辻邦生『物語の海へ 辻邦生自作を語る』を読み終えた。いろいろポイントはあると思うが、自作を振り返りながら小説論や作家論を不意に始めるくだりがいくつかあり、強い関心を持った。
自作については『安土往還記』、『背教者ユリアヌス』、『春の戴冠』といった代表作についてはかなりのボリュームを割いている。もともと雑誌に個別に掲載されたものを収録しているので内容やボリュームにはばらつきがあるが、それを加味しても辻の書いてきた小説についていま一度概観するためには良い本だと言えるだろう。
『春の戴冠』については、もともとモネなどのフランス印象派画家に興味を持っていた辻がある日ボッティチェルリやルネサンスといったイタリア的なものへの関心を強めるところから自作を語り始めていく。
スタンダールの恋愛論などを惹きながらボッティチェルリの絵に、そしてボッティチェルリそのものに恋をしてしまったとの記述(p.123)にはそれほどインパクトがあったのだろう。
また、戦後の混乱の中で生活を立て直したいという現実的な欲求の中で小説を書きたいという欲を封じて来たというエピソードも叙述している(p.154)が、こうした中で小説を書くという気持ちを封印している自分に向き合っていくのは、精神分析的な香りもさせてくれる。いずれにせよ、この時代の作家は時代そのものといかに向き合うのか、そしてその中で表現や美といったものは何かに向き合わざるをえなかったのかもしれない。
また、『安土往還記』をきっかけに「歴史小説と現代小説とのあいだに何らの差異を認めなかった」(p.223)と持論を語るくだりがあるなど、まだまだ辻邦生の小説の奥深さについての理解が足りないと感じた一冊となった。
昨日になるが『さよならテレビ』を見に行ってきた。この前も少し触れたが以前の『やくざと憲法』が非常にクリティカルで野心的だったので(内容もアプローチも)今回はさすがにそこまでのインパクトはないだろうと思ったが、案の定期待を超えるものではなかった。期待を超えないまでならまあいいのだけれど、そもそも映像自体に面白さを感じるものではなかった。
理由はいろいろあるだろうが、制作側が守りに入ったからだろうと感じる。いろいろインタビューを読むとタブーなしとか攻めているというワードが見受けられるし、確かにいままではそうだったのかもしれない。しかし今回は、そこまで攻めているとは思えなかった(あるとすれば身内びいきをせずにミスや弱みをさらけ出したこと)し、最初と最後のワンクッションがあることで映画にポジティブなイメージをもたらしていない。ワンクッション置くことであえてネガティブに描いてみたかったのか、とさえ思わせる。
いずれにせよ、ドキュメンタリーというジャンルのある種の特殊性のようなものを再認識できたことや、いまのテレビ局、特に地方のテレビ局にジャーナリズムを求めるのは限界があることも感じた(NHKは例外)。とはいえこれも初めて知ったことではないし、やはり内容のインパクト、新規性や斬新さが乏しいのは少し寂しいと思えた。
日本株は低調ながらアメリカの指標は相変わらず力強いなと感じる週明け。久しぶりに6000円を割ったバンナムを買い増したり、製薬や不動産銘柄を物色した。アメリカ株は個別株を整理してETF主体に組み替え中(ただの原点回帰)。
自作については『安土往還記』、『背教者ユリアヌス』、『春の戴冠』といった代表作についてはかなりのボリュームを割いている。もともと雑誌に個別に掲載されたものを収録しているので内容やボリュームにはばらつきがあるが、それを加味しても辻の書いてきた小説についていま一度概観するためには良い本だと言えるだろう。
『春の戴冠』については、もともとモネなどのフランス印象派画家に興味を持っていた辻がある日ボッティチェルリやルネサンスといったイタリア的なものへの関心を強めるところから自作を語り始めていく。
私はモネについてもゴッホについても小説を書こうとは思わなかった。だが、ボッティチェルリについてはごく早い時期から、なんとなくその生涯を小説に書いてみたいと思っていた。(p.120)
スタンダールの恋愛論などを惹きながらボッティチェルリの絵に、そしてボッティチェルリそのものに恋をしてしまったとの記述(p.123)にはそれほどインパクトがあったのだろう。
また、戦後の混乱の中で生活を立て直したいという現実的な欲求の中で小説を書きたいという欲を封じて来たというエピソードも叙述している(p.154)が、こうした中で小説を書くという気持ちを封印している自分に向き合っていくのは、精神分析的な香りもさせてくれる。いずれにせよ、この時代の作家は時代そのものといかに向き合うのか、そしてその中で表現や美といったものは何かに向き合わざるをえなかったのかもしれない。
美によって現実を包み、いつでも、どこでも、フィレンツェの最初の旅が味わわせてくれたような喚起を見出す可能性はないのか。もしあるとすればどういう条件が必要なのか――私の文学的主題が、次第にはっきり掴まれ、ようやく小説を書く手がかりが見出されてくるにつれて、現実のなかの美の探求から、次第に、美による現実の芸術化へと移っていったのはこうした理由があったからだ。(p.156)
また、『安土往還記』をきっかけに「歴史小説と現代小説とのあいだに何らの差異を認めなかった」(p.223)と持論を語るくだりがあるなど、まだまだ辻邦生の小説の奥深さについての理解が足りないと感じた一冊となった。
昨日になるが『さよならテレビ』を見に行ってきた。この前も少し触れたが以前の『やくざと憲法』が非常にクリティカルで野心的だったので(内容もアプローチも)今回はさすがにそこまでのインパクトはないだろうと思ったが、案の定期待を超えるものではなかった。期待を超えないまでならまあいいのだけれど、そもそも映像自体に面白さを感じるものではなかった。
理由はいろいろあるだろうが、制作側が守りに入ったからだろうと感じる。いろいろインタビューを読むとタブーなしとか攻めているというワードが見受けられるし、確かにいままではそうだったのかもしれない。しかし今回は、そこまで攻めているとは思えなかった(あるとすれば身内びいきをせずにミスや弱みをさらけ出したこと)し、最初と最後のワンクッションがあることで映画にポジティブなイメージをもたらしていない。ワンクッション置くことであえてネガティブに描いてみたかったのか、とさえ思わせる。
いずれにせよ、ドキュメンタリーというジャンルのある種の特殊性のようなものを再認識できたことや、いまのテレビ局、特に地方のテレビ局にジャーナリズムを求めるのは限界があることも感じた(NHKは例外)。とはいえこれも初めて知ったことではないし、やはり内容のインパクト、新規性や斬新さが乏しいのは少し寂しいと思えた。
日本株は低調ながらアメリカの指標は相変わらず力強いなと感じる週明け。久しぶりに6000円を割ったバンナムを買い増したり、製薬や不動産銘柄を物色した。アメリカ株は個別株を整理してETF主体に組み替え中(ただの原点回帰)。