一番最初に見た新海作品が『秒速5センチメートル』で、確か大学一年の冬だったと思う。大学から馬場歩きをする途中のTSUTAYA高田馬場店のアニメコーナーでプッシュされていたから手をとった、くらいの動機で今回レビューする『雲のむこう、約束の場所』や『ほしのこえ』を見るのはそのあとの話だ。ようやくリアルタイムで劇場で見たのが『星を追う子ども』で、そのあと『言の葉の庭』、『君の名は。』と続けて劇場で見てきた。
『君の名は。』のプロデューサーをつとめた東宝の川村元気は『Febri』vol.37ののインタビューで、『秒速』までの三作をアーリーワークス三部作と読んでいるが、テーマ性や規模感を考えるとそういうふうにとらえるのが妥当なのだろう。言及はなかったが、そこに『彼女と彼女の猫』や『遠い世界』をつなげてもいい。明らかに飛躍が見られる『星を追う子ども』以降の作品とそれ以前はなにかが違う。そういえばコミックスウェーブフィルムの川口代表(伊藤Pだったかもしれないが)も、『秒速』までで新海誠はやりたいことをやってしまった、とどこかで語っていた気がする。
いつものように前置きが長くなってしまったが、劇場公開二作目となったのが『雲のむこう』である。ほぼ一人で完成させた『ほしのこえ』から2年経ち、いまにつらなるチーム新海としての最初の作品だともいえる。30分に満たない『ほしのこえ』は短編と言っていいだろうから、約90分の尺を持つ本作は新海にとっての実質的な劇場デビュー作と言ってもいいかもしれない。アマチュアからプロへと歩みだした一作なのは間違いないし、インディーズからメジャーへというような規模感を制作陣だけでなく内容の中にもこめている。
これから先の長い目で見ると圧倒的な知名度と観客動員を獲得した(現在進行形で、している)『君の名は。』はある意味二度目のデビューと言ってもいいかもしれないが、その12年前、ちょうど干支が一回りするくらいの時期に『雲のむこう』が公開されていたというのはなかなか面白い。そしてこれも『Febri』で新海自身が語っているように、『君の名は。』は『雲のむこう』をリバイズしたようなものでもあるのだ。
自分としては、稚拙さが目立つ――特に、物語面での手つきの危うさばかりが気になってしまう作品なのですが、個人的に今回の『君の名は。』は、この『雲のむこう、約束の場所』の語り直しという気持ちが強いんです。夢での淡いつながりであったり、出会うべき人と夢で出会う時間であったり・・・・・・。『雲のむこう、約束の場所』を作ったときに感じた「もっとうまくできるハズなのに」という思いが『君の名は。』になっているのかな、と思います。あと、今の作品につながるビジュアル的な手法も、この作品の制作を通じて身につけたもので、今の制作チームの基礎ができたのもこの『雲のむこう、約束の場所』だと言える。 『Febri』vol.37(一迅社、2016年)、p.41
このように2004年は2016年の始まった場所だ、ととらえるのは自身の作品に饒舌な新海が自覚的に語っている。新海は2005年に『雲のむこう、約束の場所 新海誠2002―2004』というロングインタビュー集も刊行しているが、一人の個人としての彼自身の原点でもある故郷のこと、学生時代のこと、ゲーム会社である日本ファルコムに就職してからの日々のことなどをかなり饒舌に、具体的に語っている。
他にも不定期に日記をつけていたことや過去の恋愛話など、最近の、とりわけ『君の名は。』関連のインタビューで見る新海誠の弁には見えてこない別の饒舌さがあるのは、この当時がほんとうに世の中に出てきた瞬間だったからでもあるだろう。『彼女と彼女の猫』や『ほしのこえ』で賞賛を浴びる中で、まだアニメーション監督として一人立ちを始めたばかり。新海自身は自分自身をキャラクターに投影することはないとたびたび語っているが、『雲のむこう』に登場する藤沢浩紀と白川拓也はこの当時の新海の一部が入り込んでいるように見えてしまう。
あらすじを整理すると、『雲のむこう』の舞台となっている日本は現実とは異なる戦後を迎えた世界で、青森と北海道の間が国境になっている。北海道は蝦夷と呼ばれ、ユニオンという国家群の統治となっていて、アメリカと対立している。擬似的な冷戦が90年代になっても続いたままになっている、とも言えるだろう。この世界の青森で生まれ育った浩紀と拓也は蝦夷にそびえるユニオンが作った高い一本の塔まで飛びたくて、小さな飛行機を自作する。二人はともに沢渡佐由理にほのかな恋心を抱いており、浩紀のちょっとした勧誘が佐由理を飛行機を作る二人のラボに招き入れる。しかし飛行機は完成せず、時は流れていく。
その後、3年後の浩紀や拓也の姿が描かれるが、佐由理は謎の眠りについたままになってる。浩紀は東京に拠を移して拓也とは疎遠になっているが、あることをきっかけに佐由理との3年越しの再会を目指す浩紀と拓也が再び出会うことで物語は再び動き出して行くのだ。浩紀は東京で懇意にしている女子がいるが、佐由理という過去の片想いを引きずったまま忘れられない。一人暮らしの部屋では佐由理が得意だったバイオリンの練習をするシーンが一つだけあるが、殺風景で雑然とした部屋の中で奏でられる(おそらく独学ゆえにあまり上手とは言えない)バイオリンの音色は、虚しく響いていく。ただこの音は、佐由理の奏でていた音をやはり喚起させるものになっている。そうした象徴的なシーンが、第一部にあたる青森編にあるからだ。
新海が『Febri』で語っているように、佐由理は3年間もの間長い夢を見ている。夢の中では一人きりで、閉じ込められたままになっているが、不意に浩紀と再会を果たすこともできるのだ。『君の名は。』では夢の中で入れ替わっているという設定(さらに、それが夢ではなかった、というトリック)になっているが、夢の中では現実でかなわないことが実現される、そしてそれは恋心(のようなもの)が元になっている、というのは似ていると言えるだろう。入れ替わりを繰り返すことで惹かれていく瀧と三葉とはまた事情が異なるが、遠く離れているからこそかすかな想いが大事になってくるという点も非常によく似ている。浩紀と佐由理は必然的に一人で過ごすシーンが多いゆえにモノローグを多様する結果になってはいるが、『秒速』とは違ってそれは一方的な感傷ではなく、二人が想い合うことによるものだ。『君の名は。』のラストシーンは『秒速』で描かれなかったアナザーという指摘を多く目にしたが、『君の名は。』の原点が『雲のむこう』にあることを考えると、想い合う二人が最後は感動的な出会いを(『雲のむこう』の場合は再会になるが)果たすのも、ある意味予測できたことかもしれない。
個人的にもう一つ重要だと思っているのは、群像劇仕立てだということだ。これについても新海は『EYESCREAM』増刊で饒舌に語っているが、『彼女と彼女の猫』では1人(主人公である「彼女」)、『ほしのこえ』では2人(ノボルとミカコ)と来て『雲のむこう』では3人を主役に据える展開になっているということ。その上で、3年という時間のスパンを経て浩紀と拓也の二人の成長を異なる形にして表現していること。先ほど挙げたロングインタビュー集でも度々文学作品に言及しているが、いわばビルドゥングスロマンとしての長編映画としてとらえることも、おそらく新海のねらいの中にある。個人の成長と挫折を分かりやすく表現したのはもちろん次の『秒速』になるだろうが、その原型もいくらかつまっているのが『雲のむこう』だと言える。
ここで浩紀と拓也を違った形で表現するのはそれぞれ違う形で佐由理へのアプローチを探っていたから、という結論になるのだけれど、それ以上に10代の男の子の歩く姿として分かりやすく対立軸を作ったのだろうな、と思いながら見ていた。浩紀の純粋さも、拓也の挫折も、度合いは違うけれど二人がそれらを同時に持っていたとしてもおかしくはない。その上であえて違う姿を書いて見せたから、今後の新海作品でもなかなか見られないであろう「男同士の拳での殴り合い」という描写も生まれている。それは一方的に孝雄がなぐられる『言の葉の庭』のケンカシーンとは違っていて、拳を通じてでしかお互いの思いをうまく表現することができない10代の未熟さと、同時に青春の痛さを表現していることになっている。
今回はいままでのレビューと違ってだいぶ文章がとっちらかってきたのでそろそろまとめに入りたいが、技術的にも経験的にも未熟だったと本人が振り返る『雲のむこう』は確かに気になる点も多い。アメリカやユニオン、蝦夷といった地名を散りばめながら、あるいは拓也に研究員という役割を与えながらもそれらは結果的にさほど重要ではない、という結末になること。また、浩紀が東京に行った理由もはっきり語られないし、佐由理が眠り続けていることと塔の中に平行世界があること、などもまあはっきりは解明されない。そういったあいまいさが魅力にもなっているが、風呂敷を広げたわりには小さく落とす、という形式に良くも悪くもおさまっている。そういえばベラシーラと名付けた飛行機はなぜあんなにきれいに飛んだのだろうか、とか。
とはいえそうした疑問や問題点を置いておいても、個人的に一番好きなのはこの作品だ、と言える。そういえば以前この映画について一度触れたことがあったのを思い出した。
「ほしのこえ」はひき離されていく男女のコミュニケーションを描き、「秒速5センチメートル」では時間軸を少年少女の成長過程と合わせることで、次第に離れていくふたりを描いた。他方、本作は離れてしまったふたりがもう一度出会う物語だ。「秒速5センチメートル」では、もう出会うことはないと分かるまでの過程が描かれることとは対照的に見える。しかし、再会したふたりにも、「秒速」のような形での別れが今後成長するにつれて起きないとは言えない。
こういう見方をすると、「雲の向こう」から「秒速」は地続きの印象を受ける。どちらの主人公も、成長してあとは東京で暮らしているというのも印象的だ。未成熟な出会いの物語は地方の小さな町で描かれるが、成熟した一個人は東京のような大都会で、誰かとつながっていなくても生きていかなければならない。
そして今年もまた2月が終わる(2013年2月28日)
大人になってしまった姿までを描いた『秒速』の痛みも捨てがたいし、神木くんが『君の名は。』関連の取材でことあるごとに語っているように貴樹には貴樹のカッコよさや美しさがある。ただそれを差し置いても、地方から東京へ、そしてまた地方へと舞台を移して10代の成長と挫折を、あるいは「あの日交わした約束」のようないずれ忘れてしまうかもしれないことを鮮やかにかつ繊細に描ききった『雲のむこう』が好きだと思う。雲の美しさ、抜けるような空や冷たい空、スピードスケートと光る氷。そうした背景美術の美麗さという新海の持ち味は存分に発揮されていて、そうしたこととこの映画の持つテーマが未熟な部分を差し置いても光っている。そのことを、『君の名は。』のようなできすぎた傑作を前にして、もう一度覚えておくということも重要なのではないか。
『EYESCREAM』では『雲のむこう』の制作は最後の一ヶ月は合宿のような形で行われたと語られている(p.20)。疲れたけど楽しかったと振り返る制作のエピソードは、いま振り返ると青春そのものだろう。だからこその拙さと輝きを、覚えておきたいのだと改めて強く思う。2016年の新海誠がはじまった場所として。
ちなみにこのタイミングでBS11での放映が決まったようで、新海誠からの独占コメントも流れる模様。見ましょう!!!(今週の土曜日の20時〜22時です)
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