Days

日常と読書日記。 受験生日記は閉幕です。

2019年07月

6月の読書メーター
読んだ本の数:10
読んだページ数:3048
ナイス数:15

日本の地方政府-1700自治体の実態と課題 (中公新書)日本の地方政府-1700自治体の実態と課題 (中公新書)
読了日:06月04日 著者:曽我 謙悟
摘便とお花見: 看護の語りの現象学 (シリーズ ケアをひらく)摘便とお花見: 看護の語りの現象学 (シリーズ ケアをひらく)
読了日:06月08日 著者:村上 靖彦
迷うことについて迷うことについて
読了日:06月15日 著者:レベッカ ソルニット
新宿の迷宮を歩く: 300年の歴史探検 (平凡社新書)新宿の迷宮を歩く: 300年の歴史探検 (平凡社新書)
読了日:06月15日 著者:橋口 敏男
いつかの夏 名古屋闇サイト殺人事件 (角川文庫)いつかの夏 名古屋闇サイト殺人事件 (角川文庫)感想
大崎善生のドキュメンタリー。ある事件に着目して深く関係者を取材する形式は『ドナウよ、静かに流れよ』を思い出すが、それを超える渾身の一作だと思う。事件で忘くなった女性の書いていたミクシィ日記やブログが多々引用されているが、それがよりリアルさを伴い、何度か思わず涙した。
読了日:06月16日 著者:大崎 善生
新版・精神科治療の覚書 (日本評論社ベーシック・シリーズ)新版・精神科治療の覚書 (日本評論社ベーシック・シリーズ)感想
名著だろう。あとがきのなかで向井巧のそばにいたケアスタッフは中井の寛解過程論に協力敵だったということが触れられているが、病院の外にいる我々のような精神科ケアのワーカーにとっても、同じように響くものがあると思われる。治療という意味では、むしろ病院を出てからの関与の重要性は失われない。
読了日:06月20日 著者:中井久夫
響け! ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部、決意の最終楽章 後編 (宝島社文庫)響け! ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部、決意の最終楽章 後編 (宝島社文庫)
読了日:06月24日 著者:武田 綾乃
税務署員だけのヒミツの節税術 - あらゆる領収書は経費で落とせる【確定申告編】 (中公新書ラクレ)税務署員だけのヒミツの節税術 - あらゆる領収書は経費で落とせる【確定申告編】 (中公新書ラクレ)
読了日:06月25日 著者:大村 大次郎
夏の裁断 (文春文庫)夏の裁断 (文春文庫)
読了日:06月27日 著者:島本 理生
施設とは何かーーライフストーリーから読み解く障害とケア施設とは何かーーライフストーリーから読み解く障害とケア
読了日:06月30日 著者:麦倉泰子

読書メーター



 mediumには書評4本アップしました。
決断の時、伝えるべき言葉 ――武田綾乃(2019)『響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部 決意の最終楽章』
孤独から彼女を救えるのは ――ハン・ガン(2011)『菜食主義者』(訳)きむ ふな、クオン
通過点の夏から決別の春へ ――島本理生(2015/2018)『夏の裁断』文藝春秋
冷たい感情と追憶、長い沈黙、優しさと悲しみ ――イーユン・リー(2015)『独りでいるより優しくて』(訳)篠森ゆりこ、河出書房新社
このエントリーをはてなブックマークに追加

ETV特集「親亡きあと 我が子は…〜知的・精神障害者 家族の願い〜」


 以前ETV特集で放送された「長すぎた入院」は精神病院における長期入院を取り上げた良質なドキュメンタリーだった。長期の入院により失われるものの膨大さを丹念に切り取りながら、番組の後半では退院した患者を受け入れる小規模グループホーム(GH)を取り上げていた。今回、知的障害者や精神障害者の親と当事者に焦点を当てたのは、高齢者介護に比べると「社会化」がまだまだ足りていない障害福祉の世界における重要なテーマだからだろうし、「長すぎた入院」のアフターとしても見るべき番組だった。

 番組の要点は大きく分けて3つある。まず、成人になった知的障害者が親と同居する一方で親が年老いていったり貧困化し、障害者自身の生活の将来像が見えないこと。次に、精神障害者の地域移行(一人暮らしや施設入所)が親の疲弊に加え、資源の不足や周囲の偏見といった困難さを抱えていること。最後に、ではどのような形でケアを社会化させ、親の負担を減らすことが可能か、といったところが要点だったと思われる。

 中でも、成人してから20年近く幻聴に苦しみ、10回以上の入退院を繰り返した後に最後は実の父親に絞殺され、亡くなった女性(明示されていなかったので断定は避けるが、統合失調症の症状の表れ方に類似していた)を取り上げていたのが衝撃的だった。モザイクがかかってはいたが、女性の遺影や遺品、部屋を映しながら、殺人の罪で起訴された後に執行猶予がついた父親(こちらもモザイクがかけられていた)へのインタビューを試みていたのは、強く印象に残った。

 こうしたあまりにもヘビーな現実をふまえながら、現実的なケアの社会化(家族の外でケアを行うこと)や地域移行(病院や大規模施設以外の形でケアを行うこと)の形を探す取り組みとして、千葉で行われているACTや、大阪(だったと思う)のある地域で行われていた当事者親のGH建設運動が紹介されていた。ただ、屁びーーな現実は当事者や支援者の努力だけでどうにかなるものではないのも現実で、GH建設運動の行き詰まる様は現代社会におけるマイノリティの生きづらさそのものであると感じた。

 高齢者介護については、当事者である高齢者のボリュームが大きく、票田にもなることから選挙の争点にもなりやすい。ここしばらくホットである年金問題も、本来ならば障害年金も含まれるべきだろうが、あくまで老齢年金の話題として取り上げられる。家庭内でケアを行うことになる現役世代の問題でもあり、まだ低賃金かつ重労働の典型である介護現場の待遇改善といった話題も、介護保険以降の課題として取り上げられることが多い。

 ただ、それに比べると、すべての人が当事者や関係者にはならない障害福祉の領域は、あくまでone of themの論点として政治の世界では扱われがちだ。今回の参院選では山本太郎の政党が当事者を比例で擁立したことで話題になったように、一般的な領域というよりはやや特殊な領域として語られることが多い領域である。結果とし、浦河べてるの家のような一部の先進的な団体や地域を除いて、成人した障害者ケアの社会化というトピックは大きな形では浮上しない。

 おそらくこうした現実が、障害者たる子が成人しても親と同居している現実や、新しくGHを建設しようとしても周囲の理解が得られないという問題ともリンクしている。わかりやすく言えば、一般の人々にとっては障害者とおは「未知なる他人」であって「自分とは異なる他者」として見られることもそうそう一般的ではないのだろう。ただでさえ階層や属性による分断が進む現代においては、「他者」という存在を認知、受容することすら難しい。当事者の連帯は社会運動的な意味でも負担の軽減的な意味でも重要な要素だが、当事者以外の他者と連帯することの難しさを、まざまざと見せつけられるドキュメンタリーになっていた。


*******

 こうした状況を踏まえて一人の支援者として言えることがあるとすれば、目の前の利用者に対して何ができるかを考え、同僚や関係機関と上手に連携して、少しずつ自立度を高めていくことしかないのではないか。ただ番組でも紹介されていたように、あまりにも資源が足りない現実(この点においては高齢者介護も同様である)は拭えない。身も蓋もないことだが、ズブズブにならないよう淡々とできることをやっていくことでしかない。

 もちろんこれはまず目の前の相手に対してできることであり、長い目で見た時はまた別だ。ACTのように、その時々で使える制度をうまく利用してやっていくことが経済的だし、ロールモデルになりうる。とはいえACTも現実にはなかなか難しいという話も聞くし、多職種連携は介護の世界で重要な要素だが、連携のコストを乗り越えなければ実りのある支援にはなりづらいだろう。やり方はいろいろあっていい。当事者の利益にかなうことは何かをじっくり考え、支援スキルを磨いていくことを、個人として改めて意識づけられた。

 ただ、一つ言えることがあるとすれば、90年代以降にノーマライゼーションが制度や生活の場面で少しずつ浸透し、立岩真也『生の技法』から時間がだいぶ流れた今になっても、古くから課題が解決されずに残っていることや、障害者とそうでない人たちとの間の断絶の大きさ(相模原事件を引くまでもなく)があることは否めない。乗り越えていくべき課題は多い。まだまだそういう時代、国に生きていることを改めて実感するドキュメンタリーだった。











このエントリーをはてなブックマークに追加



 東京は長い間雨が降り続いていて、気温も例年にないほど低いらしい。こちらでも梅雨がそろそろ明けてしまうその直前に、公開初日を迎えた。雨の中映画館へ足を運び、再び雨の中映画館を後にする。確かに『言の葉の庭』も梅雨時に見る映画として非常に魅力的だった。ただ、その時とはまた異なるインパクトを、それもまあなんとも馬鹿でかいインパクトを今回与えてくれる。これが2019年に出した新海誠の答えであり、舞台が2021年(令和3年という表記が度々現れたため)ということはアフター2020を見据えた、次の10年間のためのアニメーション映画だということがよく分かる。

 さて、予告編や『君の名は。』の地上波放映時にも何度か印象的な光景を残していたが、この映画はまず少女の祈りから始まっていく。陽菜の祈り、彼女の願い。「世界の形を変える」のは、彼女の心の動きに対して「天気が連動してしまった」というのが、本作のヒロイン陽菜と主人公帆高の仮説である。この構造を見て思い出したのは、2004年に発表した2作目『雲むこう、約束の場所』だった。雲のむこうにヒロインが眠りながら待っていることを信じ、主人公(浩樹)は彼女を探し出しにいく。『天気の子』の終盤の展開は、この時の『雲のむこう』のまごうことなき変奏である。

 もう一つの側面としては、根本的に陽菜が祈りを捧げた理由だ。冒頭、彼女の母親は病状に伏している。その母親に晴れ間を見せたいと思い、代々木の廃ビル屋上の鳥居をくぐった後、彼女は祈る。これが「100%の晴れ女」の誕生の瞬間であり、結果的に彼女は母親を亡くしたことを後に帆高に打ち明ける。死者への祈りが晴れを誘う祈りへと変容し、数々の奇跡を引き起こす一方で陽菜は代償にも気づいていた。だが彼女は自分を犠牲にし続ける。

 自分自身を犠牲にして誰かの願いを叶えたり、誰かを救ったりすることは一面的には美しい。ただ、その美しさは周りが生み出したエゴでもある。誰かを助けるという正しさは、自分を犠牲にしてまで行うことなのだろうか? 必然、陽菜が巫女的な存在に見えてしまうのは『君の名は。』のあとに作られた映画だからだろう。

*******

 視点を帆高に変えてみよう。『雲のむこう』然り、『君の名は。』然り、ヒロインと彼女の生きる世界を救うのは、いつだって少年の勇気と無謀さだった。今回はその勇気と無謀さが大人たちの現実と対峙する。ここまで派手な形で展開するとは思わなかったが、これも『君の名は。』の終盤で突き抜けたように、派手なエンタメになったとしても新海らしさが失われないのなら突き進んでもいいと思えたのだろう。

 何より、非常にオーソドックスなジュブナイルである。どこかの小さな島で生きることに希望を見いだせなかった少年が、サリンジャーを片手にひとり東京へ飛び出す。『雲のむこう』がそうであったように、これは上京の物語なのである。そこで突き当たる現実や、逆に都会でしか触れられない優しさを知り、少年が成長していく。大人ともぶつかる。恋をする。自分がなすべきことは何か、必死で考える。紛れもない、ビルドゥングスロマンである。

 こうした展開を完全なファンタジーではなくて、現代の一都市を舞台として展開しているところに、個人的には新城カズマの『サマー/タイム/トラベラー』を思い出した。SF的な能力を使えるヒロインや魅力的な妖しさを持つ年上の女性と過ごす夏のひとときが少年を成長させるということ。そして、「未来で待っているヒロイン」に手を伸ばそうとすること。ここにもまた、帆高側から見た祈りと願いがある。

 祈りが届くならば、確かに世界は変わる。変わってしまう。『雲のむこう』と『君の名は。』はそういうカタルシスを感動的に受け止める映画だったと解釈している。でも今回は少し異なる。戸惑いがあるからだ。


*******

 この戸惑いに、『君の名は。』とは異なる形でこれまでの新海誠のフィルモグラフィの集大成が表れているように思えた。NHKのインタビューで前作が多くの目にさらされたことによって批判も多く受けたことへの戸惑いを新海は語っていたが、それを超えてあえて批判を巻き込むような作品を作ると公言していた。

 つまり新海は、前作がヒットしたからといって日和ることはしなかった。かといって東宝の夏休み映画にふさわしい大作を再び届けたい。ある意味、帆高や陽菜が終盤に抱えていた戸惑い(世界の形を変えてしまった自責と、再び世界を変えていいのかという自問)は、作品の中にどのように思いや考えを自己表現すればいいのか?という新海自身の戸惑いとダブる。そして三者三様、それぞれの形で答えを出すのだ。「すべてを肯定する」という答えを。

 具体的に言うならば、「ありのままの現実を受け入れる」ということだ。それはある面では喜劇かもしれないが、別の面では悲劇かもしれない。万人の望んだ結果ではないだろう。それでも、現実を受け止めるところからしか何も出発できないのでは?という問いへの答えである。ここに新海は神秘性と歴史性を導入する。神話、伝説、物語、あるいは老人だからこそ知っているかつての東京や江戸の形。

 もちろんこれはフィクションの世界の物語だ。そういう留保は必要だ。けれど新海は、一貫して現実とダブらせるかのようなフィクションを背景と物語の両面で表現してきた。これまでいないくらい、現実とフィクションのダブりに、自覚的だ。だからこそ、梅雨が終わってしまう直前のこの瞬間に、立ち会って欲しい。

********

 余談として。

 そして京都で起きた悲劇的な惨事を「受け止める」ためにも、この映画は見られてよいのではないだろうか。少なくとも私は、あの惨劇による悲しみから、この映画によって少しだけ和らげられた一人だ。(※そうする「べきだ」とは主張しない。そうしてしまうと、現実とフィクションを絶対的に結びつけることになるからだ。あくまで限りなくダブらせるとしても、映画はフィクションの範疇を超えない)

 「愛にできること」は現実世界にもたくさんある。私たちは悼み、祈り、願うことができる。いまはそれくらいしかできないかもしれない。でもやがてできることは他にある。いまはただただ多くの失われた命のためにい、祈りを捧げたい。Pray For.

 もう少し余談をすると、本作は『雲のむこう』+『言の葉の庭』に『秒速』と『星を追うこども』と『君の名は。』をトッピングしたようなもので、同じ今年の夏映画である『海の幽霊』をも(ジュブナイルと水が印象なSFとして)彷彿とさせた。ネットを見ているとそれぞれの人の中によぎる作品があるらしい。新海誠の集大成は、日本のオタクコンテンツの集大成でもあるのかもしれない。刮目してほしい。





サマー/タイム/トラベラー1
新城カズマ
早川書房
2013-11-15

このエントリーをはてなブックマークに追加

↑このページのトップヘ