友人でもあるすすなんさん(@susu_nan)による「大スター宮いちごまつりに学ぶ組織論」をざっと読んで面白かったので簡単に感想を書いていきたい。そういえば去年のいまごろは『PRANK!』vol.3用にアイカツ論を書いていたなあとか思い出しつつ。
 自分の文章はどちらかというと長いエッセイみたいなもので、特定の理論的枠組みから論じるということは外した。「SHINING LINE*」からイメージできるアイカツ!に登場する様々なアイドルたちを考えたときに、彼女らの独立性と連続性、あるいは役割だったりイメージの差異というところに着目して書いたのが去年書いた文章かなと、いま振り返って思える。
 まあウェブ上では読めないので、興味のある人はぜひ本を買ってくださいという気分です。

 まずアイカツ!で組織論という観点は意外でもなんでもなく、元々は現代のグループアイドル(とりわけ48グループ)を一つのモデルとしている以上、妥当な着眼点だと思う。
 48グループの場合は秋元康という分かりやすい頂点がありながら、グループごとの差異やアイドル個人としての差異が強調されたり、彼女たちが競争したり時には協調することによって、AKBならAKBの、SKEならSKEのブランドイメージを構築している。
 すすなんさんのスライドではトップダウン型と自立分散型という二つのモデルが提示されていて、スターライトとドリームアカデミーは基本的に後者のモデルに沿って運営されている、と指摘している。これはつまり、基本的には自由に振る舞えるということであって、逆に言えばアイドルたちはそうした自由をもてあますことなくうまく自分のものにすることで(主に学校という物的・人的資源を活用することによって)より個性的なアイドルに成長していく、という見立てだろう。
 去年自分が書いたエッセイでは、いちご世代とあかり世代に分けて考えたときにゲームのルールが変わったと書いた。これは学校の運営方法が変わったのではなく、あかりたちはいちごたちが作り上げた舞台に挑まなければならない、という所与の条件が変化した、という意味だ。
 ではだからあかりたちは不利になったのかというと、それもまた違う。

 すななんさんがもう一つ指摘している食堂でのコミュニケーションという着眼点は面白い。食堂と場所が一種のサロンのようなものになっていて、そこで行われるコミュニケーションの幅はかなり広い。
 こうした「学年を超えたフラットなコミュニケーション」は「効率的な学習」へとつながるとスライドのp.30には書いてあるが、これはまさにあかり世代のアイドルから考えると、社会関係資本の活用による後発の利益、と言ったところだろう。
 ゲームのルールが変わるとこれまでに培った経験は古びてしまう。だからこそ「学習」が重要になるし、一人で挑むのではなく誰かと協力することが必要になる。「SHINING LINE*」の歌詞にあるバトンというワードは、その協力の形が一つの線になってつながっているようだ、ともとらえられる。
 



 いちごにとってはあおいがいなければそもそもアイドルになっていなかったかもしれないし、大スター宮いちご祭りでも、あおいたちみんなの協力なくしては成功させられなかった。
 そしてあかりは、そのいちごに協力する一人であるとともに、いちご(たち)の成し遂げた成功を間近で見ている。だからあかりは、3rdシーズン以降で次は自分たちが輝く番であることを自覚するし、最初は越えられないと思ったいちごの壁を越えてみたいと思うようになっていくのだ。


 スライドのp.39には「役割に徹する難しさ」についての記述があるが、確かに容易ではないだろう。大スター宮いちご祭りという大がかりなプロジェクトを成功に導くのは、劇場版で描かれなかった苦労や苦悩がしのばれる。
 でもそこは、あるときは個人として、あるときはユニットとして、あるいはSTAR☆ANISの一員としてアイドル活動してきた彼女たちには、「一つのプロジェクトを成功させるために自分にできることをがんばる」ということは、もうすでに身についていたのかもしれない。
 もちろん、霧矢あおいというプロデューサーへの絶大な信頼が、彼女たちにとってなにより大きな資源だったはずである。