2015年04月

2015年04月21日

挑発する物語にひそむ魔力 ――木村朗子『恋する物語のホモセクシュアリティ 宮廷社会と権力』(青土社、2008年)



千年も前の歴史のなかに、こんなにも多くの反異性愛主義の理論を試行するための物語が確かにあって、今の世界を挑発しているのである。 (本書p.259)


 本作の「おわりに」の末尾に書かれている文章からの引用だが、読者として本書を読み終えたあとにこの一文がくるということのカタルシスはなかなかのものがある。千年も前の歴史「なのに」とも言えるし、千年も前の歴史「だから」とも言える宮廷物語の数々は、確かに現代を生きる人々の貞操観念や性への意識を挑発しているともとれるだろう。
 本書では源氏以降の物語としてつらなる数々の物語(時期的に平安後期〜鎌倉期)をとりあげ、現代の異性愛主義とはまったく異なる性の物語に折り入って行く。
 とりあげられるのは『とりかへばや物語』や『とはずがたり』、あるいは『狭衣物語』といった、古典の教科書にはなかなか載らないかもしれないが文学史や日本史の教科書などで名前くらいは聞いたことのある物語だ。

 いわゆる源氏の亜流として軽く見られがちなこれらの物語が、実は多様な性を真正面から記述した物語であることを木村は改めて再評価する。
 よって、木村の立場は古典文学の研究者としての側面を保ちながら、ジェンダーやフェミニズム、あるいは女性学の立場からの分析がクリティカルに展開されていく。したがってフーコーやアガンベン、セジウィックやバトラー、そして上野千鶴子といったように、その筋の名前が頻繁に取り上げられ、議論が進行していくのだ。

 さて、千年も昔にホモセクシュアル(木村は女性同士の性愛である「レズビアン」を含んだものとしてこの用語を用いている)が生じた理由はどのようなものか。その前に、宮廷には宮廷独特の「<性>の制度」と呼ばれるものが存在したことを木村は指摘する。
 宮廷における「<性>の制度」とは、権力と密接に関係する<生む性>と、権力とは離れたところで生じる<生む性>の二種類の性に分かれており、<生む性>はそのまま権力の再生産に関わる性ということになる。であるならば、<生む性>は特定の女性に限定されるはずで、<生まない性>はそれ以外なのでは、という単純な発想は本書のなかではすぐに棄却される。(棄却されるための物語が例示されていく)
 木村の言葉を借りると、「『出産能力』は<生む性>に一致しない」(p.30)のだ。<生む性>が出産能力を持たなくても、結果的に権力を<生む>ことだってありえるからだ。

 このような前提で『とりかへばや物語』においてジェンダーの交換を行う兄妹を見る視点も変わってくる。兄妹は異性装を行うことで互いのジェンダーを交換したまま宮廷生活を送っていくし、異性装であることで実質的にホモセクシュアルな欲望にさらされる(形式的には、異性装なのでヘテロな欲望である)
 しかしこのことが直接権力の再生産に関わるかというと、そうはならない。なぜか。というあたりの顛末を兄妹がどのような存在として見られ、権力に接近するかというプロセスをあぶり出すところに本書の魅力があると言っていい。
 そのプロセスでは<生む性>/<生まない性>という区分以外にも様々な分断線が引かれることになるわけだが、性と権力をめぐる数々の分断線はいかに多様な性愛のあり方が(物語というフィクションの中であるとはいえ)存在してきたかがよく分かる。そしてそれらのあり方が存在するということは同時に、書き手や読み手の欲望すら見えてくるのだ。
 このように木村は非常にスリリングに源氏以降の古典を読み込んでいく。源氏自体が持つ性愛のファンタジーとは別の次元で、様々なファンタジーがありえたかもしれないということを実感させられる。その予感はなによりも、宮廷や寺社という舞台設定と、実際に存在した「<性>の制度」に則って書かれているからであり、フィクションで書かれたことそのままが存在しえないにしても、起こりうるだろうことは十分に想像できる。

 宮廷も寺社も当時の一般庶民の生活からするとごくごく限られた社会でしかないとは言え、現代の異性愛主義とは遠く離れたところにある「<性>の制度」を読み解くのは非常に面白い。同性愛を認めてしまうと社会が壊れてしまうとかいう一部保守勢力の戯れ言なんて、むしろそんなことのほうがありえないのでは、と思えてくる。
 もちろん、千年も前の歴史が現代の規範と異なること自体は不思議でもない。重要なのは、その時代の性のありかたが現代においてどのように読むことができるかであろう。
 だからこそ、「挑発する」数々の物語をいま改めて読み返すことで、千年前の著者や読者の地平に立つことができるし、ある意味現代の「<性>の制度」の悠に先を行っている人々の歴史として読むことの面白さもある。
 あるいは、二次創作で使われるたいていの設定はすでに誰かが過去に書いているとは言うものの、フィクションでしかありえないことが現実でも無理なくありえたのでは? という予感を地に足ついたものとして読み解くのが本書の文学研究としての魅力だ。魔力だと言っていいかもしれない。とりつかれるような、そういう心地。

 だから本書を読んでいると、帯の上野千鶴子の言葉を借りるまでもなく、非常に「ぞくぞく」するのである。
 いい意味で、日本の古典はおそろしい。「ゆゆし」とはこういうときに使うべきなんだろうか。とりあえず『とりかへばや物語』と『寝覚の上』は今度読みたいリストに加えておきます。







 木村朗子の著作については以前『震災後文学論 あたらしい日本文学のために』という本のレビュー記事もあげている。よろしければこちらもぜひ。
困難さに立ち向かうこと、あらがうこと ――木村朗子『震災後文学論 あたらしい日本文学のために』(2013年)





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2015年04月08日

ポスト『SHIROBAKO』の世界を生きのびるためのブックリスト12選(後編)

前編はこちらから http://blog.livedoor.jp/burningday/archives/52027905.html

◆「働く」にまつわる物語

 みゃーもりの数々の内省や、2クール目から登場した平岡が表しているように、お仕事ものとしての『SHIROBAKO』という要素がもっとも多くの人の共感を誘ったような気がする。
 なのでさっきのクリエイターという要素からは少し離れて、そんな「働く」ことにまつわる物語を、いくつか。

柴崎友香『フルタイムライフ』
フルタイムライフ (河出文庫)
柴崎友香
河出書房新社
2013-07-26



 小説。みゃーもり枠。
 お仕事ものということと、『SHIROBAKO』の宮森あおいに合わせた新社会人ものとして真っ先に思いついたのがこの一冊。
 柴崎友香が大学を卒業したばかりの大阪の新入社員の女の子の一年を追いかけるということで、武蔵境周辺や多摩地域の地名が具体的に描写された『SHIROBAKO』のように大阪の土地という場所が強調される。通勤の風景や、会社の工場まで電車で遠出しながら眺める風景。会社の中の風景や人間関係はもちろん、会社の外(=大阪という街)までも具体的に書き出してこそフルタイム「ライフ」というタイトルにふさわしい。
 社会人として一年間過ごすということがどういうことなのかは個人差があるとは思うが、仕事というものに触れていくプロセスから得られる感覚は大きい。

参考:『フルタイムライフ』書評(@ Daily Feeling)

宮下奈都『スコーレ No.4』



 もう一つ、「働く」に関する小説を挙げるならこれも外したくなかった。4作収められている連作短編集。
 スコーレとはSchole、つまり学校のことで、主人公である津川麻子の学生時代から社会人になるまでの過程が4つの短編になってまとまっている。学生時代のエピソードもなかなかうまく作られているのだが、学生時代の3つの短編(中学、高校、大学編)を読んだあとに読む最後の社会人編のお話がなかなかいいのだ。
 もしかすると、最後の一本だけを読んだとしてもいい話だな、程度で終わったかもしれない。仕事で経験する挫折とそれを乗り越える経験というよくありがちなテーマも、小説の最後の最後だからこそカタルシスを持つ。
 その点、『SHIROBAKO』8話の絵麻や23話のずかちゃんはまさに、『スコーレNo.4』の主人公、麻子の気持ちとリンクしているはずだ。かつて少女だった一人の女の子が自立した一人の女性になっていく、そんな瞬間が、絵麻やずかちゃんの(本編では描かれなかった)将来ともリンクするかもしれない。


川上弘美『古道具 中野商店』
古道具 中野商店 (新潮文庫)
川上 弘美
新潮社
2008-02-28



 小説。連作短編集。
 川上弘美は最近になってからいくつか読み始めたくらいなので多くを知っているわけではないが、本作で描かれる「中野商店」は『SHIROBAKO』におけるムサニよろしく多種多様なキャラクターが行き交う場所として非常に味わい深い。
 中野商店で働いている人は限られているが、それぞれ理由があってこの商店に集ってしまう人たちの抱えるそれぞれの日常を一つずつ川上弘美は書いていく。他人の日常をのぞき込むとそこには人生のつらさや面白さが様々浮かび上がっていることに気づくのだが、彼らの交差点としての「中野商店」が適度なクッションとして機能していることにも気づく。
 結局のところ、やりたいことがあったとしても、ふさわしい人と場所がなければ働き続けることは難しい。人生を生きていく、その過程で「働く」ということはどのような生活(life)を生み出すのか。川上弘美の見せる様々な生活の、その優しさが嬉しい。
 

◆ノンフィクション枠

 いままではフィクションにおいて表現することや働くことにまつわる物語を紹介してきたが、じゃあ翻ってリアルワールドではどうなんだろう、ということで表現枠と働く枠で気になる一冊をそれぞれ紹介しつつしめくくってみる。

水樹奈々『深愛』



 エッセイ。ずかちゃん枠。
 いまでこそ天下奈々様であるわけだけど、元々演歌歌手を目指して愛媛から(高校進学を機に)上京してきた彼女の半生を振り返ると、どれだけ波瀾万丈な人生に包まれているかがよく分かる。読みながら、不覚にも何度か涙腺が大きく緩んだのを覚えている。
 23話におけるずかちゃんの笑顔(&宮森の涙)と、布石になった22話の暗い部屋のシーンを思い返すまでもなく、競争の激化する声優市場で生き残っていくことは容易ではない。だからこそ、生き残ることができ、かつピラミッドの頂点に立ち続ける人の見せる物語はフィクションを優に凌駕してしまうのだろう。
 信じることと、愛すること。いまにつらなる水樹奈々のパワーの源泉がつまっている一冊。

天野こずえ『AQUA』、『ARIA』
Aqua 1 (BLADE COMICS)
天野 こずえ
マッグガ-デン
2003-10-03



ARIA (1) (BLADE COMICS)
天野 こずえ
マッグガーデン
2002-10



 マンガ。タイトルは違うが続きものになっており、『AQUA』が全2巻、『ARIA』が全12巻。また、アニメが2005年〜2008年の間に3期(4クール)とOVAが作られている。
 本作に関しては改めて説明するまでもないかもしれないが、灯里、藍華、アリスという3人の新人ウンディーネ(舞台となるネオ・ベネツィアでゴンドラ乗りの仕事を意味する呼称)をメインに据えた群像劇。新人から始まった彼女たちが最終的には素晴らしい成長を遂げて大団円を迎えるわけだけど、多くの悲喜交々が14巻の中にしっかりつまっている。
 日常の大切さであるとか、人間関係の豊かさであるとか、街の魅力であるとか、このシリーズの醍醐味を表すとキリがないのだけれど、個人的には藍華とその師匠である晃との関係性が一番のお気に入りだった。
 晃は藍華に対して基本的には厳しく、でも仲のよい友人としても接する人なつっこさもある。厳しさの裏にある優しさと、優しいからこそ厳しく向き合う場面は藍華の成長を心から願っているからであり、藍華も晃の背中を追うために灯里やアリスたちと日々修行にはげむことになる。
 灯里やアリスのような天才(天然)肌と違って、最初から最後まで努力の人であり続ける藍華が最終12巻で見せる笑顔と涙はほんとうに素晴らしかった。
 というわけで、ほとんど文句なしにオススメの一冊です。お仕事ものと言えばお仕事ものだけど、むしろ合間に息抜きに読んだときにこそパワーをもらえる不思議な作品。後にも先にも同じものはそう簡単には出てこまい。

エンリコ・モレッティ『年収は「住むところ」で決まる 雇用とイノベーションの都市経済学』




 最後にあえて本作を持ってきたのは、いままで経済学的な話をほとんどしていなかったから。最近出た本の中で、働くことと経済学がよりリアルな次元で結びついているのはこの一冊だろうと思う。
 本作に挙げられているのはアメリカの各地方で収集されたケースだが、年収という従属変数に対して、職業よりも住むところのほうが独立変数として重要になってきている、という議論をしている。
 つまりこれはどの都市に住み、暮らすかが年収にとっては重要だということだ。成長都市に住めばどのような職業でも平均して賃金が高いのに、縮小していく都市では低いままでとどまるということ。同じ仕事を選んだとしても都市によって大きく賃金が異なるのは自由の国アメリカならではかもしれないが、最低賃金のレベルでも大きく地域差がある日本でも適用できないわけではない。
 あくまで年収の話が重要な部分かというと、単純にそういうわけでもない。健康や寿命にも地域差があり、都市の成長度は教育の成果にも表れてしまう。
 より経済学的な部分では、成長都市では人的資本で正の外部性が働く(優秀な同僚や隣人から多くのいい影響を受ける)ことや、リチャード・フロリダのクリエイティブ都市構想の欠点を批判している部分がなかなかエキサイティングだ。
 いままではずっと何をするかとか働くとはどういうことかについての本を紹介してきたが、一つの注目すべきリアルワールドの現実として、本作に目を通すのは悪くない。将来の進路を選ぶ基準の一つにもなりうるだろう


 そんなわけで、以上マンガ4作、学術書3作、小説4作(うちラノベ1作)、エッセイ1作の12選でした!
 マンガやラノベは1冊では全然終わらないわけですが、『SHIROBAKO』ロスなあなたに、よりどりみどりでお選びくださいな、と。

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2015年04月01日

ポスト『SHIROBAKO』の世界を生きのびるためのブックリスト12選(前編)

 10月から続いていたP.A.WORKSのアニメ『SHIROBAKO』が(半ば予想通りのような)大団円で幕を閉じた年度末を経て新年度に至るってなかなかうまいなと思ったりするわけだけど、新年度になってしまったいまこそ『SHIROBAKO』的なものを求めている人って多そうだよねとも思うわけだ。
 というかたぶん俺もそのうちの一人だろうなという思いがあるので、こういうタイトルのブックリストを作ってみた。
 最初はクリエイターに焦点を当てたお話中心にしようと思っていた(『SHIROBAKO』の絵麻、みーちゃん、りーちゃんやその他ムサニの面々を思いながら)けど、もっと幅広く『SHIROBAKO』的な醍醐味を深く味わうためのブックリストという感じになった。

 あと、10選のつもりが2つ増えて12選になったので、アニメの1クール分ということで毎週1作品消化すればちょうどいいかもしれない。
 いくつか古いものもあるけど比較的ここ数年のうちに読んだものを中心に選んでみたので、興味があるところから手にとっていただけると幸いです。感想も聞きたいです。
 それでは行ってみよう。

◆クリエイターの物語

 『SHIROBAKO』といえばまずなんといっても、アニメの製作現場が舞台ということでクリエイターの群像劇として(良くも悪くもきれいに)できあがっている。
 なのでそんなクリエイターの物語をさらに楽しみたい人向け。

丸戸史明『冴えない彼女の育て方』(富士見ファンタジア文庫、2012年〜)
冴えない彼女の育てかた
丸戸 史明
KADOKAWA / 富士見書房
2012-09-07






 ライトノベル(既刊7巻、外伝2巻)。みゃーもり、りーちゃん枠。
 関東では1月から『SHIROBAKO』放映後1時間弱のうちに放映されていたのでいまさら感もあるかもしれないけど、ファン層がかぶっているかというとそうでもなさそうなので最初に推しておく。
 消費オタクの高校生が一念発起して同人ゲームを作るために周囲の美少女を勧誘(というか攻略)していくタイプのラノベを、『WHITE ALBUM 2』などの作品を書いてきた丸戸史明が執筆というガチ感。アニメ本編は原作の4巻あたりで終わったのでやや尻切れな感じがしたので、続きとかスピンオフを読んでより「なぜ創作するのか」というところをつきつめていけるクリティカルさを味わって欲しい。
 ヒロインの魅力と、「なぜ」という動機の部分がかなり密接に絡んでいるのはあくまで趣味の延長である同人ならではかもしれない。

柳本光晴『響 小説家になる方法』(スペリオールビッグコミックス、2015年)



 マンガ(既刊1巻)。りーちゃん枠。
 廃部寸前の高校の文芸部にヒロインが入部して無双するのかと思いきや、もっと緻密に小説を書くとはどういうことかから始めているところに好感が持てる。
 ヒロインは個人的に公募にも応募しており、個人の活動と部活での活動が並行していくことになりそう。のっけからマンガと比べると純文学の売れなさみたいなものが編集部の話として書かれるあたりのリアリティは(その話をマンガで読んでいるという媒体的な妙味もあって)クリティカル。
 あと帯もなかなか皮肉に富んでいるので、新しいうちはぜひ紙で、というところかな。

吉田基已『夏の前日』(アフタヌーンKC、2010年〜2014年)



 マンガ(既刊5巻、完結済み)。絵麻、みーちゃん枠。
 日吉芸大という美大に通う主人公と、画材屋の女主人との濃密な恋模様と主人公の油絵への思いが交錯していく味わいが楽しい。『水の色 銀の月』にも登場する主人公の前日譚という形で書かれている。
 冴えカノに通じるのは「なぜ描くか」という点と、「誰を想って描くか」という要素が美大生という一人のワナビ−の心情として複雑に絡み合っているところだろう。
 現実なら年上のヒロインに完全に溺れかねないところを、きわどく回避させる吉田基已の器用さが光る。溺れかけていく快楽と、しかし「なぜ」、「誰のために」描くかという根源的な思いの両立はなかなかに難しい。
 最終的にどのような選択をするかについては、多くのクリエイターが密かに抱えている思いの表れなのかもしれない。

日本橋ヨヲコ『G線上ヘヴンズドア』(IKKIコミックス、2003年)


 
 マンガ(既刊3巻、完結済み)。絵麻、みーちゃん、りーちゃん枠。
 日本橋ヨヲコの作品はどれも大好きだけど、この作品の醍醐味は成功の先にも必ず大きな落とし穴はあって、好きなことを続けていくことの難しさと、だから面白いって部分を短い中でうまく両立させているところにあるんだろうと思う。
 物書きと絵描きのコラボは『バクマン』でも使われているネタだが、本気のぶつかり合いが見せる物語のエネルギーは半端じゃない。かつ、物語的なシリアスさとマンガ的なコメディを両立させるのもお手の物といったところで、そのへんは完全に安心して読めるし、しっかりカタルシスも味わえる。
 今回挙げた中では一番昔に読んだので、久しぶりに時間作って読み返してみたい。その勢いで日本橋作品全部ひっくり返す流れにもなっちゃいそうだけど。


◆アニメーションの可能性
 
 『SHIROBAKO』が描きたかったのは結局のところアニメとして表現することの面白さだったのではないかということを、作中作の一つ『アンデスチャッキー』を見ながら思った。
 『アンデスチャッキー』が示したのはもう一つ、職人的なアニメの世界がかつて存在したことと、それが歴史となっていまに続いているという時間の流れだ。
 そうした時間の流れと、アニメという表現の面白さと現場の熱量を伝える(あえてガチな)二冊を紹介する。

トマス・ラマール『アニメ・マシーン』


 
 アニオタには不向きな媒体かもしれないが、アニオタこそ読むべきといった感じのアニメ研究の大著。
 戦前の日本アニメの歴史から宮崎駿、庵野秀明の表現スタイルまでといった長い目線で分析したアニメ研究を日本人ではなく、カナダの日本研究者にやられてしまうのってどうよという気はまあするにしても、たとえば東浩紀の動ポモ理論がどのような形で受容されているのかという一例が垣間見えるという面白さもある一冊。
 クソ分厚いのでさすがに図書館で借りて読んだが、普通に一家に一冊あってもよいくらいの情報量。その膨大な参考文献や図表も貴重なので読むべし、読むべし。


イアン・コンドリー『アニメの魂:協働する想像の現場』
アニメの魂: 協働する創造の現場
イアン・コンドリー
エヌティティ出版
2014-02-24



 こちらは細田守までをフォローした文化人類学のアプローチによる研究書。なのでとにかく現場に入り込み、細田アニメの製作現場やコミックマーケットにまでそのフィールドは及ぶ。以前早稲田で一度拝見したことがあるし、日本にはわりと頻繁に来ているのだろう。
 この本が書きたかったのは「魂」(soul)とふられたタイトルにあることそのままだ。魂はそのまま熱、エネルギーといった言葉に置き換えられるが、日本のアニメーションやその周辺の文化がどのような魂を持った人たち(制作側のみならず、ファン層においても)によって成り立っているかを様々な現場に入り込んで分析していく。
 アニオタとして面白かったのは海外オタによるファンサブ文化に切り込んだところだろう。日本で放映されたアニメの映像に外国語字幕を載せて再編集する形は著作権的に明らかに黒に近いグレーだとしても、一つの海賊文化的な側面の魅力とその魂はあっさり看過できるほど小さいものではない。


 以上、長くなったのでとりあえず前編の6作品まで。後編はまた後日。

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