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日常と読書日記。 受験生日記は閉幕です。

2019年12月

 去年の年末に「2018年を振り返らない」というエントリーを書いたのでさすがに今年は振り返る必要があるのではと思ったのと、せっかくなら今年だけでなくこの10年分もまとめて振り返ってみようという雑な企画。ついでに過去のエントリーから「振り返る」関連のエントリーをピックアップしてみた。(コンテンツ回顧的なものはのぞく)



 ↑このエントリーは「2月が終わるシリーズ」として書かれた5本目のエントリーで、過去のエントリーも紹介してある。



 ↑去年書いた振り返らないやつ。



 ↑2018年の視点から7年前を振り返ったもの。

 この10年を雑に振り返ると、単純に遠くに来たなと思う。2009年の冬はまだ19歳で、大学生で、ちょうどボカロにハマりまくっていたころで日に日にニコニコ動画をチェックしたりイベントに出向く日々だった。
 それがいまは香川で社会人やっているので(まだ5年目の終わりだけど)10年もあれば自分が考えている地点とは全く違う地点にいるんだなと思う。きっと10年後もそうなのでしょう、という単純めいたことは言えないが、もしかしたら大きなライフイベントが複数起こるかもしれない。そうなるとやはり、いま思い描いている未来なんてあっという間にかき消されるだろう。
 でもそれは思った以上にネガティブなことではなくって、未来なんて常に不確定なんだから来たものを受け入れるしかないんだという現実主義を淡々と受け止める、といったところだろう。こういう考え方は10年前ならくだらねーつまんねーと思っていたかもしれないが、思っているよりくだらなくもつまらなくもなくって、十分生存戦略として改良しうるのではないか、と思う。

 もう一つ、遠くの何かに手を伸ばすよりも足元をちゃんと見ることの意義をずっと感じていた。
 東京にいたころ、確かに毎日それなりに楽しいけれど、見たくないものを見てしまったり、手の届かないものに憧れたりといった形で、自分には無関係なものに振り回されることも多かったかなと思う。いま振り返るとそれも含め若いころの経験であって、最初からえり好みするよりはあれもこれもと手を伸ばしたほうが、自分に適するものはなんだろうと考えたときのヒントになりうる。だから、迷い自体は否定しない。
 でももうすぐ20代が終わるころになると、迷っている時間がだんだんと惜しくなる。20代はあっという間だと昔新宿の酒場で会った多くの大人に言われてきたがそれは本当にその通りだった。そして30代は早いとも聞くし確実に体力が衰えるとも聞くのだから、いっそ迷う時間は失われていく。
 もちろん、即断即決が必要だとか、全然外部の情報をシャットアウトするとか、そういう極端な方向に触れるわけではない。ただ、失われる時間は惜しい。それならば迷う時間をほかの時間に振り分けたいという、それだけの話ではある。
 気づくと自分の身近にあるもので何ができるかとか、身近な人のために何ができるかとか、そういうことを考えるようになった。だからしばらくはこういうスタンスで生きていくのだろうと思う。

 2019年を振り返ると、いまでも京都アニメーションに起きた悲劇的な出来事を忘れない。8月のある小雨が降る日に六地蔵に行ったこと、現場を見て嗚咽して、涙で前が見えなかったこと。
 3.11の時もそうだったが、悲劇的な出来事を目の前にしたとき、何かをしたいという気持ちの前に、あまりにも出来事が巨大すぎて何もできないという絶望感が立ちはだかる。
 確かに、9月以降に寄付は続けてきた。現地にも行った。アニメも見ている。でもこれ以上、何が、できるのだろう。そう考えたら、また無力感ばかりが強くなっていった。

 


 桑原由気のこの言葉に、本当の意味で救われた思いがした。これに付け足すならば、きっと忘れてしまったほうがいいことだってある。絶望だとか、加害者への嫌悪だとか。その上で、これまでの自分を救ってくれたもの、自分が好きだったものを忘れたくない。
 忘れないように生きていくことは実は容易ではないと思うけれど、こうして個人的な出来事を10年分振り返ってきたことを引き合いにすると、「ずっとずっと忘れないために」人はこうやって記録を残すのではないかと思う。









 気づくと涙もろくなっていることにここ数年気づいたけど、こんなに繰り返し涙を流すこともそうなかったなと思う。流した涙の分だけ強くなれるかどうかは分からないけれど、自分がそれだけ好きだったものがあると気づかせてくれたのは、強烈な皮肉ではあるけれど大事にしたい。忘れないためにも。

 さて。
 2020年の目標はまず公認心理師をとること。そして2020年代、次の10年間は自分なりの方法でやりたいことを一つの形にしてみたい。そのための準備を着実に行うために、迷うよりもまず、足を進めていけるように。
 どこまでやれるかはわからんしそれこそ10年後どうなるかなんてわからないわけだが、2019年の12月31日時点での構想を記録するという意味でも、書いておきたかった。このブログも気づけば15年くらい続いてきたので次の10年も書き続けていきたい。

 それではみなさん、よいお年を。
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見:シネ・ヌーヴォ

 2017年制作だが日本では今年公開された話題作の一つだと思う。巨匠フレデリック・ワイズマンの新作にして3時間25分をかけてニューヨーク市の公共図書館に密着したもの。すべて見ればよくわかるが、分館や専門館を含めると90を超える施設を持っているニューヨークの図書館をすべて網羅することはとうていできない。とすれば、何を見せるか、である。

 ワイズマンが選んだのは三つのアプローチだと感じた。一つは、21世紀における現代的な図書館とはどういうものかといったもの。ちょうど大阪維新の会の一部のアホな議員たちが「司書業務はいずれAIで担える」などとアホなことを言っていたが(厳密には街の公立図書館ではなく学校図書室の話ではあるが)この映画の序盤に登場する「人力グーグル」と呼ばれるオペレーターの仕事を見るだけでも、とうていすぐさまAIにとって代われるような業務でないことがよくわかる。

 そしてそうした人力グーグル業務はもちろん膨大な業務の一つでしかない。映画では頻繁に図書館の幹部たちが運営会議っぽいことをしている様子が映されるが、官民それぞれから資金を投入される状況の中、今後さらに予算を獲得するにはどうすべきか。そして実際にどのようなサービスを提供すべきか? こうした議論が長く続いていく。「無駄だから増員などするな、むしろAIにやらせろ」なとどいう日本のアホな政治家とは全く逆のアプローチで、図書館の生存戦略を考えているのがとても魅力的だ。

 二つ目は、図書館の社会福祉的側面である。冒頭にいきなり登場するリチャード・ドーキンスのトークといった教養イベントの開催、パソコン教室や子どもたちの学習支援、あるいは就職セミナーを含めた就労支援など、本を読んだり借りることとは直接関係はないものの、ニューヨーク市民の生活の質をいかに向上させるのか、といったミッションに非常に力を注いでいることが特徴的だと感じられた。アメリカの図書館事情に詳しくないので他の市や州でも同じようなプログラムやサービスがあるかどうかはわからない。ただ、これはつまり手段は問わないが「市民の生活に資する」プログラムやサービスであるし、そのためのツールとして図書館の環境(膨大な資料、有能なスタッフ、インターネットの整備された環境)が利用されていると解釈すべきだろう。

 これらを利用してもらうことで単に市民の生活をよくするのではなく、「良き市民」を養成しているようにも思える。この意味では、ニューヨーク市の民主主義にとって重要な意味を持つのだろう。映画の後半では障害者たちが集うイベントもあれば、黒人たちが言葉を交わすイベントもあり、現代社会を生きる市民の多様性に対して公共図書館がどのようなアプローチが可能か、といったミッションへの挑戦であろうと思う。

 三つ目はさっきの二つの要素とも関係するが資本主義的側面である。資本主義にとっての図書館とは何か。一つは経済活動を支援する場であるということ。ここには広い意味での学術を含んでもいいだろうし、ジャーナリズムを含んでもよいだろう。いずれの活動も図書館は資料の宝庫として重要な場であり続けるだろうし、先ほど述べたようにイベントなどを通じて市民を「啓蒙する場」としても利用することができる。

 こういう風に書くとこれらはいずれも民主主義的側面なのではと言われそうだが、すぐれた民主主義が経済活動を促進しうるというのがアメリカ的だと感じる。だからこそ民間からの資金が投入され続けているのだろうし、図書館側もさらなる民間投資を呼び込むために図書館サービスの資本主義的側面の強化もはかるだろう。

 その他書くべきことは多いが、とうてい書ききれないので要点をまとめるにとどめた。映画を見ながら考えていたのは、いったい日本ではどのようなことが可能か、どのようなサービスやプログラム、あるいは運営スタンスを学べるのだろうかと考えていた。そのためのキーワードとして社会福祉と資本主義的側面は非常に重要な要素になると思う。このいずれもが民主主義を養成するだろうし、民主主義の成熟はまたすぐれた社会福祉や新しい資本主義の養分にもなる。

 すべてを日本でマネすることはできないにしても、一人一人が日常生活を送る上で学ぶこと、感じとれること、意識できることは非常に多い。そしてある種オールドタイプな公共施設としての図書館が21世紀の現代にも、いや現代だからこそ重要な価値を持ち続けられるのだ、というシンプルなメッセージは、これからの社会を生きていく上で非常に希望的な展望であると思えた。
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