滝口悠生が「死んでいない者」で第154回芥川賞を受賞したことを記念して、っていうと大げさだけど約2年前に書いたままupしていなかった彼のデビュー作『寝相』のレビューをそのままはりつけます。
レビューでも言及しているように、実際にそう遠くないうちに芥川賞までたどりついたのは素晴らしいことだと思う。好きな作家の一人というだけでなく早稲田出身(二文中退なので、厳密には出身ではないが中退は一流の証を体言する一人になった)の作家でもあるし、今後の活躍も期待したい。
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新潮新人賞受賞作の「楽器」を以前からずっと読みたいと思っていたので、個人的には待ちに待った単行本の刊行だった。これが初の単著となる滝口は80年代生まれとまだまだ若い部類に入ると思うが、老成しているというか達観しているというか、妙な落ち着きと、そして揺らぎがある文体が印象的だ。現代の純文学において、あえてわざわざ古いことをやろうとする意味はさほど大きくないし、その古さが新鮮だったとしても飽きられるのは早い。他方で新しさにこだわりすぎても二手三手が容易に続かない限り、詰みが待っている。滝口は滝口で、まだまだ作家としてのキャリアを歩み始めたばかりだ。彼はどこに向かっていくのだろうかと、最初の単著を改めて読み終えて思う。
「楽器」に少し触れたので、順番としては最後に収められているが「楽器」の話から始めよう。「寝相」や「わたしの小春日和」に続く滝口の成熟した(ように見える文体)と、東京の西側(「楽器」では西武池袋線界隈)を舞台とした大人の群像を書いていることが特徴として挙げられる。主要な登場人物は何人か出てくるが、誰か特定の主人公を置かずに三人称の視点を積極的に切り替えながらそれぞれの視点や思考を深めていく書き方を滝口は試みている。これも他の二編に共通することだが、他の二編よりもさらに「楽器」のほうが誰が主役なのだろうかという意識は薄い。さらに言えば、タイトルが「楽器」である必然性もさほど強くあるわけではないように思う。楽器についてのエピソードも、いくつもあるエピソードのうちのいくつかに過ぎないからだ。
では、滝口は「楽器」の中で何を表現しようとしたのか。なんとなく読んでいたらすでに話は始まっていて、気づいたら終わっているという体のストーリー性の希薄な(この点はある意味純粋に純文学的で、他の二編に比べてもやはり希薄)この短編は、だがしかし順番通り最初に「寝相」を読んだあとだと何か少し物足りないような気もする。歌や楽器をキーにして現在から過去へと導くという手法をとっているとも読めなくはないが、ではその手法で表現したかったものが何かははっきりと見えてこない。逆にその点を踏まえて擁護するならば、別に何かを明らかにしたくて小説を書いているわけではないと言えるだろう。味はある。しかし、味だけでなのではないか。食べる、働く、歩くなどといった日常生活の描写に力を入れて、一見なにげないようなことをも詳細に描写する筆力は魅力的ではある。ある、のだが。
もう少し、もう少し何か突き抜けてくれればと思いながら再び「寝相」を読んで腑に落ちたことがあるとするならば、こちらのほうがきれいに筋を通っていて分かりやすいということだ。分かりやすさは別に純文学にとっての必要条件でもなんでもないけれど、小説を読むという段にあたっては筋があると認識できたほうが話に入り込みやすいのかもしれないとは思う。もっとも、「寝相」でも視点の転換は頻繁に起きるし、祖父竹春と娘なつめの話かと思いきや二人はすぐに後景に回り、母弥生や竹春の元妻(なつめにとっては祖母にあたる)柿江の印象がやたらに強く残る。
というのは、「寝相」は祖父と孫娘の話に見せかけて、家族の話と見せかけて実は祖父竹春の一代記だった、というような二重の仕掛けがなされているからで、病院に定期的に通わなければならなくなった竹春自身は多くを語らないが、竹春の周辺や彼の過去を一つずつ記述することによって、何でもなかったかもしれない一人の老人の人生が鮮やかに浮かび上がってくるのだ。ラストの描写は滝口のような手法を用いる作家としてはちょっとあり体な気もするが、なつめへと橋渡しがなされていることも含めて(良くも悪くも)きれいにまとめている印象を受けた。
「わたしの小春日和」については一つのアイデアを推し進めようとしたものも、「楽器」と同じようにとりとめのないエピソードを多数散りばめる展開になっていて、まとまりがあまりよろしくないし、読んだ印象もさほど強くはない。3.11後という時期を意識したような演出はあったが、もう少し本筋とつなげてもよかったのではないかという気はする。もっとも。本「筋」は「楽器」より鮮明だが、あまり魅力的な筋ではないので、どちらでもよかったのかもしれない。「寝相」や「楽器」と違うのは時々文体をあえて崩すようなリズムで文章が挿入されるところだが、ここもうーんという感じがした。しだいとエッセイや日記の類いに思えてきてしかたなかった。
もう一度「楽器」の話に戻ろう。「楽器」における細部のこだわりが生んだものは何だっただろうか。先ほど書かなかったことで挙げるならば、なんでもないことが起きるただそれだけのことであっても小説として文章にする力が滝口にはあるということ。また、ばらばらに動いていた4人の視点や行動がいつのまにかある方向へ収斂しそうになっていくことだ。もっとも、「寝相」ほど感情に訴えるような収斂の仕方ではないし、先ほども触れたがよくも悪くも気づいたら終わっていた類いのものだ。
しかし、新人ながら新人離れした文体は読者を飽きさせる風にはできていない。視点が常に入れ替わることと、ディテールにこだわりながらも冗長にはなりすぎていない(しかしながら「寝相」に比べるとまだ荒削りだ)のは魅力だ。以前『群像』に書いていた「かまち」という短編を読んだときも感じたが、オチがどうこうというよりは次に誰が出てきて何が起こるのか(あるいは起こらないのか)という楽しみが滝口の小説にはある。この、次に書かれるかもしれないことへの期待は、途中から筋がある程度見えてくる「寝相」よりも「楽器」に顕著だった。
ごちゃごちゃと書いてきて長くなったしまとまりがあまりよくない。その上でさらに書くと、デビュー作の「楽器」は三編の中ではもっとも印象に残りづらいし欠点もいくつかあるが、しかし魅力もあるのではないかと最後にもう一度考察したかった、とだけ触れておく。 最初の単著で作家のすべてを判断しようとは毛頭も思わない。現に大きくスタイルを崩さずして内容に変化が表れていることも観察できる一冊だ。上手く成長すれば芥川賞も遠くない作家の一人だと思っているので、ありていな言葉だが今後に期待ということで長くなってしまった文章を締めくくる。 (2014/4/22)