出場。昨日の名古屋がまだキャリア4戦目にも関わらずここまで横綱相撲を発揮できる選手に成長したとは。本当に素晴らしいことだと思う。

 ちょうど一か月前の丸亀ハーフマラソンで自分も走りながら彼女の走りを少し拝見したわけだけど、ラストスパートが非常に力強く、1時間8分台でゴールしたと聞いても驚きはなかった(男子では日本新が出ていた)。昨日のレースにしてもプラン通り、イメージ通りという言葉を何度も聞いたが、29キロ地点から一気にギアを切り替え、35キロを過ぎてもラップが大きく落ちない走りは本当に見事だった。

 市民ランナーの視点からすると、本番へ向けたピーキング、絶対的な練習量、プランを着実に実行する力の3点はとても参考になるなと思う。前2つはレース前、プランの実行は走りながら実行するしかないわけだけど、ちょうど大迫傑が走った東京マラソンを見ても同じことが言えるなと思った。一山はアメリカに行き、大迫はケニアに行って鍛え上げた。当日、レース展開を見て仕掛けたのは二人とも共通しているし、30キロ〜35キロの間で勝負をほとんど決めてしまったのも似ている。

 早めに勝負を決めるということは、成功すれば後続を振り切り、圧勝することができる。だが後続を振り切ることができなければ。あるいは、35キロ以降で失速してしまえば、勝つことは容易ではなくなる。MGCの大迫がこのパターンで、最後の数キロで中村と服部につかまり、3位に終わってしまった。一山もまた、早めのスピードアップが裏目に出て後半に大きく失速していた。

 二人のレースを見ていると、本番での失敗を次の本番にどう生かすか、その重要さを強く感じる。そしてうまくやればそれは可能だということも、大迫と一山は教えてくれた。






 原油価格が急落し国内と海外の相場が悪化する中で3年4か月ぶり(トランプ当選以来)の1ドル101円台を記録したらしいが(確認したときは102.0円台だった)このタイミングで97年の韓国通貨危機(IMFショック)をエンタメ的に描いた『国家が破産する日』を見て来たのはなかなか面白いなと思った。危機は繰り返す、何度でも、形を変えて。

 主演のキム・ヘスが御年49歳と知ってたまげたけどね。どう考えてもアラサーにしか見えなかったし、ググったら美魔女と呼ばれていて納得した。『バーニング』のユ・アインは『バーニング』とは対極にある逆張りで大儲けする投資家を演じていたけれど、儲けたり投資会社を起業したあとも表情に翳りがあるような演技は見事だった。社会が落ちていく中で勝ち組になったことに対する負い目が、いまの韓国にもリアルに残っているのかもしれない。



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2020年03月05日

居場所と自分探しを、ゆるやかに ――『わたしは光をにぎっている』(2019年)



見:ソレイユ・2
 一昨年に見た『四月の永い夢』もそうだった。現代の東京と、東京から少し離れたところにある(でも、遠すぎはしない)地方の町を往復しながら描き出す群像のリアリティには秀逸なものがある。若い世代を描きながら、東京でも地元(地方)でもその周囲を描くことで古いタイプの日本映画的魅力も同時に持たせているなと感じられるのだ。



 前回が朝倉あき、今回が松本穂香という、地味すぎず派手すぎない、やわらかさと強さを持った女優を据えてくるあたりの面白さがあると思ったけれど、今回はさらに光石研を筆頭に周囲を固めるプレイヤーが冴えている。特に光石研がいい。飲んだくれ、嗚咽したり急に小便をしたりとどうしようもない
姿を見せながらも、葛飾区の下町にある古い銭湯を一人で守り続ける。かたくなに。

 松本穂香演じる澪は、彼女の東京での受け入れ人兼下宿先になった光石研演じる三沢を理解し、銭湯の仕事を覚えるところから始まっていく。その前に少し小さなつまづきや出会いもあったが、多くの人間がそうであるように、上京物語はそう単純には進んでいかない。けれども、小さな出会いは少しずつ力をくれる。

 他方で地元の仲間や支えてくれた人たちの存在。祖母の残してくれた「わたしは光をにぎっている」というフレーズと詩集。澪は少しずつゆるやかに、あてどないかもしれないけれど、自分の日常を立ち上げていく。その先に東京での生活が続いていくことを信じて、彼女は生きていこうとする。

 『四月の永い夢』のように、過去の恋愛が絡んでくることもなければ、それに向かって物語がまっすぐ進んでいくわけではない。むしろ物語の筋が見え始めるのは、もう残り30分か40分かしたころになってからだ。どうやって進めていってどうやって終わらせるんだろうと思っていたけれど、『四月の永い夢』とも重なるのは、誰かの死と何かの終わりであって、では澪の場合はそれらに対してどのように向き合っていくのか、といったことだと感じた。

 澪の向き合い方も気になるが、それ以上にやはり一人ずっと銭湯を守ってきた三沢の心情も気になる。これが前作にはなかった魅力だろうと思った。光石研が役にあまりにもなじみすぎていて、こういうおっちゃんいるよな、というくらいの役になっているのがすごくいい。そしてそれに呼応するようにして、澪が自分の気持ちを表に出し始めるところもやはりいいなと思った。彼女はひとりで生きない方がいい。周囲に誰かがいて、ようやく澪は澪らしく生きていけるのだろう。そしてこう気づかされる。三沢の場合も、もしかしたらそうだったのかもしれないと。
 
 展開がゆるやかで澪のキャラクターもふわふわしているので、正直つかみどころが微妙な映画ではあった。だが『四月の永い夢』から『わたしは光をにぎっている』はまっすぐ一本につながっている。どちらもまっすぐ地に足をつけて、現実をちゃんと見て、そしてちゃんと前を向いて生きていく、そういう物語だ。

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2020年03月01日

【2020年3月1日】30歳、大迫傑、宮森あおい

 少し間が空いた。この間に東京に行ったりもしたので、気が向いたら振り返りたいと思う。2泊3日滞在したが3日間で15人くらいの人とお会いすることができてありがたいと感じた。香川というか四国にいったん引きこもってしまうとそれなりに楽に生活できてしまうんだけれど、でもそれだけだと物足りないよなという現実も確かにあって、東京でいろいろな人と会うことによって自分の立ち位置をその都度再確認しているような気がする。

 東京を離れてもう6年になる学部と修士を合わせただけの年月を香川で過ごしていて、その大半の時間を労働に費やしてきた。そして先月30歳になってしまったので、これからの身の振りをどうしていこうかという話を東京ではひたすらにしていた。自分がやりたいと思っていることは隙間産業的であるとは思っているけれど、周囲の人と同じようなキャリアを歩むことにはまったく興味がないので、良くも悪くも引き続き我が道をゆくしかないなと感じる。ゴーイングマイウェイ、でしか生きていけない。まあそれが「早稲田らしさ」かもしれないし、単なるこじつけかもしれない。

 その早稲田出身で陸上界のスターである大迫傑が今日やってくれた。たった1年半の間に2度も日本記録を更新する選手なんて、もう相当先まで現れないのではないか。確かにナイキの厚底シリーズは革命的かもしれないが、それを使いこなせるだけの能力がランナーに備わっていなければ靴はただの靴である。多くの人はランニングシューズの能力を勘違いしているように思う。シューズが走るのではなく、あくまでも走るのは人間であって、同時に万人に最適なシューズは存在しない。シューズの能力を存分に発揮できる能力まで含めて現代のトップランナーたりえるのだろうと、今日改めて強く感じた。

 大迫傑を見ていてそのレース運びにはすさまじいものがあった。前半から前へしっかりついていくと思いきや折り返したあたりから少しずつ遅れ始め、一次は第二集団に近いのではと思わせるシーンもあった。ただ、その後の盛り返しが本当に見事だった。2分50秒台前半で刻む速すぎる前を追わず、いったん3分台に落とし込むことで自分のペースを作って見せた。20キロ台で自分のペースを取り戻したからこそ、30キロ台になって落ちて来た井上を拾い、そして一気に突き放したのだろう。

 マラソンランナーにとって重要なのはいかに自分の身体と対話しながら走り続けることができるか、だと思う。今回のように高速のタイムを刻むペースメーカーがいると、自ずと速いタイムを刻んで走ることになる。ついていける場合はいい。だが、たとえばMGCの設楽がそうだったように、前半のハイペースは確実に30キロ台になってボディブローのように効いてくる。今日その影響をもろに受けたのが井上である。いったん大迫が離されたとき、このままズルズル行くとまずいが前が見える範囲でついていけるならば、後半の逆転はあるだろうと思っていた。

 コメントを見る限り大迫自身も折り返し付近でヤバイと思ったようだが、気持ちを切らさず冷静に残り20キロのレースを展開できたのが彼のいまの実力だったのだと思う。ペースダウンは一つのギャンブルである。前に追いつけるかどうかは、前が落ちてきてくれるはずだという仮説が成り立った時であって、仮説が成立しなければ離されるだけだった。

 さらに大迫の成長を感じたのは32キロでスパートして一気に井上を離したところだ。MGCではスパート後に服部勇馬に追いつかれた大迫が、その時よりもずっと手前でスパートをするのは、二つ目のギャンブルだと感じた。確かに井上を離すことはできるが、そのあと自分が落ちていく可能性はなかったか。もちろん、ないと確信があったからこそ、スパートをかけたのだろう。冷静に、したたかに。

 その大迫がフィニッシュ地点でガッツポーズをし、その後のインタビューで涙を流していた。クールな素顔の裏にある切実さ、必死さ、孤独。いろいろな感情がこみあげる、そして本番での飛躍を期待したくなる、素晴らしい一日だったと思う。




 午前中はずっとマラソンに張り付いていて(ちなみに夜勤明けだがまだ職場に残留していた)午後はイオンシネマ綾川で『劇場版 SHIROBAKO』を見ていた。テレビシリーズから4年後、つまりだいたい宮森あおいが社会人6年目になったころだなと思いながら、最近社会人6年目になった人間としてとても楽しく見ていた。

 変わらないもの、変わっていくもの。その両方を受け止められるようになった宮森あおいのたくましさが、とにかくまぶしくて、心揺さぶる2時間だった。





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