Days

日常と読書日記。 受験生日記は閉幕です。

2015年05月




 今年の群像新人文学賞受賞作。
 例によって著者のコメントと選評を読んで、あえてバイアスをいくつか入れ込んでから読み始める。(そうでもしないと、どこの誰かも分からない文章をいきなり最初から読むのはちょっとしんどい)
 読み始めてすぐに非常に読みにくい小説だということがよく分かる。これも例によって図書館で読んだことによって手元にないのですぐに引用することはできないが、まあやたら複雑にメタにメタに書かれた文章を読者は読まされることになるのだ。よくこれが下読みを順調に通過して一番最後まで上がってきたものだと思う。
 純文学である以上、その筋よりも文体という形式にこだわりを見せるのは珍しいことではない。なんらかのオリジナリティや新規性を織り込まずして、新人が評価を受けるのは難しい。
 だからなのかどうなのかは分からないが、本作は作家のこだわりだらけである。書いていたらとりあえずできあがったものを、なんとなく群像に応募したというようなことを乗代は受賞コメントで述べていたが、過度に力を入れずにこういうものを書くとしたらその時点でまずめんどうくさい作家だ、と思う。とはいえそれ自体は悪いことではないのだろう、あくまで読み物として面白いのならば。

 内容は「十七八より」とあるとおり、ある女性が少女(女子高生)だった17, 18だったころを回想する形の文章になっている。体育教師のセクハラめいた言動から始まり、国語教師との世阿弥『風姿花伝』をめぐるやりとりや、家族とのなにげないとは言えない焼き肉屋での風景、あるいは病院の待合室での叔母とのやりとりなど、多様なコミュニケーションの記憶がつまっている小説だ。
 ひととおり時系列で少女の記憶を追いかけてはいるが、それ以上のことをあえて試みているとは思わない。むしろ、『群像』誌面の紹介文にある「凝りに凝った文体」にあえてだまされるか、だまされないように筋を追うかという大まかに分けて二つの読み方ができる。
 要は、少女の過去を語るのは少女のようでいて少女ではない。それがまず一つのトリックであり、とはいえ書き手が小説に登場しているわけではない。少女の意識に覆い被さるように(メタ的に)表れるのが著者という神の視点だ。
 その神がやたらしつこいので選評では割れているが、それでも最終的に本作が選ばれたのは、何人かが述べていたようにこれが受賞作であることについては(〇や△をつけていなくても)同意するという合意がとれたからなのだろう。

 確かに、焼き肉のシーンにしても世阿弥に関する問答、あるいは病院での叔母とのやりとりのあとに目の前で生じる一瞬の緊張感など、作家としての力は随所に示している。とはいえそのしつこさが果たして必要だったのかはまだ別の話だ。
 結局のところ、書き手の自意識に少女は付き合わされるし、読者は付き合わされる。めんどくせえなあと思いながら読んでいたら、それでも引き込まれてしまうのは少女を中心としたコミュニケーションを書くことに特化した面白さがあったからだ。
 しかしまあ、良くも悪くも評されやすい書き方を選ばなければならなかった必然性は、前述したようにない。書き手の都合というか気分のようなものがそのまま表れていることや、ウェイン・ルーニーの比喩で性を語る女子高生なんてのは分かりやすくフィクショナルな産物だ。

 面白い箇所はたくさんあった。し、それと同じくらいめんどうくさいと思う箇所もたくさんあった。そしてやたらしつこいくらいの引用は、書き手としての能力の高さというよりは読み手である自分(作者)が顕示したものだろう。それも含めてやっぱりこの小説はめんどうくさいのだ。それ以外のことは、いまのところまだ何も言えないし言いたくない。
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 「青空文庫」の富田倫生追悼記念シンポジウムをニコ生で眺めながら、そういえば自分のサイトがあと2ヶ月ほどで開設10周年だな、と気づいた。
 まあ最初から今まで過疎だし最近は更新も滞ってしまっているが、なんだかんだ10年間続けてきたことの意味だとか、この10年に何があったのかを少し考えてみた。「青空文庫」は一番シンプルなテキストベースでひたすら残すとことにこだわってきていて、シンポでは見栄えよりも利用可能性を重視した点が評価されていた。
 著作権の世界で孤児著作物という言葉があるように(シンポでは福井健策弁護士が基調報告で触れていた)長い間残す、残っていくということが現実ではなかなかに難しい。インターネットの世界ではいったんデータが飛んでしまえば第三者がオフラインで保存していたり、サーバーにかろうじて残ってでもいないかぎり残っていくのは難しい。
 そうでなくても個人サイトやブログの寿命はさほど長くはない。ブログのようなはじめからサービス上にしかデータがない場合、サービスが終了してしまえばオンラインでの閲覧は不可能になる。もっとも、そうした保存の困難さを前提としているからこそInternet Archiveのような取り組みもある。
 それでも万能ではないし、青空文庫のようにほぼ完全な状態で情報を残すためには人の手による作業が必要になるだろう。

 この10年のことを考えると、まずはどうしてもこの10年間に失われたものについて思いをはせたくなる。今のように個人が複数のソーシャルメディアのアカウントを使い、多方面に情報を蓄積していく時代とは違って、2000年代の中盤まではハンドルネーム一つで掲示板やチャット、あるいはブログのコメント欄などでやりとりをするのが通例だったように思う。
 だからこそ前略プロフィールのように、自己紹介それ自体がサービスとして機能していた。いまではアカウントのbio欄があればこれも基本的には事足りるわけだが。
ここで言いたいことを簡単に言うと、一度つながりを失ったときにもう一度インターネットの世界で出会うのは困難だということだ。シンプルなハンドルネームの場合は名前だけで同一性を特定するのが難しいから、難易度はさらに上がる。
 例えばこの10年で何人ものかおりさんやしょうこさんと出会って来たかが分からない。このかおりさんとあのかおりさんが違うというのは、ハンドルネーム以外に情報が担保されていないと難しいのだ。
それでも奇跡的にと言うべきなのか、情報がかすかに残っていたおかげでソーシャルメディア上で再会できた人も、多くはないが何人かいる。
 今みたく誰でもツイッターやfacebook をやっている時代だからこそ実現したのだろう。ソーシャルメディアはその関係性の密度ゆえに時々めんどうくさくもなるが、こうした一面は捨てたものじゃないなと思う。長くインターネットに触れていて、もう会えないと思っていた人とやりとりができるのは嬉しいものだ。

 サイトではこの10年間かけて350本以上の小説を書評を書き続け、2004年から開始したブログでは記事が1100本ほどに及び、よくもまあ膨大な文字を刻み付けてきたものだ、と思う。「青空文庫」とは規模も何も比較にならないがこれらはアーカイブとしての側面もあるので、更新が多少滞っても古い情報にアクセスできない、という状態は今後も回避したいと思う。
 毎年4月にサーバーとドメインの更新を行っているが、よほどの事情で更新料を払えないということいがないかぎりは閉鎖ということは考えていない。たとえ更新を完全にストップさせたとしても、公開は続けていきたいと思っている。まあ、今後どういうことが起こるか分からないので、あくまで現時点の思いは、という留保は必要だが。
アーカイブといっていいのか分からないが、2004年から(当初は思いつきで)続けてきたもうひとつのことはネット上の知人や友人の詩の掲載だ。こちらからお願いして許諾を得た上で、古いものから新しいものまで掲載してきたが、一部をのぞいて初出はうちのサイトではない。

 そして2013年、それらのサイトはすべてもう存在していない。ということで、ネット上ではInternet Archiveをのぞけばうちのサイトでしか彼女たちの作品を閲覧することができない、という状況に(もう何年も前からだが)なっている。
 もちろん著作権は本人に帰属して存続しているから、少しいびつな状況ではあるかもしれない。もう連絡をとることすら困難な人たちが多く、いったん許諾を得たとはいえずいぶん昔のことなので、もし掲載をもうやめてほしいと思っていてもそれをこちらからは確認できない。何もアクションがないかぎりは基本的に続けるが、孤児著作物問題は実は身近なところにあるのだと実感する。
 あと、単なるアーカイブの掲載にとどまらなくなったのは詩を投稿するBBSを設置してからだ。元々作品投稿をしていた大手サイトが閉鎖したことで、何人かがうちのサイトで投稿をするようになった。
 もっとも、サイトの規模が違いすぎるから同じようにはいかないだろうけれど、いったん途切れた交流が再び始まる、という光景をBBS越しに眺めたときに、インターネットはこういうことも可能なのだと感じた。交流がメインのサイトではないけれど、コンテンツの周辺で交流をするのは今も昔も楽しいと再確認することもできた。同じ場所や、同じツール、サービスが永続することはなく、いつかやがて終わりの日をむかえる。
 それでももう一度インターネットの海の中で出会うことができて、交流するこができるのはまんざらではない、と思う。

 インターネットにもうすぐ10年もいると、自分がネットを始めた当初に持っていた感覚が古びていることも感じる。
 インターネット黎明期のことはちょっと分からないが、今日ほどインターネット上に個人名とそれにひもづいた情報が膨大なデータベースとなって存在する状況はない。このトレンドが続くのか、いつかまた個人名や個人情報をクローズするようになるのかは分からない。
 チャーリーこと鈴木謙介の新刊『ウェブ社会のゆくえ』の議論を借りると、多孔性を持ってしまった現実は、その穴を塞ぐ方法をまだ知らないように思う。おそらく、穴を塞ぐことよりも、穴が開いてしまっているという状況を所与のものとして様々なコミュニケーションを行ったり、制度を作ったりということが続くのだろう。
 結局インターネットはバーチャルでもなんでもなく、リアルの延長でしかとらえられないのだ。リアルから逃避している場であるのか、リアルと密接に絡み合っているのかはネットのサービスやコミュニケーションそれぞれだろうけれど、ネットとリアルという区別は道具立てとしては便利だが、全く別の世界が無関係に存在しているわけではない。
 そうやってもう何年も前にネットとリアルを問い直そうとしたgenneiくんのことを、チャーリーの新刊を読みながら考えていた。

 インターネットをとりまく環境や、インターネットが内在するものはきっとこれからも変化し続ける。自分にとっての次の10年に何が起きるのかは全く分からない。
 分からないが、きっとインターネットを始めたころもそうだったように、分からないから楽しいという感覚をこれからも持ち続けていたいと思う。変化に寛容に、変化をワクワクしながら。それでもさすがに変わってしまったものへのノスタルジーはある。それはそれで仕方ないから、両方とも抱えていようと思う。
 これまでもこれからも長くインターネットに触れて生活していこうと考えるなら、そうしたバランス感覚を持っていたほうがよいだろう。

 まずはたどりついた10年目のことを、小さく祝福しようと思う。




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 という感じの文章を二年前に書いたままお蔵入りしていたのだが、青空文庫関連で動きが最近あったので掲載してみることにした。
 そこにさっき名前を出したgenneiくんが関わっているというのは、不思議な感じがある。
 
「Code for 青空文庫」アイデアソン #1

 青空文庫の運営がそうやすやすと言っているものではないというのは二年前のシンポジウムでも確か言われていたことだし、「本の未来基金」という取り組みもでてきたりはした。とはいえ、一つのウェブサービスとして見たときにはもっと技術的な問題がいろいろあるのでは、という趣旨のイベントらしい。
 定員をはるかに超えたようだが、ただでさえTPPの影響をもろに食らいかねない青空文庫を今後いかにサステナブルなものにするかについての議論や活動が広がっていけばいいなと思う。
 技術者じゃないので今回の件についてはとりあえず追いかけるくらいのことしかできないけれど、まさに「本の未来」が続く、それを続けるための試みなのでじっと見守っていきたいと思う。

 
本の未来 (Ascii books)
富田 倫生
アスキー
1997-02



 富田さんのこの本も青空文庫化されており、ウェブで読むことができる。いまを先取りした議論が多様に行われており、非常に胸が熱くなった。
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 書きたいことがないわけではないは、それらをまとめる時間とか労力とか、そういったものがいつのまにか失われているのではないかということに気づいて思い立って文章を打っている。
 とはいえ、小さなことはいっぱい書いているし(各種ソーシャルメディアにおいて)、この前は東京まで行って文フリに久しぶりに参加(2012年の文フリ15以来約2年半ぶり)してきたりと、書くことに縁がなくなったわけではない。けれども何かが失われている、ような気がする。だからよく分からない、抽象的な不安だけが手元にある。

 読むことに関しては意地でも続けている。というか、これがなくなってしまうということは、呼吸をしないことや食事をとらないこととほぼ同義であって、つまり生きること、健康に生き続けるための要件を失うことになる。もちろん生命活動は維持されるだろうが、確実に自分の中で何かが死に絶えるだろう。死に抗うのは、生き物にとってはごくごくあたり前のことだ。
 でもまあ、これはなかなかめんどうなことだとは思うのだけれど、読んでばかりいてはまた窒息してしまうのだ。いくらでも読むべき本は積み上がっていくけれど、それらをひたすら消化していくのは、それはそれで単調に過ぎる。
 だから書くことで何かを残そうとして、2003年、当時まだ中学二年生だった俺は『Daily Feeling』という書評サイトを始めたのだろうと思う。かつての13歳が干支を一回りして25歳になっても同じことをやっているなんて、ばかげているというか三つ子の魂なんとやらというか。いや、結局のところ、自分の根っこは全然変わっていないんだなと安心するんだけどね。

 久しぶりに「書く人」たちと交流できたのは素直に楽しかった。いろいろあってかつて所属していた早稲田大学詩人会のサークル入場を手伝うことになり、朝10時過ぎから流通センター入りしたわけだけど、いつもなじみのある2階とは違い1階というところの新鮮さをまず味わう。とはいえ人はそれなりに入っていて、意外と1階と2階も同じくらいにぎわっているのかもしれない(GW最中というよさもあったのかもしれない)と感じた。
 詩人会のブース近くは詩歌の島だったせいか、両隣は現代詩だったがすぐ裏手には「ネヲ」や「北海道短歌会」といった短歌界隈が構えており、詩と短歌の距離が微妙に遠いような、それでも近いような、よく分からない感覚を覚える。
 少しだけ離れたところに雑司が谷のみちくさ市で出会ったなつこさんが初の新刊を携えていたので、購入しつつあいさつをした。こういう、「書く人」との再会はとても嬉しい。

 まあその他いろいろあったのだけれど、それはまた別の機会に書くとしよう。
 本業としてではなくあくまで趣味という限られた時間や余力の中で、それでも趣味だから基本的に好きなことを好きなようにできるということ。あらかじめ定まった限界を見据えながら、可能な限り余白を最大化すればいい。
 何かを続けるということは、他にやらねばならないこととの折り合いの連続だ。かつては勉強で、いまは仕事で、でも結局はそれくらいの差しかない。その間の中で、自分が自分らしく、なんてのはまあさておいても、書きたいように書いて、生きたいように生きる。それだけのことなんじゃないか。

 文フリでかつての友人たちが出していた同人誌『ZOO』創刊号を買ってすぐに読んだ。当日たまたま声をかけられてなければ、完全に視界の外だった。なんだかんだ、足を運ぶのは大事だ。
 この創刊号は各種エッセイで編まれているが、これから引用する次の文章には心の底から同意したことをここに記しておく。もうほんとに、ここ最近もやもやと感じていたことはまさにその通りなんだよって、なんであのとき直接伝えなかったのかと、少しだけ後悔しつつ。
 
 
ブログや書評をほめられるとうれしい。生活を浸食しない限りで悪あがきし続けて、どこにもたどり着かないけど、もうやりたくなくなるまで文章を書いてどこかに出すという妥協点しか見えない。こういうのを趣味っていうのかな。
内山菜生子「文化系どこで上がるか」 『Zoo』p.9
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