2019年11月

2019年11月07日

キャリアの浅さから生まれる悩みや挫折と、その越え方 ――社会人5年目の視点で『SHIROBAKO』1クール12話を振り返る



 4年前、まさに社会人一年目の時に『SHIROBAKO』関係の記事を書いたわけだが、個人的にもうすぐ30歳、社会人5年目で終わろうとするタイミング(最初にフルタイムワーカーになったのが2015年1月という半端だったため)で見ると発見が多くて面白かった。なので個人的に少しまとめてみたいと思い、今回のエントリーを書く。

 1クール目で書かれたのは、メインの筋は宮森あおいの奮闘の経験である。新人の制作進行(11話で短大卒であること、10話では「1年経ってないです」と他社のキャラに告白しており12話で95年に2歳ということは1993年生まれの放映開始2014年10月当時で21歳くらいと推定)として日々奮闘する。1話からそれはもうブラックな環境を匂わせながらではあるものの、やりたいことは何なのかを日々探し、社内社外のクリエイターたちとの間に日々もまれながらも同じ制作メンバーからの期待は厚く、着実に経験値を積み重ねる姿は当時同じく社会人1年目だった身からはかなり眩しく見えた。

 他方で社会人5年目、環境としては3つ目の場所になって、つまりこの『SHIROBAKO』の5人たちからはキャリアを積んだ身になってから見返してみると何が見えるだろうかと考えてみた。もう一つは、5年目になったいまだからこそまだまだ走りだした彼女たちから改めて教わることはないだろうかとも考えてみた。自分が新人だった時のことは、まあ当時の紙の日記を見れば一部は書いているかもしれないけれど、ふわっとしたこと以外はもうあまり覚えてない(思い出したくないとも言えるが)。だからフィクションを、かつて夢中になっていたコンテンツを改めて見返すことで見えてくるものがあれば面白いなと思ったのだ。実利的なことを言えば、今後の自分に何か生かせるかもしれないな、との打算も込みで。

 さて、いくつかポイントをピックアップすると、以下の通り。
・キャリアの浅さゆえに質とスピードの両立で悩む@絵麻(7,8話+12話)
・やりたいことで経験を積めない@みーちゃん(9,10話)
・初めての最終回担当を前にして原画の担当がなかなか見つからない@あおい(11,12話)


 絵麻とみーちゃんの悩みは非常に似ている。絵麻は高卒で就職したので3年目、みーちゃんは専門卒なので1年目と推定されるが、二人とも経験は浅いものの着実にキャリアを積み上げようとする過程にある。その段階ゆえの悩みだということは、誰もが仕事をする上で必ずぶち当たる悩みであり(だから絵麻は同僚の井口に相談をする)やがて越えるべき悩みであるということでもある。

 この越え方が、絵麻のように相談して解決するようなメンタルやマインドの問題であることもあれば、みーちゃんのように環境を大きく変える必要があるかに分かれているが、悩みをどう越えるかが一つの手段である以上唯一の正解はない。ただ、相談することは常に糸口を見つけるためのヒントになる。みーちゃんは同僚ではなく、かつての仲間たちに相談を持ち掛ける。

 その10話。この中で久しぶりに5人が集結し、それぞれの仕事の話で盛り上がりを見せる中(メインはみーちゃんの転職相談)であおいが発するコメントがシンプルでクリティカルだと感じた。

あおい「つまってたその絵コンテが進みだしたのは、どこにたどりつきたいかがはっきりしたからで、そのために何をやればいいのかが見えたんだって」
みーちゃん「社長にも言われました。目標があるんなら、そのために何をしたらいいのか、一度しっかり考えてみたらって」



 このやりとりのあと、みーちゃんは転職を決意する。次の場所が決まったわけでもない中転職するのはかなりリスキーではあるが、やりたいことをやるための越え方としては無難なやり方だ。経験の浅い中での転職はギャンブルになりがちだが、とはいえ同じところにずっと居続けるのも同じくらいギャンブルだ。結果的にみーちゃんは前者を選んだ。

 それと、どこにたどりつきたいのかは2クール目以降にはあおいにも直接突き刺さるテーゼである。その中であおいは過去のムサニの作品を知ったり、ビッグタイトルを完結させたあとに未来のことを想像したりもする。これはつまり、自分が「何をしたいのか」を知るために「実際どうすればいいのか」をより具体化した形になるだろうなと思う。

 少しこれまでの筋とはそれるが、11話で「トライ&エラーって言うけど日々トライ&トラブル」とあおいに向けて語る矢野さんの気持ちもいまなら少しわかる。それは4年前には全然わからなかったことでもある。自分ひとりで仕事をするのでもなければ、自分ひとりで生きているわけでもない。生きていくわけでもない。自分が何をしたいかと同じくらい、誰のために生きるのかとか、ワークライフバランスと言っていいのかはわからないけれど、プライベートな部分も含めて仕事を位置づけるということが、20代のころより30代のころの方がきっと重みを増すのだろう。

 どこにたどりつきたいのかもまた、常に一定ではない。キャリアを積む中で微修正していくものだろうと思う。経験の浅い人間と、そこそこ積んだ人間とでは、目指すべき先の視界そのものが違ってくるからだ。視界が広く、大きくなると逆に迷いや戸惑いも生まれるかもしれないが、だからこそ逆説的にゴールを見据えるのが大事なのだろう。あっちこっち行っても何も得られない。最短距離が正解かどうかは分からないが、さしあたりのゴールというかターゲット(目標)があったほうが日々の仕事の効率も上がるものだろう。

 先に見据えたターゲットに向かうためには、まだまだ目の前の現実の「越え方」を習得していく必要がある。その時その時でぶち当たるものを一つずつ越えていった先にあるものが何かは分からないが、走高跳のように一つずつ高さが上がっていくことを楽しめるような、そういう生き方でありたいなと、このアニメは、とりわけ宮森あおいはいつだって教えてくれる。


SHIROBAKO Blu-ray プレミアムBOX vol.1(初回仕様版)
木村珠莉
ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
2016-11-23


 4年前の記事を以下に。後編では「働く」の話をしているのがいまでは少し懐かしい。





このエントリーをはてなブックマークに追加
burningday at 21:00|PermalinkComments(0)anime 

2019年11月02日

青春の終わりとその続き ――『冴えない彼女の育てかた Fine』(2019年)



 原作が完結したときの幸福感とは違い、長く続いたアニメのシリーズの終わりにはどこか寂しさがつきまとう、ような気がする。個人的な解釈だが、小説の場合自分のペースで作品に浸ることができるし、向き合うことができる。ものすごく分厚い作品ならともかく、何年もかけて読むラノベなら一冊あたりに費やす時間も少ない(冴えカノの場合一冊一時間あればだいたい読み終わっていると思う)。他方でアニメやゲームのように、映像や声、背景ビジュアルや音楽など、情報量の多いコンテンツに向き合う時はなかなか同じようにはいかない。気がついたら飲み込まれてしまうようにのめりこんでいく。だからこそ終わりを見届ける時に、言葉にできないもの悲しさがあるのかなと思った。

 冴えカノも気づいたらそうした長く続くアニメのシリーズになっている。劇場版でも終わるべきところで終わらせながら、冴えカノらしい(&丸戸脚本らしい)遊び心やサービス精神も忘れないところは本当にすばらしい(特に序盤の焼き肉屋とエピローグ部分)と思った。単発作品やシリーズの年数が浅い作品ならこうはいかないだろうところも(丸戸のネームバリューがあったとしても限界があると思うし)冴えカノならこうだよな、で許してしまえるのは蓄積があったからだろうなと思う。

 蓄積という意味では内容よりもヒロインたちの演技部分に目が映ってしまって、特に恵役の安野希世乃と英梨々役の大西沙織はすばらしかった。原作の終盤でもこの二人の「和解」はかなり重要なポイントになってくると思うが、恋愛については倫也を好きなライバル同士であるにも関わらず最終的に優先させるべきは何かというところに落ち着くのは半ば奇跡的じゃないかすらと思う。

 もちろんこれは詩羽の好アシストがなければ達成しえなかったことでもあるし、英梨々の人の良さみたいなものが出た結果かもしれない。でもそれはどんどん「地が出ていく」加藤恵を非難することにならないのも、これまでの蓄積があったから。それがなければ、詩羽と英梨々が手を引いて、加藤恵のハッピーエンドを祝福するという展開にはならなかったはずだし、英梨々を演じた大西沙織の「泣き」の演技のすばらしさに魅了されることもなかった。言わば、本当に本当に長い時間をかけてここに来たということが、恵、詩羽、英梨々それぞれの言動や振る舞いから強く感じられることができる二時間になっている。



 その恵についてはパンフレットのインタビューで丸戸が安野の演技に大きく影響されたと語っているように、最初から最後まで加藤恵という難しいキャラクターを一貫したスタンスで演じ続けた安野希世乃の上手さには目を見張るべきだろう。彼女にとってずっと殺してきた自分自身の恋愛感情というものを見せるのは容易ではない。それを見せることで「普通の女の子」になってしまうことがどれだけ自分の優位性を殺すことになるのか、あるいは他のメンバーとのバランスを崩すことになるのかも理解した上で、彼女にしかないタイミングで倫也を「仕留めにいく」のは見事だった。

 そんなこんなで最初から最後までニヤニヤしてばかりであったため正直劇場で見るのには向いてない気もしつつ、作品にとって最も理想的な形で完結を迎えられたのは本当にすばらしいなと思った。もちろんテレビシリーズの3期が作られていたならここまで大急ぎの展開でなかったかもしれない。かもしれないけれど、恵と倫也の重要、あるいは詩羽と英梨々の重要なシーンはとても丁寧に表現されていて、全く不満はない。この形で落ち着いたということを、一つの幸福な形として受け入れてやればいいかなと思う。最後だし、ね。








このエントリーをはてなブックマークに追加
burningday at 16:18|PermalinkComments(0)movie